こんなアホな道楽はなかろう、と思いながらレコーディングをやっておる。
今回は、日野さんのピアニスト石井彰のプロジェクト。
トリオとカルテットを混ぜてやるという斬新な試みになった。
ベースが2人いるので、ひとりはベースを弾く曲もあれば、民族楽器とかパーカッションに回ったりする。面白くてニヤニヤしてしまう。
この仕事のために、私は全力で会社を維持し、貯金をする。
化粧品も服も買わない。
旅行にも飲み会にも行かない。
だって、何よりもレコーディングが楽しい。
旅行が趣味という人なら、海外旅行に2回行くくらいの金額で、日本有数のジャズメンの演奏を、しかも「レコーディングだ」とリキが入っている演奏を間近に聴ける見られる。
テイクごとに自己評価し、改善し、アイディアを出す様を間近に見られる。
私にとっては音楽仕事の醍醐味。最大の道楽なのだ。
音ができあがれば、アートディレクションという仕事もある。コピーライトという仕事もある。
そういうことを全部ボランティアでやる。
望んでもなかなかできない趣味だと言い訳している。
私の祖父は博打打ちだった。
歯科医だったが、病院はほったらかしてニシンの網を立て、借金して冷凍船を買い、かと思うと、やん衆の集まる麻雀やら花札の危ない賭場に入り浸ったり。挙げ句、莫大な借財をこしらえ、ある日血圧が上がって脳溢血を起こして働けなくなり、結局、私の父に全額返させた。
半身不随になっても、ステッキを突いてタクシーで競馬場に通っていた。
まったく、困った人だった。
私にもその血筋があるのかも知れない。
博打とは言わないが、ワクワクしたがる。
そして血圧が上がる。
じいちゃん、あなたに似ちゃったよ。
でも、人生をかけた道楽なんてことをできるこの困った性格と境遇に、深〜く感謝もしている。
素敵なCD作れば、いずれ、何かの役に立つかも知れないでしょ。
人は自分でしかないのだが、では、自分のことが分かっているかというと怪しい。
分かる、というときに、外界を感じている自分と、感じ方を検分している自分が居る。
五感や喜怒哀楽で直接色々な事を感じて、「いまこう感じている」と言葉にする自分が居る。
そういう自分の態度が、どのように世界に受け容れられていて、それが良いのか悪いのかを判断している自分も居る。
すると、何を基準に自分を判断しているのか、と考える自分が出てくる。
只今している態度や用いる準拠枠は適当か否か。
こうしてみると、自分というのはロシアの人形のように、外側からだんだん中に入り込んでいく。
最深部に居るのは果たして私なんだろうか。
ただの命とか、DNAということも考えられる。
私は誰で何?
とくに、親しい人たちが亡くなったりすると、私だって同じように明日にはもう居ないのかも知れない、と考えたりもする。
怖い感じはしないけれど、それはどこかで「無」を信じているか、「無」でなければ、あの世を楽しめるな、という情熱があるからだろう。
いずれにしても、どうしようもない。
どうしようも無いから、歌ったり書くしか無いのだ。
それしかできない。
私は教える仕事だけあって、何か習うのも大好き。
長期にわたって臨床心理学の研究所に通い、その後は翻訳教室に行ってみたり、ジャズピアノ習ったり、ボイトレは色々な海外の講師のセミナーに行ったり。
で、いよいよやるか、ということにしたのが「小説教室」。
今までも、どこかに行こうかな、朝日カルチャーかな、と探していたけれど、いまいち行きたい講座が無く、様子見でいた。
それが、ある人のツィッターをたどって、これなら気に入るかも、という講座を見つけた。
先日、第一回目に行って、目から鱗で、楽しくなってきた。
ライター仕事の中では、散文というか、ショートストーリーを書く機会も多々あったことを思い出した。
今では、新聞読んでも、ツィート見ても、テレビ見ても、ストーリーを思いつき放題で興奮状態になっている。それで、毎日もの凄く忙しくなってしまった。
レッスンして、ライブの練習して、曲書いて、小説書いている。楽しすぎて忙しすぎる。
お金を稼ぐ暇が無い。
おまけに来週、大好きなピアニスト、石井彰さんのレコーディングもある。
