日記: 2011年6月アーカイブ

私の運営するスタジオ・トライブ・レコーズは、ジャズを中心に展開しているレーベルで、8月3日に発売される石井彰さんのピアノソロで8作品となる。
このレーベルは、大体が私と同世代のミュージシャンによるコンセプチュアルなアルバム。
最近、もう少し若いミュージシャンも手がけたいと思うようになり、別のイメージのレーベルを立ち上げることにした。それには、ぜひ、社名のラルゴを使いたい。
ジャズ以外のジャンルもやりたいので、自分のアルバムもここから出すかも。
重厚な既存レーベルに対して、フレッシュなイメージが作れたら、と考えている。

そして、冗談のように考えた「ジンギスカン普及協会」は、クラシック畑の友人も誘って、全方位の音楽家の集いにしたいと思っている。webでは、Facebookとtwitterが展開に向いているかと思う。
アナログな人々もいるのだうと思うが、この際、web対応者だけでごめんね、にする。

もうひとつは、音楽講座。
出張音楽講座をやりたい。
幾つもアイデアがある。
自分が講師の場合、
・クラシックから繙いて、ジャズやロックにいたる音楽の歴史。
・ジャズ・ボーカルのタイプ別解説と歌唱指導。
・ボイストレーニング、耳鼻科音声専門医師とトレーナーのダブル指導。

ベースの金澤・コントラバス溝入コンビで
弦楽器の由来とコントラバスの成り立ち
演奏を聴いて、クラシックとジャズの奏法の違いを観る

カーティス・パターソンと
邦楽の成り立ち。
楽器、琴についての説明と箏曲の演奏

プロジェクターを利用すれば、図や写真を見せながら歴史や分類などを説明できる。
ちょっと面白くない?

疲れてくると、田舎の友だちに会いたくなる。
私の場合は、女子会というのが無くて、男子の中に混じるのだが。
高校時代の友だちとは、心置きなく色々な話ができる。
辛いこともしんどい気分も、まあ、ありがちでしょ、という程度で。
周囲には、少しのことで大変そうにしている人々もあり、それは甘いっしょ、と考える。
苦労と呼ばれる色々には、体験した者同士でしか分かり合えない部分が多い。

それぞれが、それぞれの苦労を抱えてはいる。
それは納得できる。
自分も若い頃から、いつだって苦労していると思ってきた。
けれど、さらに、さらに、大変な苦労が続くと、かつて苦労だと思っていたことは、そうでもないことだったのかも知れないと考え始める。

それでも、辛いことにはやはりそれぞれの程度があって、いまでも、一番辛かった体験を名指しすることができる。
それを通り過ぎて、強くなるのかといえばそうではなく、トラウマになったことを自覚しなくてはならない。忘れていることが突然甦って驚くこともしばしば。
つまり、心に禁忌をたくさん抱えてしまうということだ。
負荷を減らすべきか。
けれども、積極的に打って出ないなら、スリルや楽しみもなくなる。
何より、生存できなくなる。

両方受け入れなくてはならないのだ。
希望を持って打って出て、負荷がかかりすぎたらちょっと引いて。

疲れた時、友だちに会いたくなるのは、そういう私の人生に降りかかった負荷の数々をたいてい知ってくれているからだ。説明抜きで分かってくれる。つまり話が早い。説明するのもしんどい時すらあるのだし。
互いに相当しんどいと、ただ頷いて、しんどいなぁ、と言い合って終わる。
それで、かなりラクになる。
しんどいなぁ、しんどいさ、でも友だちで良かったねぇ、言い合う相手がいてさ。

何かを創り出す人がいる。
作り出されたものを使うだけの人がいる。

私は自分を立ち上げ屋だと考えているが、そういうタイプは、何も無いところから、何かを創り出すのだ。
たとえば、会社とかシステムとかイベントとか歌とか本とか...。
仕事として頼まれてやる場合もある。
手伝うときもある。
たいていの場合、私は出来上がってほしい姿から逆算して、予算や人手や期間などのやりくりを創出し、ついには形とする。
創り出して場ができると、次にはそこにソフトを入れていく。
恒常性を保つシステムや祭り的なイベントなど。
初動は大変だけれど、回り出すとマニュアル的なものが自然に立ち上がるので、関わる人材は外在化され始める。
すると、待ってましたとばかりに、創出するアイディアには欠けるが、提示されたマニュアルに沿って楽しむことはしたい、という感性の人が登場する。
やがて彼らは自分たちだけでできると言い出す。
始めた側は、これまでの経験から、無理っぽいとは思いつつ、説得など無効と身に染みているので、ある程度は渡してみる。
すると次には、コストがかかるから、うるさい危機管理を言うクリエイターは邪魔だと言われ始める。
クリエイターとは、本来の危機管理を熟知した人のことだ。

その後は、当初の発想に含まれる危機管理は忘れ去られたまま、コスト第一の人々が楽しげにその場を使うことが続く。
少しずつ瑕疵が溜まる。
でも、誰も気づかない。
クラッシュするまで。

色々な人がいるからね。
原発見ていて、人のやることは規模は違えどいずこも同じだと思った。

石原都知事の発言が物議を醸している。
核を持て、徴兵制を敷け、とか。
息子のヒステリー発言と合わせると、良純含め、家族力動に興味が沸く。
でも、問題発言は、そういう感性の人々がこの国にはたくさんいるということを報せてくれる良い機会ではある。だって、誰かに受けようとしないで言うはずがないもの。
それに、何しろ、選挙で勝っちゃうんだよ。

ゾンビ映画とは、「訳分かんな〜い」恐怖な人々を描くメタファーなんだ。

誰かが、「人は地球にひどいことをしている。でも人類が滅びても、ゴキブリか何かで地球は生き続ける」と言っている。地球至上主義か。
私は、「生物というものの実体は謎。ただ、遺伝子とか、魂とかがあるだけなら、人も仮の姿、あるいは偶然性に満ちたひとつの結実でしか無く、地球での実験に失敗した後には、別の環境を求めて宇宙へと飛び去るのではないか」と考えたりした。

何がどのように、何故存在するか。
少し、視点を変えると人間が都合良く使いすぎるメランコリーから離れられる。

このアーカイブについて

このページには、2011年6月以降に書かれたブログ記事のうち日記カテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブは日記: 2011年5月です。

次のアーカイブは日記: 2011年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。