kyokotada: 2012年10月アーカイブ

オペラの本

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10月10日に、拙著『新オペラ鑑賞事典』が実業之日本社から発刊になりました。
パチパチパチ。
本日夜は、出版社の方と打ち上げを致します。
この本は、10年前に一度『オペラ鑑賞事典』として発刊されたものに加筆訂正をした改訂版です。二段組み400ページあります。定価2200円。実業之日本社です。

最初にこの本を書いていた時期は、じつに私の人生で一番つらかった頃でした。子供が3人育ち盛り、夫鬱病なのか働かず(今でもその時期については謎が残ったまま)、私は一人で必死に生きていました。
パート仕事などではとても追いつかない貧乏でしたから、少しでもまとまったお金の入る仕事をしようとしていたのでした。
それで、知り合った出版社の社長に頼まれて書いたのが最初の『オペラ鑑賞事典』。週刊誌やムックなどスパンの短い仕事の合間に書き継いで、3年かかりました。途中で編集者が3人代わり、その度に字数調整をさせられたり、まったく、こんな割に合わないことしてどうするんだろ、と思いつつ。
でも、やはり、音楽が好きだったんですな。
クラシックの本書くときも、オペラの本書くときも、どっぷり聴いて浸って、調べまくって、とても充実していました。
私などがこんな、事典なんてものの著者になっていいのだろうか、と思いつつもついに発刊までこぎ着け、その後はこれを機会にした仕事も舞い込みました。
この頃から音楽書専門のライターになり、やがて歌手に復帰したのです。

その本を改訂版で出したいとオファーをいただきました。
昨年末でした。
年明けに病気になって、失明しそうになったので、諦めようかとも思いました。
でも何とか無事に回復し、ゆっくり仕事をさせていただいて発刊にこぎ着けました。
感謝しかありません。

もし、この本を読みたいと思われる方、まだ手元に献本用のがございますので、お送り先を添えて申し込んでください。
早い者勝ちでなくなり次第終了ですが...。
お待ちしています。

少し回復

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うつろな感じが少し減じて、現実感が回復してきた。
もしかして地震がくるのかな、とちょっと心配していた。
前方が霞んで、無いかのように感じられていたのだ。
だから地震でないのなら、自分が倒れるとか。

もう少し若いときには、近い将来のことがとてもクリアに計画できて、結果に至る道筋なども明確に描くことができた。
最近、それが薄い。
年齢のせいもあるし、体力が落ちたせいなのかもしれない。
若い頃に考えられていた計画は、今となってみるとやりこなす体力を前提としていたことに気づく。今、かつてと同様の計画を考えても、体力や気力がそこまで保たないと分かる。

その、衰えた結果の体力や気力の量に、まだ自分が慣れていないのかも知れない。
かも知れない、と書いてみて、いやいや、それともちょっと違っていたな、と分かる。

空しい、虚しい感じは、ずいぶん多くの淋しさを含んでいた。
哀しい気分でもあった。
孤独というよりは、悼む感じ...と言うか...。

その時、期せずして何かの深淵を感じてしまっていたのかも知れない。
何か、とは人生とか人とか命とかなのだろう。

私は自分にあまり意味を持たせたくない。
人生にも意味や意義を持たせたくない。
いるようないないような存在で、ふと気づくといなくなっていた、というようなあり方が好ましい。
どうしてだろう。
また考えなくちゃ。

変な感じだぞ

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これまでの人生で経験したことのない変な感じだ。
一言でいえば、うつろな感じ。
何やっても、あちらが透けて見えているような。
これ、なんだろう。
以前、眠れない日に起き出してテレビをつけたら、全英女子オープンゴルフをやっていた。
日本の選手が健闘していて、それを評してアナウンサーが「彼女はアメリカでメンタルトレーナーについていますから」というようにコメントをした。
私は大学時代から継続してセラピーというか、心理学とか精神医学の勉強を続けているので、メンタルトレーナーの友達もいる。
それで、メンタルトレーナーがどういう指導をしているのか薄々わかる。
何でもよい方向に考える時間を持つ、ということだ。
毎日全部の時間を楽観で過ごすと、ちょっと危ない。
それは危機管理ができないということだから。いわゆる能天気とか、ただの軽薄のたぐいになってしまう。

