kyokotada: 2011年6月アーカイブ

私の運営するスタジオ・トライブ・レコーズは、ジャズを中心に展開しているレーベルで、8月3日に発売される石井彰さんのピアノソロで8作品となる。
このレーベルは、大体が私と同世代のミュージシャンによるコンセプチュアルなアルバム。
最近、もう少し若いミュージシャンも手がけたいと思うようになり、別のイメージのレーベルを立ち上げることにした。それには、ぜひ、社名のラルゴを使いたい。
ジャズ以外のジャンルもやりたいので、自分のアルバムもここから出すかも。
重厚な既存レーベルに対して、フレッシュなイメージが作れたら、と考えている。

そして、冗談のように考えた「ジンギスカン普及協会」は、クラシック畑の友人も誘って、全方位の音楽家の集いにしたいと思っている。webでは、Facebookとtwitterが展開に向いているかと思う。
アナログな人々もいるのだうと思うが、この際、web対応者だけでごめんね、にする。

もうひとつは、音楽講座。
出張音楽講座をやりたい。
幾つもアイデアがある。
自分が講師の場合、
・クラシックから繙いて、ジャズやロックにいたる音楽の歴史。
・ジャズ・ボーカルのタイプ別解説と歌唱指導。
・ボイストレーニング、耳鼻科音声専門医師とトレーナーのダブル指導。

ベースの金澤・コントラバス溝入コンビで
弦楽器の由来とコントラバスの成り立ち
演奏を聴いて、クラシックとジャズの奏法の違いを観る

カーティス・パターソンと
邦楽の成り立ち。
楽器、琴についての説明と箏曲の演奏

プロジェクターを利用すれば、図や写真を見せながら歴史や分類などを説明できる。
ちょっと面白くない?

疲れてくると、田舎の友だちに会いたくなる。
私の場合は、女子会というのが無くて、男子の中に混じるのだが。
高校時代の友だちとは、心置きなく色々な話ができる。
辛いこともしんどい気分も、まあ、ありがちでしょ、という程度で。
周囲には、少しのことで大変そうにしている人々もあり、それは甘いっしょ、と考える。
苦労と呼ばれる色々には、体験した者同士でしか分かり合えない部分が多い。

それぞれが、それぞれの苦労を抱えてはいる。
それは納得できる。
自分も若い頃から、いつだって苦労していると思ってきた。
けれど、さらに、さらに、大変な苦労が続くと、かつて苦労だと思っていたことは、そうでもないことだったのかも知れないと考え始める。

それでも、辛いことにはやはりそれぞれの程度があって、いまでも、一番辛かった体験を名指しすることができる。
それを通り過ぎて、強くなるのかといえばそうではなく、トラウマになったことを自覚しなくてはならない。忘れていることが突然甦って驚くこともしばしば。
つまり、心に禁忌をたくさん抱えてしまうということだ。
負荷を減らすべきか。
けれども、積極的に打って出ないなら、スリルや楽しみもなくなる。
何より、生存できなくなる。

両方受け入れなくてはならないのだ。
希望を持って打って出て、負荷がかかりすぎたらちょっと引いて。

疲れた時、友だちに会いたくなるのは、そういう私の人生に降りかかった負荷の数々をたいてい知ってくれているからだ。説明抜きで分かってくれる。つまり話が早い。説明するのもしんどい時すらあるのだし。
互いに相当しんどいと、ただ頷いて、しんどいなぁ、と言い合って終わる。
それで、かなりラクになる。
しんどいなぁ、しんどいさ、でも友だちで良かったねぇ、言い合う相手がいてさ。

久々、ZoolooZ。
今日は2曲。
震災直後から書き始めたことと、個人的なあれこれがあり、何となくお母さんがらみの話が多くなった。自分もお母さんだし。

Our Home 松下誠 作曲

長い道のりを歩き続けると、やがて私の家が見えてくる。

産まれた家。

旅立った家。

帰りたい家。

自分が安心していられる家がどんなものかをちょっと考えた。



10.Our Home

 

 かおるさんは、いつもと同じように生成のニットを着て、午下がりのダイニング・テーブルに座っていた。

 ダイニングはしんと静かだ。

 下宿人たちが田舎に帰る春休みだから。

 僕がただいま、と声を掛けると、かおるさんはハッとしたようにこちらを見た。

「あらら、ぼんやりしちゃったわね、ぼうちゃんが帰ってきたのにも気がつかなかった」

いつもなら、ぼっとしているのは「ぼうちゃん」こと僕の方で、かおるさんはひたすらてきぱきしているのだ。

 あぁ、と僕は曖昧で意味もない返事をした。

 僕は、工夫する余地もなく、会話という実技に於いて、本当に気が利かない、芸のないタチの男なのだ。もしこれが下宿仲間で一番如才ない蒲田先輩だったりすると、すかさず「かおるさん、何か気になることでもありましたか」くらいは言い、さり気なくテーブルについてお茶を出してもらい、かおるさんの孤独の分け前を受け取ってあげたりできるのだ。

 かおるさんには子どもがいない。その上、数年前にご主人を亡くして、天涯孤独になった。

 一人暮らしになって数年経った頃、頼まれて旧友の息子を預かった。進学した大学がかおるさんの住む町にあったからだ。初代の下宿人は、岐阜の田舎からやってきて、二年間おばさんの世話になり、やがて恋人と同棲するために下宿を出てアパートを借りた。その友人のひとりに、他でもない蒲田先輩がいた。

 

