kyokotada: 2013年10月アーカイブ

科学物のエッセイを読んでいたら、色の見え方についての記述があった。
色はそれぞれが様々な波長をもつ光なのだが、対象物が吸い込んじゃってる波長は見えなくて、反射する波長だけが人の目に見えるそう。
それって、人の心と似ているよね。
心の中にしまっていることは、他者には見えない。
言葉にしたり、表情にしたことを他者が認知する。
認知の仕方は、その人の経験則だから、それぞれ違っている。
色の見え方も、各自異なっている。
どんな風に見えているのかは、誰にも分からない。

吸い込まれていると反射されている、というところが感動だった。
面白いな。

想像すること

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生まれ育ったのは北海道の田舎で、人口が2万人の町。
テレビも雑誌も、東京発のものには知らないことが沢山書かれていて、それらについて想像するしかなかった。
受験の時も、東京の人たちがどのように勉強しているのか、想像するしかなかった。
音楽を始めたら、都会の人たちは場慣れていて、その来歴も想像するしかなかった。
子育てしている間、物書きになってしまったが、こちらが読んでいる本はどれも素晴らしい書き手によるもので、それを手本にするわけにも行かず、どう書けば合格なのか、想像するしかなかった。
しばらく音楽の現場を離れていて、戻ったとき、20年ブランクがあったことをどのように回復するか、何より、私が別のことをしていた日々ずっと途切れず音楽を続けていた仲間がどれほど先に行ってしまっているのか、想像するしかなかった。
いつもそのように想像して、きっと自分の思い至るよりずっと先の境地に何もかもがあるのだと、自分を励まし工夫して進むことにしていた。

ある時こんな言葉に出会った。
「師とは存在でなく機能である」
素晴らしい師とは、何かを教えられる人というよりは、とんでもない境地があるはずだと思わせてくれるものである、というほどの意味だろうか。

田舎にいては都会を推し量り、両親の叱咤は単なる不満だったかも知れないが、それを深読みし、至らない自分を恥じた。

じつは、素晴らしい境地とは、誰からもたらされたものでもなく、自分の中に育てた想像だ。
その想像が、いつも現実を超えているようなのだ。
こんなものでしょ、と短絡できない。
もっともっと知りたい、分かりたい、やりたい。
想像が大層すぎて鬱っぽくなったりもする。
自分の希望に押し潰されたりして。
何様だよ、自分。

けれど、ふと、それはとても良いことなのだと考え直した。
つまり自分の思い過ごしこそが「機能としての師」になるのだから。
素晴らしいという評判、凄いという話題を耳にして、想像する。
どんなパフォーマンスなのだろうか。
どんな風に企画し構成し練習しているのだろうか。
それを考え、想像して自分の道筋に戻る。

たくさん想像すること。
その時間がたくさんある。
それが現実より上を行っていれば、私の工夫は少しずつ役に立つのだ。


一通り、終わった感がある。
何って、「人生」が。
イベント的には、子供たちの結婚とかもしかすると孫の誕生とかもあるだろうけれど、まあ、それらは子供たちの世代の一大事なのであり、私は当事者ではない。
やりたいことはだいたいやった。
そして、そのクォリティに不満もない。
あと、何をすれば良いのか。

時々わーーっと、何か書き残さなくてはならないような気がしてくる。
小説とか、自伝とか、そういうブンガクなものを書くかな、と感じたりしていたのだが、ちょっと違うな、と思えてきた。
やはり、「曲」だ。
オリジナルの曲で、しかも詞がいいやつ。
理想はジョニ・ミッチェルだ。
でも、弾き語りはあまり好きでないのだ。
弾き語りはスタンダードだけにしたい。

「曲」を自伝にすることにはひしひしと野心が燃える。
それは、ご迷惑さまなことかも知れないが、何回かはライブでも歌ってみたい。
来年だな。

静かな秋の日

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静かだなぁ、と思う。
子育て中などは、静かな時間なんてなかった。
今は、夫婦二人だけで、一方が留守だと本当に一人きりだ。

