オリンピックを見てたら田舎を思い出した

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高校二年生の時に札幌オリンピックがあった。
真駒内のアリーナにアイスホッケーを見に行った。
アイシングというルールが不思議だったり、速すぎて何が起きているのか分からなかったり。
小樽の友達の家で、スキージャンプの金・銀・銅メダル独占を一緒に見た。
笠谷と藤沢は私の生まれた町、余市町の出身。
選手たちは、我が家にまで、遠征費の寄付をお願いに来ていた。
小さい町を丁寧に回って、後の金メダリストが頭を下げて寄付を貰っていたのだ。
中学生くらいだった私は、何だか気の毒な気がして、胸が疼いた。

高校の校庭にはジャンプ台があった。
校庭を臨む崖の上に大きい滑り台があるように見える。
夏には、あんなところから飛ぶのはアホだ、と思えたが、雪が積もると、スキー部のアホたちが叫び声を上げながら飛んでいた。それなりに遠くに飛ぶのだった。

一面深い雪の校庭で、冬季の球技大会なども行われた。
膝まである雪をこいでサッカーをするのだ。あれ、何だったんだろう。

小学校の校庭にはスケートリンクがあった。
雪が降ると、竹箒で氷を掃除していた。その竹箒につかまり、引っ張って貰っていた時、なぜだか手を離してしまい、尾てい骨をしたたか打った。
しばらくしゃがむこともできなかったのは、ひびが入っていたからかも。

中学のスキー授業は学校の裏山だったから、足でえっちらおっちら上り、ボーゲンなんかを練習した。
授業2コマ通しでやり、戻って休み時間に着替えて、また通常の授業をしていた。
みんな、ストーブの周囲に手袋を干した。その頃の手袋は毛糸。
スキー遠足というと、遠くの山までスキーを担いで歩いて行った。思い返すと、全員スキーを持っていたな。山奥の農家の子は、スキーで町の近くまで来て、そこから歩いて通学していた。

冬は、家の前を毎日雪掻きし、それでも凍って固まった雪を春にはツルハシで割る。
屋根からは、人の身体ほどもあるつららが下がる。
寒さが緩むと、落ちて頭を直撃するので、ある程度まで大きくなれば、金槌で割って落としていた。

子供の頃には、石炭を運ぶ馬そりが来た。
家に横付けして、石炭庫に粉炭を入れるのだ。粉炭は火力が強い。
馬の吐く息は、勢いよくて真っ白だった。

思い返すと、冬の印象ばかりが強い。
夜を徹してしんしんと降る雪は、自然の大きさを感じさせてくれた。
そんなにも沢山の雪が空から降るのは、人の都合の外にある、自然の摂理なのだから。

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このページは、kyokotadaが2014年2月18日 13:14に書いたブログ記事です。

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