プラス思考という言葉が流行っていて、悪いことは考えないことだと勘違いされているが、本来のプラス思考とは、すべてを見通した結果、今ある危機に関する対処能力が備わっていることを確認する、確信する、という意味なのだ。
ゴルフでいえば、練習でちゃんとこなしてきた悪条件を、試合だからといって失敗しかねないと思い込む、その感情を正当な道に戻しましょう、というのがメンタルトレーニング。
実生活でも、いつもなら難なくできることが、大勢を前にしたり、ここぞというときに限って力みすぎたり、考えすぎて失敗することがある。これは予期不安といって、失敗することを恐れるあまりにすくみ上がって、通常の力が発揮できない状態に陥ること。
けれど、予期不安がない場合でも、大丈夫と思って始めたらこけることがある。
こちらは、予測の不当性だ。

歌の指導をしていて「人前で上がらないで歌う方法」を訊ねられることがある。
これは難しい。慣れていても突然上がることもある。
逆に上がらないのでぼんやり歌って失敗することもある。
私は歌う前に少し緊張するが、歌っているときは楽しく、歌い終わるとその緊張が興奮になって残っている。やはり、いつもの集中とは別のテンションになっているのだ。
ただし、そのテンションがないとちゃんと歌えない感じだ。

その感じを蓄積していくと、自分にはこの程度ならこなす能力がある、という体験が内在化される。そこまでくるとよほどのことがない限り、滅多に失敗しない。
センシティブだと、少しの狂いで失敗するけれど、そのリスクはとらないと。環境の取り入れ、つまり観とりや聴き取りができていないという態度に陥ってしまう。

そこで、プラス思考だが、これもかなりの訓練をする。
まずは、リスクをとらなくてはならない現実があり、それに対して意想外の失敗をした経験があり、それを悔しいと思っている、という前提が必要だ。
ここまで勝負をかけない人生なら、トレーニングしても、あまり意味はない。
必要のない対象に高度なトレーニングは体や心を壊すもと。そもそも必然がない。

メンタルトレーニングや、高度なレッスンは高額だが、それにも意味があり、それをする以外に自分が成長する、あるいはスランプを脱出する場がないと確信した人には、決して高いものではなくなるのだ。
その必然のある人々は希少だし、トレーナーも大変な集中力を使うから、どうしても高額になる。
受ける側の人も、高額だからこそ真剣に取り組む。
人は正直なものだ。

プラス思考を取り入れるのは大切。
とくに、リスクをとる人たちの正しい判断のために。
けれどそれはただ、青い空がきれいだなぁ、という心持ちとはだいぶ違っている。
プラス思考の底部には、反転すると大失敗となる、あらゆる可能性が横たわっている。
意に反してそれらの、あらゆる失敗が起きてなお、そこからプラスを取り出す自信が、正しいプラス思考だと言ってもいい。

パソコンが...。

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カスタマイズし、膨大なファイルをストックしていたパソコンが動かなくなり、初期化してみました。生まれ変わった心境ですが、色々なソフトが死んでおります。新しいMac.にするか、もうこの辺りでできる範囲のことで済ますか考慮中。

現在のFBとかTwitterは、古い機種では負荷がかかるのだろうか。
使いはじめから、5代目か6代目になるMac.mini。場所をとらないのでとても気に入っておりますが、もう5年以上使っているから諦め時なのかな。

