日記: 2011年10月アーカイブ

淋しさについて

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久し振りに会った友だち。
音楽もアートも何でもできる人で、彼の作ったものを見るとみんな幸せになる。
でも、彼自身はいつも大変そうだ。
つまり、才能を上手く利用されてしまうということ。
その彼が私を評してこう言った。
「何でもできて、分かっていて、大変なんだよね」
彼は、自身に私を重ねたかも知れない。
色々できたり、人の気持ちが分かると、人はおおむね生き抜く図々しさを手放さざるを得ない。
できてしまうところから俯瞰すると、人の有り様に神経質になる。

生物は、自分が食べる対象を可哀相とか、気の毒と思うと死ぬしかなくなってしまう。
お坊さんみたいに即身成仏。

いつも、人の気持ちを考えて、良かれと思って動くけれど、理解される事ばかりではない。
それに気づかされたときの徒労感。

街を歩いていて、ものすごく怒っている自分に気づく。
「ああ、私こんなに怒っているわ」
そう感じながら、それも仕方ないと思う。
何だか、つらいことばかり多い。
つらいことを、受け止めすぎる。
けれど、私はそういう風に生きてきたし、これからもまだそういう風に生き続けたいのだろう。

今までより幾分救われるのは、これからは、そういう自分を知って、環境を変えていける気がすること。
自分を活かすために、環境を選び取ればいいのだ。
私を損なわない環境。
人生最後の数年間くらいは、とっぷりと甘やかされてみたいよね。

スティーヴ・ジョブズが亡くなった。
私は、使い初めから今まで徹頭徹尾のMac.ユーザーなので、Mac.社宛てにお悔やみメールなどしてしまった。私は、ジョブズとビル・ゲイツと同年生まれだ。
でも、こんなことしたの、初めてかも...。

Webに上がっている、スタンフォード大学での伝説的なスピーチも聞いた。
ジョブズはかつて、自分の大発明のお陰で大きくなった会社から追放されていた。
その後、カリスマを欠いたMac.は、Windowsに押された。
Macユーザーの私は、「そのうちMac.なんて無くなるよ」と周囲の人々から脅され続けた。
確かに、Windowsは安いハードとソフトがたくさんあって、とても経済的なのだった。
けれど、ディスプレイを見ると、どうしても使う気にならない。
田舎くさい感じがするのだ。
Mac.いつまでも無くならないといいな、と願っていた。
OSが上がる度に、買い換える度に、汗をかきながら整備して、頂き物や新規購入を含めると10台以上使ってきた。
今も、2台平行して使っている。
OS8のソフトが走るものも必要なのだ。

そうこうしているうちに、気がつくとMac.とジョブズは大成功していた。
大成功している端から病に倒れ、思いがけず早く亡くなって、周辺はざわざわとしている。
いつも、世界は停まっていない。

Mac.がそうだったように、どんな家庭にも人にも企業にも、多くの変化の波がある。
若い頃、私以外の兄弟はとても豊かで、超貧乏な私は付き合いが大変だった。
数十年経ってみたら、その状況も大きく変わった。
私はただ、その場その場で地道にやってきただけだけれど、いつかしら色々積み上がっていた。
諦めなくても良いんだな、反省ばかりしなくても良いんだな、と思える。
ジョブズは、スピーチの中でふたつ、心に残ることを言っていた。
「自分の心の声、直感に従え」
「Stay hungry,stay foolish」
どっちも、心から頷ける。
私も、それしかしてこなかったのだ。

今、事実だとか、正義だとか言われていることも、時とともに姿を変える。
見方も変われば、解釈も変わる。
だから、今がどん底と感じられても諦めないで、だましだまし、最低限生き延びることをしていればいいのだ。
一発大逆転でも、こつこつとでも、それは人それぞれだけれど。
進もうとさえしていれば、明るい場所に出る可能性がある。
大事なのは、最低限で良いから、前に進む気持ちを失わないこと。
少しでも匍匐前進でも良いから、前に行く気持ちを保ち続けることだ。
そうしないと、可能性すらなくなる。

世界は停まらないから、こちらが生きている限り何らかの可能性がある。
今まで生きてきて、世界の変わり様はひとりの人間が我慢できないほどゆっくりではないということが分かった。
ジョブズの境遇を見て、回復を見て、私のように希望を持った人はたくさんいるはずだ。
絶対いいことがあるからね、やけにならないで粘り強く行こうよ。

だれかの喜ぶ顔

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一番嬉しいのは、だれかの喜ぶ顔を見たとき。
感動したり、楽しんだり、満足した顔を見たとき。
私が料理をするのも、歌を歌ったり、教えたりするのも、企画を考えるのも、どれも、だれかが喜ぶ顔を見たいから。

子どもたちが小さかったとき、変身グッズみたいなおもちゃを欲しがった。
プラスティックやビニールでできた、ピンクや金色のコンパクトみたいなもの。
電池を入れて、スイッチを押すと電飾がきらきらする。
近所にあった「赤ちゃん本舗」に行けば、そこで手軽に買えるのだ。
でも、私にはそれが素敵なものには思えなかった。
確かに、一時、本物のヒロインになったみたいな気分になって、変身した気分になって楽しいのかも知れない。
でも、そのおもちゃの手触りは、安っぽくて冷たい。
おまけに、見れば結構いい値段。
私は工作用紙や折り紙を買って来て、手作りで王冠と杓とコンパクトを作った。
金色銀色の紙を貼り、娘たちのサイズに合わせて。
それを装着して、首にスカーフをなびかせた記念撮影。
紙で作ったものなのに、それらは大切にされていつまでも残っていた。
大きくなってから、ふと、「あれが一番好きなおもちゃだった」と娘が言った。
それは、私にとって、とてもとても嬉しい出来事だった。

若い頃は、だれかを喜ばせる一方で、私を喜ばせてくれる人が少ない気がして淋しかった。
子育て中は誰だってそんなものだけれど。
もしかすると私は人が良すぎるのかな、といつも反省した。
人はだれかを喜ばせることに一生懸命な人と、自分を喜ばせてくれる人をつかまえるのに一生懸命な人に分かれる。
でも、この年齢になると、人を喜ばせる余裕なんて、全ての人にあるもんじゃない、という現実も分かってくる。現実は厳しい。
私がだれかの喜ぶ顔を見るために、時には損をしてでも頑張っちゃうのは、今まで気づかないうちに喜ばせてもらった記憶のお陰だと思う。だれからとだれから、なんて名指しができないほどたくさんの人たちから。
たぶん、いつかどこかで喜ばせてもらった分を倍返ししないと、きっと、気持ちが落ち着かないのだ。
「倍返し」って、いいね。
今思いついたよ。


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