2011年5月アーカイブ

吉祥寺は、大学時代を過ごした街。
母校は、北町にある成蹊学園大学。
ここのジャズ研究会で、未だにプロとして活躍している友だち大勢と青春したのだ。
高校生だった頃は、中央線全体が憧れ。
フォークの時代だったので、阿佐ヶ谷とか高円寺、吉祥寺などは聖地だった。
大学でジャズをやり、偶然色々な店で高田渡さんはじめとする音楽人に遭った。

しばらく、吉祥寺から遠ざかっていた。
渋谷に行くことが多かった。
それがこの頃、休みの日などすぐ吉祥寺に出かけてしまう。
エスニックの服、絵本、紅茶、レコードなどなど、コアな専門店のクォリティは、全国一かも知れない。

歌のお弟子さんが、吉祥寺に新しくジャズの店がオープンするので行って上げて下さい、と教えてくれた。北口から北町方面に向かって高架沿いに行くとある。
Foxholeという。
このマスターが秀逸。
オーディオが素晴らしい。
そしてかかるアルバムが面白い。
全然知らない音楽ばかり。
ブラジルとかヨーロッパとか、無名のまま亡くなった歌手とか。
だいたい、知らない音楽はつまらないことが多いものだが、マスターのかけるLPは凄く良い。

マスターは青木茂という、野球選手のような字面だが、職人風の地味な人である。
しかしこういう人は多分、中味が鋼鉄のように頑固なのである。
かける音楽だって、自分が気に入りまくっているのでないと嫌だ、絶対に。

そして食べものが美味しい。
ひとつひとつの素材の味が、いい。
私も料理が得意なので、何故美味しいのか分かる。
良い材料を使っている。
火の使い方が分かっている。
つまり、頃合いを察知している。

私は、青木さんに、未だ私の知らない音楽の数々をご教示願いたいと切に思う。
青木さんは、はっきり言って商売が下手だ。
それをとても気にしている。
店を開いて半年以上になるが、フライヤーもホームページもない。
わざと作らないのではなく、午から店を開けてせっせと働いているので余裕がないらしい。
しかし、とても良い店だ。
だからみんな行って。

私は、7月9日に、このお店でギターの加藤崇之とベースの多田文信とでライブをやることにした。
ブッキングの時、マスターが、クーラーがないので暑いかも知れません、と言うではないか。
クーラーを買う予算がない。
従って今から、お店を流行らせないと、ライブは汗だくになってしまう。
週一ぐらいで行かないと。
そして宣伝しないと。

みんな行ってあげて。
そして、マスターに話しかけてあげて。
そして、お友達に紹介して。
良い店だから。


ZoolooZ 第7曲目

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本日は、第7曲目
「Africa」 多田文信作曲  多田鏡子作詞
ギターのループである。
松下が4小節くらい録音したのを延々とループさせている。
加藤はそれを、ずーっと弾いていると思い込んでいた。
「リピートさせてるんだよ」と言ったら、「じゃ松下君は何してたの?」

始まりの意味不明なMCは、デザイナーnicoが、録音当時発刊となっていた私の著書「音楽記号事典」のどこかを朗読し、それを逆回転させたもの。
歌詞は、東北弁をベースに、何語でもない掛け声となるよう心がけて作ってある。
こういう歌詞に驚く人もいる、今でも...。
エンジニアの福島浩和も面白がって、鳥の鳴き声とかを入れてくれた。
しかし、動物の鳴き声に聞こえるのは、じつは加藤のギターなんである。


7.Africa

 

 アフリカが好きだというと、彼女は「どのアフリカ?」と横目で聞いてきた。「どの、って広大で動物がいてさ...」

「やっぱりね...」

彼女は、腰掛けている石段から下に伸びている膝下の長い、ても、ちょっと太い脚をブラブラさせながらそう言うと、不満そうに、あらぬ方に視線を移した。

僕の話題に納得行かない時、彼女はいつもそういう態度を取る。

アフリカと言えば、キリンと象とシマウマだ、と僕は思っていた。テレビの動物番組で見るライオンの家族とか、そのライオンに狩られる草食動物のオカピとか、さらにその様子を見物するために乗るジープとか、行く手に広がるどこまでも青い空、バオバブの木。

「そういうのは、ケニアの保護地区だけなんじゃないの」

そう彼女は言うのだ。

「アフリカの中のほんの一部でしょ。それって京都だけ見て、日本のお寺、舞子ワンダフルとか言う外国人と一緒だよ」

僕は黙るしかない。

指摘されないと、僕は暇つぶしに眺めるテレビから受け取った情報を鵜呑みにして、よく考えもせずに好みを形成しているに過ぎない、ということすら気づけないのだ。

彼女は、僕の従妹だ。

父の妹の娘。

歳は、僕よりひとつ下。

父の妹、つまり僕の叔母さんは、彼女が小学生の時に病気で亡くなった。そして彼女は一人っ子だ。

叔父さんは仕事が途方もなく忙しい。おまけにしばしば海外出張がある。長期の出張になると、彼女はいつも僕の家に泊まりに来る。今は就職して一人暮らしをしている僕の姉さんが使っていた部屋を、今は彼女の部屋ということにしているのだ。