 かおるさんと亡くなったご主人は、ともに建築に興味があった。かおるさんは若い頃、新進気鋭のインテリアデザイナーの設計事務所で事務の仕事をしていたし、亡くなったご主人は、その事務所に出入りするメーカーの販売業者だったそうだ。

 子どものできなかった二人は、自分たちの暮らしを充実させる道として、この家を建てることに熱中した。共働きして貯金をし、雑誌を見ながらどんな家に住みたいかを語り合った。知り合いの業者から情報を仕入れては設計者や工務店を選びに選んだ。それからさらにあらゆる業者とディスカッションを重ね、設計の発案から5年をかけて完成させた。

 かおるさんはその頃のことを、それはそれは楽しい毎日だったと、酔う毎に話してくれる。ご主人のことよりも、設計した建築士さん、大工さんたち、左官屋さん、庭師、内装を担当した工務店の若いモンなんかの話題が多かった。

 ご主人は、この家で半年暮らし、心筋梗塞で呆気なくこの世を去った。その死は予定よりもよほど早かったので、かおるさんの心にも、新築の家にも亡くなった人のための場所など無かった。それで、かおるさんが大切にしているフランス製のアンティーク・オルゴールを置くための棚が、仏壇の場所となった。

 そこに来たのが、岐阜に住むかおるさんの友人の息子。会ったことはないが、蒲田先輩の話だと、少しも意地の悪いところのない、面白味のない性格のヤツなのだそうだ。

 やがてかおるさんは、下宿人と暮らすのも悪くない、と思い始めた。日頃は一時的な息子たちの食事の準備をすることに随分疲れてしまうのに、いざ夏休みやお正月になってみんなが実家に戻ってしまうと、途端に気が抜ける。解放された時間にも二日で飽き、やがて淋しくなってみんなの帰りを待ちわびるようになる。

 蒲田先輩は、かおるさんが人の世話のできる人だと見ると、お見合いと称して色々な友人を連れてくるようになった。その幾人かが、下宿するまでに至るわけだ。今では僕を入れて4人の下宿人がいる。

 「みんな芯から個性的でね、並じゃないっていうか。人様の子だからまだしも、これで私の本当の子どもだったら耐えられないわね、きっと」

 かおるさんはいつも、苦笑い半分、迷惑半分といった顔つきで言う。

 確かに、蒲田先輩が連れてくる下宿人たちは、かなりの変人揃いだ。

 大体、僕達全員が美大生だという前提で、すでにかなりダメだ。

 美大生は、人と自分が違っていると思うから、美大に行こうとするのだし、また逆に、美大に行くからには、美大に来ている変人たちに比べてもなまなかなことでは負けない程の変人であらねばならない、とも思っている。

 蒲田先輩は、如才ない口ぶりとはかけ離れた、長髪、髭、ヘンな服という70年代ヒッピー風スタイルだし、その次にここに来た芹澤君は、スキンヘッドに作務衣を着てカンカン帽なんか被るし、その次の山下さんは3浪して芸大だけど彫刻なのでいつも作業着を着てバイトに明け暮れている。僕は一応80年代のテクノカルチャー追随型なんだけど、ちょっと詰めが甘いので、時々スピッツのマサムネに似ていると言われたりもする。

 

 かおるさんは、ひとりでぼんやりとしていた。椎の木の一枚板で作ったダイニングテーブルに天井の明かり取りから射す西日が落ちている。

 いつもならこんな時、お茶でも入れようか、と誘ってくれるのに、かおるさんは、ただぼんやりとしていた。僕はその様子が気になって、しばらくテーブルの脇に立ち、取り込んできた夕刊の見出しを眺めていた。

「ふと思ったんだけれど...」

そこまで言って、かおるさんはまた黙った。

「わたし、いくつまでみんなのご飯が作れるかしら」

「あぁ」

 僕には、どのような返事をするのが良いのか解らない。そういう話題は、蒲田先輩に振って欲しい。

「さっき、電話で蒲田君から...」

 蒲田先輩のお母さんが亡くなったと言う。

「みんなが卒業しても、お嫁さんをもらうまで、ご飯を作っていたいな」

 かおるさんは、涙声で言う。

 僕は夕刊を持ったまま、まだテーブルの横に立っている。

 蒲田先輩は、ヒッピースタイルのまま喪服を着るのだろうか。

 髪の毛は、結ぶかアップにした方が良いだろうな。

 僕は、自分が随分つまらないことを考えているのに気づいてびっくりした。

 かおるさんは、ゆっくりと立ち上がると、床から新聞紙に包まれたままになっていたほうれん草を取り上げ、それから勢いよく水を出して、じゃぶじゃぶ音を立てて洗い始めた。



おまけ


レコーディング終了後に、1曲ぐらい歌おうよ、ということになり、レイ・チャールズ追悼で選んだ。

アレンジは、ライブ用のもの。

最近、ジョー・コッカーのカバーがお酒のコマーシャルに使われている。

この歌詞は、ブラック・ミュージックの常套、「惚れた方がお願いしまくる」内容なのだが、私が歌うとなぜか「孤独」に焦点が当たってしまう。


11.Unchain My Heart

 

好きにならずにはいられない、というラブソングがあった

でも、私はいつも、好きになられてはたまらない 

 

できれば、放っておいていただきたい

無視を決め込んでいただきたい

見て見ぬふりをしていただきたい

 

なぜならあなたが少しでも

私の目を見て笑ったり

私の声を聞きたがったり

私と一緒にいたがったりすると

私はものすごく困るはずだから

 

