タイ旅行 その5

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あまりにも楽しかったプーケットのホテルをチェックアウト、ゴムの木の畑が見える道を疾走して車は一路空港へ。ここにはまだ、貧しい家屋という物が残っている。小屋のような家、庭に神様を祀る昔のスタイルの家。
そういえば、日本には粗末な家や古い家が少なくなったなぁ、と改めて思う。私の子供の頃は、まだあちこちに、土間と板敷きの間だけの家や、入り口にムシロを下げただけの家があったものだ。

バンコクに着くと、短髪の元気なおばさんガイドが出迎えてくれた。ところが、この方の日本語が全然分からん。しかも早口。私と娘とで聞き取れる部分が異なるのでかろうじて話が通じたような気が...。ガイドさんによると、バンコクは、治安などの面で色々気をつけねばならないらしい。特にタクシーやトゥクトゥクではぼられる可能性があるらしいことを聞かされる。

この日は日曜日で、かの有名なウィークエンドマーケットが開かれている日。チェックインを済ませたら、そこに繰り出し、帰りにはこちらも有名なプーパッポンカレーの店に行く計画を立てた。
ホテルを出ると、やはりプーケットには無かった、不穏な雰囲気。たたずむ人々の雰囲気もどことなく違う。
まずは、喧噪にまみれた通りを歩いて電車の駅に行き、切符を買うことから。さらに、目的地までの乗り継ぎ駅を目指す。最初の路線は空港から続く新しい電車。ホームに上がるエスカレーターが立派だ。その上ホームには、液晶テレビが等間隔に設置され、賑やかな音量でCMが流れている。タイの車の90%以上が日本車であるのと同様、そこに流れるCMも日本製品の物がほとんどだ。
しかし、高架から街を見下ろすと、そこには路面の線路ぎりぎりに建つぼろぼろの民家や軒先の洗濯物、屋台などがひしめく。文明のもたらす均一化が全く無視された混沌。眼下の路地に100年前、眼前のホームに近未来だ。

乗り継ぎ駅では、駅名の確認と金額の確認に時間がかかる。日本の地下鉄同様、同じ場所でも路線ごとに駅名が異なる。自動券売機はコインのみ可、なので、ありったけのコインを入れ続けた。乗車券として出てくるのは、プラスチックのコイン状の物。これを改札で読み取り機に当てる。何度でも使える物として開発されたのだろう。大騒ぎしてコインを入れ、切符を手にして振り返ると、私たちの後ろに長い列ができていた。

ウィークエンドマーケットは、昔の市場のような物と言えば良いだろうか。バラックのような屋根と間仕切りのある長屋に、数え切れない数の店がひしめいている。同種の店は同じエリアに固まってあるので、競合が激しいだろうと思われる。衣類、鞄、調理具、香や石けん、飾り物、土産物...。しかし、買って帰りたい物はほとんど無い。ただただ、その広さと人の多さ、店の多さに驚く。

夕食予定の店に行くためには、地下鉄が良さそうだ。マーケットの近くから地下に入る。入り口に日本とタイの国旗を描いた金のプレート。地下鉄は日本の援助でできているようだ。外は暑いが、乗り物の中は異常に寒い。首にタオルを巻いてやり過ごす。ガイドブックに従って、レストランがあるとされる駅に降りると、ここはナイトマーケット真っ最中だ。日本で言えば六本木通りくらいの道路を通行止めにして、何列にも屋台が出ている。こちらは食べ物屋が多い。たまに、バンド演奏の舞台もある。それがまた、延々と続く。30分近く歩いて、やっとレストラン周辺に着く。マーケットが終わった地点からは異様に暗い。交通が激しい道を渡ることはできないため、高い歩道橋を渡り、ついに、蟹の並ぶ店先に辿り着いた。
この店がまた寒かったが、それより閉口したのは後ろの席の中国人青年たち。彼らの話し声のやかましさと来たら、日本では応援団くらいしか出さない声と言えば良いだろうか。ひっきりなしに喋り、叫び、笑い...。思わず、ボイスレコーダーに録ろうかと思ったほど。

カレーは、それなりに美味しかったし、お値段も抑えめで満足だったが、色々な意味で疲れた。
タクシーで宿に戻り、バタンキュー。明日はバンコクの三大寺院を巡るのだ!

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このページは、kyokotadaが2015年2月11日 16:14に書いたブログ記事です。

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