久々、ZoolooZ。
今日は2曲。
震災直後から書き始めたことと、個人的なあれこれがあり、何となくお母さんがらみの話が多くなった。自分もお母さんだし。
Our Home 松下誠 作曲
長い道のりを歩き続けると、やがて私の家が見えてくる。
産まれた家。
旅立った家。
帰りたい家。
自分が安心していられる家がどんなものかをちょっと考えた。
10.Our Home
かおるさんは、いつもと同じように生成のニットを着て、午下がりのダイニング・テーブルに座っていた。
ダイニングはしんと静かだ。
下宿人たちが田舎に帰る春休みだから。
僕がただいま、と声を掛けると、かおるさんはハッとしたようにこちらを見た。
「あらら、ぼんやりしちゃったわね、ぼうちゃんが帰ってきたのにも気がつかなかった」
いつもなら、ぼっとしているのは「ぼうちゃん」こと僕の方で、かおるさんはひたすらてきぱきしているのだ。
あぁ、と僕は曖昧で意味もない返事をした。
僕は、工夫する余地もなく、会話という実技に於いて、本当に気が利かない、芸のないタチの男なのだ。もしこれが下宿仲間で一番如才ない蒲田先輩だったりすると、すかさず「かおるさん、何か気になることでもありましたか」くらいは言い、さり気なくテーブルについてお茶を出してもらい、かおるさんの孤独の分け前を受け取ってあげたりできるのだ。
かおるさんには子どもがいない。その上、数年前にご主人を亡くして、天涯孤独になった。
一人暮らしになって数年経った頃、頼まれて旧友の息子を預かった。進学した大学がかおるさんの住む町にあったからだ。初代の下宿人は、岐阜の田舎からやってきて、二年間おばさんの世話になり、やがて恋人と同棲するために下宿を出てアパートを借りた。その友人のひとりに、他でもない蒲田先輩がいた。
かおるさんと亡くなったご主人は、ともに建築に興味があった。かおるさんは若い頃、新進気鋭のインテリアデザイナーの設計事務所で事務の仕事をしていたし、亡くなったご主人は、その事務所に出入りするメーカーの販売業者だったそうだ。
子どものできなかった二人は、自分たちの暮らしを充実させる道として、この家を建てることに熱中した。共働きして貯金をし、雑誌を見ながらどんな家に住みたいかを語り合った。知り合いの業者から情報を仕入れては設計者や工務店を選びに選んだ。それからさらにあらゆる業者とディスカッションを重ね、設計の発案から5年をかけて完成させた。
かおるさんはその頃のことを、それはそれは楽しい毎日だったと、酔う毎に話してくれる。ご主人のことよりも、設計した建築士さん、大工さんたち、左官屋さん、庭師、内装を担当した工務店の若いモンなんかの話題が多かった。
ご主人は、この家で半年暮らし、心筋梗塞で呆気なくこの世を去った。その死は予定よりもよほど早かったので、かおるさんの心にも、新築の家にも亡くなった人のための場所など無かった。それで、かおるさんが大切にしているフランス製のアンティーク・オルゴールを置くための棚が、仏壇の場所となった。
そこに来たのが、岐阜に住むかおるさんの友人の息子。会ったことはないが、蒲田先輩の話だと、少しも意地の悪いところのない、面白味のない性格のヤツなのだそうだ。
やがてかおるさんは、下宿人と暮らすのも悪くない、と思い始めた。日頃は一時的な息子たちの食事の準備をすることに随分疲れてしまうのに、いざ夏休みやお正月になってみんなが実家に戻ってしまうと、途端に気が抜ける。解放された時間にも二日で飽き、やがて淋しくなってみんなの帰りを待ちわびるようになる。
蒲田先輩は、かおるさんが人の世話のできる人だと見ると、お見合いと称して色々な友人を連れてくるようになった。その幾人かが、下宿するまでに至るわけだ。今では僕を入れて4人の下宿人がいる。
「みんな芯から個性的でね、並じゃないっていうか。人様の子だからまだしも、これで私の本当の子どもだったら耐えられないわね、きっと」
かおるさんはいつも、苦笑い半分、迷惑半分といった顔つきで言う。
確かに、蒲田先輩が連れてくる下宿人たちは、かなりの変人揃いだ。
大体、僕達全員が美大生だという前提で、すでにかなりダメだ。
美大生は、人と自分が違っていると思うから、美大に行こうとするのだし、また逆に、美大に行くからには、美大に来ている変人たちに比べてもなまなかなことでは負けない程の変人であらねばならない、とも思っている。
蒲田先輩は、如才ない口ぶりとはかけ離れた、長髪、髭、ヘンな服という70年代ヒッピー風スタイルだし、その次にここに来た芹澤君は、スキンヘッドに作務衣を着てカンカン帽なんか被るし、その次の山下さんは3浪して芸大だけど彫刻なのでいつも作業着を着てバイトに明け暮れている。僕は一応80年代のテクノカルチャー追随型なんだけど、ちょっと詰めが甘いので、時々スピッツのマサムネに似ていると言われたりもする。
かおるさんは、ひとりでぼんやりとしていた。椎の木の一枚板で作ったダイニングテーブルに天井の明かり取りから射す西日が落ちている。
いつもならこんな時、お茶でも入れようか、と誘ってくれるのに、かおるさんは、ただぼんやりとしていた。僕はその様子が気になって、しばらくテーブルの脇に立ち、取り込んできた夕刊の見出しを眺めていた。
「ふと思ったんだけれど...」
そこまで言って、かおるさんはまた黙った。
「わたし、いくつまでみんなのご飯が作れるかしら」
「あぁ」
僕には、どのような返事をするのが良いのか解らない。そういう話題は、蒲田先輩に振って欲しい。
「さっき、電話で蒲田君から...」
蒲田先輩のお母さんが亡くなったと言う。
「みんなが卒業しても、お嫁さんをもらうまで、ご飯を作っていたいな」
かおるさんは、涙声で言う。
僕は夕刊を持ったまま、まだテーブルの横に立っている。
蒲田先輩は、ヒッピースタイルのまま喪服を着るのだろうか。
髪の毛は、結ぶかアップにした方が良いだろうな。
僕は、自分が随分つまらないことを考えているのに気づいてびっくりした。
かおるさんは、ゆっくりと立ち上がると、床から新聞紙に包まれたままになっていたほうれん草を取り上げ、それから勢いよく水を出して、じゃぶじゃぶ音を立てて洗い始めた。
おまけ
レコーディング終了後に、1曲ぐらい歌おうよ、ということになり、レイ・チャールズ追悼で選んだ。
アレンジは、ライブ用のもの。
最近、ジョー・コッカーのカバーがお酒のコマーシャルに使われている。
この歌詞は、ブラック・ミュージックの常套、「惚れた方がお願いしまくる」内容なのだが、私が歌うとなぜか「孤独」に焦点が当たってしまう。
11.Unchain My Heart
好きにならずにはいられない、というラブソングがあった
でも、私はいつも、好きになられてはたまらない
できれば、放っておいていただきたい
無視を決め込んでいただきたい
見て見ぬふりをしていただきたい
なぜならあなたが少しでも
私の目を見て笑ったり
私の声を聞きたがったり
私と一緒にいたがったりすると
私はものすごく困るはずだから
好かれることに馴れていないから
私はそわそわしてしまう
こんな粗末な者で良いのかと
不安の固まりになり果ててしまう
だからお願い
心をつかみ取らないで
心をつかみ取らないで