こうなるとテレビの番組も静かなものばかり選ぶ。
映画とか、自然ものとか。
そして、ボーッとしている。

散歩に出て、15分くらいの距離にあるモールへ出かけ、うろうろして来る。
歩きだとあまり沢山の買い物はできない。
パンとコーヒーくらい。

そしてまた、古いものを捨てる算段をしたり、ベランダから空を見たりする。
私の人生は忙しかったなぁ。
客観的に見て、色々しんどかった。
あれは何だったんだろう。
本当にあれだけのことをしたのだろうか。

振り返ると、まるで自分のしてきたことが信じられない。
そんなに沢山のことを、どうやってこなしていたのだろうか。
そして、疲労困憊から遙か離れた今があり。

人の器ということを考える。
私たちのような、支持者の必要な仕事では、その数が目に見える。
ライブに来て頂くお客様、レッスンに来て頂く生徒さんたち。
どこかが増えると、別のどこかで減る。
つまりいつも一定数。
それが私の器かと思う。

じつは、私のことを遊びに誘ってくれる人は皆無に近い。
何人かのミュージシャンだけだ。
なるほど、私は煙たい人かも知れない。
お酒が飲めないし。

ひとりでボーッとする。
その姿は、若い頃には想像もできなかったものだ。
この私がボーッとするなんて。

でも、そうできるようになってからの方が、歌が良くなったと思う。
力を抜くということは、力み返って後に、すっと分かることらしい。
緊張することと、集中することと、上がることの違いも分かってくる。
稽古の方法も分かってくる。

そして、少しずつ楽になり、楽なことを中心に密度を濃く、良い仕事をするように心がける。
年を取って手に入れるのは、元気の代わりに、そういう「渋い」余録なのかも知れない。

道で転んだ

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サムタイム同窓会ライブも無事終わり、「胃が痛かったなぁ」と思いつつ、翌日のレッスンなどこなして帰り道、食欲がわかないのでうどんを目指して歩いていた。
足首がくねっとなり、立て直そうとしたがいっそうバランスが崩れ、ドタッと転んだ。
右手のひらと、膝をすりむき、膝の方は痣も。
何年ぶりに転んだなぁ。
そば屋のおしぼりで滲んだ血を押さえた。痛みはほとんどない。
大過なくほっと一安心。
それにしても、さほど緊張したわけでもないのだが、ずっと身体に負担感がある。

次の火曜日は、休みを入れていたので家でゆっくり養生した。

吉祥寺サムタイム同窓会には、かつてのバンド仲間が大勢集った。
このライブハウスが始業した当時のメンバーだ。
みんなよくぞ生き残って音楽を、しかもジャズを続けているね、と肩をたたき合う。

ボーカルのデコと私が参加していたボブ&シンガーズというグループ、当夜のメンバーである佐山がリーダーで、続木徹ちゃんもメンバーだった。これに、もう1人のコーラスとして参加していたMちゃんがライブを聴きに来てくれた。
当時は私たち花の20代。
Mちゃんは小柄でかわいらしくて、男性陣にモテモテだった。
休憩時間、みんなでMちゃんを囲んでそんな話に花を咲かせ、彼女もご機嫌で楽しいを連発してくれ、やがて手を振って別れた。
また会おうね、と言って。

訃報が届いたのは、水曜の午前。
ライブの帰り、Mちゃんは同伴していた友人と午前2時頃まで飲んで別れたらしい。
家に帰って寝てすぐ、午前4時頃に心筋梗塞が起きたようだという。

会ったのは何年ぶり。
そしてバンド仲間と一緒に楽しい話をしたのはもっと何十年ぶり。
その日のうちに、逝ってしまった。
本当だろうか、そのつい数時間前まで元気そうな笑顔を見ていたのに。
本当だろうか。

葬儀は終わり、もう、二度と会うことはできない。
逆境といえる人生だったけれど、素敵な歌声の可愛い女性だった。
心からご冥福を祈りたい。
そして、転んだのは、危急を知らせたい彼女の気持ちだったかも、と少しこじつけてみる。
忘れないよ、絶対。

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