好かれることに馴れていないから

私はそわそわしてしまう

こんな粗末な者で良いのかと

不安の固まりになり果ててしまう

 

だからお願い

心をつかみ取らないで

心をつかみ取らないで

何かを創り出す人がいる。
作り出されたものを使うだけの人がいる。

私は自分を立ち上げ屋だと考えているが、そういうタイプは、何も無いところから、何かを創り出すのだ。
たとえば、会社とかシステムとかイベントとか歌とか本とか...。
仕事として頼まれてやる場合もある。
手伝うときもある。
たいていの場合、私は出来上がってほしい姿から逆算して、予算や人手や期間などのやりくりを創出し、ついには形とする。
創り出して場ができると、次にはそこにソフトを入れていく。
恒常性を保つシステムや祭り的なイベントなど。
初動は大変だけれど、回り出すとマニュアル的なものが自然に立ち上がるので、関わる人材は外在化され始める。
すると、待ってましたとばかりに、創出するアイディアには欠けるが、提示されたマニュアルに沿って楽しむことはしたい、という感性の人が登場する。
やがて彼らは自分たちだけでできると言い出す。
始めた側は、これまでの経験から、無理っぽいとは思いつつ、説得など無効と身に染みているので、ある程度は渡してみる。
すると次には、コストがかかるから、うるさい危機管理を言うクリエイターは邪魔だと言われ始める。
クリエイターとは、本来の危機管理を熟知した人のことだ。

その後は、当初の発想に含まれる危機管理は忘れ去られたまま、コスト第一の人々が楽しげにその場を使うことが続く。
少しずつ瑕疵が溜まる。
でも、誰も気づかない。
クラッシュするまで。

色々な人がいるからね。
原発見ていて、人のやることは規模は違えどいずこも同じだと思った。

石原都知事の発言が物議を醸している。
核を持て、徴兵制を敷け、とか。
息子のヒステリー発言と合わせると、良純含め、家族力動に興味が沸く。
でも、問題発言は、そういう感性の人々がこの国にはたくさんいるということを報せてくれる良い機会ではある。だって、誰かに受けようとしないで言うはずがないもの。
それに、何しろ、選挙で勝っちゃうんだよ。

ゾンビ映画とは、「訳分かんな〜い」恐怖な人々を描くメタファーなんだ。

誰かが、「人は地球にひどいことをしている。でも人類が滅びても、ゴキブリか何かで地球は生き続ける」と言っている。地球至上主義か。
私は、「生物というものの実体は謎。ただ、遺伝子とか、魂とかがあるだけなら、人も仮の姿、あるいは偶然性に満ちたひとつの結実でしか無く、地球での実験に失敗した後には、別の環境を求めて宇宙へと飛び去るのではないか」と考えたりした。

何がどのように、何故存在するか。
少し、視点を変えると人間が都合良く使いすぎるメランコリーから離れられる。

誤謬か運命か

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休日には、日頃触れない色々な情報を見ることができる。
現在の日本の状況を見ると、貿易赤字が凄くて、でも新人の採用は団塊世代の脱けを補うために上がっている。
大いなる怪我はしているが、まだ少し余力があるところかも、と思わせる。

ただし、原発関連では、発表されていない汚染や、アメリカの原発でも事故があったというツィートが見えたり、よく分からないことが多い。
放射線被爆の影響で、免疫力が下がるはずだという意見があり、全体に病気が増えるのかな、と気になる。そして、電車に乗る毎、人身事故の報告に遭うので、それも気になる。
鬱の蔓延。

人々の危機感は、否認のために外には出ず、さらに深く抑圧されて、日々はいつも通り習慣的に過ぎていく。心理的な防衛機制は、危機の時、信じられないほど上手く働く。いわゆる、火事場の馬鹿力なのだ。この機制は、ひとりずつ使う種類も強度も異なるから、表面に現れる行動からは推し量りがたい。事象に対して、無視してみたり、ものすごく近づいて取り憑かれたようになったり。
ふざけるつもりはないが、恋愛の時と行動が似通っている。
わざと無視したり、恋なんかしていないと否定したり、かと思うと隠れて盗み見たり、ストーキングしたり...。

訳の分からないもの、あるいは自分に多大な影響の起こる事態に対して、人は他人からは奇妙と見える対処、行動をするものだ。
その行動や行為の機微が、いずれ誰かの客観によって文学になったり、映画になったりする。
人間...定義づけられず、推測不能で、限りなく不可解な存在。

自分を尺度に解釈し、推量すると、たいてい間違う。
だから、ただ子どものような眼で観察したいと思う。
曇り無く、起きていることをそのまま、ただ見ていようと思う。

休日につらつら考えた。
第二次大戦で、大日本帝国軍部の迷走、独善に鼻面を引き回され、死にまくった国民は、その反省から平和憲法を遵守してきた。
だから、大丈夫と考えて一生懸命働いてきた。
しかし、実は、かつての軍部と同様の形で、国民の鼻面を引き回し、戦争並みの苦労と世界からの信頼を損なう事態を引き起こした人々がいた。
私たちは、何故、政治家や官僚や経済人を信頼できていたのだろうか。
それは人の良さにつけ込んだ、詐欺だったのか。
私たちは、人を信じ、長幼の序をいくらかは重んじ、優秀とされる人々を信頼しようとしてきた。
けれど、第二次大戦と同様の構図で、またも疲弊に晒される。
私たちのメンタリティーはどのような理由で、こうも自虐的なのか。

