kyokotada: 2012年8月アーカイブ

ジャズピアニストの大西順子さんが、この秋いっぱいで演奏活動から引退するという。Twitterやweb上に色々な感想が流れてくる。

はじめにこの情報を知ったとき、まず大変そうだな、と思った。
大西さんはテレビでしか見たことがないけれど、ニューヨークに行った女性ピアニストってこんなに頑張らないとならんのだな、と感じたのを思い出す。
ニューヨークで活動しているピアニストは男女問わず、プレイスタイルが頑張る方向だ。

つまり、レイドバックした、いわゆるご機嫌なジャズというスタイルは、すでにしっかり本場の方々によって場所を塞がれており、さらに、先鋭的な部分も、アカデミックなバックグラウンドの方々によって席を埋められており、日本のプレイヤーに求められるスタイルは、「頑張る」しかないのかも知れない。

それとは別に、プレイヤーであることと、露出すること、何のために演奏をするのか、という個人的問題がある。
ミュージシャンの中には、毎日プレイしていても飽きない人と、あまり人前で演奏するのが好きでないタイプとがある。
私自身が後のタイプなので、すごく良く解る。
若い頃、有名なミュージシャンのバンドに入れていただき、ディナーショーのポスター作るから写真撮ってきてといわれてビビって辞めた。
今で言う、アーティスト写真を撮る、という行為が嫌でたまらなかったのだ。
写真撮るくらいなら、バンド辞める、という選択。

けれど、音楽は大好きで、ジャンルを問わずものすごく研究する。
音楽は私にとって研究対象なのかも知れない。
そこも大西さんに共感できる。

若い頃、毎日のようにライブしていて、ミュージシャンの皆さんも大好きだった。けれど、それだけだと足りない気がした。
自分にはその場の空気とは別の側面があって、毎日演奏する生活では、そっちの部分が満足されない、と感じた。それで、売れていたのに歌を止めて20年間全く別のことをしていた。その間、歌いたくて死にそう、などと思ったことはなかった。
復帰して歌を再開してみて、歌うことに対する別の楽しみが生まれて来ているけれど、それでも、たまにライブするくらいが私にはちょうど良い。
他の時間は、それこそ音楽の研究とか、レッスンとか、ミュージシャンの皆さんのバックアップとかをしている。
それは、自分にはない高い才能を惜しむ気持ちでもある。
もっと外に出て、たくさんのリスナーに聴いて頂いて欲しい。
楽に活動できる機会を増やして欲しい、という気持ちが強い。

大西さんのように美しくて才能があり、パフォーマンスも強力だと、ライブでの集客を見込んだビジネスが動く。それを許すと、色々な企画に沿って動かなくてはならず、畢竟少しずつ自分の本来的な欲求から乖離していくのを傍観しなくてはならない。
それは、至極当然に起きることだ。
大西さんは、それを由としなかったのかも知れない。
演奏活動を止めるという選択は素晴らしいことだと思う。
そうしていても、自分が満足するように演奏することはいくらでもできる。

周囲の欲望や期待に負け続けるのが普通の人間のほとんどの姿だから、負けないで、自分を見つめ続け、本意を貫くのは大変だ。
とくに、才能があって売れる可能性に満ちている人たちならば尚更。
けれど、どんなに才能に溢れる人々であろうが、絶対的な充実は自分が欲した行動からしか生まれない。
自分を尊重しながら、正直に生き続けた果てにしか生まれない。
だから、ものすごく我が儘だ、と評価されることをやってしまうのが、じつは正しい道だったりする。

勝手ながら、大西さんが、ゆったり微笑みながら、好きなピアノを弾いてくれると良いな、と思ったりする。
仕事の中には、段取りの良いものと段取りの悪いものとがある。
これまで、色々な相棒と仕事をしてきたが、唸るような素晴らしい仕事人もいれば、どーなのと言いたい方もおり、仕事のやり方、内容は様々。
イベントなどでも同様に、段取りして粛々と仕事を進める方と、脇に居てわーわーと不平不満を述べているだけの方とがいる。
もちろん、段取りがクリアに見えて、問題なく仕事を進めていただくのが楽ではあるが、段取りが悪いことによって、右往左往した挙げ句、段取りが良いときには出会わなかっただろうと思われる人に出会ったりもする。
つまり、バグみたいなものがあるお陰で、計算外の出会いや思いつきが生まれるのだ。