「アフリカって、ヨーロッパの植民地だった頃の負の遺産をずっと引きずっているのよね」

中学生に相応しい発言だ。

「確かに、保護地区の動物たちは絶滅危惧種も多くて、世界中で保護しなくてはならない状況にあるのだけど、その動物を保護する予算と同じ額のお金があれば、伝染病で命を落とすアフリカの赤ん坊をたくさん救えるのよ」

僕は、じっと下を向く。

「私、いつもそういうことを考えるの。生きている人と死ななくてはならない人のこと。日本にいれば、赤ん坊が死なないのが普通。アフリカでは普通じゃない」

彼女は、きっと亡くなったお母さんのことを考えているんだ、と思った。亡くなるのが、なぜ、他でもない、彼女のお母さんでなくてはならなかったのか。

「ごめんね、ぜんぜん楽しくない話し方で。でも、この頃、暢気な話聞くと、すごく傷ついた気持ちになるんだ」

謝られて一層、悪いのは僕の方なんだ、と思った。彼女を気の毒に思う心がどこかにあって、だから軽く励まそうとするのだが、できるだけ楽しい話をして彼女を励まそうとするのだが、どういう訳か、頭はやたら軽薄な方へと向かってしまう。

「でも」

彼女は、頬に微かなえくぼを作って僕を見た。

「アフリカの音楽は好きよ。大地の匂いがするっていうか」

彼女は脚をブラブラさせ、踵でリズミカルに石段を打つ。

ズスッ、ズスッ、ズッ、ズッ。

「いつか、市の公会堂で、アフリカからの留学生たちが民族衣装を着て音楽と踊りを見せてくれたの。大きな太鼓とか打楽器たくさん使って。コーラスが素晴らしいの。バラバラに勝手に歌っているようで、どこかですごく合うのよね。

自然の音がするの。動物もいるみたいな...」

「どこの国の人たちなんだろう」

「セネガルだって」

「セネガル」

僕は心の中で何度もその国の名前を繰り返した。僕の愛するアフリカは、今日からケニアでなくセネガルに変わらなくてはならない。セネガルのことをたくさん知れば知るほど、彼女が淋しさや哀しみから立ち直る助けになるかも知れないではないか。それとも、これからいつも、僕がどこかでふと今日のことを思い出し、「セネガル」と唱えれば、遠くにいる彼女の心がそれを感じて暖かくなるかも知れない。

僕はいつしか、アフリカの他の国々のことも、もっときちんと知らなくてはと、無邪気にもほんのり考えたのだった。


ピョートル・アンデルシェフスキ。
ハンガリーの血を引くポーランドのピアニスト。
親しいクラシックオタクの調律さんが、今一番と勧めてくれて、一昨年、サントリーホールで聴いた。
美しいピアノだ。
その頃、カーネギーホールの2枚組ライブアルバムが出たばかりだったので、コンサート後に並んで、サインしてもらった。

数ヶ月前、私のレーベルでソロピアノを出す、石井彰さんのレコーディング会場を探していて、アンデルシェフスキのコンサートを見つけた。
所沢ミューズのアークホール。
結局、石井さんのレコーディングもここに決めた。
4月半ば、人のいないホールで録音を終え、一昨日、人が入ったホールでアンデルシェフスキを聴いた。

夕方早い時間に開始されたバッハプログラム。
イギリス組曲とフランス組曲。
その美しい弱音。
どんな演奏家でも、弱音が美しいことが、私にとっての価値だ。
ペダルを全く踏まない時も、音の重なりが夢想するように空中を漂う。

人は、ここまで美しい音を出せるのだ。
その事実を眼前にして、バッハが信じた神とは、人をこの高みにまで導く存在のことなのではなかったか、と感じた。
どんな職場にあっても、俗世間の仕事をしても、バッハは神にだけは完璧な音を届けたいと熱望した。完成度は、バッハの中の神の高さに比例する。

いつか、「師とは存在ではなく機能である」という言葉を知り、以来、座右の銘にしているが、神も同様、人を高みへと導く機能として働くのだ。

美しさというものは、そこに出現しないと存在しない。
しかし、そこに存在する以前はどこにあるのか。
アーティストの体か心か、はたまた、天か。

これを考えるときいつも、私の頭に「イデア」という言葉が浮かぶ。
シナプスの発火。
肉体の錬磨。
美しい音楽。


石井彰さんのレコーディング時、ホールのステージ(只今調律中)と客席

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この世には、「良いことと悪いことがある」と思っていた。
平和とか、無事とかは良いこと。
その他はほとんど悪いことかも知れない。

