羽田の国際線ターミナルは、とてもきれいで、日本文化を上手に伝えようとする熱意に満ちている。私と娘は、「にんべん」が経営する「だしや」でおでんなどを頂き、出汁のうまさに感動。それから、JALで6時間の空の旅とあいなった。
到着したバンコク空港は、巨大である。
多分、中国の資本ではなかろうか。
巨大だけれど、まだ閑散としている。
国際線到着ターミナルから、案内の女性に連れられて延々15分、空港の端から端まで歩かされてやっと、国内線出発の搭乗口に着いた。
中に入ると、ロシアの団体が大勢。アメリカ人もちらほらいるだろうか。アジア系は見当たらない。
搭乗口で長く待ち、さらに飛行機に乗り込むまで、いったいどうなっちゃったのと言いたいくらいの時間がかかる。
まずもって、案内の英語が全然聞き取れない。
案内スタッフは、なぜか搭乗客より、新人の男子を指導するのに熱心。
新人君は、ぽかんとしたまま仕事できない様子。ついに、呆れられてベテランスタッフが取って代わる。しかし、こういう現場をみられて良いのだろうか。そこがタイらしさなのか?
呼ばれた座席番号に従って少人数ずつ搭乗口を通るも、また、しばしば中断。トランシーバーで何かと連絡を取っている。
私は、「イライラしないぞ」と決めていた。せっかくタイに緩みに来たのだから、何があっても、待たされても、ゆる〜っとやり過ごそうと決めていた。なので、目は半目、口は半開き。
やっと通されて階段を降りると、バスの中でうんざりした顔のロシア人たちがぼそぼそ喋っていた。
ロシア人は家族連れが多い、他にイタリア人やアメリカ人と覚しき人々。
彼らはおおむねカップルで、男子は彼女をしっかと抱きしめている。
「これは俺の女だ」アピールが強烈。
飛行機内は、ついに飛び立ってから降りるまで、ロシア人の赤ん坊の悲鳴に近い泣き声で覆われた。
私も子連れでは苦労したので、赤ん坊の泣き声は気にならない。
それより、隣に座った巨大なロシア人男性のふくらはぎに見えるやたらリアルなタトゥーが目に入る。
鷲かなんかの鳥の絵が、墨絵のような感じで彫ってある。
ふくらはぎって、タトゥー入れる場所だっけ?
じつは、この時タトゥーに出会ったのが、稀な事態では無かったことが後に判明する。
プーケットの町を歩いてみたら、人々のタトゥー率の高さにびっくり。
あちこちに「TATOO」と書かれた店もあり、どうして皆そんなに色入れたいの? と驚いたのだった。
両替を済ませ、トランクを受け取って空港のゲートを出ると、HISの札を掲げた中年男性がにこにこと出迎え。
彼が、たった2人のツアー客である私たちのガイド、謎のケンさんである。
タイの人だが、名前の読みがケンに似ているので、そう呼んで貰うことにしているそうだ。
ワンボックスカーに乗ると、助手席からガイドブックを開いて、色々教えてくれる。
しかし、道はブーブーとクラクションを鳴らす車とオートバイで大喧噪、周りのスピード従って運転は荒い。左右に揺れながら指し示されるガイドブックを見、聞き取りにくい日本語に耳を傾けるうち、娘はついに車酔いしたようだ。
ケンさんは、バンコクで日本語を習得。
初級です、と謙遜するがとても聞き取りやすい。
難しい歴史の話も、時々うーん、と考えながら頑張って話してくれた。
ホテルは、バトンビーチの入り口にある。
斜面を利用して建造された、沢山の建物を要するリゾート。
ロビーは、木彫があちこちに施された落ち着いた印象。
女性のスタッフは皆、民族衣装をまとっている。
ケンさんが手続きを終え、「ちょっと良いお部屋になりましたよ」と言う。
プール付と聞こえる。何だろう。
ロビー棟の前に停まっているジープのようなオープンカーに乗せられて急坂を上り、一度降りて建物の中へ。エレベーターを使い、さらにそこから木の回廊階段を通って美しいポーチに出ると、さらに別の小型車で暗い夜の坂道を上った。
ロビーから付いてきた、民族衣装の若く可愛いスタッフがおり、旧式の錠前を取り出す。
木の門に差し込んで開くと、その向こうには一軒家があった。
まずは手前にある、30畳ほどあろうかという部屋。リビング・ダイニングといえば良いだろうか。立派なキッチンまでついている。揺れる寝椅子、大型テレビ、食卓、コーヒーテーブル。
そこを出て、外廊下を行くと、左手にプール、そして正面が寝室だ。
寝室棟には、ジャグジー、巨大な洗面所、シャワー室、トイレ。これらが全て別室。
プールのある庭に出ると、温水が溜まったジャグジーと、サウナ棟、東屋がある。
寝椅子とパラソルが、夜の闇の中、プールの中からのブルーの照明にほの白く浮かんでいる。
寝室にも大画面のテレビ。
私たちは、NHK World の番組を探して、人質事件の行方を見た。
この成り行きは何なのだろう?
