この世には、「良いことと悪いことがある」と思っていた。
平和とか、無事とかは良いこと。
その他はほとんど悪いことかも知れない。
私は、子どもの頃からいつも心が切迫していた。
それが何故なのか、全く分からないまま、ただただ切迫していた。
子どもなのに頭痛持ちで、しばしば胃の薬を飲み、鬱っぽく、爪を噛む。
本ばかり読む。
夜は寝付きが悪い。
いつも努力が足りないと焦っている。
誰かに負けると死ぬと思っている。
書き出すと苦しいが、こういう大変な子どもだったのには事情があり、原因もあった。
悪くすると、鬱病をこじらせていたかも知れない。
もしお酒が飲めたら、依存症になっていたかも知れない。
お酒は飲めないので、薬に走っていたかも知れない。
けれども、どうやったのかは分からないが、今はわりと楽に生きている。
万巻の書を漁ったし、心理学を勉強したし、我慢もしたし、信じるものを持とうともした。
けれどそれらの何が私を救ったのかは分からない。
運良く、本当に運良く、私は結構納得行く現在を手にしている。
この後、そうは行かない状況になっても、一度手にできたのだからその幸運に免じて、人生を納得しようと思ってもいる。
震災で、みんな昨日までと異なる日常になった、と言っている。
事実、被災していなくても、この世には厄災というものがある、という事実を見てしまった。
人災も甚大に起きた。
災いが起きたことで、支持される考え方がこれまでと大きく変わることを体験して驚いている。
それ以前には、自己責任論にやり込められて存在意義すらなかった、助け合いたい気持ちを発見してもいる。
それは、一定の人々に安堵をもたらしているように見える。
悪いことは良いことにも繋がる。
繁栄や成功は、長い間良いことで、その恩恵にあずかっている人々の堅固な安定は絶対に揺るがないとすら思われていた。
けれど、呆気なく崩壊する。
堅固だと思うその確信が死角だらけの仕組みを作るのだろうか。
油断していて、膝の後ろを軽く押されただけで転ぶみたいに、悪意あるアクションひとつで瓦解が起きる。
瓦解、崩壊することで日常を奪われた人々もいる。
予想していなかったらしく混乱している。
良いことは悪いこと。
けれど一方には、何によらず崩壊しないものはないのだ、という現実を体験して、突破への希望を持つ人もいる。
その希望すら、持てば持つほど身動き取れなくなったりもするのだが。
自分のことで言えば、私は、周囲が驚くほど、恨み辛みを手放してきた。
どうしたらこんなにあっさりと、私をいたぶった人たちを新しい眼で見たり、対応したりできるのか、自分でも不思議でならない。
けれど、それが、唯一私を救った資質かも知れない、とも思う。
持てあますほどの怒りと、嘆きと、哀しみと、諦めと。
けれどその後には、初めて会う人々、初めて対する物事のように彼らを見ながら、私はそこにいるのだ。
休日の土曜日に、わざわざ何か書かねばと思い立った。
書くことがあると思い立った。
けれど、書いてみると、まとまらない。
あまりにも色々な要素が渦巻いていて、整理するのに時間がかかる。
平和とか、無事とかは良いこと。
その他はほとんど悪いことかも知れない。
私は、子どもの頃からいつも心が切迫していた。
それが何故なのか、全く分からないまま、ただただ切迫していた。
子どもなのに頭痛持ちで、しばしば胃の薬を飲み、鬱っぽく、爪を噛む。
本ばかり読む。
夜は寝付きが悪い。
いつも努力が足りないと焦っている。
誰かに負けると死ぬと思っている。
書き出すと苦しいが、こういう大変な子どもだったのには事情があり、原因もあった。
悪くすると、鬱病をこじらせていたかも知れない。
もしお酒が飲めたら、依存症になっていたかも知れない。
お酒は飲めないので、薬に走っていたかも知れない。
けれども、どうやったのかは分からないが、今はわりと楽に生きている。
万巻の書を漁ったし、心理学を勉強したし、我慢もしたし、信じるものを持とうともした。
けれどそれらの何が私を救ったのかは分からない。
運良く、本当に運良く、私は結構納得行く現在を手にしている。
この後、そうは行かない状況になっても、一度手にできたのだからその幸運に免じて、人生を納得しようと思ってもいる。
震災で、みんな昨日までと異なる日常になった、と言っている。
事実、被災していなくても、この世には厄災というものがある、という事実を見てしまった。
人災も甚大に起きた。
災いが起きたことで、支持される考え方がこれまでと大きく変わることを体験して驚いている。
それ以前には、自己責任論にやり込められて存在意義すらなかった、助け合いたい気持ちを発見してもいる。
それは、一定の人々に安堵をもたらしているように見える。
悪いことは良いことにも繋がる。
繁栄や成功は、長い間良いことで、その恩恵にあずかっている人々の堅固な安定は絶対に揺るがないとすら思われていた。
けれど、呆気なく崩壊する。
堅固だと思うその確信が死角だらけの仕組みを作るのだろうか。
油断していて、膝の後ろを軽く押されただけで転ぶみたいに、悪意あるアクションひとつで瓦解が起きる。
瓦解、崩壊することで日常を奪われた人々もいる。
予想していなかったらしく混乱している。
良いことは悪いこと。
けれど一方には、何によらず崩壊しないものはないのだ、という現実を体験して、突破への希望を持つ人もいる。
その希望すら、持てば持つほど身動き取れなくなったりもするのだが。
自分のことで言えば、私は、周囲が驚くほど、恨み辛みを手放してきた。
どうしたらこんなにあっさりと、私をいたぶった人たちを新しい眼で見たり、対応したりできるのか、自分でも不思議でならない。
けれど、それが、唯一私を救った資質かも知れない、とも思う。
持てあますほどの怒りと、嘆きと、哀しみと、諦めと。
けれどその後には、初めて会う人々、初めて対する物事のように彼らを見ながら、私はそこにいるのだ。
休日の土曜日に、わざわざ何か書かねばと思い立った。
書くことがあると思い立った。
けれど、書いてみると、まとまらない。
あまりにも色々な要素が渦巻いていて、整理するのに時間がかかる。