何度も同じ間違いが繰り返されるのは、考えなくてはならないポイントがずれているからなのではないか。
それとも、世界中のそれぞれの集団(国とは言えない)が、それぞれに特有の偏りを孕んで、それはある程度温存されるべきと解釈されているのか。
偏りは、地球規模の危機管理として有効なはずだが、それぞれが偏りなりのクラッシュを世界中にお見舞いし続けるというなら、それはちょっと問題だ。

お互い、各集団の哲学や文化を蹂躙するのは避けようとしているのだ。
文化的な侵略はあからさまにはしないことにしているのだ。
この自制すら、これまで、さんざん植民地主義や帝国主義が引き起こした惨禍から学んできた成果なのだが。
まだ、学び足りないのか、それとも、行けども行けども、私たちは間違い続け、悲惨を舐め、それから回復する心構えや道筋を学び続けなくてはならないということか。
多分、これが人の世というものなのだろう。
人は、幸福を求めながら、いつも間違う。
間違うと言うより、バランスを欠き、ひずむ。
ひずむとそこにエネルギーが堆積する。
そしてクラッシュする。
地震のように。


北海道出身のミュージシャンの集いをやりたいと思い立った。
それで、あの人も、この人もと指折り数えてみた。
たくさんいるので、一度にステージに乗るのは不可能だし、集めてセッションというのもありきたりだ。
その時、「空飛ぶ冷やし中華」のことを思い出した。
私が大学生の頃だと思う。
矢崎泰久さんの「話しの特集」なんかがあって、山下さんや坂田明さん、中村誠一さんなんかが冗談でやっていたイベント...のような記憶。
冬でも冷やし中華が食べたい、というこじつけの理由で集まり、イベントをやる。

北海道だから、「ジンギスカン普及協会」はどうだろう。
会費とか何もなくて、ただ登録だけしてもらう。
ジャンルと楽器と連絡先。
その中から、適当にユニットを作って北海道のイベントにも参加する。
時々例会もする。
もちろんジンギスカンを食べる会だ。
みんなが頑張れば、サッポロビール園の後援をもらい、ついでに日本ハムファイターズのレセプション参加も可能かも知れない(妄想癖だが)。

ちょっと調べてみたら、ジンギスカンの日は、4月29日だった。
毎月29日は、「肉の日」らしい。
12ヶ月のうち、ジンギスカンは4月を取ったと言うことだろうか。
なので、来年の4月29日を目指して、発足の準備にかかるところだ。

北海道出身のミュージシャン、こぞって参加してね!

今から30年程前だが、大学のゼミで、アメリカのサリヴァンという精神科医の本を購読した。
「現代精神医学の概念」
みすず書房の名前をその時心に刻んで、卒業後もずっとフロムやレインなんかを読み漁った。
しばらく経つと、何が何やら分からなくなった。
自分の問題と、書かれていることのつながりが分からない。
ちょうど人生も苛酷な時だったので、友だちになった精神科の女医さんに勉強の方法を相談したら、彼女が通っている臨床心理学の研究所を紹介して貰えた。
ほとんどの研究生が、大学院生か専門家で、私のようなフリーランスの主婦は皆無。
呆れられ、訝しがられながら試験を受け、勉強を初めてもう15年くらい経つ。

心理学は、人間の心について、その成り立ちや働き方を知ろうとする学問だ。
心はただの抽象概念でしかない。
もとより、形はなく、有機的で変化も激しい。
眼には見えないが確かに存在するもの。
空気というものがある、と定義したときのように、心というものがある、と定義し、それに対して様々な角度から理論化できないか、と仮定し続けるのが心理学だ。

確実に学問として成立させたのは、言うまでもなくフロイトだ。
心を図解して見せた。
(フロイトを思うと、私の頭の中に19世紀末のウィーンの音楽が鳴り響く。あるいはエゴン・シーレの絵画が浮かぶ)
その畏友がユングで、フロイトの心の模型が「個」に属すものである処を超え、集合の心、他者と底流を共有する心の有り様を提示した。
ここから、あたかもダーウィンの進化の樹のような枝分かれと発展が起きる。
近年は、ラカンも人気ですね。

心理学はどこまで行っても基礎学問なので、それを学ぶと幸福になる類のものではない。
では、何のために学ぶのか。
それは、私にとって、内面的な家庭のようなものなのだ。
そこには共に学ぶ人々がいて、教師たちがいて。
私の知識や理解を提供できる人々もいて。
何より、「考える」という行為の拠り所になっている。
体系づけられた判断があるので、自分の変化を確認できる。
現実の家庭は暮らす場所で、学びの場は自分を観る場所というか、あるいは、自分の成長や変化を確認する場所。

15年も勉強してみて分かったのは、文学でも哲学でも政治学でも法学でも、突き詰めたところに存在する問題は同一で、入り口や道筋が異なるだけだ、ということ。
私が心理学の勉強で掘り進めた分、読書の理解が進む。
政治の成り行きや、仕事の進め方などでも、心理学から理解や方針のヒントを持ち出す、あるいは適用することも多い。
つまり、私が選んだ「よりしろ」なのだろう。

今、原子力の扱いが人類の大問題だ。
そして、心理学関係の人々も、この問題をどう内在化するかで激論中。

それは、「原子力」という、思いついてしまったのだが、的確な運用が大変に難しいシステムに、生身の人間、寿命が限られた人間として、個々にどうアプローチするか、という問題だ。
理科系も文化系も、それぞれが「個」という、生活者の立場で発想する。
そして、自分から広がる同心円のどの辺りまでを守りたいのか、無意識に判断しようとしている。

