kyokotada: 2014年1月アーカイブ

このところ、何かというと整理している。
前に進むばっかりで、振り返らなかったために、大量のゴミが溜まってしまったのだ。

古いファイルなど開くと、かつての「野心」みたいなものが出てきて笑ってしまう。
うーむ、これらのものをファイルして何かの役に立てよう、とか、いつかこれらを使うぞ、と思ったのだろうなぁ、と感心する。
自分に感心しても仕方ないのだが、例えば、あるファイルには、かつて誰かから借りてコピーしたらしいCDのジャケットとか歌詞カードのコピーがたくさん。
その中の曲を、いつか歌うかも知れない、と考えたのだろう。
今では、webに必ず落ちている「歌詞」は、かつてコピーしておかないとどうしようもないものだった。

スティング、ザ・バンド、ミニー・リパートン、ディオンヌ・ワーウィック...。
脈絡無く、なにやら本当に沢山。
そして、現在に至る間には、結局ライブで、なにひとつやっていない。
それどころか、聴きもしていない。
何をしたかというと、ブラジルものに興味が湧いて、そちらの曲を覚えたり、その後はまたスタンダードに戻って、アレンジに凝ってみたり、さらにはオリジナル制作に時間を割いていた。
あの時は、「いい!」と思った曲を、いちいちレパートリーにするつもりで、せっせとコピーしてファイルにしたのだ。
それは「野心」だろうな。
そしてどうもなっていない。
けれど、ファイルした時は嬉しかったはずだ。
実現したライブなんかを空想して「おっ、かっこいいぞ」とか、一人でニタニタしていたかも知れない。
幸せだな。

最近は、「野心」に気をつけている。
癖のように「野心」が、こんにちは、と出てきそうな時には、すかさず「自分の歳」を数えることにしている。「お前はいくつになったんだ?」。
で、答えは「そうですね、結構行ってましたね」である。
すると、良い具合に力が抜け、程良い安心感に包まれる。
もう、そんなに頑張らなくて良いんですよ、と自分に言ってやれる。
そして、次回は年齢相応のライブにしたいと思う。
自由で楽しい、自然体のライブ。
さっ、練習しよ。
せっかく取った年齢は、そのように役立てたいものだ。
ローリングストーンズが来日だって。
ミックとキースが70歳。すごいな。

子供の頃、何かというとみんなからビートルズを勧められ、でも、私はストーンズが好きだった。
中学生の時、ヨーロッパ旅行でロンドンにも行って、そこでミュージカル「ヘアー」を観、レコード店でストーンズのアルバムを買った。「Flowers」だったかな。ジャケットが日本のものと較べて全くちゃっちいのに驚いた。色々、おませさんだったな。

毎日、ポータブルのプレイヤーでLP盤のストーンズを聴き、それを糸口に、グランドファンク・レイルロードやヴァニラファッジに進んだ。田舎にいては、ラジオの「洋楽ベストテン」みたいな番組でしか情報を得られなかったので、それに加えて、サム&デイブとかも聴いていた。ジャンルなんかはほとんど全く分からず。
思い返すと、熱い何かが感じ取れる音楽が好きだったようだ。