仕事であるからには、締め切りや納期が存在するのだから、ハラハラ感は仕方がないが、紆余曲折の間に拾うあれこれは有り難い。

段取りとは、「一応このスケジュールで行きましょう、については、これとこの要素を使って」という発想なので、既知のものしかない。
既知のものしかないということは、手持ちカードで終わり、ということ。
それでは追っつかないときに初めて、未知の領域や人脈に手を伸ばすことになる。
それが怪我の功名みたいに、思いがけず面白くなったりする。

電話したりメールしたり、「初めまして突然...」と口火を切るときにはたいてい緊張していて、ケンホロを覚悟してみたりするのだが、意外にみんな親切で、時には、予想以上に乗ってきてくださって「おおっ、ドライブかかってきたなぁ」と感動することすらある。

私のレーベルは、当初プライベートなものを趣味的に作る予定だった。それが、色々な友だちがアクセスしてくれ、私には思いつかないたくさんのアイディアを出してくれ、さらに様々なスタッフを連れてきてくれて、今のように充実したラインナップになっている。

私は半分ボーッとしている。
ある程度までしか関知しない。
そして、でき上がるのを楽しみにし、売れ行きを楽しみにしている。
本音、全然儲からないが、損はしていない。
これ、程良いバランスではないだろうか。
昨日、私のバースディライブのリハをした。いちおう、下地と言うことでピアノトリオのみ。本番にはここにギターとサックスが入る。ふたりとも、素晴らしいミュージャンなので、下地が出来ていれば、さらにイマジネーションを湧かせていただけるだろう、という考え。

バースディは、毎年、自分なりにある程度コンセプトを決めて選曲する。ファンク系の多い年、ジャズ系の多い年、ポップス系が多い年など。
誕生日が同じと言うことでご一緒するピアノの北さんは、本職が整体師というピアニストで、どちらかといえばセミプロなので、彼にとって弾きやすい、ということも念慮して曲を選ぶ。
それから、ドラムとベースの個性とか、上に乗るギター、サックスに合いそうなものとか、長年積み上げたレパートリーから選び、さらに最近気になっている曲も盛り込んだりして。

選曲に対して、メンバーからのリクエストもある。
今年は、マイケル・ジャクソンとフローラ・プリンとビートルズと井上陽水。
私の選んでいる曲は、スタンダードのアレンジものがほとんどで、アレンジソースは、パティ・オースティン、リズ・ライト、ダイアナ・クラールなど。
他には、スティーヴィー・ワンダーとレイ・チャールズの曲。

歌は、楽器と違って、まず音色が自分の声でしかない。
楽器の場合、とくにスタジオ系のミュージシャンは、どんなジャンルの曲でも技術で弾いてしまえるので、色々な曲が希望されるのだ。
で、やってみて、やはり、録音音源再現方向の選曲は困る、という結論に達した。
ボーカルは、器用にやってはいけないのだ。
ボーカルは、そのボーカリストの個性の範囲を広げすぎてはならない。
コピーすれば何だってそれなりに歌えるけれど、それをやってしまうと、もの真似歌手と変わらなくなってしまう。
歌手は、器用だとつい、そこに陥りがちなので、気をつけなくてはならない。

楽器の人には、その辺りを伝えるのが難しい。
コピーして、似たように出来れば良いのではないの、とか、自分なりに歌えばいいよ、と簡単に言うのだが、自分なりに歌うと「何なのこれ」になってしまう曲もある。
歌には、曲はつまらないけれど、その歌手か歌うとすごく良い、というものもあり、例えば、ストーンズとか、ハイロウズとか別の歌手が歌っても全く意味のない曲というものが存在する。
逆に曲自体が良くて、さらに歌い変える、つまり歌手なりの工夫を盛り込めて、個性を発揮することに意味のある曲というものもある。アレンジが効く曲というか。
それが、大きな意味のスタンダードなのだけれど。

例えば、ギタリストに、イーグルスのホテルカリフォルニアをやるから、ソロのツインギター部分全部コピーしてくれ、と頼むのは、おやじバンドではあり得ても、プロにはとても頼めない。
そういうものだ。

