誰が世の中を悪くしているのか?

user-pic
0
参院選があって、私のSNS周辺ではみんな怒っている。
投票率の低さと、選挙結果について驚き呆れているのだ。
投票に行かない人に対して怒り、そして、与党に投票してしまう大勢の人々に対して呆れている。
なぜかいつも、私のSNS周辺は同じ様相なのだ。
ということは、私と似た人々としか普段にはつながっていないということになる。

SNSは、人付き合いを広げたかに見えるけれど、じつは逆で、同類ばかりの集まりにしている。
だからつい油断して、この世の中は自分と同じ意見の人が大勢を占めると勘違いしてしまう。

現実には、この世の中は、私とは異質な大多数と、私と似たごく少数の人々とで成り立っていると考えなくてはならない。

ジャズを演奏するお店には、ごく少数の人々しか来ない。
それらジャズ好きの皆さんは、こんな素晴らしい音楽を聴かないで、くだらないポップスやフォーク聴いている人々は一体、何が楽しいんだろうか?などと考えてしまう。
ジャズが好きになると、確かに、他の音楽は一気に退屈なものになってしまう。
それは事実だ。
けれどそのために、私は、音楽の好みで超マイノリティーとなっている。

読書、という趣味に於いても、私が読んでいる本を読む人は少ないみたいだ。ベーシストの井上陽介さんはアメリカの小説家がお好きみたいなので、その話を投げたら、もの凄く驚いて喜んでいた。そんな話しをてくれる人にはほとんど会ったことがない、と仰っていた。

昔から、私の気に入った雑誌はすぐに廃刊になり、気に入った香水も化粧品も販売打ち切りになるのだった。私は、みんなが好きなものを嫌いなわけではなく、人気の出る要素については理解できているつもりだ。しかし、気に入って入れ込むとか、打ち込むとかいう対象は、どうやら全般的な割合からして、とても希少なものばかりみたいなのだ。

それでいて、珍しいものに打ち込んでいる方たちの同好会のようなものは敬遠してしまう。マニア間の競争には、どこか鬼気迫るものがあるので、足を踏み入れたくない。

同様に、同じお店に集う常連さんにもなり得ない。馴れ合えないし、いつも同じ人といるのが嫌いだ。

その割りに、食べ物や、着る物はいつも同じようなものばかりだ。珍しいものなど買ってみてもしばらく眺めて、やがて捨てることになる。着る物を選ぶのも面倒で、毎日、同じ服を着ていていいのであれば、そうしたくらいだ。

さて、その上で政治である。
私のようなタイプの人間は、マジョリティが世の中を悪くしていると考えている。
愚かで、流されやすい、正しい状況判断ができていない、と考えている。
しかし、世の中の生産性を支えているのは、間違いなくマジョリティな彼らの方である。
だから彼らの側からすれば、世の中を悪くしているのは、大して高い生産性もないくせに、どことなく偉そうに、上から目線でものをいう私たちの方、なのではないだろうか。
マニアックな音楽を聴いたり、本を読んだりして色々ものを知った気になっている私たちのような趣味人は、大概の場合、ただ座っているだけなのに訳知り顔で批判などする。

ものを知っていて、何がいいのか悪いのか分かったとしても、それはそれ。
世の中の要素としては無いも同然だ。
それを、説得して回るとか、周囲にも語るとか、組織するとかしない限り、いないも同然なのだ。
しかし何故なのか、良く理解できていながら、私たちは集団が嫌いで、人とつながるのに消極的で、大きい声も出したくない。
つまり内向的な人々の方が、事の善し悪しを良く理解できてしまう傾向があるにも拘わらず、彼らは政治の役には立たないのかもしれない。

ひとつの解決策として、そのようにタイプの異なる人々が、互いを利用し合って、善き方向に動くのが理想だけれど、それがなかなかそうも行かず、つい好き嫌いだけで動いてしまうし、生きてしまう。

世の中を悪くしているのは、誰、ということではなく、じつは「みんな好き嫌いでやっていて良いよ」という、非常に民主的な思想のせいなのでは無いかな、とふと考えたりした。
ひとりずつの個人を尊重するという前提がある限り、世の中はいつまでもこのようなままであるに違いない。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://tadakyo.web5.jp/mt/mt-tb.cgi/520

コメントする

月別 アーカイブ

このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2016年7月12日 17:21に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「プロデューサー...なの?」です。

次のブログ記事は「世代のこと」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。