悩む。
いつも無くなる物がある。
それは五線紙。
私の場合、自分のレパートリー譜が、普通の使用向きとユニットごとのものとに分かれているので整理がとても大変。しかも、生徒にあげちゃったりすると、使おうとしたときに1枚も残ってなかったりする。
思い過ごしかも知れないが、その曲を歌おうとするときに限って当の楽譜が見当たらない。
それで、デジタル、私の場合はシベリウスで作ってある場合はもう一度プリントアウトするが、本当にない場合は仕方がないので急いで書く。
その時、いっつも五線紙がない。
フリーの素材をダウンロードして、それをプリントアウトし、いつもストックしてあるはずなのに、さぁ楽譜書くぞ、と思うと無い。
五線紙を探すこと数分、諦めてまた新たにプリントアウトしてコピーする。
やれやれと楽譜を書く。
しばらくすると、五線紙のファイルが出てくる。
なんで隠れてんのよ、と怒る。
しかし、探し方が雑だったのだと自分を叱るしかない。
いつもそうなので、『ここに置いたことを覚えておこう』と自分に言い聞かせている。
それでも忘れる。
そういう物が、他にもある感じがしている。
使おうとすると無い。
焦って調達すると出てくる。
これは、私の問題なのだろうか。
それとも、物たちには何か思惑があるのだろうか。

たまにそれがお金だったりもする。

何だって素敵さ

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ジャズとひとことで言ったって、ものすごく色々な種類がある。
歴史を辿ると、変化してきた音楽スタイルが多様にあって、現在生きる人々は、それらの中から好みの物を選り分け、吸い取り、アレンジして、自分の好みを確立する。
聴く立場なら、「今日の気分」で差し支えないが、演奏するとなるとそうはいかない。自分の嗜好や志向や思考と徹底的に向き合わねばならない。自分が何に対して特別な反応を見せるか、そして、何に対して特別な快感を覚えるか、さらに、自分の演奏技術ならば、それらのセレクトに対してどのようにアプローチするのがベストなのか。

それで、一回毎のライブに、「これだ」という物を注ぎ込むわけだが、それでも隣の芝生が気になる。隣でフリーをしていたり、インプロをしていたりすると、私の場合、なぜかちょっと負けてる気持ちになる。この劣等コンプレックスは多分、のびのび育てなかったことに対する忸怩たる思いに違いない。
いつも理屈とか正当性を要求される環境にあって、理論武装ばかり育ってしまったから、例えば他人の目で自分を見ても好きじゃないだろうなぁ、と思ったりしていた。

時には、私は私なんだからこれで良いのよ、と思うが、それでもインプロとロックとかの人々が、我を忘れて自分全部出し的に稼働しているのを見ると、羨ましいな、と思ってしまう。でもやってみたくても、自分にはぜんぜん似合わないことだ。

では、自分全部出しを見ていて必ず楽しいかとというと、それもちょっと全面的肯定はしかねる。ちょっと恥ずかしいことが多い。なので、フリーとかインプロで感心させてくれる人は大尊敬してしまう。ただし、そのように育てて貰って良かったね、とも感じる。

歌でいえば、ビリー・ホリディとかチェット・ベイカーなどは、参考にできない人々だ。彼らのように歌おうとしてはいけない。いつの間にか、知らず知らず、彼らの感じが少し醸し出せたというなら良い。でも、真似てはいけない。なぜなら果実は天から頂くものなのだから。

沢山の生徒さんを教えていて、あるいは様々なプレイヤーと共演し、レコーディングしてみて、結論は「何だって素敵さ」なのだ。どんな演奏にも人生が詰まっている。悩みも怖れも哀しみも、意欲も傲慢も自信も、何だって詰まっている。そしてポジティブだけでは音楽は成り立たない。人にある全てが必要なのだ。

色々あっても、演奏している人たちは何やったって、何だって素敵さ。
そして音楽でコミュニケーションするのはもっと素敵なのよ。
NHKで永山則夫の精神鑑定テープに基づくドキュメンタリーを見た。
連続殺人犯で死刑になった人。
北海道の知床からはじまる彼の生い立ちと、その母親の生い立ち。
家庭環境による外傷性の精神障害、後にPTSDと呼ばれる状態に至る概念が発想されていた。