私は、子どもの頃からいつも心が切迫していた。
それが何故なのか、全く分からないまま、ただただ切迫していた。

子どもなのに頭痛持ちで、しばしば胃の薬を飲み、鬱っぽく、爪を噛む。
本ばかり読む。
夜は寝付きが悪い。
いつも努力が足りないと焦っている。
誰かに負けると死ぬと思っている。

書き出すと苦しいが、こういう大変な子どもだったのには事情があり、原因もあった。
悪くすると、鬱病をこじらせていたかも知れない。
もしお酒が飲めたら、依存症になっていたかも知れない。
お酒は飲めないので、薬に走っていたかも知れない。

けれども、どうやったのかは分からないが、今はわりと楽に生きている。
万巻の書を漁ったし、心理学を勉強したし、我慢もしたし、信じるものを持とうともした。
けれどそれらの何が私を救ったのかは分からない。
運良く、本当に運良く、私は結構納得行く現在を手にしている。

この後、そうは行かない状況になっても、一度手にできたのだからその幸運に免じて、人生を納得しようと思ってもいる。

震災で、みんな昨日までと異なる日常になった、と言っている。
事実、被災していなくても、この世には厄災というものがある、という事実を見てしまった。
人災も甚大に起きた。
災いが起きたことで、支持される考え方がこれまでと大きく変わることを体験して驚いている。
それ以前には、自己責任論にやり込められて存在意義すらなかった、助け合いたい気持ちを発見してもいる。
それは、一定の人々に安堵をもたらしているように見える。
悪いことは良いことにも繋がる。

繁栄や成功は、長い間良いことで、その恩恵にあずかっている人々の堅固な安定は絶対に揺るがないとすら思われていた。
けれど、呆気なく崩壊する。
堅固だと思うその確信が死角だらけの仕組みを作るのだろうか。
油断していて、膝の後ろを軽く押されただけで転ぶみたいに、悪意あるアクションひとつで瓦解が起きる。
瓦解、崩壊することで日常を奪われた人々もいる。
予想していなかったらしく混乱している。
良いことは悪いこと。

けれど一方には、何によらず崩壊しないものはないのだ、という現実を体験して、突破への希望を持つ人もいる。
その希望すら、持てば持つほど身動き取れなくなったりもするのだが。

自分のことで言えば、私は、周囲が驚くほど、恨み辛みを手放してきた。
どうしたらこんなにあっさりと、私をいたぶった人たちを新しい眼で見たり、対応したりできるのか、自分でも不思議でならない。
けれど、それが、唯一私を救った資質かも知れない、とも思う。

持てあますほどの怒りと、嘆きと、哀しみと、諦めと。
けれどその後には、初めて会う人々、初めて対する物事のように彼らを見ながら、私はそこにいるのだ。

休日の土曜日に、わざわざ何か書かねばと思い立った。
書くことがあると思い立った。
けれど、書いてみると、まとまらない。
あまりにも色々な要素が渦巻いていて、整理するのに時間がかかる。

ZoolooZ 第6曲目

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本日は、ZoolooZ  第6曲目

「Club 4th」  松下誠 作・編曲


四番目のクラブって何なんだろ。

このタイトルの意図は?

と考えているうちに思いついた。

しかし、私まだまだ文章が下手だ。

修行が足りん(泣)


6.Club 4 th

 

秘密結社というものが、誰彼の好奇心をくすぐることは知っている。

何かとてつもない工作をしていそうだから。

行動の目的が奇異な領域にあるから。

その上に、巨額の富がからんでいるとすれば...。

 

私の好奇心は、「秘密」と「結社」という、ふたつの単語に、いつも抗いようもなく掻き立てられる。

そもそも、どのような人物がどのような必要を感じて結社を立ち上げようとしたのか。

そして、立ち上げの際に声をかけるべき人物を、どうセレクトしたのか。

セレクトの基準はどういったものだったのか、何人のメンバーがいるのか。

メンバーの結束を保つために示される禁忌はどのようなものか。

 

結社の存続条件として、セレクトされた人々は、決して起案者のオファーを断らないという確証が必要である。

 

選ばれし特別な人物たち。

それほどの信頼関係が現実にあり得るとして、もちろん、それすらただの仮定だと前置いて心を宥めてみたとしても、次には、セレクトされた人々が、その事実に対して「さもありなん、自分ほどの人物ならば当然のオファーである」と感じただろうという点に空想が差しかかると、必然的に嫌な気分になる。