パフォーマンスの中味に対する、意識の保ち方は、同じプロミュージシャンであっても、活動する場面によって少しずつ違う。
ジャズの極みの人たちは、アレンジを最小限にしようとする。
自分たちの自由度が保てないと、演奏する意味がないと考えている。

ボーカルの立ち位置はとても難しい。
バンドをやると、楽器の人が自分が楽しく弾きたいがための選曲になって、ボーカルがテーマを担当する係みたいになってしまうのだ。
そこを突破するには、ひたすら、実力をつける以外にないのだが、なかなか簡単には行かない。理論やアレンジの知識がそれなりについて、歌に個性が生まれて、発言しても軽く見られない人としての信頼も得なくてはならない。
ライブは、ほとんどボーカルがブッキングする立場だから、広報、集客、ギャランティの保証もする。
大変なことだ。
ボーカルは女性が多いけれど、活躍している面々は、例外なく男性以上に腹が据わっている。

最近、東京のエグゼクティブ階層と地方の進学校から受験してきた大学生との間で、大いなるカルチャーギャップが生じており、地方の学生がショックで鬱になったりするという記事を見た。
たとえば、東京にいる帰国子女とかエグゼクティブ家庭の子弟は、幼少の頃から、高級な文化に触れまくっているし、バイリンガルだったりもっと他の外国語が話せたりするのに比して、地方の進学校出身は、教科書や参考書勉強しかしていないので、内包する文化がまるで違うということらしい。
「何を話しているのか理解できなくて、大変なショックを受けました」
という地方出身の東大新入生女子のコメントなんかが紹介されている。
で、私は思う。
それは当たり前だし、昔からあったことだ、と。
それで落ち込む学生に言って上げたい。
私の頃は、地方格差は今よりもっとすごかった。
中学になるまで、信号のない田舎町に育った私。
学校にSLで通っていた私。
今、カルチャーショックという在って無きがごとき事態にぶち当たった学生たちに言いってあげたい。
「人生は長くて、今からが始まりだよ」と。
私の田舎には、信号もなかった上に、会社なんて無かった。
サラリーマンなんていなかった。
ほとんどが、農家か漁師か商店で、勤め人といえば役場か学校の先生くらい。
あと、水産試験場と農林試験場とか。
金持ちは医者ばっかりで、あとは何も無し。

それでも都会の文化は、それぞれが勝手に、テレビやラジオや雑誌から吸収していた。
ニッポン放送や文化放送はほとんど聞こえないので、トランジスタラジオを持って家の中を徘徊し、電波の良い場所を探したものだ。
そんな環境からいきなり東京の大学に来て、先生に「こんなことも知らないんですか」と驚かれて、逆に私が驚いた。
大学なんて、大学の先生なんて、日本全体からみたら希少な特殊な職種だべ。
それなのに、田舎の学生がものを知らないと驚くお前たちは、一体何を基準にモノをいってんだか。
と。まあ、今から思えばだが。
無学を驚かれたので、大学に来たからには勉強すべきかも知れないと一応は思いながら、音楽ばっかりしていたが。
その後、自分をちゃんとして上げたいと感じて、ずっと勉強している。
本は山のように読むし、臨床心理学の研究所にも行っているし、忘れそうになると翻訳のクラスも取るし、書くし、練習するし。
そして、気がついたら随分ちゃんと色々出来るようになっていた。

はじめの、モノ知らずな私という定義は、なかなか良いものだったとは思う。
しかし、現在、地方出身の若者が、都会の子女たちの話が理解できないからといって、落ち込むのはいかがなものかと思う。
コンテンポラリーダンスを観たことが無くたって、コンセプチュアルアートが何か解らなくたって、そんなものは、少し観て歩けば好きか嫌いかはっきりする。
そんなものより、生まれてから都会に出るまで見続けていた、身体で感じていた、田舎の自然や風景や人たちの方が、何倍も素晴らしいものなのだ。
文化の芽は、身体の中にある。
だから、出来上がったものを見て、良かったの悪かったの言うよりも、自分の身体の中に何があるのか、そしてその価値づけをしっかりできた方が上等なのだ。

