エッセイ: 2005年2月アーカイブ

 ライブ活動の醍醐味は、たくさんの人とコミットできること。

 言ってみれば、演奏はある種、恋愛に似ている。
 プレイヤーの出す音に惚れ、リズムに惚れる。
 
 ある人は和音の美しさにこだわり、ある人はリズムにこだわる。
 機能性や構成を完璧なものに近づけたい人、雰囲気や精神性を大切にしたい人。
 分析する人、クリエイトのためのヒントを探したい人、感動したい人。
 音楽は、演奏するときにも聴くときにも、生理とか心の個性を剥き出しにする。

 ミュージシャンと共演するとなれば、彼、彼女たちが、音楽という活動をどう捉えているかという大きなテーマに突き当たる。
 一緒に演奏する場合、技術の有無よりも、そこで何を求めて演奏しているのかという、心の目的がもっと大切な要素になる。
 コミットメントとか共存とかインスパイアとか、あるいは交換、共感、相互理解、愛情、達成感などなど。
 日常の精神状態ではなかなか入り込めない他人の精神世界に触れる機会が、演奏活動にはある。

 人が恋愛するのは、多様に動く自分の心を相手の中に見出したいから。
 愛しさ、優しさ、怒り、悲しみ...。
 決して止まることのない己の心模様を、相手の反応とともに確かめる。
 愛していればそれと同様の愛を、優しくすれば笑顔や満足を、怒りには尊厳や反抗を、悲しむときには共感を、いつも求めている。

 自分の心が何を求めているのかを正確に知るのは困難だ。
 けれど、人はいつも、どうにかしてそれを知りたい。
 掴まえどころのない感情を、とりあえず外に出してみたらば、誰かがそれをすいと掌に載せて、「ほら、これよ」と言ってくれる。
 そんな夢を、目の前にいる相手は、叶えてくれるだろうか?
 叶えてくれるかも知れない相手を、どこまでも求め続ける。
 叶えてあげられる相手を、探し続ける。
 恋愛は、そういう行為だ。

 演奏していると時々、それと似た感情が達成されたようなカタルシスを感じるときがある。
 音やリズムのハーモニーは、擬似的に人の心の寄り添い方を聴かせる。
 自分が消えて、全体がひとつの音になるときがある。
 その美しさは、わたしの記憶の宝になっている。

續木徹さんとのデュエット

 東小金井にハーギン・チャカ・アラウという、特別なお店がある。
 ライブハウスというよりは、ショットバー。
 それも、都内の繁華街にあるような、メタリックだったりダーツがあるような洒落た店ではない。
 店内は木調というか、手作り山小屋風。
 そして、かかっている音楽は変にマニアックだ。
 例えば、サム・クックとかホーギー・カーマイケルの弾き語りなんという珍しい代物が何てことなくLP版で回っていたりする。
 マスターは、「しんさん」と呼ばれているいかつい上にもいかつい貫禄なおじさんで、でも、先日歳を訊いたらば、私より10歳も若かった。
 マスターの他に重要なスタッフは、「あきらくん」。
 しんさんがプロレスラーみたいな体型だとすると、彼は走り高跳びの選手のよう。
 その二人がだいたい店でお客をもてなしている。


 店にはなぜか、トイレの入り口の横にアップライトのピアノがあり、正面の壁にギターが色々ぶら下げてある。よく見ると、PAらしきものもある。
 しんさんの奥さんはフィリピンの方で、歌手だったというから、きっとそこで歌っていたのに違いない(今は子育て中)。
 他にも、常連客にブルース歌手などがいたそうで、何となく、「ライブするべ」という感じで機材をぼちぼち揃えていった様子だ。

 私の家からも近いそのお店は、歌手復帰したばかりの私に、「出てもいいよー」と言ってくれた。
 もう、4年ほど前のこと。
 するとその近所に、なんと大学時代からの友だち、ピアノの續木徹さんが住んでいたではないか。住んでいるばかりか、その店のお馴染みさんだった。
 私たちは早速、月1回そこでライブをやることにした。
 徹さんは、それから間もなく結婚され、ひじょーーーに張り切って練習に燃えていたし、私も、そこで経験を積み、音楽の勘をとり戻したいと思った。

 デュエットというのは、やってみるとものすごく難しい。
 リズム楽器がないので、ひとりずつがしっかりリズムをキープし、さらに互いの呼吸を聞き、ああいえばこういう、そうきたらこうするべ、と丁々発止を続けなくてはならない。
 それを3ステージもやるのである。
 1回分、50分くらい。
 えらいもんである。

 出演を続けるうち、色々なお客さんが、それぞれのアプローチで応援してくれるようになった。
 カウンターから声をかけてくれる「やまちゃん」は、いつも何言ってるのか余り分からないけれど、買ったばかりの本を読む前に貸してくれたりする。そして、「頭で歌っちゃーだめだめ」と笑いながら言うのである。
 それは私にはとても的確なアドバイスで、以来、やまちゃんが来てくれると、その言葉を思い出し、ハートで歌うことを心がけるようになった。

 「はせどん」と「たべいさん」とは、いっつも読書の話題。好きな作家が共通していたり、他の人が読んでいそうもない本を全員読んでいたりが発覚して、大いに盛り上がってしまう。で、会うと「ところで最近の収穫は何かありましょうか」と本漁りの話などする。オフ会の雰囲気かな?