そこまで信頼される人間関係また利害関係があるらしいという点に、人々の嫉妬心は否応なく刺激されるのだ。

己に高い価値があると確信している人物たち。

そんな奴らとは、とてもとても、和やかな友情関係など結べそうにない。

つまり、結社の起案者からオファーを受ける人々に至るまで、最早自分の周囲にいる平凡なお人好したちではない、という結論になる。

その点で、ますます人でなし集団じみる「秘密結社」。

それでも存在すると信じていたい「秘密結社」。

謎の組織「秘密結社」の成立は、そもそも可能なのだろうか。

誘われた人物が、そのオファーをバカげていると感じるか、何の得もないと考えたとしよう。

そもそも人でなしであるはずのその人物の口からは、「賛同できかねる」との返答をする端から、胡散臭さを嗅ぎとったために傷ついたプライドを餌にして膨れあがった意趣返し、嘲笑や哄笑が盛大に漏れ出すに違いなく、あれよという間に起案者の志は、タブロイド紙のネタよりさらに低俗な、ゴシップ領域に貶められるに相違ないのだ。

 

さて、以上のような困難なシミュレーションをものともせず、ここにひとつの秘密結社が、奇跡のように存在する。

名称を「第四倶楽部」といい、メンバーは基本的に4人のみ。

基本的に、と言わなくてはならないのは、その他に常時34名ほどの人物がこの結社を出入りしているからで、こちらの成員は正式メンバーというより、結社の行う儀式に対応して仕事をする実務班と言うのが正確だ。

この倶楽部の特徴として、4人のメンバーにはその目的及び成り立ちの経緯が「てんで解っていない」ことが挙げられる。

早く言えば、メンバーは結社を、「何のための集まりなのか知らない」ということである。

メンバー各自には、この組織の存在を忘れかけた頃に限って電話がかかってくる。各自の都合を訊ねる電話だ。

しばらくすると、決定した会合の日程が告げられる。

集会場所は、地下の一室。

広大な部屋には、ハイ・スペックなパーソナル・コンピュータ、大判出力可能なプリンター、各種画材、手芸用品、楽器多種、レコーディングと映像制作のシステム、書道道具、和服他の衣裳各種など、これまでメンバーによって要望された数々の制作環境が整えられている。

 

メンバーには、集合するとまず適温のお茶が振る舞われ、次に丼物が供される。カツ丼の時もあれば、天丼の時もある。希に海鮮丼。

それを速やかに食すことが求められる。

食べ終わると、一枚の紙が配られる。

今回のお題「○○○」。

各自は、その紙に書かれたテーマに沿ってアート作品を提供しなくてはならない。音楽、絵画、彫刻、舞踊、文学、哲学何でも構わない。

テーマは毎回必ず変わる。季節ものだったり、時事ネタだったり。

制作にかける制限時間は6時間と定められていて、その間は手洗い以外、部屋から出ることはできない。

メンバー各自は、精魂込めたりサボったりしながらテーマに沿った作品を制作し、それを地下の一室に残したまま、6時間後に去って行く。希望があれば、次回に同じ作品の制作を続行しても構わないが、前提としては、6時間以内に完成できる「アイディア」が尊重される。

 

秘密結社「第四倶楽部」は、すでに数十年、この方法で作品を作り続けてきた。

その全ては、現在も地下の倉庫に厳重に保管されている。

未だ人目に触れたことのない作品の質、及び内容に関しては、「秘密結社」なので秘密のままだ。

倉庫の鍵をもつ唯一の人物、謎の首謀者の情報に関しては...また、いずれお知らせしたい。

 

二日続けて中味の濃い夢を見た。
夢の中で海外に行ったり、地方に行ったり、ライブをしたり、結婚式をしたり、色々忙しかった。

それって、何となく別の人格になりすましているような気配。
しかし、人格というものは、自分の未来に向けて瞬時も休まず作られていくものだ。
細胞分裂みたいに。

怪我をした私の心は、新しい細胞を呼び込んで、なるべく生き延びやすいようにかさぶたやら、新しい皮膚やらを作り出している。

怪我は、致命的にしない心がけが大切。
使い減りしない心がけが大切。
命を惜しむというのではなく、ニヒリズムを恥じる、ということ。

何かできるのなら、それをできるだけ長い時間、良い状態で続けられるように、そういう心がけ。
心がけは努力とは違うのだ。
もう少し、自然で力が抜けている。
自分を追い詰めたり、損なう方向に向かわないだけのこと。
自分をうまく使ってやる方向に向かうこと。

さて。
ステーキがご馳走?
それとも、野菜たっぷりのサラダがご馳走?

