kyokotada: 2012年6月アーカイブ

一昨日、ジャケット撮影隊の慰労ということで、何故か新橋のジンギスカン屋に行った。札幌ジンギスカン「金の羊」という店。炭火焼きで煙がすごい。
みんなすごく飲むし食べるので、つられて知らないうちにぱくぱく肉を食す。それどころか生のおろしニンニクをタレに入れたりする節操の無さ。
それで、11時くらいまで騒いで、いつになくビールなんかも少しのんだりした。
すると次の日、やたら声が出るのだ。
声帯がつやつやしている感じ。
これは、肉のタンパク質と脂質のお陰か。
それでオペラ歌手は肉を食べ過ぎて太ってるのか、などと思った。
しかし、体調はものすごく悪い。怠い、眠い、息切れがする...。
夜会った人たちに、すごい疲れて見える、と心配され、不安になるほど。
一夜明けて今日は、疲れも取れて良い気分だ。
それで、あの疲れは一体...と不信感が起こる。
肉を食べ過ぎたせいか、単なる疲れか。
何しろ、先週末は土曜日もレッスンを入れ、日曜日は、朝マンション周辺の草取デーに参加してから、六本木のAll Of Me Clubに、日経の脇さんの主催セッションに行き、月・火曜日は朝から晩までthe MOSTのアルバムレコーディングで、翌日も数人レッスンしてからジンギスカンだった。
あ、疲れるか...。
でも寝不足もしていないし、この程度の緊張はいつものことだ、と思っていた。

とにかく、一番気になるのは、
「体調がめちゃ悪いのに、声ががんがん出る」
という状態。
声帯は、寝不足や疲れでコンディションが悪くなるはずなのに、「寝さしてくれぇー」と感じている身体から、つやつやした声が出たときのびっくり。
身体のことは、ほんとに、よう分からん。
次女が結婚式をハワイでするというので、家族揃って行ってきた。
ハワイは3回目。
1回目も2回目も、さして感動しなかったが、今回はとても良い旅行になった。
まずもって娘たちの頑張り。
リゾ婚業者を当たりに当たり、ドレス業者を当たりに当たり、完璧なお膳立て。
お相手のご家族も、つかず離れずの勝手気まま行動。
そして、何より、息子の英語力でほとんどの行動計画がスムーズに。
初日こそフライト疲れで午後数時間寝てしまったが、他の時間は余裕に楽しい3日間だった。

結婚式は、泊まっていたホテルのあるワイキキから1時間ほど西に走った、パールハーバーの先の海岸。小さな教会風の式場で、穏やかそうな牧師様と生ギター2本にメゾソプラノのバンド。
パッヘルベルのカノンが厳かに流れ、その後グノーのアベマリアが歌われる。
いずれも素晴らしい演奏で、感動的だった。
その後、プライベートビーチで記念撮影。

この場所に行くまでの運転手イトウさんが、素晴らしかった。
「着くまで1時間でーす」
と聞いて、うっかり、「じゃ、寝よう」と答えたらば、
「いけませーーん、元気出して下さい、日本人すぐ寝る、疲れたという、いけませーーん」
そして、ハワイでは汗が蒸発するので脱水になりがちだから、水をいっぱい飲むと良い、と教えてくれた。
イトウさんによると、疲れるのも眠いのも脱水のせいだとか。
確かに、気をつけて水分を取ったら元気が出たような。

道すがら、運転しながら、ハワイの植物の説明、高速沿道にある建物や公園の説明、脇を走っている車や道路の説明、ハワイに於ける運転免許のとり方や車検の話、ハワイの家庭に植わっているマンゴーの話などなど、眠っていられないほど楽しい。
お陰で随分ハワイに詳しくなった気分。

式の次の日は、マラウイという街と海岸のツアーを申し込んだ。
小さい街は人気の石鹸店などがあり、最近できたホールフーズマーケットが話題。
何しろ、巨大な食品スーパーで、見るだけでお腹がいっぱいになる。

