タイ旅行 その6 最終回

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早朝に、ホテルのレストランに向かうと、あらゆる人種の人々がビジネスのための一日を始めようとしていた。すでに6時前に、薄い壁の向こうから、日本語でアポ取りの電話をかけている営業マンの声が聞こえていた。レストランには、さまざまな肌色の人々が、スマートフォンを片手に慌ただしく食事をしている。グルジアとかトルクメニスタンとかの感じの夫婦もいて、皿には驚くほど沢山の料理が載っていた。

はじめに向かったのは王宮。最も豪華な寺院群がある。タクシーで着くと、沢山の観光客で大混雑になっている。気温は午前中ですでに32度C。日本にも仏教寺院はあるが、こちらのものはいずれもキラキラの装飾。モザイク、金箔がこれでもかと施されている。

以前に装飾美術研究家の講演を聞いた時、イギリスと日本について語られていたことを思い出す。
日本列島は、ユーラシア大陸の最も東、極東に位置し、朝鮮半島の下にしずくを受け取る形で存在する。そして、世界地図を天地ひっくり返して見れば、イギリスの島々は、西の端でユーラシア大陸のしずくを受け取る形で存在する。
いずれの国も、華美な装飾を洗練させ、デザイン性に優れた深み、渋みに至る。インドをはじめとする大陸中央地帯のカオスは、それなりのエネルギーとして装飾に発露しながら、生命の循環を受け容れているが、東西の端にあるふたつの島国は、それらのエッセンスをすべて受け取りながら、省略やメタファーの域に至った。

タイにいて、受け取る物全てはストレートである。単純な仕事を毎日繰り返しても、それが生業となれば、喜んで働き、素直に生きる。そのシンプルさにしばらく触れていなかった。そもそも、人は食べていく、という願いを始まりとして、自分を知り、高望みしすぎず、納得して生きていたのだ。その間に、多くの理不尽、政治や争いのために生命や家や家族を奪われ、しかし、それすら人ひとり、一回の生の中に閉じ込められたまま循環して行く。

人の存在を過剰に意味づけし、大騒ぎし、はしゃぐ文化は、爛熟を通り越して腐りかけているような気がする。人はもっと静かで、よく環境を味わい、伸びやかに存在するべき物だ。沢山のことをするよりは、少ないものをしっかりと受け取り、味わって。

文明の進化は便利だけれど、今となっては面白がる暇も無く、ただ、それによって増殖される時間や利益に振り回されてしまう。ハンドリングすべきか? 溺れてもいいのか?

王宮から隣のワットアルーンに歩を進め、巨大な仏像を見る。さらに、渡し船でワットポーへ。川の上には、心配なほど沢山の渡し船。何の規則も制限も無く、大勢の船頭が神業のようにすれ違い、やり過ごす。大分疲れた。こちら岸に戻ってタクシーに乗る。お土産を買いにショッピングセンターに行く予定だ。しかし、運転手はメーターを下げず、普通料金の5倍もの運賃をふっかけてくる。娘と2人頑なに「ノー」を言い続けドアを開けて降りる。別のタクシーに駆け込んで、「100バーツ、OK?」と訊ねると、こちらの運転手は笑ってメーターを下げた。

伊勢丹が入っている巨大なショッピングセンターは、タイの人々にとっては未来の遺産だ。
「今はまだ足を踏み入れることもできないが、いずれ、あの場所で買い物をし、寿司を食べよう。そのために頑張るんだ...」。
それは、私たちが辿ってきた道である。けれど、彼らも同じように、そう考えるだろうか?私たちが時系列に沿って進めてきた、経済の発展と文明化は、しかし、現在の後進国ではバラバラなまとまりの無い事象として撒き散らかされている。バラックに住んで携帯電話を操り、屋台で食事をしながら日本製の化粧品でメイクする。それは、私たちには想像できない日々なのだ。そして、その彼らを日本並みの生活水準に引き上げて購買者になって貰おうとする遠大な計画は、いまその途上にある。あることがあまりに見えて、その仕事が彼らの幸福のためなのか、日本国の発展のためのか、よく分からなくなって、私の気持ちは行き暮れる。分からない。ほんとに。

夜遅い便のJALでバンコクを発つ。乗り込むなり疲れがどっと出て眠ってしまった。明け方に日本に帰り着いて、ラッシュの始まった電車で家に帰り着く。東京は冷たい雨。まだ冬真っ盛りだ。

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このページは、kyokotadaが2015年2月15日 12:44に書いたブログ記事です。

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