ZoolooZ 第5曲目

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本日は、第5曲目

「M7」  加藤崇之 作曲


M7には、加藤の他のアルバムで、アレンジの異なる「デジャ・ヴ」というタイトルもある。

M7は、Music7の意味らしく、タイトルをつける以前、アレンジ以前の楽譜が皆に配られたために、それがそのまま確認もされずに採用された。

この曲では、ベースとドラムが血相変えているところが可笑しい。

楽しそうだ。

そして、私がディレクション上、冗長だと感じて切り詰めようとした部分、メンバーの抵抗にあったため仕返しに自分のヴォイスを入れてしまった。なかなか良い仕上がり。



5.M7

 

 暗闇だった。

 何日も前から、ここには誰も訪ねてこない。

 私は、ただひとり、暗闇の中で静かに呼吸している。

 たしか、数日前に長く続く振動があった。

 30分か40分。

 地下で、遮音されているこの部屋にいると、爆撃も雷も地震も、同じように微細な振動としか感じられない。長く続いたその時間を考慮すると、振動は自然災害以外の出来事だろうと推定された。

 もっとも、爆撃はいつ起きてもおかしくない状況だった。世界中がそうであるように...。

 ここの主は、その際に怪我をしたか、悪くすると死亡したのかも知れない。振動以前は、彼が休むことなど一日たりとも無かった。そして、ここには、私を観察する人々がひっきりなしに訪れていた。

 平均すると、一日に五、六人。

 毎日、顔ぶれは変わり、時には写真も撮られた。

 「少し、成長したようですね」

 「規則的な呼吸が続いている。植物ではない、ということでしょうか...」

 人々は一人残らず白い服を、糊を効かせたナプキンのような、皺を伸ばした木綿の上着を、それぞれの身長に合わせて着ていた。

 それから、マスクをしていた。鼻の高さに合わせて、高く低く調節した不織布のマスク。

 私から見えるのは、彼らの目元だけだ。

 男女の別、そして背丈の高低くらいしか、彼らを識別する情報はない。

 どの見学者にも親切だった主は、男性で、白髪、眼鏡をかけていた。

 声は低く、ややかすれ気味。たくさんの見学者が彼に質問するせいで、その声はいつも過労気味だったのだ。

 「M7は、M1からM55まである全サンプルの中で、唯一生命体としての機能を持ち始めたサンプルです。他のサンプルと全く同一の条件下で保存してあった訳ですが、M7のみが生命となった。ただし、生命を得た、あるいは生命となった瞬間、あるいはそれ以前のどの時点に特異な条件が与えられたのかについては、残念ながら未だ分かっていません。現在、それを追跡中です。もし、M7の生命誕生の条件と特定される事実が見つかれば、つまり、変異の条件として特定されれば、以後の生命工学分野にとてつもない進歩をもたらすこととなるのです」

 観察者達は、主の説明を聞くやいなや、始めとはまた違った好奇心で私を見つめる。どうかすると、この瞬間にも、その変異をもたらす何物かに遭遇できるかも知れないと期待しているかのように。

 私は今、暗闇の中で考えている。

 なぜこうなってしまったかを、だ。

 主の言う、変異とか、特異な条件とかではないのだ。

 私は、じつは間違ってここにいるだけなのだ。

 名前は、田中守。

 ヘッドフォンでメディテーション用の音楽を聴いているうちに体から魂が抜け出した。幽体離脱キットだったから当然なのだが...。あんまり楽しいので、ふと思い立ってフラフラと隣に建つ謎めいた会社に忍び込んだ。正直、ずっと気になっていたのだ。生命の開発を手がけている会社と聞いて...。

 確かに、冷蔵庫からシャーレを取り出しては、電子顕微鏡で覗くことを繰り返していた。電磁波、温度、湿度、気圧と、様々な環境をシミュレーションする器機がずらりと並ぶ。

 楽しく見物するうち喉が渇いていることに気づいた。幽体なのに喉が渇く。不思議なものだが、その時は大して気にならなかった。見ると純水の瓶がある。主がその瓶の蓋を取り、シャーレの蓋を洗おうとしたとき、私はその一滴に向かって口を開いた。

 私は水を飲もうとしたのだ。

 けれど、気がつくと私はシャーレのひとつに閉じこめられていた。

 私の幽体は、慌てるあまり、シャーレの中の寒天様の物体に片足を突っ込んでしまったのだ。

 片足は、瞬時に寒天に置き換わった。そして数時間のうちに全身が...。

 それから何週間も、私はこのシャーレに閉じこめられることになった。

 

 主は、戻ってくるのだろうか。

 振動で冷蔵庫の扉が開き、投げ出されて数日間冷蔵庫の外に放置されているせいで、私の増殖は加速度を増している。シャーレはとっくに破壊され、私の意識を持つ寒天的生命体は、間もなく実験室の壁に届くほど大きくなってしまったようだ。

私は成長を続ける。そして、暗闇は続く。

暗闇が破られる日は来るのだろうか。

もし、私の体が壁を破れば、外気と光が私を開放する。

寒天である私は、その中で生き延びられるのだろうか。

恐らく私の元々の体など、とっくに損なわれて無くなっているはずなのだし。

 