もっとも、これはまだ的確な方法を採っている場合であって、中には、テレビを判断の基準にしている人たちもいる。茶の間に届く情報の量だけが判断基準、という恐ろしいセレクト。けれど、人は自分が見たいものしか見ない。

私は、原子炉が現在どんな状態なのかよりも、これが起きてしまった今後、日本であるいは世界的にどのような価値観が主軸となりうるか、の方に興味がある。
何しろ、「テクノロジーは、悪用されない程度のものでは役にも立たない」という言説にひどく納得してしまった。
原子力を神の火と見て恐れおののき見ないことにするのか、糾弾し拒否し続けるのか、あるいは人間に扱える程度の規模なり運用方法なりを模索し構築し直すのか。
それを選ぶのは誰なのか。
テクノロジーは経済の奴隷か、それとも人の要請か。
日々、色々なことを夢想する。

話は飛ぶが、近未来SFでは、ほとんどの場合大事件を引き起こしているのは「個人」である。
どんな大事件も、たったひとりの「アナーキーで無感覚な」あるいは「特異なルサンチマンに満ちた」しかし「人並み外れて優秀な」ひとりによって引き起こされる。
ひょっとすると現実もそうだったりするか?、と夢想する。
たとえば制度のトップにいる、静かで落ち着いた狂人。
私たちの運命が、じつはそのひとりに委ねられていることを誰も知らなかったりして。
だって、そのトップの周囲の人々は、心理学の知識、もっと言えば自分や他者の心理査定をする知識がないはずなのよ。
怖〜い。

昨日、何かを書こうとして、ひどく遠ざかった気がした。
夜、堀茂樹さんの慶応大学での講義をWebで見て、ちょっと気づいたことがある。

まず、昨日の時点では、アーティストが直感から発想して何かをし続けることの意義、について考えていた。だが、ただの独り言になってしまったのはなぜ?
私の中に、必然性が無かったのかも知れない。
つまり、計画性がなかった。
結果を直感できなかった。
それが今日のお題。

ずっと考えていたのは、私が直感と思っている感覚はどのような姿をしているのか、ということ。
それが、昨夜、堀先生による本の読み方についての講義から少し見えた。
先生の主旨は、
「本(特に古典)を読むときに、自分の情緒とか現在の状況とかに引きつけすぎてはならない。
あるいはイデオロギーにも引きつけてはならない」
ということ。
どんな本も、今ここの私の状況によって解釈されがちだが、理解の目線をもっと上に置きましょう、ということだった。

メディアリテラシーとか言われるものすらそうだ。
今ここの私にとって、それが良いか悪いか、役に立つか否か。
それだけが送り手の判断基準なっている。
それを汲み取ってあげるのが、大衆。

もちろん、今ここで料理をするために必要なレシピというものはあるだろう。
ひとつの料理にひとつのレシピ。
1対1対応ならば、必要なデータは膨大になる。
メディアが流すのは、その1体1対応の膨大で個別な方法。
けれど、料理をしようするときに私を助けるのは、個々のレシピではなく、料理全般についての知識とノウハウである。
調理法や、素材の特性、食べ方などが、系統立ててラベリングされ、組み合わせできる知識として整理されていれば、個々のレシピはそれほど必要とされない。
目の前にある素材を出発点として、最終的な料理が想定され、足りないものつまり買い足すものが確認され、それに伴う調理法と味付けが決定される。
この時、何を想定しているかというと「出来上がる予定の料理の姿と味」である。
料理という行為は「出来上がるはずのもの」から映像を逆回しするようにして今に至り、そこから作り上げられていく。
ちょうど映画の編集のようなもの。

例えが長くなってしまったが、つまり、本を読むときにも「最終的な理解の姿」が見えていなくてはならない。
そしてそこに至ための正しい姿勢をとっているは、規定された環境にいる自分と呼ばれる個人ではなく、自分を含む人類全体なのである。
堀先生の言う最終的な理解の形が何をバックグラウンドにした結果かといえば、「真理か否かというその一点を検討する姿勢」だと言う。
古典が書かれた時代に引き比べて、現時点では、とか、実効性の有無とか、社会適応度などではなく、ただ、純粋にそのテキストに真理はあるか否かという眼で読まなくてはならない、ということである。

もちろん、人は、いつも地域性とか宗教の如何、時代性のような多種多様な環境のバイアスを通してしか物事を知覚することはできないのだが、それを超えて未だ残るものを観よ。
つまり学問の主眼は、テキストから何をはぎ取るべきかの知識を得るということでもある。
只今現在の自分のバイアスを凝視するとこと。
そして、はぎ取った末に残ったものから真理を抽出する努力をすること。
言わば、不変・普遍の要請に耐える言説。
それを探す意欲は、「最終的な理解の姿」をどう想定するかにかかっている。

アーティストも、遠くを見て、感じ取っている人のことだ。
只今ここで起きている様々なことに含まれる形にならない違和感を察知して、遠からず起きること、その先に来るはずの回復までを感じ取って表現に繋げる。
今ここの、複雑怪奇な現実の中で、大いなる感受性を全開にしながら、感性の中のある部分だけはここにおらず、遠く遙か彼方へと向けられている。
未来に続く道に発生する、痛みや争いや和解や平和、あるいは絶望や希望、あるいは生と死。
その過程を見晴るかしながら、映像を逆回しするようにここに戻って、今から始める。