「知的な」ビートルズはすぐ解散してしまい、一方の「しょもない」ストーンズは生き残った。
ビートルズは各人に「生き方」があったために、一緒に進むのが困難だったのだろう。
ストーンズは、不良の集まりで、それはチームだったのだ。
特に、配置が絶妙で、御年72歳になるチャーリー・ワッツを観ていて、彼こそがストーンズを長持ちさせたのだと想像した。
格好良すぎる不良ミックは問題なくただ居る。俺様だから。
ミックと張り合いたいけど、性格的にそれもめんどくさく、突然頑張ろうとするとドラッグとかに走ってしまうキースは、チャーリーから「お前にはミック以上のファンがついてる」とか入れ知恵されて安定せざるを得ない。
チャーリーは、ドラマーとして体力的に無理しない方向に決めたことで成功した。普通「ロックバンドはドラマー主役でしょ」とタムやシンバルを視界いっぱいに並べる。そういう純粋な目立ちたがり屋さんは、いたずらに体力を消耗して若いうちに身体を壊す。
しかし、世界一のロックバンドでチャーリーは、ジャズの人だって今時そんなセットは使わない、と思えるほどシンプルなセットで、腕も高くなんか上げずに、静かにリズムをキープしている。
ストーンズが、今も壊れないのは、このチャーリーの「要」としての体力配分にある(知った風ですいません、ただの妄想ですが)。
自分をキープして、メンバーのもめ事を静かに見守り、時には自信を与え、さり気なく「いつでもOK」とスタンバっている。すると、他の人たちも「じゃ、やってみっか」ということになり、やってみると凄くお金が入るので、「これはキープだぜ」と簡単に思える。
そういう風に見えてしまうチャーリーの、薄いブルーのポロシャツが私は好きだ。

何かが立ち上がったり、存続したりする時には、たいていチャーリー的な、素人には価値が判然としないタイプの人物が関わっている。スターはそんなことしないけれど、スターをとりまとめて死なせないように、働くように仕向けるやり手な人が必ず存在する。

ストーンズ最近の映像を見て、奇跡のような彼らの組み合わせに個人的に感服、起立して敬礼してしまった。

震災はあまりにも大きい悲劇で、私にはとても手がつけられなかった。

当事者で無い者には、立ち入る際に相応の覚悟がいる。

けれど、当事者で無い者にしか作れない視点もあるかと思う。


私は曲を書いて、詞を乗せる前にいつも覚え書きを作る。

自分の中に在るものを確認するために。


「No Man's Land 覚え書き」


 海について。

私は北海道余市町生まれなので、海は近しい。

奥尻島の例はあるが、本来、日本海は、それほど大きい津波が起きない海だ。

けれど自然は厳しい。とくに、冬の漁船の遭難、明治大正期の「板っこ一枚下は地獄」と語られてきたやん衆漁師の命懸けの仕事のことは知っている。

 

 祖母の実家であるニシン御殿を寿都町に訪ねた際に、明治の時代、網元が漁の様子を見たという座敷に座ってみた。海に向かって古いガラスが嵌められた展望を持つその座敷中央に、雛壇のように高くしつらえた部分があって、網元はそこに座って漁の様子を眺めたという。

 かつて、冬の漁では、誤って海に落ちるとそこで命が失われたそうだ。何しろ着ている物が「どてら」だから、海水を吸ってみるみる重くなり、助からない。漁はいつも厳寒の時期で、やん衆と呼ばれた流れの漁師たちは、布団を担いで鰊と一緒に北上した。

 

 やん衆と逆の航路をとって、西に鰊や昆布を運んだのが北前船。京都の「和食」の発展には、この船がもたらす海の幸が不可欠だった。

 

 北の漁場についての歌は多い。勇ましい歌。少し、軍歌に似ているかも知れない。生命を賭して何かをする。

 

 津波は、驚きであり恐怖なのだが、人はどこかで海から収奪してきたものについて、借りがあると感じてはいないだろうか。その返礼としての供犠のことをどこかに隠蔽していたと薄々感じるかも知れない。
 日本人は、というか、アイヌの文化を見ても、自然から収奪したものに対する返礼について、とても神経質だ。中沢新一の「対称性」の考え方に詳しいけれど、人は、自然から食料なり衣類なりを抽出すると、それを収奪と感じて同等の物や祈りを返さなくてはならないと、強く感じたらしい。

 

 だから、地震や津波、そして原発事故という一連の災害や不幸の向こうに、人が収奪してきた方法と莫大な量についての借財感を置いてみたりする。

 

 宗教の成立は、キリスト教なら「原罪」の認識から始まる。

 日本人は、度重なる自然災害やそれに伴う飢饉について、怖れは怖れとして、悲しみは悲しみとして受け止めながらも、どこかで、自然と共存するための借財を支払うという視点を受け容れているような気がする。頂いたのだから、どこかでお返ししなくてはならない。生き残った者は、責任を持って、元の姿に復元しなくてはならない。

