タモリさん

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「笑っていいとも」が終わり、沢山の芸人さんたちのコメントがネット上に溢れております。
面白くてためになる。

タモリさんという人を、私は上京された最初の頃から見ていました。
なんと、売れる以前、早稲田のジャズ研定期演奏会で司会をしたことがあったのでした。
その時はすでに、ラジオで芸を聞いたことがあり、ミュージシャンの間で話題でした。
エアチェックしたものをみんなで聞いてゲラゲラ笑っていました。
四カ国麻雀とか。
ごく最初の頃のタモリさんは爬虫類っぽい感じ。

ある時、かまやつひろしさんとデュオでシングルを出され、ヒップホップの先駆けみたいな曲で、私はラジオとテレビを一本ずつコーラスに呼ばれたのでありました。
なぜなら、当時私は、かまやつさんのバンドの方たちとリハーサルバンドをやっており、そこのマネージャーが、「鏡子さんジャズだから黒いドレス持ってるでしょ」と電話をしてきたのです。
凄い短いフレーズを歌うのですが、さすがに上がってNG出しました。
ノーギャラでした。
タモリさんの印象はほとんどありません。
静かにそこにいて、やるべき事をやっている感じ。
その時に、かまやつさんに「若いのにジャズって感心だね、頑張ってね」と励まされました。

タモリさんは、普通のお笑いの人たちとはスタンスが違っていて、たとえば、スネークマンショーなんかの仲間と思っていました。いとうせいこうさんのように文学方面に行くのかな、と思ったり。
でも、なんと日本を代表するお笑いの主役になっていきました。
その方法は、「育てる」だったように思いました。
「笑う」ということに対して、何か分かっていた。
だから、それを軸にして、タレントさんとか芸人さんとかをごたごたに鍋に入れて、みんなに切磋琢磨させた。鍋が機能するように自分は外から火を焚く。
つまり、中心にいない。

あたかも、国家に於ける「天皇」のようです。
日本の文化は「空洞」の周辺に発展するという説があり、「皇居」および「皇室」が、実はどのような場所で、そこの中で何をしているかよく分からない、という事が文化の爛熟を助けるという訳です。
一神教には必ず中心が有り、それが絶対的な存在ですが、日本では同じ場所に「天照大神」という「太陽」の名代を置いたりする。
太陽なんて、ほとんど「空洞」に等しい。

タモリさんは、つまり居るけどほとんど何もしないみたいな、そしてどういう方か分からないみたいな在り方で、長い年月、「場所」を保たせ、そこで数知れない才能を世に出していったのでした。
最終的には、巨人となった芸人さんたちが、互いの都合も厭わず一堂に会する機会を作り上げてしまった。そして、その時、触れば火傷しそうな親分たちがその場で為す芸や在り方を、沢山の芸人さんやタレントさんたちも間近に見て、それぞれの人生の糧とする。
最後の番組などは、後世まで延々語り継がれるでしょう。
お笑い界、それができるのが凄い。

アメリカの音楽会では、グラミー賞の会場や、レジェンドたちのレセプションで同様のことを起こしている。バースディーライブとか、トリビュートコンサートとか。レジェンドは、そのように遇されるべきなのだ。そして、日本の音楽会は、それをするのに失敗して、最近は「懐かしのメロディ」をたれ流すだけに終始している。
日本の音楽会は、多分いまだにメジャーだった頃を引きずっている。為す術も新たなアイディアも無く、だから貯金をはたいてしまう寸前だ。
実は、すでに、とっくにメジャーではない。
業界自体がマイノリティーの集まりだ。
商売になっていない。
そのことについて各自が危機感を持てば、何はさておいても、ある意思を持つ集合としての力をア・ピールしなくてはならないと思うはずなのだが。
座して天才を待つしか無いのかな。

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このページは、kyokotadaが2014年4月 3日 12:36に書いたブログ記事です。

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