音楽: 2012年7月アーカイブ

このところ、始終色々な音楽を聴く。
レッスンで生徒の歌を聴き、セッションで様々な人の演奏を聴き、ライブハウスでプロデュースを打診されているユニットを聴く。
オペラの本の取材で、オペラのリハーサルを聴き、家では自分がライブで歌おうとしている曲を、あれこれのアレンジで聴く。

音楽は多様で、いちいち残酷で、でも底無しに魅力的だ。

オペラの歌手などは、幼少の頃から音楽の基礎を学び、優れた素質を見出され、的確な指導を受け、徹底した自己管理と練習への献身の果てに実現する。
それは、オリンピック選手たちに匹敵する、才能と自己鍛錬の成功例で、そこから聴衆が享受する感動は、他ではなかなか出会えないものだ。

けれど、その魅力を十分堪能するには、聴く側もそれなりの好奇心を以て勉強や散財をしなくてはならない。
イノセントなままに座って、聴いて、感動できるものではないのだ。
あまりに高度な果実は、ほとんどの聴衆にとって、未知の領域だから。

音楽にはそういう、「憧れても仲間に入れてもらえない」残酷さがある。

ジャズは、ひとりひとりの音楽だ。
ひとりひとりが、かなり上手くなければ音楽にならない。
「うまい」には「上手い」と「巧い」と「美味い」があり、それぞれの側面を区別して聴き取れなくてはならない。
技術が優れていても、その技術の使いようには、センスの差が出る。
センスの差だけでなく、量の多寡や、好みも出る。
その上、ひとりの人の中に広がっている、世界観や風景も出る。

そういう事柄を、ひとつの曲を通して即興演奏でぶつけ合いながら会話をする。
オペラでは、即興とは言えないにせよ、高度なことを全力を傾けて表現するので、結果的にはソリストの間で同じような丁々発止が行われる。

演奏とはそのように、勝負でもあり、共同作業でもあり、互いを知り、発見し、自分を投げかけ、相手を受け取り、理解し合おうとする、もっとも原初的なコミュニケーションの場でもある。

ミュージシャン同士で話すと、互いの性格とか嗜好よりも、今聴いた音楽に対するコメントの内容で互いを確認することの方が多い。
演奏は、逃げも隠れもできない、「自分の中味全部出し」になっている。
それをどう聴いたかを語り合うと、相手のことが良く分かる。
それで互いに納得し合い、踏み込むところと無視するところを決め、そういう間柄であることを諒解し合ってつるんでいる。

色々なものを聴くとき、若い人たちの演奏からは、自分がたどってきた道に必ずあった葛藤とか、苛立ちとか、勘違いなどが聴き取れる。
それとは別に、瑞々しい、喜びとか、憧れも豊かに聴こえてくる。

音楽には、ひとりの人の出来ること全てが投影される。
インプット、アウトプット、そしてそれらの取り扱い方。

いつも、人の音から受け取ったものを、彼らの姿形の向こうに透かし見つつ、付き合っている気がする。
まるで、水菓子の中に透けて見えるあんこ玉のような、甘くてしっとりとしてずっしりと重い音楽の核。

それを感じ取る心と耳があることが、音楽を通して人と繋がるときの、私の宝だ。


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