何となく、最近たががはずれている。
いえ、良い意味で。
気分的に自由度が増大しているというか。
どうしてなんだろう。
と、考えていて思い当たったのは、
「もう、お母さんしなくて良いから」
というものである。
息子が中学の時の先生との面談で
「お母さん、いいですか、生徒の不良化の指針は3Bです」
先生が真剣な顔で仰った。
「バイト、バイク、そしてバンドです」
私は知らんぷりをしていた。
じつは両親がバンドだ、とは言わなかった。
子どもたちのために、私はずいぶん自主規制をしていた。
ライブにも、よっぽど親しくて、理解のある親以外は呼ばなかった。
バンドなんてしてしませんよ、という顔して澄ましていた。
本を書いていますとか、ライブをしています、と宣言するのは微妙であった。
これらは、普通の母親である振りとは、なかなか両立しないのだった。
中には、そういうことをしているというだけで、謂われの無い攻撃を仕掛けてくる人もいるのだ。
しかし、ついに子どもは全員社会人になった。
すると私は「何やっても、もう誰にも迷惑がかからないんだ」
ということを、じわ〜っと感じるようになった。
それで気持ちが晴れ晴れして、色々楽な気持ちでやれるようになった。
子どもの受験とか就活とか、やはり親としては足を引っ張らない程度に存在していなくては、とは考えていたのだ。
そのたががぜーんぶ外れた。
嬉しい。
4/16のライブ@中野スィートレインで、ついに生まれて初めて、作詞作曲した曲を演奏してみました。
ギターの加藤さんに事前に見て頂いていたので、幾分安心でしたが、MCで曲の内容や作った過程を説明していくうちに、リハーサル以上の内容を出すことかできたように思います。
若い頃に沢山のバンドで活動していたので、その間、私は作詞係でした。並み居るスタジオミュージシャン、アレンジャーとともに活動していたため、曲はどんどん出来上がってきて、追われるように詞をつけていました。
当時は曲先(きょくせん)という方法。細かいメロディに四苦八苦して言葉をはめ込む。
めでたくレコーディングされたものもありました。
その頃は、曲を書いた人のイメージを損なわないように、あるいは「売れる」ように書く事が多く、自分の中身が出せていたかは疑問。どこまでも「ご要望にお応えする」気持ちでした。
そのように、はじめから完璧に出来上がったスコアに詞をつけていたため、わざわざ自分で曲を書く気持ちは失せてしまいました。
かっこいい曲ばかりで、自分にはそんなメロディを書く技量は無い、と思っていました。
数年前に、シベリウスという楽譜ソフトを勉強して、リードシートを作るようになってから、時々思いついたメロデイを保存するようにしました。
それとは別に詞を沢山書きためて、断片的なものもファイルしておきました。
その両者をお見合いさせて、発展させ、完成させるように頑張ってみました。
レッスンで良くピアノを弾いていたので、何とかコードもつけられるようになりました。
何年もかけて、弾いては直し、歌っては直ししているうちにかなり沢山の曲ができました。
けれど、人前に出すのにはずいぶん勇気が要りました。
えー、歌ってみた感じでは、「癖になりそう」です。
スタンダードという、天下の名曲と並べて歌うわけですから、それは緊張します。
でも、とにかく思いついたアイディアをしつこく練り上げる、という楽しみは確実に身についてきた気がします。
聴衆の暖かい励ましもあり、さあ、これからは曲作りだぁ、と張り切っているところです。
大好きな店で、大好きなミュージシャンをブッキングし、フライヤーにする絵を描き、作詞作曲アレンジした曲を歌うって、我ながら〜スッゴイシアワセ〜な人生だ!
みんなありがとう!!
