会った人: 2011年9月アーカイブ

是安君のベース

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ベーシスト是安則克君は、私の母と同じ釧路出身だ。
早稲田の理工学部を中退というので、釧路湖陵高校かい、と訊くとそうだと言う。
私は小樽潮陵高校だよ、と言ってふたりで北海道新聞の北大他、国立大学合格ランキングの話しをしたりした。

会ったのは、所沢のスワンが最初。
加藤崇之がライブにブッキングしてくれた。
一番の仲良しだと言っていた。
是安君のベースは1曲で私の心を掴んだ。
音色もタイム感も精神性もすごく好きだ、と思った。
以来、時々ライブをお願いし、定期的なユニットには「Organic Jazz Trio」と勝手に名づけて、有機的なうねうねしたジャズだ、と喜んでいた。

是安君はいつも早めに来て、ずーっと調弦していた。
自分の音色を作っていた。
納得行かない時は、みんなが休憩している間も、ずーっと楽器をいじっていた。

アルコール依存症からのサバイバーで、未だに断酒会に行っていることや、大変な節制をしないと身体が保たないことを聞いた。
私の弟は、サバイブできずに死んだことを言うと、何とも言えない顔をした。
彼が生きていてくれるのは、私にとっては弟の代わりのような部分もあった。

23日金曜日はお彼岸で、連休初日だった。
招待されているライブが渋谷であり、事務所に出てから回ろうと思っていた。
渋谷に出るついでに、気になっていたライブハウスにも立ち寄ってみようかと思い、場所とスケジュールを検索した。
すると、その夜の出演者はピアノの関根君とベースの是安君。
おっ、これはぜひ行かねば、と思った。
その時、加藤君から電話で是安君の訃報を聞いた。
運転中だから、詳しい話しはできない、亡くなったことを知らせるだけだ、と言う。
「えっ、これから会いに行こうと思っていたんだよ」
と、私はトンチンカンな答えをし、聞き間違いではなかったかと何度も自分に尋ねた。
それから、着信履歴を見直し、やっぱり掛かってきた電話だと確かめ続けた。
「遅かった、遅かった...」
知らずに何度も呟いていた。
涙が次々と沸きだした。
「遅かった、遅かった...」
彼とだけ、一度もレコーディングしていなかった。
来春、ぜひ、私のレコーディングに参加してもらおうと予定していた。
間に合わなかった。
7年も一緒にやっていたのに。

それから数日、今日は告別式の予定だ。
夕べお通夜に行って、お別れをしたので、今日は仕事をする。
来月のライブは、是安君抜きでどうしよう。

とぎれとぎれに考えては、呆然とする。
本当にもういないんだ、と思う。

彼は、毎回命懸けだったのだ。
どのライブもきっと、いつも最後かも知れないと、心のどこかで思っていたかも知れない。
最後に共演したとき、あまりに素晴らしい生命力溢れるソロだったので、以前より元気になりつつあるのかと、ふと思ったりした。
でも、その頃は色々な事で繁忙を究めていた。
そのことを、迷惑をかけた家族への恩返しみたいに語っていた。
いつも笑っていた。
最悪の時期の妄想の話、色弱で色が分からないけど赤い服を着る話。
どんなこともおもしろおかしく、笑って話してくれた。
私は、それで随分救われていた。
私はいつも、生きるというそれだけのためにものすごく頑張っていた。
そして、彼はその何倍も頑張っていた。
だから、「大変だよー」という心の声に気づいてくれた。
私が上げる狼煙を「見えてるよ」と言ってくれてるみたいだった。
本当に有り難かった。
だから、私は是安に何度でも「ありがとう」と言う。
いつまでも、どごでも、彼を思い出す度に。

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