エッセイ: 2010年8月アーカイブ

怒るとき

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 私はあまり怒らない方だと思っている。

 しかし、「怒ったら怖そう」と言われる。

 怒ったら怖いと言うより、私の場合、怒るとそれが関係の最後だったりはする。

 つまり、誰かに対して怒るときは、もう関係を回復しなくて良いと思うから怒っていることを外に出すのだ。

 その以前にも、多分、同じ人に対して数回は怒っている。

 その数回が、何度目かについに最後になるのである。

 始終怒ったりけんかしたりしながら、その関係性でずーっとつき合い続けている人たちもいるが、私にはそれはできない。人間同士であれば、共有する時間の、せめて78割は楽しい関係でいる方が良いと思うからだ。

 だから、怒りが、自分でも、もうしょうがないなと感じる領域に入ってしまったら付き合うのをやめる。

 それは、お互いのために離れた方が良いと感じるからだ。

 嫌いでなくても、あまりに感性や価値観がずれていると、それを押して付き合い続けること、緩衝を作り続けることにエネルギーを注ぐのが辛くなる。

 相手も同様だろうと思う。

 

 私が、自分でもなぜこんなに、と思うほど怒るのは、善意を仇で返された、と思うときだ。

 こちらが譲歩したり、気を利かせたつもりで動いたはずなのに、全く通じていないとか、それ以上の時間なりものなりを感謝もなく奪って行かれたとき、あるいは要求されるとき、猛烈に腹が立つ。

 

 私は、自分を大切にするのと同様に、他者を尊重する。その人のために良かれと思うことをする。自分の役割をよく考え、言いたくないことも言うし、怠けず責任も取る。人によっては、強い人だとか、怖いとかいうことになるのだろう。私自身は、ただ誠実であろうと思うだけだが。

 善意を当然のように、感謝もなくさらなる贅沢を要求されると、私は心底がっかりするし、猛烈に腹を立てる。相手に経験値や理解力がないことがあるのは分かる。しかし、当事者になったことがない人ほど、批判や批評が多い。

 

 私は、それなりに努力している。

 これは、誰に恥じることなく言える。

 私はいつも、周囲の人々が良く活かされるように、才能を埋もれさせないように、不得意なことにいたずらに時間を割かなくて良いように、あるいは、音楽や企画のプロとしてアマチュアの人々の良い助けになるように、日々心を砕き体を動かしている。

 それは、なかなか厳しい世界だ。

 誰かに甘えかかったり、助けてもらうことを前提としない。

 協働はするけれど、ギブ&テイク、またはギブ&ギブで宜しいと思っている。

 

 その境地にいたるまでには、とてもたくさんの失敗や敗北感や慚愧や後悔があった。自分が打ちのめされるとは、どういうことかを嫌と言うほど味わった。

 そうして、今やっと、毅然と怒ることができるようになった。

 怒りは、人生にとってとても大事なことなのだ。

 生きる中で、深く愛すことと強く憤ることは表裏になっている。

 ミュージシャンと言えば聞こえはよいが、つまりはバンドである。アーティストとか自称する人もいるが、私達としてはかなり恥ずかしいので、舞い上がりもせず卑下もせずとなると、やはりミュージシャンということになる。

 この世界に住む人々は、実に良く離婚する。

 初婚のまま続いていて、しかも子どもが1人っ子でないという家庭は、レアである。

 夫がミュージシャンである場合は、妻が仕方なく貧乏を続けるか、夫以外の収入源を作り出して離婚はしないまでも夫とはほとんど関係なく暮らすか、同じ畑で共稼ぎをするか、である。

 ミュージシャンであると、人はどのようであるかと言えば、まず収入は少なく、しかも不定期で、不安定で、我が儘か性格異常で、日常の生活時間帯がずれている。

 つまり、病気ではないが、正気でもない、という人々。

 面白がろうとすれば、すごく面白い素材ではある。

 私は、ついにミュージシャンと結婚して3児を生み育ててしまった。

 うっかりした。逃げる隙を逸したという気持ちだ。

 それは、若さ故に知恵がなかったと同義で、この割に合わない日々は、一般の人と結婚した女性たち、どんな人に説明しても理解はしていただけないだろうと思う。

 娘2人は堅気な仕事に就き、自立している。私も、自立した。そうしないと発狂しそうだったためだが、私の親兄弟は、好きでそうしているんでしょ、と言ったきり一切援助してくれなかった。それで自立した。良かったのかも知れない。

 人の人生は分からない。

 お嬢に育った私が、毎日仕事ばかりしている。

 虫も殺せぬ度胸無しが、大変図々しくなった。

 そういえば、最近、東大卒のジャズ・ミュージシャンという人に良く出会う。

 東大を出ても、研究者になると儲からないそうである。同じ儲からないなら、音楽の方がいいやと思って...、ということらしい。

 観察していると、人は、簡単な道が嫌いだ。

 つまんないから。

 それで、ハラハラドキドキする方へと頭を突っ込んでしまうのね。

 そのゲームの難しさはきっと、その人が賭場に張る掛け金の多寡による。

 たくさん張れて良かったのかも。

 次の課題は、人生を使い果たして身軽になることだね。

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