樺太で親に捨てられた母親は、生きるために飲んだくれのばくち打ちと結婚して子供をたくさん産む。しかし、父親は失踪し、困り果てた母親は次に自分の子どもたちを捨てる。
その捨て方が悲しい。働ける子は連れて行き、末っ子の永山を含む幼い子たちは置き去り。
誰かの援助で家族は再会するが、永山は父親に似ていたためか、母親に忌み嫌われて兄弟からも虐待される。そして姉妹はみな精神病。

何をしても不安で、被害妄想と、それが引き寄せる虐待にまみれた生涯。
中で語られていたように、救われそうな時に限って、取り返しようのない事件が起き、その度に人生や人を信じられなくなるような扱いを受け続ける。

生まれが北海道であることから、語り口がとてもよく解った。
そして、私の家にも幼い頃、樺太からの引き揚げ者や文盲の使用人が居たのを思い出す。
私の生まれるつい10年前まで戦争だったし、遡って、祖父母の時代は貧しい家の娘は売り買いされ、間引きされた時代だった。

現在の都会の家族のスタイルは、じつは大変恵まれた時代の、一時的な安定の上に成り立っているものだ。
子どもの頃、周囲の家々の、戦争や病気などで壊れてしまった家庭を垣間見て、底知れなく不安を掻き立てられたことを思い出す。
なぜ、このような悲劇が起きているのだろうかと訝り、そして自分がその境遇でなく、学友がその境遇に晒されている、その差は何なのだろうかと考えたりした。
母親が結核で死に、弟妹が沢山いて、父親は酒乱。
兄弟の中のひとりである同級生は学校に来ていたけれど字が読めなかった。

いつも私におやつを作ってくれたまかない係のおばさんは、樺太からの引き揚げ者で、樺太には土人が居たなどと言う。私には、不思議な話だった。けれど、私の生まれる少し前まで、現地の人々は日本人に土人と呼ばれていたのだった。

家から少し山の方面に入った未開拓の村には、そういった引き上げの農家がたくさんあり、土間と板張りの一間だけの家も見た。
けれど最近、その辺りを取材したグルメ番組では、素晴らしい野菜を作る農家が紹介されていたので、改めて時の推移を感じたのだ。

樺太や満州が日本だった頃から終戦後の一時まで、私の田舎は賑わっていた。何しろ人が沢山いたし、魚もいっぱい獲れた。祖父母は鰊漁の話を良くしてくれた。
今は、かなり過疎に近いらしい。

社会は、時代によって様々な顔つきになる。
自分の生きてきた道のりを辿るだけで、世界がどれほど休む間もなく動いているか、分かってくる。
人はいつも恵まれているわけではない。
社会はいつも合理的に成り立っているものでもない。
そして、常識的に暮らす人が大多数だというわけでもない。
つい、正しいものとして、あるいは正しくあるべき物として見たくなる現実は、じつは動き続ける巨大なカオスなのだ。
八代亜紀がジャズアルバムを出して話題になっている。
松田聖子もジャズを歌うそうだ。
ここに来て、演歌界の歌手たち、実力発揮せんと様々なチャレンジに及んでいる。
切っかけは、坂本冬美が歌ってヒットした、ビリーバンバンの「また君に恋してる」あたりかな。そして今年に入って由紀さおりの洋楽カバーアルバムの大ヒット。

私の生徒さんには、カラオケファンも数人いて、カラオケの審査会とか大会に出ている。プライベート盤を出しているセミプロもいる。
カラオケの大会には、1回のイベントに数百人が集まる人気。ただし、高齢の方ばかり。
演歌の興業は、このカラオケを自分で歌う、というイベントにお客を取られてチケットがさばけないそうだ。
プロの歌手を見たい人たちは、NHKの無料の公開録画の常連になっている。