久し振りに友だちと会うと、それなりに突き進んでいたりする。
私だけが動いていて、見えない部分は停まっているかのように感じるのだが、じつは、全員進んでいる。
進む、という感覚は、時間が彼方に流れてゆく、という気持ちから出てくるらしいが。
実際、世界は停まらない。

昨日は、打楽器奏者・石若駿君の芸大合格祝いの会で、焼き肉を食べてからその近くにあるライブハウスに行き、お客がいないのを良いことに、セッションして遊んだ。
駿君は、ピアノも弾く。
それがやはり、しっかりクラシックをやっているひとの弾き方で、感心した。
もう、彼の時代には、ジャズらしくとかクラシックらしくとかは無くなり、それぞれの中に互いの良い部分が溶け込むのかも知れない。

ヴィトウスは、ジャズの人は音色を美しくする訓練を、クラシックの人は即興の訓練をもっとやるべきだ、と言ったそうである。

音楽は、ひとりにひとつずつある。
その人以外にはその音楽はない。
技術とか、センスとか、趣味とか、好みとか...。
つまりその人を形作り、現れるものと隠れているものの全てが、音の中にある。

駿君は、一見地味に見えるのだ。
それは、上京して勉強を一生懸命やっている学生なのだから当たり前なのだが、本人は気になるらしい。私も同じことを気にした時期があった。いわゆる、ジャズ・ミュージシャンらしさとか、ジャズ歌手らしさとか。
ヴィジュアルにそれが無いことがデメリットであるかのような批評。
けれど、派手な衣裳を着ても、髪の毛を金髪にしてみても、それは擬態で、ただ自己暗示の材料にしかならない。中味が薄いとか、勉強が足りない、という自覚は、どんな時もしっかりと自分の中にある。それを外見なんかで誤魔化そうとしたってそうはいかないのだ。

一見地味であることで見くびる人は多いけれど、そのままその先入観を抱き続ける人もいれば、最初の印象は違っていたと言ってくれる人もある。
つまり、見た目の印象で全ての判断を終える人と、話を聞こうとしてくれる人とがいるということ。
それはこちらの守備範囲を超えたことだ。

どこまで行っても、自分の話だけする人と、相手に興味を抱いて聞き出そうとする人。
自分の知っている範囲が全世界だと思う人と、自分の外側に広大な未知の世界があるはずだと考える人。
そしてそれにかけるエネルギーの量がまた、千差万別と来ている。

「人」の存在は、だから、周囲の果てのないカオスの中で激しく揺れながら保たれている。
あたかも、波打つ時間に翻弄される、万華鏡の模様のように。

ZoolooZ 第4曲目

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本日は第4曲目

「泣いて笑って」

作曲 加藤崇之

メンバーがWether Reportっぽい、と言うのだが、私にはクラシックに聞こえる。

クラシックというより、そのルーツとなるフォークロア。


このタイトルに対しては、青春の蹉跌みたいな物が書きたいと思いながら、なぜだか女の子が主人公になってしまった。その発生源のわからなさが楽しくて文章を書く。



4.泣いて笑って

 

パパが泣いたところは見たことがなかった。

あの、たった1回の涙以外は。

 

パパはいつも少し笑ったような顔をしている。

仕事から帰って来ると、いつも私の頭を撫でながらお利口さんだったかな、と訊く。私の機嫌が悪くて、首を振ったりすると、少し笑った顔がもっと笑う顔になって「おやおや」と言うのだ。

ご飯を食べたら、その「悪い虫」のことをパパに話してごらん。でもまあ、とにかくまずはお風呂とご飯だ。パパは一日中働いて来てくたくただからね。

パパはするりと上着を脱ぐと、自分の着替えを持ってお風呂に行く。

シャワーの音がする間、私は、パパに話したい色々なことを考えている。

学校できかんぼのミキちゃんが私の足をわざと踏んだこと。国語の時間に教科書を読まされて、漢字の読みを間違ったら隣のたくま君がゲラゲラ笑ってバカにしてきたこと。

私が待っている日、パパのシャワーは急いでいるみたいで、お風呂から聞こえる音がいつもより賑やかになる。

パパはお風呂から上がるとスウェットを着る。もう何年も同じスウェット。くたくたになった古いスウェットは、体に馴染んで着やすいと言っている。それからあっという間にご飯を作ってくれる。

家では、食卓でご飯を食べる前にお箸を持って頭を下げ、「ありがとうございます」と言うことになっている。そういう風習。お礼を言ってから「いただきます」になる。

食事の時は、楽しい話しにしよう、とパパが言う。

誰にでも、嫌なことや困ったことは色々とあるけれど、せっかくのご飯だから、そして農家の人たちが作ってくれた野菜だし、肉も魚も命を頂くのだから、自分ことで怒りながら食べるのはよそうね。