 他にも、たくさんのお客さんが面白くて面白くて、私はハーギンに行くのがとても楽しみだ。
 徹さんは赤ワインを飲んで真っ赤になり、私は、最後のステージ前だけ白ワインを飲んで少しリラックスする。
 つまり「紅ばら白ばら」みたいな感じ?

 こんな事を言うとおこがましいが、この足かけ4年の間に、私たち2人はとても上手くなった気がする。
 もちろん、徹さんも私もハーギン以外の場で、せっせと経験を積み上げているわけだから、2人でやっていることで上手くなっているという意味ではないのだが、この数年間は2人ともに色々成果があった、ということが考えられる。
 そういうことを想わせるユニットは、とても貴重だ。

 最後に、とっておきの話。
 当初、私は自分のあまりの下手さに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 無名でお客さんも呼べないと、チャージ・バックのギャラも少ないし...。
 それで謝ったりしたのだが、彼は「良いんだよ、Kyoやんと一緒にやることに意義があるんだから」と言ってくれたのだ。
 何の手がかりもなくおろおろ始めたライブだったので、その言葉は私には燦然と輝いて届いた。
 私は、一生、續木徹さんに足を向けて寝られない気持ちなのです。

 これは、今は亡き父の口癖。
 望みは大きく、なるべく壮大なイメージをもって抱け、というのである。
 他人様から見ると、ばかげたホラ話のような望みを抱き、誇大妄想的にその実現に向けて努力した者だけが、並の成果を手に入れることができる、という考え方。
 
 まさに「望み」を叶えるには、まず始めに欲求がなくてはならない。
 そしてその欲求が具体的であればあるほど、叶う確率は高くなる。
 自分の中で、最終的な夢が描かれ、それを実現するための当座の目標が定まり、それを実践している自分の姿がイメージでき、そこに至るまでの道筋が、方法論として描けたならば、この次に何をすればよいのかが自然に分かる...はず。

 もっとも、若き日々の望みは壮大であっても、ほとんどの場合、そこに至る道筋はとんでもなく格好悪くて、辛くて、予想外の難事が次々起こり、周囲の顰蹙まで買うことも多々あるわけで、結局、壮年になる頃にはすっかり挫折して望み自体を持たなくなってしまうのが一般的かも。
 いわゆる、「守りに入る」という体勢。
 あるいは「諦める」。
 「諦観」は、中年以降のある種の佇まいを言い表している。
 わび・さびの世界ですなぁ。

 じつは、私の若い日の望みは「おばあさんになること」だった。
 あまりにもエネルギー過剰な自分に疲れ、何もせずとも充足しているような、縁側に座って猫とひなたぼっこしているような、静かなおばあさんになることを夢見たのだ。
 そして今はどうなったかというと、残念ながら、若い頃とあまり変わっていない。
 相変わらず、あれもしたいこれもしたい、これが物足りない、もっとどうにかならないか、と欲張りである。
 ただし、幾分の工夫は見られる。
 若い頃は、不安や焦燥でざわざわしていたけれど、今は一応、落ち着いて考えることができるようになった。
 考えて、自分の資源や財産を吟味し、戦略を立てることができるようになった。
 などと書くと、すごいことをしていそうだが、まぁ、仕事が込んで晩ご飯を作れないときに、子どもを仕事場に寄らせて一緒に食べる、という程度のことである。
 昔なら、夜遅くなってからでも必死に家に帰って、栄養バランスなどを気にしつつ焦りまくって手作りしたかも知れない。
 それしか思い浮かばなかったわけだ。
 しかし、今は、困ったことが起きても、楽に切り抜ける方法を考え出すことができる。
 切り抜けすぎて、呆れられているかも知れないが...。

 「棒ほど願う」というからには、かなり無茶苦茶をやってしまう可能性があるということだ。それが身に沁みるのは、最近、本当に無理矢理やってる、という感じの場面が多くなっているから。
 ライブはとくにそうである。

 歌うたいというものは、ライブでバンマスというのをしなくてはならない。
 バンマス=バンド・マスター。
 責任者、ということ。
 この仕事は、場所を決定し、スタッフ、ミュージシャンを決定し、全般にわたって交渉し、お金の管理をするものである。
 まず大変なのは場所取り。ライブハウスでもホールなどでも、とにかく競争。
 それからミュージシャンとのスケジュール合わせ、リハーサル、そしてスタッフとの打ち合わせ、集客、最後に支払い。
 これらの仕事の他に、自分のパフォーマンスのための選曲、練習、暗譜、衣装調達、プログラムやチケットづくりがある。
 ときどき、これやってなんの得があるのか、と悩んでしまうほどである。
 けれど、やっぱり好きなんですね。
 お客さんが少しでも喜んでくれると、それで目一杯嬉しくなる。
 とくに、地元などのライブで、ふだんライブハウスに行かない人々が聴いてくれるのはとても嬉しい。これが音楽を好きになるきっかけになってくれないものか、と願う。

 私の場合、「棒」ほどのその規模は、自分の望む素晴らしいミュージシャンと良い組み合わせで演奏し、ありったけの知り合いにインフォメーションする程度のことだが、それでも、多くの人にお世話をかけてしまう。
 音楽やるのは、そういう意味でとても贅沢な仕事なのだ。
 全然儲からなくて、時には出血大サービスにしてしまいがちなんですが...。
 でも、私にとっては、ギヤラを頂いて歌うというのは、「針」以上に望みが叶っているということなんです、ホント!

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