そこで、若いファンを取り込もうとしての洋楽やJ-popへの進出が始まった。
天童よしみも、赤坂ブリッツでロックコンサートをやったくらいだ。
歌唱力はあるから何でも歌える、という計算。NHKのSongsという、ひとりの歌手を採り上げての企画でも、必ずオリジナル以外の洋楽を歌わせている。

そこで、長年洋楽をやってきた側から言うと、名を成している歌手の歌は聴けなくはない。けれど、やはり日本語のアクセントだし、ビートだ。
私としては、日本人なりの感性で歌おうとはするけれど、一応英語の歌を歌うからには、またはポルトガル語の歌詞を歌うからには、事細かにその言語のリズム感を勉強してきている。
ジャズのスゥイングなどは、相当長い時間をかけないと身につかない。
だから、彼ら彼女らの歌はやはり付け焼き刃の感が否めない。

では、八代亜紀や秋元順子がジャズを歌うのが嫌かというとそんなことはない。
ジャズといって、即興までには至らず、スタンダードをそのままなぞるだけかも知れないが、それでも、売れている歌手がジャズを歌って話題になってくれるのは有り難い。
スタンダードを耳にしてくれる人が、増えてくれるのは有り難い。
実際、そういうアルバムを聴いて、ジャズに挑戦したいと考える人もいるからだ。

じつは、洋楽の奥は深く、かなりのバリエーションがある。
アメリカのみならず、イギリスのケルト系、ブラジルのボサ、サンバ系、シャンソン系、タンゴ系。
アメリカには、ジャズ、ロック、ソウル、カントリー、ミュージカルを筆頭に多種類のポピュラー音楽がある。
それらを色々勉強している。
おまけにクラシックも。
おまけに日本の歌謡曲、演歌も。
その挙げ句のジャズなので、ひとつの曲に対する取り組みはなかなか奥深くなる。

日本の音楽受容の様子を見ると、カラオケファンが審査会や大会にお金を注ぎ込むように、今では、ロックやジャズのファンも楽器やセッションにお金を注ぎ込むようになってきた。
以前、ジャズというと、海外の著名な演奏家のライブやコンサートに大枚を払い、あたかも拝むように聴き、重箱の隅的知識を集めて蘊蓄を垂れるなど、ただひたすらに有り難がるのが享受の主な内容だったが、さすがにその辺りは卒業し、自分たちの手でその音楽を楽しもう、という時代に入ってきた。

願わくば、趣味で演奏する、あるいは聴くにしても、ジャズくらい難しくないと面白くない、と感じる人々がもっと増えて、ジャズ人口が増え、聴き手の裾野が広くなって、活気が出てくれると嬉しい。
部活で、吹奏楽やマーチングバンドを経験した若者が、次々現場に登場してきている。
ようやく、背広おやじの蘊蓄のためのジャズが終わりそうな気配かも。
だから、ジャズの未来がちょっと楽しみなのだ。
嫌いな人には会わない。
嫌いというか、自分に害になる人。

会わないためには、すごく頑張らないとならない。
会社の人とか家族とか、会うのが当然だと決められている人たちとは尚更。

でも、自分に害になると解ったら、会わない工夫をした方が良い。
色々な文学を読んだり、先達に相談したり、自立したり。

会わなくなって、いつの間にか心の毒が薄れ、自分ではっきり健康になったと分かってくるまで、頑張った方が良い。
そうでなくても、嫌いな人が思い当たらないような人生だったとしても、生きていくのは大変なんだよ。

人生の前半でたくさん色々な人たちに会って、好きな人と嫌いな人がいると解ったら、できるだけ好きな人たちとだけ居るようにした方が良い。
人生は、我慢していてもどんどん過ぎていくから。
もったいない、もったいない。
私を「強い人だ」言う人たちがいる。
田舎から出てきて、家族のヘルプもなく子ども3人も生み育て、バンドの夫の分まで働いて会社まで作った。それで「強い人」なんだって。
そういうことを簡単に言う人にとっては、生まれつき「強い人」と「弱い人」が存在するらしい。