その街の海岸が、美しい砂浜。
しばし海水浴を楽しんで、ワイキキに帰還。
夜は、タイ料理店に行ってみた。
この店が大当たり。
4人でお腹いっぱい食べて飲んで¥6000くらい。
アイスティー飲み放題。
量もアジアサイズで野菜たっぷり。
しかも、クーポンが使えた。
それまで、ハンバーガーやステーキの巨大さにやられていた私たち、顔を見合わせて
「食はアジアだ」
と言い合った。

ハワイにいる間、携帯も鳴らないし、ネットも見ず、仕事のことは考えいているようないないような。
ただ、眠くなれば寝て、お腹が空かなければ食事はパス。
みんな勝手に出かけたり、一緒に何かしたり、じつにバランス良く過ごせた。

帰ってきたら、すごく元気になっていた。
私の中味は、気づかないうちに色々要らないものをハワイに落としてきたようだ。
それには、イトウさんの「元気出して下さーーい」が効いているかも知れない。
「ネガティブなこと言わないの、ハワイに来たら遊ぶの。元気出してね、いっぱい遊んで下さい」
アメリカから、日本から、中国や韓国から、たくさんの人が来て海に歓声を上げ、夜景を楽しむ。
ABCストアで、どうでもいいようなお土産を袋いっぱい買う。
そして、やっぱり自分の国が居心地良く感じたりもする。

ハワイにいる間は、なんで日本みたいな場所であんなにあくせく働いているんだろう、と感じたりもするのだが、ハワイの人たちもそれなりに観光産業に従事して忙しく働いているんだ、ということが見えてきたりもする。

ハワイは遊びに行って、何かを落としてくる場所なんだ。
帰ってきて、ああ、楽になっている、と思うのが良いのかも知れない。
きれいな海も、青い空も、そこに行って見てくれば、しばらくは心の中に隙間を作ってくれる。
隙間は大切だね。

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日没と夜景を見に上った丘の上で。夕暮れの空。


私の両親の世代は、思春期に第二次世界大戦が重なったためか、日常がトラウマチックだった。
実際、大変な体験を幾つもくぐり抜けていた。
そのせいか本来の性格のせいなのかは分からないが、とにかくいつも、悲観的な予測を口にした。
日常的に、これまで苦労したこと、精神的に辛かったことを思い出し、繰り返し語った。
その世界観は、不安とカタストロフィーの可能性に満ちていて、いつどんなひどいことでも起きるはずなのだ、と口調強く語っていた。

けれど、その割に、間が抜けているくらいに楽観的な部分もあり、高度経済成長でどんどん資産が増えて行くにも拘わらず、それを保守するような対策には無知だった。
有るだけのお金をばしばし使っていた。
その享楽的とも言いたい暮らしぶりも、物欲も、病的だと捉え直してみたい気になる。
豊かであることを実感できない、お初に遭遇しているためか、何だか訳の分からない狂騒。

今になってやっと少し、自分の生きている時代について理解が進む。
自分を含むものを見定めることの厄介。
生まれてみたらそこに確固として居る実の両親。
けれど、実のところ、彼らの生い立ちやら体験は、語られても語られても、良くは分からなかったのだ。
その命のやりとりや、危機について。

引き比べると、私は、自分の生い立ちも、経てきた体験も、ほとんど子どもたちに話していない。
どうやら、話さずにはいられないほど切迫したものがないのだ。
戦争を経たという時代性は、語っても語り尽くせないほどに重いものだったのだろう。

そんなことを思ったのは、今手がけているオペラ本で、ちょうどアルバン・ベルクの項に手を入れていて、彼が第1次世界大戦の従軍による体験をオペラなどの作品に盛り込んだということを書き加えた時だ。そうだ、私の親たちがあなたのようだった、と。
ベルクの、それまで一度も存在すらしなかったような、神経症的な、不安に満ちた音階。

私が勉強してきた精神医学は、第1次世界大戦時の戦争神経症によって飛躍的に発達したとされている。
私の世代は、大量殺戮を含む人類史上最悪の戦争に心を痛めつけられた人々に育てられている。
そのことで共通する私たちの世代の何かを、いつか真正面から考えてみたいとも思う。