 

 頂いたら返すというバランス感覚は、太古から人の中に備わってあるものらしい。自然に奪われた大切な人々。けれど、失われた人々に対する喪失感や哀悼に、供犠の考えを付加して、神に捧げられた尊い生命へと昇華させる。

 

 連想は靖国にまで及びそうになるが、政治的な目的などではなく、ただ、自然と共存してきた、この一帯の地に住んできた、私たちの祖先は、「頂いては返す」という行為を、心の安定に用いてきた。

 

 日本は火山の国である。どこにでも温泉が沸き、そこここで噴火がある。しかし、同時に森は生い茂り、海には様々な海流が流れ込む。多様性と潤沢な発想と手間暇と平和が溢れんばかりの、宝石のような場所だ。

 そこに何を予見し、どう生きていこうとするか。

 誰もがその事実を見極めなくてはならない。

ジム・ホール

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音楽以外にお金を使わない私を見かねて、息子が初ボーナスで、大画面のプラズマテレビを買ってくれた。これまでは隅々が変色してしまったブラウン管。
現代的なテレビは凄い、でかい、クリア。
で、早速数10年も昔から録り溜めしていたジャズ番組を見始めた。
夫は録画マニアなのである。

大昔に、NHKで放映されていたと覚しきジャズライブの番組では、ナレーターがいソノてルオさん。
この方は、ジャズ評論家で、昔MJQのコンサートの司会などもされており、裏からこっそりホールに入れて頂いたことがありました。懐かしや。

さて、ビデオは20年前のNY、老舗ライブハウスの実況的なもの。
最新の画面で見ると、カーメン・マクレエにはひげがあることが判明。
録画はビデオなので、画質はそう良くないのですが、私たちのアイドル的なミュージシャンが若く、最高に優れていた時代のライブは貴重です。

あれこれ見ていたら、ジム・ホール、ミシェル・ペトルチアーノ、ウエイン・ショーター、というのが出てきた。全体的には、ほとんどがジムとペトルチアーノのデュオで、お終いちかくにショーター登場。
このジム・ホール様が凄かった。
顔はゴルバチョフに似ている。
しかし、ずっと同じ表情。同じ姿勢。
この生半可で無いクールさの価値は、若い頃にはなかなか理解できないものだった。
はじめからずっと同じテンションで、ずっとハイ・クォリティな演奏をし続けている。
それは、わりと熱くなりやすいペトルチアーノの演奏に、ひたと寄り添いつつ、はぐらかしもしない代わり、煽りも、煽られもしないという神業のような境地。音はどれひとつも失敗がない。全部きれい、全部選び抜かれている。だから、ずーっとソロを聴いていて、一瞬も飽きない上にとても心地良い。
何となく不思議な体験だった。
ショーターは、今まで聴いたことが無い程のゴリゴリの4倍テン・フレーズを吹きまくっていたけれど、それでも、ジムのペースは変わらず、同じく美しくクール。

演奏にはその人の全てが出る、と良く言われる。
ジムは普段どんな人だったのだろうか。
私の想像力では追いつかない感じ。
もっと若い頃のお姿を探してみてみることにしようか。

皆様、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末年始はひたすら家族とご飯を食べました。
全員食べるのが大好きで、美味しいものを持ち寄り、ご馳走三昧。
お酒を呑めない家系なため、ただ食べ続けておりました。

私は、年末からの風邪が治りつつ、しかし、日頃の疲れがどっと出て、寝ては食べ食べては寝、の毎日。
それほど太らなかったのは、ご飯を避けたからかも知れません。

さて、本年は、レッスン、ライブ、レーベルの新譜制作とまたしても盛り沢山になっております。
昨年来の疲れは、正月の「食べ寝」で解消された模様なので、またフル回転で行きます。

皆様ぜひ、セッションやワークショップにご参加下さい。
楽しく、アグレッシブで実り多い年に致しましょう。

ワクワクしてきたぞーー。


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