でも、私は強くない。
少なくとも、これまで生きてきて、私以上に正しい人、鈍感な人、ちゃっかりしてる人たちをたくさん見てきた。自分の残酷さに気づかないで、自分を善い人だと思い込んでいる気楽な人物もたくさん見てきた。
私からすると、そいう人たちの方がずっと強かった。
理屈も何もなく、自分を優先できる人たちだ。

私は強いのでなく、責任感がありすぎるのと、幸運にも体力が保ったということだ。
責任感は子どもたちのため。
私の怠惰で子どもたちの人生を損なってはならない、と強く考えた。
そのためには家庭生活は大切だった。
食事とか、健康管理とか、対人関係を育てることは大切だった。
最低限、死なない程度の収入も必要だった。
それを、体力気力の続く限り、ひとりで、必死で続けてきただけだ。
強いのではなく、とても大きい怖れがあった。
私の肩に、子どもたちが載っかっていた。
それは、誰にも頼めないことだった。
頼んでも良いと思える人が見当たらなかった。
だから、倒れないように用心しながら、懸命にここまで来た。
それは強いからではなくて、子どもたちに責任を感じていたからだ。
愛している、とも違う。
子どもたちが独立したら、淋しくなるかと思ったら、それよりもホットしたし大いに解放感もあるから、愛しているにしても愛着とは違う。
子どもたちは、生き抜く同志みたいな存在で、末の息子だけがちょっと甘ちゃんな子どもって感じ。

そうやって生きてきて、生活保護とか、公的援助とかの問題を見る。
社会保証は必要なものだ。
健康を損なって働くことができない人は保護されてしかるべきだ。
けれど、強い人たちというものは、自分の都合や立場を捏造して、罪悪感も無しに不正受給できてしまう。本当に弱い人たちは、申請することすら躊躇う。弱いというのはそういうことなのだ。社会的弱者のための制度を作れば、自分を弱者だと簡単に決めてしまえる強い人たちが、それらを利用する。

強い人は、弱い人を搾取し、弱い人はやられっぱなしだ。
心の平和とか、正義とか、謙虚とか、良さそうな言葉に閉じこめられたまま、ずっと搾取され続ける。
でも、どちらの肩を持つか、と言われたら、わたしは狡くても強い人の肩を持つかも知れない。弱い人たちは、狡くて強い人たちに仕方なくぶら下がったりする。強い人たちは仕方なく、たまには清潔を気取る弱い人たちに取り分を分けてやる。
どちらも互いが嫌いだけど仕方なくというのが可笑しくて哀しい。

社会保障の例は極端だけれど、仕事も同様に、心を鬼にしてはっきり物を言ったり、叱ったり、主張したりしなくてはならない時がある。
意地悪とか難癖ではなくて、実務のために嫌われるようなことを言わなくてはならない。
そういう姿を見て、非難したり、ちゃかしたり、揶揄したりする「弱い人たち」もいる。

人は悲しいな、と思う。
ひとりずつの心の中を見ると、結構悲しくて情けない。
強そうな人も弱そうな人も、角度を変えると別の顔が見える。

でも、それで社会のバランスが取れているのだろう。
強がりの淋しさと、弱そうな甘えんぼ。
人はいつもちょっと悲しくてかっこ悪い。
そんなことしなきゃいいのに、ってことばかりする。

それを忘れないでいたい。
人を単純化しないで、あなたも私も一筋縄ではいかないわよねと、情けなく笑い合いながら、しっとりと生きていたい。

この間、友達と「居心地の良いカフェ作りたいね」と話した。
飲み屋でもなく、食堂でも、喫茶店でもなく、いつも良い音楽がかかっていて、美味しいコーヒーや紅茶とちょっとした軽食があって。