それは、異議無しだ。私は、お魚の骨が苦手だけれど、水族館で泳いでいる魚を見て、「食べられるために生きている」ということを辛いと思った。

美味しいご飯を食べ終わってみると、私の気持ちの中の「悪い虫」は小さくなって、それほど、息せき切って話したいことでもなくなっていた。だから、自分でも、ヘンなのと感じながら、普通のことみたいにパパに報告するだけになる。

ママは料理が好きで、そして上手だった。いつも本で料理の作り方を勉強していた。ママの夢は、私がもう少し大きくなったらどこかのレストランに勤めることだった。ママは、本当はプロの料理人で、私が生まれてから、いくじのためにお休みしているだけだったのだ。

でも、ママは時々、暗い顔でため息をついた。

あの日、テレビの料理番組に出た人を見て、息を呑み、独り言のように「かおるだ」と呟いた。「なんで...」とも呟いた。

その夜、パパとママは遅くまで話しをしていた。時々、ママの泣く声がした。パパは静かな声で話していたが、ママの声はだんだん大きくなった。

いつもは、ママがいろんなことでぶつぶつ文句を言ってもただ困ったように笑って、ママの機嫌が治まるまで色々な提案をするのがパパのやり方だ。そうやってパパはみんなの困ったことを吸い取ってくれる。

でも、あの日以来、パパの吸い取り機能は、だんだん目詰まりを起こし始めた。

パパの顔は、黙っていても笑顔っぽいのが良いと私は信じていたけれど、ママはそう思わないらしい。

「笑って済ませられないことが、この世にはあるのよ。とくに私の場合は...そういう性格だから」

ママは困っていた。パパも私もどうしたら良かったのだろう。

いつしか、ご飯の間、みんな無口になっていた。

ママは、いつも変わらず美味しいものを作ってくれたし、パパも少し笑ったような表情のままだった。けれど、誰もお話しをしなくなった。

私は、学校であったことを、言いたい時もあった。

でも、我慢していた。

 

パパが泣いたのは、ママが家を出て行った日だ。

いつものように少し笑った顔なのに、眼から大きな涙がぽとりぽとり落ちた。

いつまでも落ち続けた。

私は、パパと手をつないで、ママの居なくなった部屋に立ち尽くしていた。

ママはいつかテレビに出る人になるんだよね、と私はパパに言った。

そうしたら、また、ママに会えるじゃん、ラッキー、と私は言った。

すごく嘘だった。

全然ラッキーじゃなかった。

でも、パパの手は暖かくて、私は少し安心した。

何分も、何分も、ただ時間が経つ間、パパの眼からは涙が落ち続けた。

少し飽きたけれど、ここで付き合わないといけないと感じた。

長い間、じっと手をつないで立っていた。

そして暇すぎたからか、私はこのことを一生忘れないようにしようと、何度も心に誓ったりした。


ZoolooZ 第3曲目

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本日は、第3曲目です。
作曲・編曲  松下誠
誠さんとは、もう30数年にわたる付き合いですが、本当にたまにしか合いません。
いつも忙しそうです。
今は、徳永英明のツアーを回っています。
才能溢れる 作・編曲家、ギタリスト、ボーカリストです。

このテキストは、最初に書いたもので、これ以後全曲を書くきっかけになりました。
Isn't It Easy? =「簡単じゃね?」
という若者言葉が頭に浮かび、それじゃ書こう、と思いました。

3.Isn't it Easy

 

 宙返りができるか否か、という問題だった。

助走してでも、立っているその場ででもどっちでも良いけれど、とにかく、僕らにも宙返りができるか否かが問題だったのだ。

 小五になった春、転校してきた高木が体育の時間にみんなの前でやって見せた。

何を、って、助走無し宙返りさ。

それまで、側転ぐらいは誰でもやるけど、宙返りは無理っしょ、というのが共通認識だった。

 それが、体育の時間に先生に呼ばれた高木が、助走も何もなく、浮き上がったか伸びたかしたかと思うと次の瞬間、マットの上に、ふわっと一回転して降りた。みんなびっくりして息を呑み、それから放流された稚魚みたいに、わーわー騒いだ。


 「グル」ってのは、高木の絶妙なる宙返りを見てから後に、クラスの坂本が彼につけた渾名だ。魔法のように空中をぐるっと回れるからね、って坂本は言ったけど、偉いお坊さんである「導師」って意味もある。僕がネットでその言葉をぐぐってから、坂本に真相を訊いてみたけど、あいつはちょっとイヤそうな顔をしただけで、返事をしなかった。