ヒントになるかどうか、同年生まれの有名人を見ると、何となく過剰な部分がある。
過剰といっても、押しつけがましいとか、脂ぎった感じとは違う。
ただ、各々の中味が過剰なのだ。
個の境界が固く、中のエントロピーが高い。
隠そうとするが、内面がひどく知性に偏る人も多い。

自分の振る舞い方を仮定的に表現すれば、次のようになる。
親の傷つきを引き受けてきたとまでは言わないが、同情的に立ち回った気はする。
それとなく配慮して、疵を庇った気はする。
危機の中を生きたことで未成熟のまま残されてしまった部分を、温存してやった気はする。

そのいちいちは、自覚されず、さらに、国や時代に関係なく、どんな親子関係にも不偏なものなはずだ、と信じていたきらいがある。
けれど、多分、現在只今の若い両親の元で育つ子どもたちの親子関係は、それとはかなり異なっているはずなのだ。

時代による軛とでも言うのだろうか、逃れようのない厄災や危機。
その内実と人に与える影響を知ることには大きい意味がある。
言い換えれば、たったひとりの人間の責任からは乖離するはずの要因として捉え直すこと。
宗教的な赦しとは、それを知ることに近くはないか。

世代論を打ち立てたいわけではない。
ただそういう要因があるということを、自分の成り立ちに関する基準として、仮説的にでも問い返したい気がしている。


このところ毎日、自著『オペラ鑑賞事典』(実業之日本社)の改訂版ゲラ校正作業をしている。
今日などは、これからオペラ原稿のゲラ→ラテンの曲を歌う人のレッスン→四ッ谷のジャズライフ編集部でうちのレーベルからリリースするジャズピアノのプレイヤーの取材立ち会いと打合せ→戻って歌の初心者クラスのグループレッスン、終了9時。
明日は、朝からゲラ→熟年歌謡曲歌手としてデビューした生徒の舞台用レッスン→移動してコーラス指導で終了10時。

だが、他にも、リリースしたアルバムの販売についての打合せとか、これからレコーディングするものの打合せが有りつつ、でも、他の人の「ジム・ホール行ったら凄く良かったよ」とか、知り合いのプロデューサーさんからの「昨日のリリースライブは聞き逃したら大損だったよ」のTelなど、あぁ、そうだよ、優先順位だよね、の気分横溢の日々である。

ここいらで、やっていることのシフト組み替えを行わないと、進歩もイノベーションもないなぁ。
自分を外側から見ないとなぁ。
今のままだと、変化できないなぁ。
と、反省しごく。

ところで、昨日調べたいことがあって新国立劇場のサイトを見たら、数年前にやったテキストが、まだしっかりありましたよ。「ブラヴォー、オペラに行こう」という、基礎知識的コンテンツ。結構なページ数がありますが、今読んでも意外にちゃんとしておりました。
ホッ。

そして、更なる精進を期しております。
今のオペラが終わったら、いよいよ、ジャズの書籍がやれるかも、なのです。
わくわく。

しかし、昨日いつも愚痴を聞いていただく優しい生徒さんから、「病み上がりですよっ、まだセーブした方が良いですよっ」と叱られた。
確かに。
でも、わくわくするのは、必ず身体に良い気がするぞ!!

あー、でも、夜は良いライブやコンサートに行きたい。
やっぱり優先順位見直しだ。
昨日、サッカーを見た勢いでずーーっとテレビを観ていた。
遅くに、三宅裕司さんと志の輔さんの対談があった。
ふたりは、大学の落研で先輩後輩にあたり、志の輔さんはずっと三宅さんに憧れていたそうだ。
三宅さんは、落語に進まず劇団を作って、芝居を始めた。
それを見た志の輔さんは、三宅さんですら落語をしないのだから、自分なんか全然駄目だろうと思ってサラリーマンになったそうだ。
けれど、やっぱり落語が好きで立川談志の弟子になる。
その師匠がまた凄かったので、三宅さんから談志にヒーローは移りつつも、いつもふたりの存在が重くのしかかっていたという。
一方の三宅さんは、色々なことをできてしてしまう自分を、いいのかなぁ、といつも感じていて、志の輔さんの、この道一筋が気になっていた。一種専業の凄さに引け目を感じていたような...。