私が時々ライブをやる国立の無伴奏が近いかな。
時には静かめのライブもできて、ボーカルセッションぐらいできて。

私と友達はふたりとも料理が好きだし、人が好き、そして音楽が大好きなので、お一人様でも、カウンターでお喋りでも、どちらでも楽しめるたまり場みたいな店が欲しいよね、と話した。

お店をやるってどんな感じかな。
ものすごく体力いるかな。
無伴奏はアルバイトもいなくてママさんひとりでやっている。
ということは、無理しなければ私たちにもできるのかな。
ちょっと興味がわき始めている。

今日の心持ち

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私はどうやって仕事を覚えたんだろう。
ふと、振り返るとよく解らない。
一度も会社に勤めたことがない。
結婚前は歌手で、結婚後は子育てしながら自宅でライターした。
ライター仕事が発展して、編プロや出版社にも出向くようになった。
それから歌手に復帰して教室を始め、ジャズレーベルを作り...。

高速でワープロを打っていて、あるいはピアノで歌伴しながらレッスンをしていて、ふと「いつの間にこれができるようになっていたのか」と感じ入る。
じつにいつの間にか、でしかない。
毎日たくさん仕事をするけれど、やらされ感はなく、体力的にきつかったりはするけれど、徒労感もない。
色々な人たちと出会って楽しいし、刺激もある。

いつどうやって仕事を覚えたのだろうか。
編プロでも、教室でも、上司はいなかった。
仕事を振られたときは、はじめから「取材行ってきてくれ」とか「企画書いてくれ」とか「一冊書いてくれ」とかだった。
歌の仕事はもっと早く始まっていたけれど、デビューしていきなり週1回のレギュラーになり、それが4本くらいあって、他にユニットを3つくらいかけ持ちしていた。
電車の中ではいつも歌を覚えるためにウォークマンを聴いていた気もするが、良く憶えていない。本当に、子育てが挟まったためか、色々良く憶えていないのだ。けれど、たくさん仕事をしている。たくさんしていると思うだけで、現在に至るその過程やひどいことに現在までもが、自分でよく解らない。

説明するときには、整理して色々教えてあげられるが、自分の身体の中や頭や心の中には混沌とした膨大なものがみっしり静かに潜在しているだけで、自分がどうやって色々なことをこなしているのか、本当によく解らない。

例えて言えば、私は色々な食材が入っている冷蔵庫やストッカーみたいなもので、作りたいものがはっきりすればそこから材料を取り出して、ぱぱっと料理する感じだろうか。
時々、今のストッカーの在庫状況で良いのか、とか、このストッカーで良いのか、とかはぼんやり考える。けれど、よくビジネス書なんかにあるような、「きれいに整理しました」「明確にコンセプト出しました」という感じでは絶対にない。
また時には、これまで作ったことのないものを想像してみようとも思う。そして、美術館とかに行って天才の作品を見て感心し、しかし、私は凡人範囲でいた方が良いようだ、と判断したりする。

歌なんかは、歌い出すその時まで、自分がどんな声でどう歌うか忘れている。歌い出すと、あ、これね、結構いけてるかも、と思ったりする。
こういう感じでいるので、日頃はとても緩い。
ほとんど、ボーッとして、お腹が空いてるな、とか何か飲みたいな、とかしか考えない。
素晴らしい。
まるで、天気の良い秋の日の空のようではないか。
仕事が色々なので、それぞれは少しずつな感じなのだが、まとまると結構な量になっている。ちまちまとたくさんの料理が入っている弁当のようだ。
それで、日々色々めまぐるしい。

