和服のこと

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私のおばあさんは、いつも和服を着ていた。
筆字が上手で、三味線を弾き、日舞もできた。
家には、日舞や小唄や華道の先生がたびたびいらして、近所のおばあさんたちが集まって習っていた。
私は、ハイハイする頃から、何度連れ戻してもその稽古の場所に行って熱心に見ていたそうだ。
おばあさんが私を日舞の稽古に連れ出すようになって、何年か習った。
おばあさんが亡くなったのは、私が小学校二年の時だから、踊りの稽古はそこで終わり。
ふたりで、本衣装を着けて、廃館になる町の映画館のさよなら公演で踊ったのが記念になった。
おばあさんは「友奴」、私は「女太夫」。

田舎の町では正装というと和服だった。
親戚や付きあいのある家の結婚式や、何かの集まり、極端には学校のPTAにもお母さんたちは和服を着て行った。
和服を揃えるのはある程度当たり前で、家には時々反物を担いだ呉服屋さんがセールスに来ていた。

そんな時代だったから、母は、私が着ると信じて、振り袖やら小紋やら沢山買い込んだ。
まだしつけ糸がかかっているものすらあるそれらの着物と、祖母が着ていた着物、母の着物が全部私の元にある。
たくさんあって場所ふさぎだが、どうすべきか判断がつかない。
普段着みたいのもあるので、それは捨てても良いのかな、とか...。

着物には、着ても良い年齢というものがあり、赤い系統のものや袖を長めにしてあるものは、娘時代用。すでに私の娘たちも着られない。まさに、適齢期はあっという間に過ぎた。
孫になら、と思うが、娘たちの様子からは、生まれるのか否かも分からない。

和服は高価なもので、捨てるのも売るのもいかがなものかと思い、しかし、和服だけたくさんあっても仕方なく、いざ着ようとすると、やれ半襟だ襦袢だ帯揚げだ草履だと大変である。

もう、私は和服を着ることも無いだろうと思う。
幾人か和服が好きだった友人もいたが、年齢が進むとみんな着なくなってしまう。
準備も体力も大変だから。

和服は目を和ませてくれる。
それはそれは美しい布。
でも、いったいどうすれば良いんだろう。
私も娘たちも、着る間もなく忙しく歳を取ってしまったよねぇ。


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このページは、kyokotadaが2014年11月26日 15:23に書いたブログ記事です。

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