そうなのか、と思い、少しホットした。
私は三宅さんタイプで、歌う、書く、プロデュースする、教えるをやりつつ、家庭のこともいろいろやる。
ときどき、自分の頭の中のどこにこんなにいっぱいの情報が入っているのだろうか、と心配になる。
過剰だ、とも思う。
けれど、能力は目一杯使うしかないのだ。
ほどほどにした方が良いよ、というアドバイスは、過剰に見える人に不安を覚える周囲がしてくれるアドバイスだが、過剰な側は、エネルギーを使い切らないと下手すると病気になるのだ。
少しおとなしくしていろ、と言われても、そうしていることの方が大変。
疲れて動けないときに休むくらいでちょうど体調が良い。

それは、自分に向いている道に進んだからという理由もあるし、体力があったからそうしていられるということもあり...。

けれど、いつのまにやら自分の境遇を誰かと比べて、あちらの方が正解なんではなかろうか、といつもいつも、微かに悩んでいる。
悩んで動けなくなるわけではない。
動き回っているのだが、それが正当かどうかをいつもどこかで疑っている。
それは、自分の足を引っ張ることと言うより、危機管理能力のひとつで、過剰の質を検分しているということのようにも思う。

心の中にあるひとつの感情に「悩み」という名前をつけると、それは悩みになるが、「バランス感覚」と言い換えてみれば悩みではない。
お腹いっぱいで、もう食べない方が良いときと、まだ食べられる、というときの差を、心はいつも点検している。

ここまで生きてみると、多幸感に包まれた「オッケーでハッピー」な気持ちが、どれほど危険で、しかも長続きせず、さらには落とし穴の可能性に満ちているかを経験で悟る。
逆に、うじうじしながら、仕方なく腹をくくってやり続けたことの方が成果そのものだったりもする。

みんなして不安や悩みを口にしてみると、イケイケだと思われている人も、実は同じような心地悪さを感じていたりする。
それはそうだろう。
生きている限り、周囲との摩擦によって、生命は熱を帯びなくてはならないのだから。
吉井博士の専門は、宇宙物理学である。
凄い博士なんだ、という噂。
博士の奥様は、国立で喫茶店を経営していて、博士とは真反対の雰囲気の方。

博士は私の歌を気に入ってくれていて、その関係で喫茶店でのライブをすることとなった。
じつは、ペルーの天文台に出張が決まっていて、ライブに来られるかどうか微妙なところだったとか。
出張を一日早めて帰ってくる、と宣言していたそうだが、幸い出張自体がキャンセルになって、早々と会場にいらして、カウンターでニコニコ待っていらした。

ライブは、私の病欠から復帰第一弾で、やはり、色々自分なりにはもうちょっと何とかしたかった部分も有りつつ、まあ無事に済んだ。

終演後に、博士が
「宇宙物理学って、まず考えることなんです。えーと、宇宙のシナリオについてです」
と仰る。
「日々、空想とか、アイディアとか、仮説とか、ストーリーを頭の中でこねくり回しているわけです」
なるほど、ビッグバン以来の宇宙のことだ。
「宇宙が間断なく拡張していることについても、どのように拡張しているのかを推理するわけです」
そして、それについての考えが、ある程度確信できた時点で
「その時に初めて数式にしていくわけです」
ああ、曲を書くときと似ているかも。
「音楽を聴いていると、そのアイディアが上手く展開する瞬間に出会うんです」
何やら博士にとって私の歌は相性抜群なんだとか。
ふざけて、私の歌が宇宙の真理を解明するのに役立つかも、と言ったら
「そうかも知れません」
と言って下さった。

博士のお話で一番感動したこと。
「宇宙を見ていると、悪くしようという方向には動いていない気がします。どう見ても、良くなるように、良くなるように動くのです」
あぁ、なんて素敵。
確かに、ビッグバンからここまで、発展している一方なのかも。

