kyokotada: 2012年9月アーカイブ

やっと秋になったので、バナーの絵を変えてみました。
本来は、黄色い実と枝葉の絵です。
バナーはいつもホーページ担当のウエダさんにトリミングと色調整をお願いしています。
すると、自分にとっては意外な美しさになるのでいつも仕上がりが楽しみです。
お楽しみ頂けると嬉しいです。

ひとつのことを熱心にやっていると、その中に何もかもが詰まっていることがわかってくる。
音楽をしていても、文章を書いていても、それらの中に、人間の持つたくさんのことが詰まっていて、それぞれにふさわしい形で現れてくる。

演奏も作曲も、その人を表していて、人間ってこんなにたくさんいるのに、ひとりも同じ人がいないのだと感心してしまう。
スポーツをする人も、どの選手も唯一無二で、それぞれが、数限りない要素の詰め合わせであるなあ、と感じ入る。

何かを語る時、世界を語るときと言い換えても良いけれど、「〜に例えると」とか、「〜で言えば」というものをもっている人は幸せだ。

「音楽で言えば、それはこういうことだな」
とか
「サッカーで言えば、それはこういうことなんじゃないの」
とか
「だんじりに例えるなら、これはこういうことだわな」
とか。

人生の色々、人間の色々をその中にたっぷり観られる何かを持っていることは、すごく良くて、それがあれば、互いを理解できる感じがする。

それを掴んだ人には、幸運だったねと喜んであげたい。
で、それがない人は、どうすればいいのか、私にはわからないけれど。

こういう話って、たまにぜんぜん通じない人もいたりするのよね。
どうしてだろう。
人生が惜しくないのかな。
落ち着いて、1回きりの人生を、何かのために捧げてみてくれよ、と強く思ったりするな...。

曲を作るには

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夜、蒲団にはいると音楽のことを考える。
そして、いきなりメロディーが浮かんでくる。
田舎の景色とか、昔の想い出を背景にして、色々な音楽が聞こえてくるのだ。
だから、蒲団の中で、i-phonのボイスメモに向かって歌えばよいと気づいた。

以前は、蒲団内作詞が気に入っていたけれど、次は蒲団内作曲が始まるかも知れない。

私には、新しいものを創り出す才能はないと思っていたけれど、もしかするとできるかも知れないよ。


今年で7回目かな、私と佐々木正則さんの合同誕生日祝いライブ。
佐々木さんはピアノを弾くとき、北正則になる。
結婚前、夫が仙台にいた頃に知り合っていたそうだ。フランスに行っていたり、日本中を旅してピアノを弾いていたり、不思議な人だ。その後、しばらく会わないでいるうちに整体協会の指導者になっていて、産後の体調の悪いときに随分世話になった。
整体の指導をしている間は、あまりピアノを弾いていなかったのに、私たち夫婦と再会してまたしばしば弾くようになった。シャンソンを教えているので、お弟子さんの伴奏などが多い。ある時、雑談中に誕生日が同じ日だということが分かり、しゃれで合同バースデー・ライブを始めた。最初は15人くらい入ればいっぱいになる程の店。ピアノもなくて、キーボードを弾いてもらった。次第に、お客さんが増えてきて、会場を広くしたりメンバーを増やしたり、そしてこの3年くらいは、吉祥寺のMANDA-LA2というお店で続けている。

ドラムの宮崎まさひろは、私と同じ年でかつてはスタジオミュージシャンのナンバーワンだった。それがある時、音楽を止めて農業を始めた。ちょうど私が育児休暇している間、同じように農業をしていたことになる。復帰して、しばらく夫の周辺のミュージシャンとセッションなどしていた。現在は、高中正義や斉藤ノブさんなどのバンドでレギュラーの他、色々な歌手の営業仕事も多い。
ギターの加藤崇之は、私の学生時代からの友達で、18歳からの付き合い。歌手に復帰したとき喜んで、普段は弾かないスタンダード仕事にも付き合ってくれている。ジャズ界では、フリージャズの第一人者だから、私のレパートリーを弾いてくれるライブは貴重かも。
サックスの松風鉱一さんは、昔ゴダイゴのレギュラーだった。彼は同じ国立居住の北さんと仲が良く、私同様、北さんに体調管理を任せている縁でいつも参加してくれる。

みんな筋金入のミュージシャンで、演奏が気持ちいい。
力が脱けていて、締まっていて、緊張感が有りつつ、ゆったりしている。
これは、毎日のように人前で演奏しないと培われないものだ。

このライブのように、毎年続けていることがあると、人生の移り変わりや蓄積についてとても明確なイメージが持てる。
演奏内容、それぞれのメンバーの実績、そして来て下さるお客様の顔ぶれ。
毎年、これまで積み重ねてきたことの諸相や実績を振り返る。
そして、そう捨てたものでもないな、と感じる。
毎日は少しずつでも、積み重なって、そしてそれらは消えることがない。
いつか、年を重ね、育っている。
それらを確認できる仕事をしていると思うと、そして、再会した人々が笑顔を向けてくれると本当に嬉しい。

ライブハウスの店長さんに、これ以上お客さんが増えたら会場変えないと、と冗談を言ったけれど、今のところはこのサイズがちょうど私たちに合っている気がする。
来年も予定しておいて、幸いにも生きていたら実行するね、と伝えてきた。
生きていたら、と言うのがそう不自然でない年齢でもある。
だから、大事に、丁寧に、また一年続けていく。