レコーディングは、これまで2枚のアルバムを出している金澤英明トリオ、通称「ボーイズ・トリオ」。3枚目を来年2月末に出そうということで、9/20と21に録ってみた。いつもながら挑戦的なので、完全にはまとまらず明日また追加で1日録音する。
このトリオは、日野皓正グループの石井彰のピアノと芸大打楽器科2年生の石若駿が参加している。駿君は、去年アニメ「坂道のアポロン」で、ドラムの演奏の吹き替え録音をし、ややメジャーになっている。学校の行事もあって日々忙しいので、夏休みは寝る間もなく飛び回っている。 
石井彰も、日野さん以外にたくさんのユニットに参加していて、なかなか空いた日がない。ために、録音日は、旅帰りの人々を待って、しかも近場に泊まるという強行スケジュールだった。

先週は、今年の6月にレコーディングした多田誠司the MOST、結成12年目のユニットのリリースライブがあった。多田さんは私と同じ苗字なので、色々とややこしい。「多田さん」と呼ばれると二人が「はーい」と返事してしまう。
あっちの多田さんは四国は香川県の出身。
私の方は岩手県花巻市出身の夫の苗字だ。
そういえば、古い友達は、私のことを未だに旧姓で呼ぶので、芸名をそっちに戻そうかと思うこともある。
内海という苗字はジャズ界では見ない。永ちゃんのキャロルか読売巨人軍だね(話脱線)。
目黒のブルース・アレイ・ジャパンで行われたリリースライブでは、本来アルト・サックス奏者である多田誠司さんのフルートの素晴らしさが際立った。とてもとても勉強熱心、練習熱心なプレイヤーなのです。
そして、日本一忙しいドラマー、大阪昌彦さんは新しいドラムセットになっていて、深みのある音。そして日頃よりさらにその日の8ビート、素晴らしかった。

週末は、成蹊大のMJGの0Bでライブのリハーサルをした。30分くらいしか参加できなかったが、みんなハイセンスで素敵なアンサンブル。52歳が5人、50歳がひとり。日本のジャズ界って裾野が広がっている、とかなりわくわくした。

その後新国立劇場に駆けていって、新シーズンのオープニング、ブリテンの「ピーター・グライムズ」ゲネプロの取材。ブリテンは音楽が素晴らしい。近景と遠景の音楽がひとつのオーケストラの中で別々に鳴り始め時は、鳥肌が立った。
そして、歌手にとってはかなり大変なことがふたつ。
ひとつは、ア・カペラ状態でのデュエットやソロがかなり長くあること。
デュエットの方は、オケが出たとき1/3音くらいずれてたかな。歌手は心臓が縮みそう。
ソロの方は完璧だった。
主役級の二人は素晴らしい声で、オケとの難しい和声を的確にこなしている。

ふたつめは舞台の装置。
手前から奥にかけてかなりの傾斜でせり上がっている。この角度で、難なく動くのが大変そうだ。足腰への負担は相当ではないか。発声にはそれほど影響があるようには思えなかったが、椅子が倒れたのを目撃。舞台に立つと、客席で見る以上の危険度かも。
従って、プロンプターは、オケの後ろ、客席側に豆電をつけて陣取っていた。

インテルメッツォの部分は、オケ的に難しい拍子なのか、音楽構成が解らなくなった。私が未熟か、オケが大変か。

ゲネプロから手直し続けて本番中に様々な部分のクオリティが上がっていく。
それを見たくてもう一度行きたくなるのである。
今年は、開場15周年で「アイーダ」もある。とても楽しみ。

これらの合間にたくさんのレッスン。
10月20日には生徒発表会がある。
そして最近、人生の大先輩に当たる生徒さんたちから、ご自分の人生の証として本格的レコーディングで声を残しておきたいという希望がたくさんある。そのレコーデイングが10月は3本ほど。
オケは通信のカラオケなのだが、充分に歌手の気分が味わえる。

かように、10月はまたさらに忙しいみたいです。
身体の調子を見ながら、無理せず頑張る所存。
あ、10/13土曜日は、午後、国分寺でライブです。
28日は14時から恒例の、Jazz Vocal Cafe@Studio-TLive。
色々よろしくお願いします。





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