かすかに発狂していたら、大目に見てやって下さい。
歌い始めた時から、曲を作りたいとは考えていた。ところがなかなかできなかった。どうやって書けば良いか分からなかったのと、理想が高すぎたこと。ギターを弾いていた時期もあって、フォーク的な曲はかけるけれど、3コードじゃ嫌だ、とか生意気にも考えていた。ピアノを弾くようにして、コードの勉強もしたけれど、それでもやはり楽器奏者ではないので、なかなか難しい。
作詞の方ならいくらでもやっていた。頼まれた詞が収録されたことも多々ある。作詞の通信教育の講師をしていたこともある。けれど、自分が歌う詞となるとなかなか難しい。特に、自分の曲に乗せるとなると...。それはつまり、「自分らしいのか、本音なのか」と言う点が気になっていたからだろう。自分であることは、私にとってはとても難しいことだった。いつも、誰かの気に入るようにしなくてはならないと、どこかで決めていたのかも知れず。
それがこの頃やっと自分で良いのだよ、と吹っ切れるようになった。
格好が悪かろうが、稚拙であろうが、ダサかろうが、私らしいなら、それで良いのだ。
自分を認めるのにやや60年近くかかった。
大変だったよ。
でも、一応間に合った。
死ぬ前に、私らしくなれて、あと何年生きるか知らないけれど、一応、私らしく色々作って行けそうだ。
そういうことって、「絶対に私らしくなってやる」と決めないと実現しないんだな。
誰かの顔色観てばかりいないぞ、とか、誰かのためにばかりやらないぞ、と決めないと、結果が出ない。つまり、先に決めてしまわなくてはならない。
決めても、焦っていた訳ではない。
いつかそうなるのかなぁ、駄目でもまぁしかたないかなぁ、と暢気にしていた。
けれど、決めていた。
結果はどうあれ、私は私だ、と決めていた。
そして、少しずつ実現した。
今は、頑張ると言うより、気持ちよくそれらに対することができるようにコーディネイトしている感じ。
ふわっと、楽しんで、進化できればベストだな。
辛いことは辛いときだけ。
辛いことなど無いときは、ちゃんと忘れて。
優しい人、と表現されて悪い感情を持つことは少ない。
自分はいかがかというと、優しすぎるかも知れない。
けれど、優しいということの中身には、人によって異なる評価が隠れている。
私は、どの人に対しても、同じような大切な気持ちを持つけれど、それは初対面で判断しないようにするためで、つきあううちに自分なりの距離の取り方とか、踏み込み方を決めていく。
人によっては、私はお人好しのように見えるらしい。
マザー・テレサみたいだという人までいる。
昨日、婚外子の相続権についての裁判をニュースでやっていて、様々な意見が出されていた。
婚外子は同一の父親の財産なら、平等に相続権を得るべきだということ。
それに対して、「家」意識のあると無いとで大幅に意見の違いがあることがうかがえた。
私は、両親の間に生まれた実の子であるのだが、相続権を放棄した。
それは、兄と弟に養うべき家族が居て、私が相続するためには、彼らが住んでいる住居を売らなくてはならなかったからだ。
私は、持ち家がなかったけれど、それでも、彼らの家族のために放棄した。
けれど、それ以降に感謝はされていない。
私の配慮は当然のことで、特別なことではないと思ったようだ。
感謝されるどころか、ずいぶん誤解されて、嫌な思いまでしている。
とても人には言えないほどの。
けれど、それでも私は、権利を主張してぶんどるお金についてくる嫌なことの方を避けたいと思ってしまう。私に分け与える財産が無いではない。けれど、それを手元に置いていないと不安でいられないようだとは推察できる。
幸い、私には自分の身を養える仕事があり、子供たちも立派に自立し、健康であれば死ぬまで楽しく働いていられる気もしている。
今のところかぶらなくて良いストレスを、権利を主張することで発生させてしまうなら、貧乏な方がなんぼか良い。
その表面的な私のノンポリを見て、優しいという人がいる。
優しいのでは無く、見限っている。
彼らが私ほど強かったら、優しくはしなかった。
それは、ばかげた行為かも知れないけれど、私の中ではそのように落ち着いている。