来て下さった皆さんありがとうございました。
また一年、精進してお目にかかります。
待っててね。
オペラの本を書く間、メトロポリタンオペラのライブビューイングの広報に大変お世話になった。素晴らしい写真をお借りして掲載している。
その関係で、東銀座の東劇で、ライブビューイングを見る機会を頂いた。
昨日は、「エンチャンテッド・アイランド(魅惑の島)」という、MET作のオペラ。バロックの、ヘンデル、ヴィヴァルディ、ラモーの名曲からアリアを選び、シェークスピアの「テンペスト」と「真夏の夜の夢」のストーリーを下敷きに新たに台本を書き起こすという贅沢な手法。
既存の曲あるいは部分を組み合わせて制作するオペラは、パスティーシュ(パスティッチョ)と呼ばれて、旅回りの小さい歌劇団などが良く行っていた。

この作品、確かに舞台美術も音楽も歌手も素晴らしい。
薄いスクリーンにホログラフや映像を駆使した効果は幻想的で美しく、3時間ほどの舞台を飽きずに観ながら、終盤に差しかかって「あらあら」と笑いたくなった。

本来、オペラの筋書きは、身も蓋もないのが身上だ。
現代の社会性や価値観から大きく離れているので、最初はその点にビックリすることが多い。
「あら、この人殺しちゃうの」とか「何で悪者が生きのびる訳よ」とか、多くは割り切れない思いのままストーリーを消化しなくてはならない。
しかし、次第にそれに馴れてくると、各時代に固有の「ドラマツルギー」というものに興味が湧き、時代ごとの人間観、人生観、社会観、背景について考えたり、調べたりする楽しみができる。
その上での「魅惑の島」。
終盤に差しかかると、いきなり、反省、改悛、謝罪、和解という、大作ハリウッド映画のような安い展開になってしまった。
アメリカ人は総立ちのスタンディングオベイション。
でもこれだと、ヨーロッパなら絶対ブーイングだな。

オペラの見始めの頃は、勧善懲悪や予定調和でないことに対する違和感こそ、私が毒されている「めでたしめでたし」文化の弊害であることを理解し、「純粋なドラマ」というものに対する認識を懸命に更新し続けてきたのだ。それが、今更のように大作ハリウッド映画もこれほどではない、と感じさせるようなオペラを観て、あららどうしようかと思った。
結論としては、「20世紀のアメリカ文化のメインストリーム典型を表すオペラ」と考え、これこそ、今後も続くオペラの歴史の中では重要な作品である、ということにするが、それにしてもああ、びっくりした。

勧善懲悪とか、めでたしエンディングにがっかりするというのは、かつてと真逆な反応。とすれば慣れとは恐ろしい。
自分としては、成長と思っていたが、もしかするとただのひねくれ、またはデカダンに毒されたのかも知れず...。
ちょっと考えないとな、と混乱の本日ではある。
TwitterとFacebookとブログをやっている。ホームページもある。Twitterは、個人のアカウントとその後ボーカルの勉強会のものを作り、会社のレーベル情報を流すものもある。
仕事の多くについては、今でもメールを使っている。そのアカウントも、プラべートと会社の個人のと会社全体インフォのとが有る。
かなり何が何だかわからなくなってしまう。

私は、色々な仕事をしているために、仕事先の方たちの種類も様々で、そのために各種の通信機器が必要だ。
ミュージシャンの中には、ずーっと外で演奏活動をしているためにパソコンを使わない人も結構いる。この場合、ひたすら携帯電話である。
歌の生徒には高齢の方もいるため、携帯辛うじて、時には家電とFAX。
この方たちはレッスンの時も未だに記録にカセットテープを使っている。
レッスン申込も、会社の受付に電話してくる人と、頼み事もあったりして私の携帯に直接かけてくる人、携帯のメールの人、パソコンのメールの人とがいる。

プライベートと公的な顔というものが、かつては別個にあった。
それは通信機器のお陰で、固定電話という存在はその電話機がある場所こそが仕事場であったのだ。
だから当然、家の電話はプライベート用である。

私も夫もフリーランスなので、かつて仕事には家の電話を使っていた。
なので、こどもが小さいときは電話に出させなかった。
いつか、大きなプロダクションのマネージャーさんを呼び捨てにして「ははは」と笑ったことがあった。苗字がおかしかったのだという。
女性である私の場合、子どもがいるというだけで発注をためらう人もいたため、子どもはいないような振りまでした。
つまり、フリーランスだと家庭という場で仕事をしていても通信機器だけは公的に扱わなくてはならなかったのだ。

その考え方がどこかに残っていて、Twitterで呟くときにも、はたと考えてしまうのだ。「今、私はどの立場で呟こうとしているのか」
生徒にとっては先生、レーベルのミュージシャンたちにとってはオフィスの代表、ミュージシャン仲間にとっては歌手、出版社にとっては執筆者、税務署にとっては社長。
これに、近所の主婦やら学生時代の同級生やらが混じる。一体何だか、私の立場は複雑なことになっている。

それでTwitterをFacebookに連動させるのを止めた。
それは各々で別の顔でいる方が便利と気づいたからだ。
フォロワーと友達は全然別のグループを成している。

なので私は、Web上では細かく分断されたモザイクの寄せ集め的人格という状況になっている。それでますます、それぞれに対応するたびに「いいのだろうか、こんなんで」と考えることになっている。

この事態は私に特有のものだろうか。
ちょっと考えてみなくては。


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