今回は、初回から参加して頂いている方も久し振りにお出で下さり、いつも以上に中身の詰まった会になりました。
特に、今回ご参加の皆さんは主催ライブやバンド活動をされている方たちだったので、実践に対してとても積極的でした。
始めに、深い呼吸をする身体の働きを説明し、呼気の間に自然な発声をする試みをしました。
この場合、歌うとか、良い声を出す、と言う意識を捨て、ただ息を吐いている間ついでに声が出ている、という身体の状態をつぶさに体験します。
腕を動かしながら声を出したり、身体を前に倒しながら声を出したりして、息と声の流れを感じてみました。
歌練習では、前回に引き続き、「Tea For Two」を課題として、メロディのアレンジにチャレンジ。
コード進行を聴きながら、メインとなるいくつかの音を拾い、シンプルなメロディの流れを作る、さらにそれを発展させる練習をしました。
コードの流れを追うためには、サウンドに対する耳を育てなくてはなりません。
楽器の場合、音の出る場所を目や指で確かめられます。
あるいは、スケールやフレージングを手の形、鍵盤や指板の位置などで覚えることができますが、歌の場合、自分の耳だけが頼りです。
加えて、頭の中で鳴っている音程をすぐに声にして出す技術も必要です。
ピアノやギターを弾ける歌い手が多いのは、この技術を磨くために大変便利だからです。
けれど、楽器の習得と歌の練習とは、時間的になかなか両立できませんから、歌の練習の中で音感を磨く要素を取り入れる心がけが大切でしょう。
その一環として、歌詞を離れ、メロディラインだけを取り出して研究してみることをお勧めします。
インプロヴィゼーションやスキャットの方法で、好きなようにメロディを変化させて歌う訓練です。
これを繰り返してから、再び歌詞のリズムに合わせたフレージングを作っていきます。
ジャズボーカルでは、様々なリズム感やサウンドを奏でるミュージシャンとランダムな組み合わせで演奏することが多いので、どんな相手が来てもすぐに対応できる即興力を育てることが大切です。
それには、歌詞とメロディを切り離した練習が最も効果的です。
様々なリズム、テンポ、ビートで歌い回す楽しみを手に入れたいものです。
「笑っていいとも」が終わり、沢山の芸人さんたちのコメントがネット上に溢れております。
面白くてためになる。
タモリさんという人を、私は上京された最初の頃から見ていました。
なんと、売れる以前、早稲田のジャズ研定期演奏会で司会をしたことがあったのでした。
その時はすでに、ラジオで芸を聞いたことがあり、ミュージシャンの間で話題でした。
エアチェックしたものをみんなで聞いてゲラゲラ笑っていました。
四カ国麻雀とか。
ごく最初の頃のタモリさんは爬虫類っぽい感じ。
ある時、かまやつひろしさんとデュオでシングルを出され、ヒップホップの先駆けみたいな曲で、私はラジオとテレビを一本ずつコーラスに呼ばれたのでありました。
なぜなら、当時私は、かまやつさんのバンドの方たちとリハーサルバンドをやっており、そこのマネージャーが、「鏡子さんジャズだから黒いドレス持ってるでしょ」と電話をしてきたのです。
凄い短いフレーズを歌うのですが、さすがに上がってNG出しました。
ノーギャラでした。
タモリさんの印象はほとんどありません。
静かにそこにいて、やるべき事をやっている感じ。
その時に、かまやつさんに「若いのにジャズって感心だね、頑張ってね」と励まされました。
タモリさんは、普通のお笑いの人たちとはスタンスが違っていて、たとえば、スネークマンショーなんかの仲間と思っていました。いとうせいこうさんのように文学方面に行くのかな、と思ったり。
でも、なんと日本を代表するお笑いの主役になっていきました。
その方法は、「育てる」だったように思いました。
「笑う」ということに対して、何か分かっていた。
だから、それを軸にして、タレントさんとか芸人さんとかをごたごたに鍋に入れて、みんなに切磋琢磨させた。鍋が機能するように自分は外から火を焚く。
つまり、中心にいない。
あたかも、国家に於ける「天皇」のようです。
日本の文化は「空洞」の周辺に発展するという説があり、「皇居」および「皇室」が、実はどのような場所で、そこの中で何をしているかよく分からない、という事が文化の爛熟を助けるという訳です。
一神教には必ず中心が有り、それが絶対的な存在ですが、日本では同じ場所に「天照大神」という「太陽」の名代を置いたりする。
太陽なんて、ほとんど「空洞」に等しい。
タモリさんは、つまり居るけどほとんど何もしないみたいな、そしてどういう方か分からないみたいな在り方で、長い年月、「場所」を保たせ、そこで数知れない才能を世に出していったのでした。
最終的には、巨人となった芸人さんたちが、互いの都合も厭わず一堂に会する機会を作り上げてしまった。そして、その時、触れば火傷しそうな親分たちがその場で為す芸や在り方を、沢山の芸人さんやタレントさんたちも間近に見て、それぞれの人生の糧とする。
最後の番組などは、後世まで延々語り継がれるでしょう。
お笑い界、それができるのが凄い。
アメリカの音楽会では、グラミー賞の会場や、レジェンドたちのレセプションで同様のことを起こしている。バースディーライブとか、トリビュートコンサートとか。レジェンドは、そのように遇されるべきなのだ。そして、日本の音楽会は、それをするのに失敗して、最近は「懐かしのメロディ」をたれ流すだけに終始している。
日本の音楽会は、多分いまだにメジャーだった頃を引きずっている。為す術も新たなアイディアも無く、だから貯金をはたいてしまう寸前だ。
実は、すでに、とっくにメジャーではない。
業界自体がマイノリティーの集まりだ。
商売になっていない。
そのことについて各自が危機感を持てば、何はさておいても、ある意思を持つ集合としての力をア・ピールしなくてはならないと思うはずなのだが。
座して天才を待つしか無いのかな。