それから、私は
「宇宙人はいますか」
と訊いた。
この解答がまた、とっても素敵だった。
いつの日か、ここにも書いてみたいと思います。

そして今日は、休みをものともせず、良い気持ちで仕事をします。
ありがとう、吉井博士。

音楽は商売か

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貨幣が存在するから、値段というものがある。
買い物に行って、「好きに値段つけて良いですよ」と言われる商品には、ますお目にかからない。
けれど、ストリートで演奏したり、ライブハウスで演奏したりすると、「投げ銭」というものがあるのだ。
聴いた人が勝手に値段をつける。
値段は0がほとんど。
屋内だと、ワンコインとかも。

仕事のコスト、人件費とか交通費、機材費などは初めから持ち出し覚悟で、いくらかでも懐に余裕のある人が、気に入ってお金を投げ入れてくれればラッキー。
その運もないと、全くの赤字になる。

音楽業界は、そこそこ名前が通っていれば食べていけなくはない、と思う。
けれど、かつてのようなビッグビジネスは成り立ちにくい状況になっているとも思う。
継続的に売れて、大きいライブを打っていたとしても、ミュージシャンやスタッフが受け取るものはとても少ない。もちろん、印税で潤う人もいるが、全体の中ではごく少ないと言って良い。

先日読んだ記事では、CDなどは無料で手渡し、それをサンプルとして配信で買って貰うか、ライブに来て貰う方式が一般的になるだろうという意見。

といっても、私にはそれが目新しいものではなく、兼ねてからジャズの人たちは、ほとんどそれに近い活動形式だったと思う。
様々なミュージシャンと繋がって、縦横無尽にユニットとなり、定期・不定期のライブを全国各地で続ける。自分がリーダーになったアルバムを手売りする。
それこそ経費を除けば、トントンか、やや利益が出る程度。
それでも、仕事は充実していて、自分の成長やたくさんの人との交流など、必ず受け取れるものがある。
だから続いているのだとは思うが。

いったい、音楽は商売になるものだろうかと、いつもうっすらと考えている。
レーベルなんか運営していると、メジャーレーベルや流通、メディア方面との付き合いもあり、いずれも余裕綽々とはなっていないのが現実。

ライブは必ずしもギャラを当てにできない。
だから私は、教室と執筆、制作の仕事で生活を支えながら、やりたいライブだけをする方針だ。
そして、その際には共演してくれる演奏専業の方たちに、少ないながらもギャラの保証をする。
ボーカリストがなかなか育たないのは、そういうコスト・リスクの大きさもある。

音楽が好きで、趣味にしてもかなり時間を割いて取り組んでいる人は大勢いる。
みんなが、楽しく音楽できると良いな、と考える。
時々、学生時代に、ゼミのフィールドワークで行ったバリ島のことを思い出す。
昼間は普通に仕事をして、夜はアーティストになる。
ゼミの担当教授はクラシック音楽や文学が大好きな方だったので、バリ人の生き方を絶賛していた。
当時は、そのことの価値がよく分からなかった。
何しろ、昼間は学生で夜は歌手だったから、そのまま、その理想を実践していたわけで。
けれど、今となっては、日本も多くの人がバリ方式にすれば良いのではないか、と考える。
音楽や他の芸能を生活の糧にできなくても、手放さず、素人芸ではない領域を目指す。
それをライフワークにする。
昼は一般人、夜と休日はアーティスト。

音楽家はいつも、自分の醸し出す音楽や、指導の技量に対し、自分で値段をつけている。
なかなかしんどいことだ。
けれど、才能や実力は自然と周囲に伝わるので、本当に優れた人は生活できるようになる。
音楽が商売になるかどうかは、それで生きていこうとした人がどこまで音楽を続けられるかの結果がそのまま答えなのだ。
儲かりはしないけれど、それで生きていくのは不可能ではない。
工夫次第で、音楽は小商い程度に、商売にもなる。

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