未来と言っているが、それすら便宜的で、未来というよりは、またひとつ学んだ私たちの立場、学んだ末の私たちの心、または、再び別のフェイズで同じ種類の過ちを犯すはずの私たちへの憐憫。
そういった物事を、感性のどこかで感じ取れる人々のために、知っているがそれを形にできないでいる人々のために、表現という姿を借りて外に出すのが、アートと名づけられた行為だ。

彼方を見晴るかす私の心は、自分としては鈍いと感じながらも、相対的にはやや鋭いようだ。
アウトプットすることを増やそうと思えてきたが、依然としてインプットは膨大である。
日々、磁石に寄る砂鉄のように、私は発信を求めて、近づく。
それは、仲間増やしに似ている。

音楽演奏では、いつも全体を見ながら部分を見ている。
部分を作り上げるとき、全体を感じている。
曲には終わりがある。
けれど、音楽をする行為には終わりがない。

いつからなのかははっきり言えないが、私には直感みたいなものがある。
たとえば、自分の体や子どもたちの体のこと。
どんな食べ物が体によいのか、何となく分かって、上等なものというよりは、適切なものを食べてきた。
子どもたちは好き嫌いがほとんど無い。
長女は蕎麦アレルギーが少しあるが、彼女の呼吸器に関しては、大失敗をした。
呼吸器と皮膚は同じ細胞から分裂する。
乳児の頃、皮膚に発疹があったのをうまくやり過ごそうとしたのだが、私の両親が心配してステロイドを塗ってしまった。発疹はきれいに消えたけれど、その後数年間小児ぜんそくがひどかった。
後づけで考えたことだが、あのステロイドがなかったら、ぜんそくは回避できたのではないか、と後悔している。

体のことは、野口晴哉先生の起こした整体協会からも学んでいる。
だから、肩揉みとか、指圧みたいなことをすると、習っていないのに、上手にできる。
薬は大体別の部分が疲弊するのが分かるのでなるべく避け、自分でする活元運動というのと、部分を温めることで経過させる。
疲労が滞ったときは整体協会の佐々木先生の国立の道場に行って整えてもらう。
先生は、私と誕生日が同じで、ピアノも弾くから、色々な話しもできる。

料理は大好き。
最近は忙しくてあまりできない。
でも、ぬかみそを漬けている。
食べるものは、パンとかハムとか少しずつ、決まった店で買う。
他は、生協のもの。
お酒が飲めないので、暴飲暴食もしない。

職場まで、お天気がひどいときと、体調不良の時以外は歩く。
25分かかるので、往復歩くとまあまあの運動。
その他にも、都内に出たり、町中の用事でも歩く。
自転車は、3年くらい前に止めた。
自転車があることを前提にして移動範囲を決めると、スケジュールを入れすぎることに気がついたから。もちろん、地域の仕事をしようとすれば自転車ほど便利なものはないけれど、私は地域活動向きではないと思い知ったので...。

こういう生活の中で、色々なことに対して「人間にとっての適量」とか「安全っぽい」ことを察知してきた。
私や家族の限界を超えているでしょ、と直感されることは諦めるのだ。
向上心がないということではない。
子どもたちは、ちょっと心配なくらい頑張りやさんばかり。
言ってみれば、不適切なことはしない、みたいこと。
たとえば、できもしない職業に憧れるとか、不要な華やかさ、スタイルなんかを求めるようなこと。

いつも、江戸時代の人の暮らし方を思った。
稼いだおあしでその日の食い扶持を賄い、年取れば子どもに頼り、早めに死ぬ。
私にはこれが理想だ。
短いサイクルの循環を可能にする社会だと、もっといいな、と思う。
つい数十年前まで、飢饉が来ればひとたまりもなく飢えて死んだのだから、その頃の方が良かったとは言わないけれど。
今は、いつまで生きちゃうんだろうか、というのが人生の大問題だったりする。
それまで、何とかこの生活レベルを維持しないと、というのが恐怖だったりする。

この不安は、成長し続けるのが正しいとする、今までの社会の方向が作り出した脅しだ。
脅したってダメよ、と知らん顔をしなくては、と思う。

人間は長い間、貧乏なまま生きて死んだ。
それが普通だと思うと、市場に出現する様々な強迫や過剰が、ヘンなことに見えてくる。
私は豊かな家庭に育ったため、家族同様貧乏を怖れまくった。
怖れて竦んだ末、ついに追いつかれちゃった。
でも人生は、そこから突然面白くなった。
つまり、破滅するかも知れないという怖れの予感は、実際にそこに至った途端、生き延びる方への直感に場所を譲ったのだ。
私はそこからやっと自分になった。
もう、闘って倒れてもいいやという気持ちになった。
闘いの中味で勝負しようという、希望が持てるようになったのだ。


ZoolooZ 第9曲目

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本日は、ZoolooZ 第9曲目

『歩こうよ』  加藤崇之作曲


この曲のリズムは私が決めた。

はじめは普通の8ビートだったのだが、歩くならマーチでしょ、ということになり、エンディング用に全員でスネアを叩いたりもしてみた。

太鼓を叩く人数がだんだん減っていって途切れる、という反戦的な終わりを夢見たが、エンジニア福島にあっさり却下された。第1次大戦後のヨーロッパ映画の雰囲気が欲しかったのだが...。


従って、気を取り直して池上線の商店街などを思い描いてみた。

古い店はこれからどんな風に変わっていくのだろう。

私の知る日本は、これからもまだ、少しは残っていくのだろうか。


9.歩こうよ

 