はてなマークが私たち母娘の頭の上を飛び交う。
予約していたのは、ごく普通のデラックスルーム。
オーシャンビューだと聞いていたけれど、これほどの豪華旅行の予定では無かった。
日本語で書かれた説明書を手渡された。それによると、先程の若い女性は「バトラー」つまりこの部屋付の執事で、頼めばお風呂にお湯を入れたり、買い物してきて料理をしたり、コーヒーまで入れてくれるとある。彼女にチップを沢山あげようとすれば、色々頼む方が良いのだ。
ホテルまで来る車の中で、明日と明後日の予定を相談した。
ケンさんに、明後日、コーラル島に渡るツアーをお願いした。
すると、ぜひスパを体験して欲しいと勧められた。
島のツアーと込みで、料金を聞くと驚くほどのお値引き。
この際だから、私と娘はプーケットで評判のスパにも寄ることにした。
ホテルのレストランが10時までと知って、慌てて食事に行く。
先にプーケットを訪れたことのある次女が美味しかったと言っていたパイナップルチャーハンと、春雨のサラダ。疲れたので甘いすいかシェイク。それらのどれもが、感動の美味しさ。
思いがけない幸せと、狐につままれたような気持ちで食べ終え、部屋に戻って豪華なジャグジーを使ってみる。足の裏に水流を当てながら、まだ頬をつねってしまう。
「この旅行は何だか、竜宮城に連れてこられた浦島太郎体験だなぁ...」
私と娘は、今まで真面目に生きてきて良かったね、とお互いを讃え合いながら眠りについた。
到着したバンコク空港は、巨大である。
多分、中国の資本ではなかろうか。
巨大だけれど、まだ閑散としている。
国際線到着ターミナルから、案内の女性に連れられて延々15分、空港の端から端まで歩かされてやっと、国内線出発の搭乗口に着いた。
中に入ると、ロシアの団体が大勢。アメリカ人もちらほらいるだろうか。アジア系は見当たらない。
搭乗口で長く待ち、さらに飛行機に乗り込むまで、いったいどうなっちゃったのと言いたいくらいの時間がかかる。
まずもって、案内の英語が全然聞き取れない。
案内スタッフは、なぜか搭乗客より、新人の男子を指導するのに熱心。
新人君は、ぽかんとしたまま仕事できない様子。ついに、呆れられてベテランスタッフが取って代わる。しかし、こういう現場をみられて良いのだろうか。そこがタイらしさなのか?
呼ばれた座席番号に従って少人数ずつ搭乗口を通るも、また、しばしば中断。トランシーバーで何かと連絡を取っている。
私は、「イライラしないぞ」と決めていた。せっかくタイに緩みに来たのだから、何があっても、待たされても、ゆる〜っとやり過ごそうと決めていた。なので、目は半目、口は半開き。
やっと通されて階段を降りると、バスの中でうんざりした顔のロシア人たちがぼそぼそ喋っていた。
ロシア人は家族連れが多い、他にイタリア人やアメリカ人と覚しき人々。
彼らはおおむねカップルで、男子は彼女をしっかと抱きしめている。
「これは俺の女だ」アピールが強烈。
飛行機内は、ついに飛び立ってから降りるまで、ロシア人の赤ん坊の悲鳴に近い泣き声で覆われた。
私も子連れでは苦労したので、赤ん坊の泣き声は気にならない。
それより、隣に座った巨大なロシア人男性のふくらはぎに見えるやたらリアルなタトゥーが目に入る。
鷲かなんかの鳥の絵が、墨絵のような感じで彫ってある。
ふくらはぎって、タトゥー入れる場所だっけ?
