他者の欲望

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心理学には様々な流派がある。
前提として「臨床心理学」と言わなくては、セラピーやアナライズにすら辿り着けない。
迷路にネズミを走らせたりして統計を取る、「実験心理学」という分野もあるのだ。

さて、臨床心理学。
私が最初に触れたのは、アメリカのサリヴァンという精神科医の著書だ。
大学のゼミで購読したその本こそが、後に、あまり論理的でないこの頭が壊れそうになるまで考え続ける学びへと導くものだった。
ゼミは「ユートピア思想」へのアプローチとして、人間の心がどのように形成されていくのかを考えるものだった。

とても個人的な理由で、その内容に触れたときのショックを今でも思い出す。
人の心の成長は、育てる人の態度に大きく左右される。
そして育てる人は自分では選べない。

親の意に添えないことを、親の言動に理解が及ばないことを、自分の無知のせいと思い込んでいた、その思い込みに新しい光が差した。
親は必ずしも正しくないと、サリヴァンはほのめかした。
そこから、怒濤の心理学本探しが始まり、既読書が積み上がっていく。

人の心理は、矛盾した情報を受け取りすぎることで、歪む。
歪みはそのまま負荷となり、心の形成に影響を及ぼす。

乱読する中で出会った言葉のひとつに「他者の欲望」がある。
フランスの精神科医ラカンの言葉だ。
ラカンは難解で、私には歯が立たなかったが、この言葉ほど自分の辛さを上手く言い当てているものは他に無いと感じた。
誰かが私に、「こうした方が良いよ、そうしてくれると私が嬉しい」と訴えかけている。
私は無意識にも、意識的にも、その信号を受け取り、自分の欲望はさて置いても、他者の欲望を叶えなくてはと懸命になる。
それは、自分の感情を自分で矯正することに近い。
怒ってはならない、避けてはならない、嫌ってはならない...。
果てなく続く「ならないの連鎖」
感情を制御した果てには、行動を制御されることでは起きない種類の病理が、心に棲みつく。

感情を制御されると、人は生気を失っていく。
終始、焦燥感と不全感に苛まれるようになる。
いつも忘れ物をしているような、何もかもやり遂げていないような、自分の不完全さばかりが意識される。
責め苦のような日々が続く。

そのまま、子ども時代と思春期が過ぎる。
楽しそうに語らい、連れだっている友と打ち解けられなくなる。
グループの中で孤立しがちになる。
人よりも素晴らしく努力しているのだが、承認は得られていない気がする。
どこまでも続く、自分の努力の足り無さに対する不安。
どこにいても、誰からも承認されていないと感じる孤独。

何よりも問題なのは、それを異常だと知りえないことだ。
他の友人たちの家庭と、自分の家庭とを比較するだけの知恵は無い。
その安心や無邪気な喜びや希望が、他の友人たちと較べて極端に少ないことに気づく術は無い。

他者の欲望は、発している本人にとっては親の愛だったのだ。
エゴでも、見栄でも、自分は親なのだから、その立場で子どもに望むことは正しいはずだと、無邪気に信じられていた。
その無邪気さの残酷。
矯正器であちこちを固められた幼い心は、生涯治らない歪みを負う。

たったひとつの救いは、いつの日か、自分に歪みがあることを知ることはできる、という点だ。

大人になって、臨床心理学と出会い、幸い私にはそれができた。
できないと、摂食障害や、自傷行為、不良化、依存症などに進まざるを得ない。
私の兄弟はそちらに行ってしまった。
私を留めてくれたのは、音楽や文学への傾倒だ。
それに依存しても、自傷ではない。

自覚ができて少し楽になり、しかし、その歪みから生じる、生きていく上での困難を改めて認め、受け容れることにせねばらなくなった。
少しずつ、健康に生きる可能性が出てきた後も、他者の欲望は、長く付きまとった。
それが完全に無くなったのは、親が認知症になった時だったかも知れない。

厄介なのは、他者の欲望を私も欲望するということだ。
親から離れても、周囲には必ず人がいる。
私は誰かを喜ばせようとする。
逆に、こちらからのお願いはし難い。
頼まれなくても、気がつくと誰かの楽のために動いてしまう。
それを称して「気が利く」とか「良い人」と言うべきだろうか?

そんな人になりたいわけでは無かったろう、と思う。
わがまま勝手で、傍若無人な、でも、魅力的な人にこそ、なりたかったのだろうと思う。

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このページは、kyokotadaが2018年10月23日 17:48に書いたブログ記事です。

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