希望的観測と現実

user-pic
0
今日の新聞に、就職活動中の大学生たちへ、結婚したら共働きが良いか、奥さんが専業主婦になるのがいいのか、というアンケートをした結果が載っていた。
男子学生は、半数以上が専業主婦希望、女子学生は7割が共働き希望。
これについてのコメントとして、「男子学生は保守的である」と書かれていた。
保守的って、その意見、違わないか?
男子学生、単に親世代を見て、世話してくれる奥さんがいてくれる方が楽そう、って思っただけじやないのか。
それは、希望的観測だ。現実には、すでに専業主婦は無理かもしれない。
例外的に、大変な高給取りであるか、三世代同居で住居費が浮くとか、何らかアドバンテージがないと、専業主婦は無理だ
けれど、若い頃には誰しも、自分がこれから立ち向かう現実について、そのシビアさを見据えられる人は少ないかも知れない。
経験は年齢ごとに変わり、責任も年齢ごとに変わる。
自分の足を踏み入れてみてやっと、世界の複雑さや困難が身に滲みる、というものだ。

それは、音楽をやっている若い人々にも当てはまる。
「メジャー・デビュー」という華やかな出来事が、行く先のどこかに存在していると考えたりする。
成功した話は、メディアに溢れているから、自分がその仲間になれないはずなど無い、と感じる。
けれど、世界は茫洋として捉えどころもなく、行けども行けども何かが起きる気配はない。

現実の世界では、何かが起きるのを待つのではなく、届くまで自分が積み上げるしかない。
それはとても地味な日々だ。

まだ20代の頃、専門学校でボーカル講師をしていた時のこと、帰国子女で高学歴の生徒が、「3年歌って芽が出なかったら止めるつもりです」と言った。
私はその時、自分は成功するために歌っていないなぁ、と改めて感じた。
人生の中で、なるべく多く音楽する時間が持てるように、その工夫なり、努力なりを続けていこうと、それしか考えていなかった。好きな音楽は、決して売れそうなジャンルではなかったし、華やかな世界で音楽を続けたいとも思わなかった。タレント性とかカリスマは皆無なので、ただ地味に、自分が良いと思う音楽を続けていけるよう、生活を保つ。
それしか思っていなかった。

この時の実感が、私の人生を貫いている。
私の身の丈で、精一杯、良いと思う音楽を続ける。
それは、若い頃には希望的観測の範囲だったけれど、今はついに現実になっている。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://tadakyo.web5.jp/mt/mt-tb.cgi/466

コメントする

このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2014年2月28日 14:05に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「変わることを楽しんでる」です。

次のブログ記事は「オリジナル曲が溜まっております。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。