じつは、この時タトゥーに出会ったのが、稀な事態では無かったことが後に判明する。
プーケットの町を歩いてみたら、人々のタトゥー率の高さにびっくり。
あちこちに「TATOO」と書かれた店もあり、どうして皆そんなに色入れたいの? と驚いたのだった。
両替を済ませ、トランクを受け取って空港のゲートを出ると、HISの札を掲げた中年男性がにこにこと出迎え。
彼が、たった2人のツアー客である私たちのガイド、謎のケンさんである。
タイの人だが、名前の読みがケンに似ているので、そう呼んで貰うことにしているそうだ。
ワンボックスカーに乗ると、助手席からガイドブックを開いて、色々教えてくれる。
しかし、道はブーブーとクラクションを鳴らす車とオートバイで大喧噪、周りのスピード従って運転は荒い。左右に揺れながら指し示されるガイドブックを見、聞き取りにくい日本語に耳を傾けるうち、娘はついに車酔いしたようだ。
ケンさんは、バンコクで日本語を習得。
初級です、と謙遜するがとても聞き取りやすい。
難しい歴史の話も、時々うーん、と考えながら頑張って話してくれた。
ホテルは、バトンビーチの入り口にある。
斜面を利用して建造された、沢山の建物を要するリゾート。
ロビーは、木彫があちこちに施された落ち着いた印象。
女性のスタッフは皆、民族衣装をまとっている。
ケンさんが手続きを終え、「ちょっと良いお部屋になりましたよ」と言う。
プール付と聞こえる。何だろう。
ロビー棟の前に停まっているジープのようなオープンカーに乗せられて急坂を上り、一度降りて建物の中へ。エレベーターを使い、さらにそこから木の回廊階段を通って美しいポーチに出ると、さらに別の小型車で暗い夜の坂道を上った。
ロビーから付いてきた、民族衣装の若く可愛いスタッフがおり、旧式の錠前を取り出す。
木の門に差し込んで開くと、その向こうには一軒家があった。
まずは手前にある、30畳ほどあろうかという部屋。リビング・ダイニングといえば良いだろうか。立派なキッチンまでついている。揺れる寝椅子、大型テレビ、食卓、コーヒーテーブル。
そこを出て、外廊下を行くと、左手にプール、そして正面が寝室だ。
寝室棟には、ジャグジー、巨大な洗面所、シャワー室、トイレ。これらが全て別室。
プールのある庭に出ると、温水が溜まったジャグジーと、サウナ棟、東屋がある。
寝椅子とパラソルが、夜の闇の中、プールの中からのブルーの照明にほの白く浮かんでいる。
寝室にも大画面のテレビ。
私たちは、NHK World の番組を探して、人質事件の行方を見た。
この成り行きは何なのだろう?
はてなマークが私たち母娘の頭の上を飛び交う。
予約していたのは、ごく普通のデラックスルーム。
オーシャンビューだと聞いていたけれど、これほどの豪華旅行の予定では無かった。
日本語で書かれた説明書を手渡された。それによると、先程の若い女性は「バトラー」つまりこの部屋付の執事で、頼めばお風呂にお湯を入れたり、買い物してきて料理をしたり、コーヒーまで入れてくれるとある。彼女にチップを沢山あげようとすれば、色々頼む方が良いのだ。
ホテルまで来る車の中で、明日と明後日の予定を相談した。
ケンさんに、明後日、コーラル島に渡るツアーをお願いした。
すると、ぜひスパを体験して欲しいと勧められた。
島のツアーと込みで、料金を聞くと驚くほどのお値引き。
この際だから、私と娘はプーケットで評判のスパにも寄ることにした。
ホテルのレストランが10時までと知って、慌てて食事に行く。
先にプーケットを訪れたことのある次女が美味しかったと言っていたパイナップルチャーハンと、春雨のサラダ。疲れたので甘いすいかシェイク。それらのどれもが、感動の美味しさ。
思いがけない幸せと、狐につままれたような気持ちで食べ終え、部屋に戻って豪華なジャグジーを使ってみる。足の裏に水流を当てながら、まだ頬をつねってしまう。
「この旅行は何だか、竜宮城に連れてこられた浦島太郎体験だなぁ...」
私と娘は、今まで真面目に生きてきて良かったね、とお互いを讃え合いながら眠りについた。
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