kyokotada: 2016年11月アーカイブ

話題って...?

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体質的にお酒が飲めないので、「酒場での付き合い」ということをしない。
呑む友人に誘われて酒場に行くこともあるが、酔っ払った人々が大声で喋り倒す横で、素面の私は暇なままボーッとしているだけになる。
呑まない友人たちとは、ただ話すためにつるむという機会が極端に少ない。
毎日のようにライブをしている場合は、行く先々で人に会い、話すだろうが、私はそんなにライブもしないので、たいてい独りでボーッとしている。
やることはたくさんあり、レッスンやら楽譜書き、曲覚え、練習などしていれば、日々は過ぎゆく。本も読むし、テレビも観るし、絵も描き、曲も書く。
忙しいようだがそれでも、呑みたい人々が酒場で過ごすだろう時間帯は、家でボーッとできるのだ。

話は変わるが、このところ、何となく虚しい。
大地震の前に、泣くほど虚しい、不安な気持ちになった経験があるので、もしかして地震来るのかなぁ、と少し心配だ。
地震の予感では無いとしたら、この虚しさは一体何なのだろう。

私にはいつも、存在していてすいません、という気持ちがある。
自分のために、どなたかが不自由されたり、押しのけられてはいけない、という気持ちがある。
私が日頃している活動の様相から推し量って、相当にオレサマな押しの強い人だろう、と思われる節もあるのだが、じつは人前に出ないで済むなら出たくない引っ込み思案だ。
こういう性格だと、人を遮って話すパッションも無い。
酒場では、道端の雑草である。
そういう人が人前で歌うというのは、いかがなものか?

昨日、友人が出演する芝居を鑑賞し、その舞台の後、今回の演目についてあからさまな話をした。こちらは、感じたことを小出しにし、なるべく良い点を上げようとするのだったが、友人の女優は、その舞台に関する自分の体験をあけすけに晒してくれて、そのお陰で私の感想は、なるほどと自分の腑に落ちたのだ。
話題とは、そういうものでありたい。
ギターの加藤崇之さんは、とても忙しくライブをし、絵を描いて、おまけにブログまで書いているのにも拘わらず、ときどき、私の歌やライブの内容について、丁寧なメールを書いてくれる。
その内容は、きつい部分もあるし、励まされる部分もあるし、納得できるまでたくさんのエネルギーが必要だったりもするが、それを契機として、はっきりと気持ちが変わる時がある。
話題とは、そうありたいものだ。

いつもどこかでうっすらと考えてはいるが、普段の会話にはあまり上らない、という種類の事柄がある。
そういう事柄を、互いに話しながら意識に上らせ、口に出し、再認識して行く。
自分の中に渦巻いていたものが、ある程度整理され、共感もされ、取り敢えずは片付く。
話題とは、大いに、そういうものでありたい。




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