商店街が好き。

入り口に、春は桜、秋は紅葉のビニール飾りをなびかせる商店街が好き。

私の家から五分歩くと橋があり、その橋を渡ったところから駅まで、素敵な商店街が続くのだ。

駅前のアーチには「銀河商店街」とある。銀座じゃなくて銀河というのがすごい。宇宙の銀河かと思ったがそうではなく、銀座河下の略なのだそうだ。

 

駅前のアーチをくぐるとすぐにお茶屋さんがある。ほうじ茶を煎る良い香りが漂う。抹茶アイスのソフトクリームを宣伝する幟。

和菓子屋は、これから商店街を通って知人宅を訪問する人々のために、名物の「ようこそ饅頭」を売っている。五個入り六百円、十個入りだと千二百円。

書店は、禿の爺さんとオタクな孫が店番。爺さんは咳をしながら万引きを見張り、オタクな孫はガムを噛みながら漫画を読み耽っている。

破格に安い輸入衣料品店。キャミソール290円はベトナムものか。結構可愛いが、洗濯できない。

お腹が空いているときは、次の肉屋でコロッケを買い、ソースをたらしてもらう。小判型でなく、俵型でもない、アーモンドのでかいみたいな形。じつは、私はコロッケよりここのウィンナーが好きだ。

八百屋には、声のでかいおじさんが居る。おじさんカラオケ好きかな。唸る演歌に向いた声だ。野菜はいつもここで買う。でも、おじさんが耳のそばで喚かないように注意しないとならない。

最近できたコーヒー豆専門店では、1回に100グラムずつ挽いてもらう。香りが飛ばないうちに、次の新鮮な豆が買える。今日は、キリマンジャロにした。

定食屋は、ショウガ焼き定食と挽肉オムレツが美味しい。上の窓からはいつも鯖を焼くけむりがもうもうと出ている。

酒屋には背の小さいおじさんが居る。いつも重いものを持っているから小さいのかな。でも、きっと力持ち。

蕎麦屋は昔から汁がしょっぱい。色は醤油色。うどんは煮染めのようになる。それでも、いつも結構人が入っている。謎だ。

花屋には私の中学の同級生がいる。高校を出て2年目から自分の家で働き出した。少しの間、青山の有名な花屋さんで働いて、それからパリにも行っていたらしい。銀河商店街にはエレガントすぎるかな、と心配したけれど、ネット通販を始めて、アレンジとかがよく売れている。

商店街の道幅は、車が一台通れるくらい。車と自転車と人が合わさると、いっぱいな感じだ。道路は、横断するというより、斜めに歩いて渡る。

ジグザグ ジグザグ。

豆腐屋は、この商店街では有名な店で、木綿、絹の他に、湯葉、豆乳、がんもどき、薄揚げ、厚揚げを買い求める人がいつも並んでいる。テレビの番組で紹介されたのが契機だそうだ。実際とてもおいしいので、近所の人たちは、朝のうちに予約を入れておき、帰りがけに受け取って帰る。

時々立ち寄る喫茶店は、閉店したスナックの後に、お茶屋の嫁さんが開いた。クリームイエローのドアに赤と緑で「グリーンフィールド」と書いてある。イギリスとかカナダっぽい趣味。けれど嫁さんは名古屋出身らしい。それでメニューにパンケーキがある。クリームチーズを蜂蜜で練ったフィリングが人気。

商店街はまだまだ続く。毎日、いろんな店を見て歩き、時々立ち止まって店の人たちと話し、ちょこちょこ買い物をする。

商店街を歩く家までの30分間、私の心には楽しいマーチが鳴り響く。

歩こうよ、歩こうよ、歩こうよ。

私はこの街が大好きですよ。

 

適応の深層

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書店に行くと、ビジネス本とかハウツー本とかいうものがあって、それを読むとビジネスに成功したり、夢が実現したりするそうである。
するそうである、の意味は、ポップや帯にそう書いてある、というほどの意味だが、そうなんだそうである。

長く、フリーのライターをやっていたが、その系統の書き物には何故か縁がなかった。
「あなたの恋愛を成就させます」 とか
「新しい自分に出会えます」など
自己啓発的な文章を書く方向に誘われたことがない。

音楽の解説や入門書などは随分書いた。
まったくの駆け出しの頃は、美容、健康、育児、旅行、料理、占い、園芸、歴史、なんでもやった。
新聞系の時事評論なんかもやらせてもらったことがある。

しかし、「あなたの幸せを約束する」系は、ついに一度もやらなかった。
ゴーストライターとしての仕事もなかった。

望まないものはやって来ない。
これは、適応の結果ではないか、とふと思う。
適応、という機制は、個の環境に対する働きかけだという一面もあるが、もうひとつ、内的適応というものもある。
それが、望まないことはやって来ない、という結果に繋がる。

自分の心をよく観察すると、
お金がないないと言いながら、お金儲けをしたくないという強い欲求がある。
ライブにたくさん人が来てくれると良いとか、本が売れてくれると良いと思いつつ、一方では有名になると色々めんどくさい、という拒否感がある。

恵まれない、と感じていた時期もある。
こんなに頑張っているのに、どうしてこうも実入りが少ないのだろうか、と嘆いたこともある。
しかし、冷静に考えると、子どもが3人もいてそれぞれ自立し、自分は歌を歌っても、文章を書いてもお金が頂けて、夫に頼らず生活でき、会社があって面白い仕事をし、性格の良い生徒さんたちに恵まれて、いつもお土産のお菓子を食べて太り...と。
良いことずくめなのかも知れないのだ。