 坂本は父親が大学の教授だから、小学生のくせに、世界中の色々なことを知っていた。噂では、坂本の家には日々、外人ばっかりが訪ねて行くそうだ。本を一杯読む上に、色々な国の人たちから裏情報なんかが聞ける訳だから、どうしたって、学校の教師よりはずっと、世界の事情に精通していたはずなんだ。

 けれど、坂本はそれを鼻にかけていると感づかれるのが嫌みたいだった。その用心深さは、負けず嫌いで自慢大好きの僕などには、全然理解できない種類の態度だった。

 授業中、坂本の本性に気づかない先生は、自分の知っていることを自慢げに長々と喋ったりするのだが、そういうとき、彼の横顔をチラ見すると、時々頬が紅潮していた。見てきたように嘘ばかり言う先生に腹立ててんだろうな、でも坂本は知ったかぶりと思われるのが嫌いだから、唇を噛んで怒りを押しとどめているんだと、僕はそう思っていた。


 この前、久し振りに坂本に会った時そのことを思い出して「小学生の時、よく先生に怒ってたよな」と質すと、「いや、恥じてたんだ」と答えやがった。どういうんだろ。

 さて、宙返り師のグルこと高木君は、小五で大阪から転校してきた。背がすごく小さくて、痩せていて、しかも坊主頭だった。もし、あんなに上手く宙返りができなかったら、必ずや一休とか、あるいは猿系の渾名がついていたに違いない。でも、グルの宙返りはお笑い系の渾名をつけるにはあまりにも、何というか、崇高でファンタジックだったのだ。

 「高木君は、大阪で体操クラブに所属していました」と先生が説明した。そのシンプルすぎる広告宣伝がみんなの納得を引き出す間、グルはただ、無表情に突っ立っていた。花冷えの冷たい風がぴゅうと吹いて、半袖短パンから出た彼の細い手足は白く粉を吹いていた。


 助走無し宙返りの興奮は、教室に戻っても熱を帯びていた。しかし、次の授業がはじまると、まり先生は、春休みに去年の津波で被害に遭った町でしたボランティア活動のことを話し出した。授業に入る前に、ほんの少しだけ話そうとしたのかも知れない。けれど、やがて先生の口は止まらなくなって、ついに一限まるまるが先生の悲嘆と慨嘆で終わった。

 みんな、しいんとしていた。何度見聞きしても薄れない、被害の苛酷さに対する悲しい気持ちを掻き立てられてみると、さっきまで宙返りに拍手していた自分たちの、罪はないにせよ、無邪気さが、どことなく無思慮な振る舞いに感じられたのだ。


 その休み時間に「宙返りの方が上等だぜ」と坂本が呟いた。そしてすぐに「そうだ。高木君をグルって呼ぼう。ぐるっと回るグルだ」。その時、僕には上等って意味は全然分かりづらかった。「なにそれ」と眉をしかめて訊くと、坂本は頬を紅潮させてこう言ったのだ。「誰かの悲しみを代弁するより、ただ宙返りする方が数段上等じゃね」。

 僕は、坂本のことを案じた。今からそんなに利口で大丈夫なんだろうか。

「できるもんなのかな。宙返りするって」

「かなりむずいはず」

僕と坂本は、しばらくの間、休み時間になると体育館のマットの上で宙返りを試み、十日目に諦めた。


グルは、みんなに宙返りをせがまれているうちに髪が伸び、いつの間にかみんなと同じような風貌になって宙返りも飽きられ、やがて普通の中学生になった。

 


長い間、子育てと家事と仕事で休む間もなかった。
しかも、仕事がフリーランス一直線であったため、カレンダーは子どもの学校に関することのみ。
自分の休日は、考慮の外だった。

休みらしい休みを自覚的に取るようにしたのはこのところ、会社を作って、しかも分社して制作に絞ってからのことだ。
まだ、休むのに馴れていない。
長い連休が明けて会社に来てみたら、何か具合が悪い。

フリーランスとか、ミュージシャンというものは、仕事を仕事と思っていないフシもあり、日曜祭日でも平日でも等しく、お呼びがかかれば仕事をするものなので、売れていれば当然のごとく休みは減り続け、休みがないことがステイタスでもあり、しかし、その合間にしてやったり的な休み時間(休日ではなく)を作るのが、売れっ子の手腕なのである。

休みだから休みらしいこと、つまり自分が本当にしたいことをする、という発想は、私にはない。
仕事があっても無くても、いつも好きなことをしているのであるから、その日常が健康の秘訣みたいだ。

これからは、休むのをよそうかと思う。
毎日、体調がほどよく保てる範囲で仕事を続ける。
別に無理はしないけれど、休むと、他のヘンなことに勢力が注がれてしまい、そのせいで調子が狂うらしいのである。

休まないことが悪いことだと、どこかで自分を諫める感があったが、今日限りそれを止めることにする。
ああ、体調悪い...。

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