kyokotada: 2014年7月アーカイブ

日本語で詞を書いてメロディを乗せると、ジャズっぽくならない。
日本語にはそれにふさわしい音列があるのだ。

子供の頃、素敵な音楽はいつも欧米から流れてきた。
ピアノやヴァイオリンの先生、学校の音楽の先生、そしてテレビやラジオ、雑誌に書かれる記事。
それらのほとんど全てが欧米の顔をしていた。
だから、私もその中から好みに合うものを選んだ。

魅力という言葉は、音楽のためにあった。
クラシックの子供用にアレンジされたもの、ラジオのベストテン番組で聴くヒット曲や洋楽、音楽雑誌で褒めちぎられているアーティストたち。
日本のどこにもない、見たことも聴いたこともない魅惑の文化。
憧れはいつも遠い、手の届かない先にあった。

プロとして音楽活動を始めた頃、世界はポップミュージックの最盛期で、日夜、莫大な利益が生みだされていた
そしてやはり、音楽の本場は、アメリカとヨーロッパでしかなかった。

リズムもメロディも演奏する人々も、どこをとっても素晴らしい音楽。
いつしか南米やアフリカの音楽も加わって、まったく、クラクラするほど。
その魅力に、少しでも近づきたくていつも懸命だった。
一生かかっても、届きそうもないな、と案じながら。

でも今、もう、色々なことを真似しなくて良いかな、と思えてきた。
努力すれば、好きな音楽をかなり満足のいく形で追体験できるようになった。
あくまでも「追体験」だけれど。
誰かがクリエイトしたものを、そのままやってみる。
それは、真似ではなくリスペクトなのだが、如何せん、どこまで行っても自分のものではない。

リスペクトは大切なことだが、その呪縛に搦め捕られる怖れもある。
自分をさておいて、「日本人なんてダメさ」とうそぶいたり。
でも、私は日本人なのよ、やはり。
海外の素晴らしい音楽を学び、研究して追体験できても、本来は日本人なのよ。

だから、「もういいのかな」と感じた。
それはひとつの悟りみたいなことかも知れない。
その時から、自分の音楽を始めることにした。
もちろん、ジャズもボサノヴァもラテンもシャンソンもなんでもやる。
それは人類の宝だから。
それにプラスして自分の曲を作って歌う。

かつて欧米に対して抱いた、あの焼け付くような憧れは、取り入れることで沈静化し、私の音楽活動の滋養になっている。
それはそれは沢山のことを学び、理解した。
訓練するべき内容もつかんだ。
だから今からは、アジアの風土と日本にある素敵な要素をしっかりと受け止めて、フォークロアではない、コンテンポラリーな音楽を創っていく。

いつも風は熱い方から涼しい方に向かって吹く。
長く欧米から吹いてきた風が、今、アジアから吹いてくる。
アジアを愛そうと思うと、知らず、優しい気持ちになってくる。
枕元にクロッキー帳を置いていてあって、寝る前、それに鉛筆で詞を書く。
ふむふむと歌って、五線紙に合いそうなメロディをメモしておく。
時間のある時に、思い出しながらデジタル楽譜に移し、体裁を整える。
出力したものを見ながら、ピアノでコードをつける。
キーを確定して、少しだけ手直ししつつ、歌う練習。
曲を作るには、最低、紙と鉛筆があればいい。

絵を描くのは休日。
以前は大きいスケッチブックに絵の具で描いていた。
最近は、無地の小さいリングノートに、多色ボールペンで書いている。
まあ、気分転換。
絵を描くには、紙と沢山の絵の具や筆、ペンなどが要る。
美術は道具の知識が無いとできないな、と痛感。
絵の具の種類による発色や透明度。
紙質による吸い方。
そもそも紙ではなく、他の素材に書いても良い。
その場合、定着する絵の具とはじかれる絵の具がある。

曲を作る場合に助けになるのは、思いついたメロディを楽譜にする能力。
そして、楽器を弾く能力。
道具自体はすごくシンプル。
そして、いつでもどこでもできる。
紙が無い時には、スマホのメモに残しておく。
楽譜を書かないで、レコーダーに向かって歌っても良い。

色々やってみて、これから仕入れたい知識は、和声について、かな。
和音について、それから転調について、やっと身につけたい時期が来た。
分かれば思いが達成できる。
なんか楽しみ。

今年のバースティライブ、フライヤーには以下の絵を使用しております。
涼しそう。そして、少し大人っぽい。

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