とにかく、無事に子どもたちが育ち切った、というのは僥倖である。
自分が好きな仕事しかせず、偏ったオタクな母親だったにも拘わらず、それでもみんな無事に大人になってくれた、というのは凄い。
振り返れば、どれほど気力体力財力を注いだか。
もしかして、それだけのことを自分に振り向けたら、すごい遊べたかも知れないし、歌手として大成していたかも知れない。
が、私はやっぱり子どもを育てる方を取った。
それで自分が得たものは、半端な成功とかお金では得られないものばかりだった。

子どもたちが家を出て、夫と二人になり、その夫が仕事で数日留守にしたとき、わたしは良く眠れなくなった。
みんながいるときは、家は狭くて、風呂は満員で、洗濯も食器洗いも山のようでうんざりしていたが、その家は、一人になると広すぎて静かすぎた。
何より、一人は本当に不安なのだ。
私は人にとても気を使うというか、感応しやすいタチなので、一人になる気楽さを楽しみにするのだ。けれどじつは、めんどくさい手のかかる人のいることが、一方で安心を含んでもいる。
家族とは、そういうものらしい。

私の適応機制は、誰もがそうなのだが、もっぱら自分の安心のために働いた。
その内容は、自分の家族に支えられるのが最適であると察知して、家族を存在させ、精一杯慈しみ、いつでも安心できる空間を引き寄せられる保証のために生きる、ということだった。

周囲の人々が私の働き方や行動を見るにつけ、不可解だと仰るのは、それが社会的でなく個人的欲求に従っているからなのではないか。
ビジネス本やハウツー本はどうしても、社会に適応する方向を描く。
多くの著者は、社会的成功によって内的適応を実現した希有な方々である。
希有だからこそ、「本を書きませんか」とお願いされるのだよ。
ほとんどの人々は、有名著者と同じ方法では環境にも内面にも適応できないはずだ。

程度問題ではあるが、時には内的適応を優先しないと人間は壊れるものなのだ。
自分とは異なる人々の成功方法は、自分には向かないことが多い。
私の場合底流に、仕事以上に家族によって安心したい事情があるために、このような仕事の仕方になっている。
それは、仕事の成功にはほとんど結びつかないのだが、毎日の成功には結びついている。

ついでに言うと、自分の弱点やトラウマを知ると、少し自由になる。
それに気をつけるべきだと分かると、それ以前よりは少し安心を増すことができるようになるのだ。



Zoolooz 第8曲目

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本日は、ZoolooZ 第8曲目 『望郷』
馬子唄かな、と思い。

作曲 多田文信

夫は、岩手県花巻市出身
言わずと知れた、宮沢賢治の故郷。
子どもたちを連れて、何度も訪れた。
賢治記念館、花巻温泉、南部曲がり屋、遠野...。

震災で東北が痛んでいる。
東北の人々は、力強く、我慢強い。
愛情深く、面倒見が良い。
東北の人には、ついぞ騙されたことがない。

この曲『望郷』は、花巻に捧げられている。
だから、詩にした。
 

8.望郷

 

 風が凍っていた。

冷気はすべての頬と指先目がけて集まり、

溜まったままとどまり、

やがて痛みに変わって心を苛んだ。


 風は細かな針のようにきらきらと輝いて、

心ない踊り子のように吹く風の形に舞い、

苛立つと渦巻いて駆け上がり、

そのまま次の村まで流れて行く。


 地吹雪は、脛を凍らせる。

鼻から猛然と白い息を吐く馬の踝と膝を凍らせる。

馬橇は馬の力に運命を託し、

ひっそりと厚い毛布にくるまって座りこむ母娘を曳いて行く。


 田舎は、かつてそんな風だった。

 冬の間、

吹雪は絶え間なく地平を覆い、

容赦ない冷たさと激しさで人々の行く手を遮ったものだ。

 秋の終わりに急いで仕込まれる干した野菜と塩漬けの野菜。

干した魚と塩漬けの魚。

 

 寡黙で勤勉な馬だけが自然の中で人の味方のように思われた。

 だから南部曲屋では人の続きとして馬が養われた。

 馬と神は続いていて、

恩寵を忘れるとすぐに召し上げられる。

 伝説で馬は妖精となって、

女を連れ去る。

 

 故郷では己の無力が自覚された。

 自然の中で無邪気を究めようとすれば、

何を成し遂げる暇もなく、

ただ無力を抱いて死ぬこととなる。

 無邪気は甘い蜜の味。

 けれど、

大人の陰に隠れる限り、

己の冬は越せない。

 

 誰もが日々、山の機嫌を窺い、

森の意向を探って恐る恐る暮らしている。

 自然の中で、人は自分が一人の歩哨でしかないことを、

神に祈るという担保なしには

勇気すら抱けない歩哨であることを突きつけられる。

 

 橇は、深雪の上を滑るように進む。

雪に埋もれる馬の脛は、力一杯引き上げられ、

次の深雪に向かって投げ出される。

 その絶え間のない苦闘。

 

 私は謙虚にも、

はじめは馬と同等になることを、

その絶え間ない苦闘を受け入れる精神を養うために旅立った。

 いずれは、父と同等の歩哨となるためにも、

凍りつく故郷を出たのだった。

 自然は、世の果てまでくまなく地平を覆っていた。

 闘いは、どの時間にも途切れることなく続いていた。


 勝ち負けではなく、ただ生き延びること。

 生き延びること、生き延びること。

 

 そして今、私は故郷を想い、故郷を想い、故郷を想う。

 長い冬と、凍りつく厳寒に閉ざされてさらに強い、故郷を想う。



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