私は、大学に入ってずっとポカーンとしていた。
何だかさっぱり解らなかったのだ。
でも、その解らなさってのは、自分が常連じゃない店に入ったら、みんなが内輪の話で盛り上がっていて、その内容がさっぱり解らないに近い解らなさなのであって、引きで見てみれば、学問の世界なんてそんなものだ。
専門分野を全世界だと仮定している専門化が、掘り進めている穴なんだから。

カルチャーショックとは、常識が異なる所に入って感じる疎外感でしかない。
そしてその疎外感は、中にいる人々が浸かっているぬるま湯に入りたいか否かという試金石なんだね。
そんな湯はまっぴらごめんだ、と感じると、ショックは受けたにしても、せっかくでしたが結構でございますと、お断りするためのひとつの機会だったことになる。
つまり、劣等コンプレックスとは別物だと、はっきり区別しなくてはならない案件だ。

学者の人たちは、自分の世界での優劣を何よりも大切にしなくてはならないのだが、外部の人たちにとっては、別にそれはそれだから。
学者的価値判断によれば、ハイ・カルチャーは必要なもので、ハイ・カルチャー大切連盟みたいなものもあるらしいと理解できるが、やっぱりそこも、それはそれだ。

誰にとっても目線を変えるのは面倒なのかも知れない。
手元をしっかり観ていないと、周囲と話は合わなくなるのだが、そこばかり観ていると、次には外側が理解できなくなる。
遠近両用で行かないと、それもマメに。

それをやり続けるには、ただ、体力、気力が要るのみなのだ。
とにかく、体力が大事。

鵜沼君の絵

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壁の絵を撮っているので、ちょっとゆがんでいる。
雰囲気が伝わってくれればいいな。

鵜沼人士さんは、私の高校時代の恋人寄りの友人。
この絵は、私たちが高校生だった頃、今から40年ほど前の夏休みに、私の故郷である北海道余市郡余市町黒川町の余市川河川敷から、ニッカウヰスキー工場を臨む場所にて描かれたもの。まあ、スケッチ理由でデートだったわけです。
鵜沼さん17歳の作品。

彼は、後に札幌西高校の美術教師になり、北海道展の理事などになられて大活躍だった。
私のCDのジャケットになっている肖像画も彼に描いて頂いた。

3年前の正月明け、若くして亡くなられた。
少し前から体調を崩していたけれど、思いがけない早さ。
真冬の大雪の中のご葬儀では、会場から溢れる程たくさんの人々が彼を送った。

友だちはみんな泣きっぱなし。
私も。

私の故郷は、今はもう実家も無く、友だちもいない。
時々、この絵を眺めて、時の移り変わりを実感する。
鵜沼君はいないのだが、絵があると、また会えるような気がする。
良く、絵に話しかける。
故郷は美しかった。
その記憶を想い出とともに眺めるとき、この絵を贈ってくれた彼との出会いが、私の人生の中でとても深い意味を持つことを知る。

人生は一度しかなく、さらに、どの一瞬も一度しかない。
人は去りゆく。
いつか自分も。
けれど、哀しみばかりではない。
想い出は心の中で、まるで、絵のように美しい。

腰痛

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3日続けてレッスンやったら腰痛になった。
スタジオが地下にあるため、クーラーを28度にしていても底冷えする。
生徒は歌いながら汗かいている程度。
けれども、ピアノ椅子に座って、4時間くらいぶっ続けで弾きながらレッスンすると、知らないうちに色々な部分がひえひえに。
昨日の夕方から、左の臀部上部ウエスト部分と右足の膝が痛い。
右足ペダルで、左に負担がかかったと考えれば分かりやすいが、以前ならレッスン6時間続けて休憩してさらに2時間とかやっていた日々もあり、振り返るとよくそんな無茶ができていたものだと感心する。

しかし、4時間が今の私にはヘヴィだとすると、どうしようか。
3時間限定かな。
そして、休日を減らして均すか。
しかしそもそも減らせるほどに休日と呼べる日もない。

2時間・休憩・2時間のペースかな。
年を取ると色々算段が必要になる。
汗を一杯かいて、夏向きの身体に、と頑張った去年、年末に血圧が最高潮になった。
何が良いのやら分からない。
正解は多分、自分の身体に訊け、だと思う。
怠いときは寝る。
元気なときは動く。
調子の良いときは、知らないうちに活動しているようだし。

腰痛にも感謝せねば。
頭だけいつもキンキンな私。
ちゃんと休まないとね。

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