日記: 2011年9月アーカイブ

近頃、周囲の人たちが何となく「一所懸命」な感じがする。
「一生懸命」というのもあるな。
私は、「一所」の方が好き。
今ここに集中する、持ち場に集中する。
全体的にいつも頑張り続けるのではなくて、今ここが大事。

自分の欲するものが見えると、とても助かる。
まず私は、自分のしたいことは、別の文脈の中では生きないと悟った。
つまり、全体の都合や流れに沿うものではない、と分かった。
なので、独自で何でもすることにした。
責任も取りやすいし。
全体を恃むと、エネルギーが削がれたり、たわむ予感がするから。

ただ真っ直ぐに、自分のオリジナリティーを進めることにした。
それは、尊敬する様々な人から学んだ。
自分が真実「良い」と思うことをしないと、混ぜた絵の具のように濁った感じになる。

じつは、「感じ」という言葉は嫌いなのだが、フィーリングとかニュアンスとか言い換えても良いが、まあ、結局同じことかもな、と思う。

みんなが一所懸命に見えるようになったのは、みんなが変わったのではなく、私の見方が変わったということかも知れない。
誰かの不可能を別の人が救う。
それは力のあるなしではなくて、個性同士の助け合いだ。
たくさんのベター・フィッティングを創世すれば、もっと力のある展開が始まるんではなかろうか。
そして、それに対する責任を、もう少し負えるかな、と感じるこの頃なのだ。

落ち着く場所

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最近、英語の翻訳教室の方々とのコミュニケーションのために、Facebookを始めた。
まだ、これがどういうものなのか、ほとんど分かっていない。
震災前から始めたTwitterも、じつはまだほとんど分かっていない。
私としては、紙媒体に書いていた時代から、ブログにした時すらも本当にジャンプだった。
今は、ブログは自分の部屋、という気がする。
落ち着く。
馴れたということ以上に、性に合っているみたいだ。

ブログは個人的な部屋で、Twitterは通りすがりで、facebookはカフェって感じかな。

おとといの誕生日ライブは、とてもとても楽しかった。
思いっきり歌った気分。
好きな歌ばかりだったし、メンバーもくつろいでいて、極上に楽しかった。
こういうライブは生涯に何回かしかできない気がする。

ところで!!
次女は、名古屋のソフトバンクの携帯ショップの副店長なのだが、なんと接客グランプリで日本一に。昨日、ニューオータニで全国大会。
賞金は30万円相当、他にハワイ社員旅行のおまけだとか。
「みんな勝っても負けても号泣していた」
と、本人はポカンとしている。
それはそれは大変な練習をしたそうだが、職種は違えど、パフォーマンスする家族なのだと改めて想った次第。
昨日、家に一泊して今日はもう名古屋に帰って行く。
11月に結婚の予定。
「彼氏と東京に異動願いだしてるから」
と言うあたり、親孝行だな。

この偉業で最高に興奮しているのは、父親。
少しも子育てに貢献しなかった割に、こういうときははしゃぐんだな。
平和だな。



この頃、気が楽なのだ。
実家が壊滅し、地震で色々大変なことがあったら、不思議と自分は楽になっている。
不謹慎だろうか。
理由は多分、世間の危機感が私の危機感に近づいたからだ。

親や家族からそれ相応の扱いを受けている人には分からない、辛い日々があった。
私が黒人の音楽を好きなのは、公民権運動を学んだからではないか、と考えたりした。
フェミニズムも臨床心理学同じ理由で、必然があって学んだ。
私は、差別されているという言葉を使いたくなかったけれど、実際はそうだったようなのだ。
だから、普通にその意識を持たない人たちと話すときは、そのレベルまで自分の緊張や怒りを解く努力をして、様子を窺いながら、不穏な発言をしないように、自分の舌に細心の注意を払っていた。

それが、現在は、世の中が大分不穏なので、自分の意識をコントロールする量をかなり減らすことが出来ている。
たくさんの人が、生死について考えたり、汚染を心配したりする中で、少し、自分の緊張が解ける。

心理の先生が言っていた。
「失業して鬱になった人は、自分と同年齢の人たちが定年になる頃から寛解し始める例がある」
そんな感じ。

そもそも心理学は、第1次世界大戦の戦争神経症の治療から飛躍的に発展している。
各々の日常の深い落差。
今もアメリカでは帰還兵のノイローゼが大きな社会問題だ。
命懸けで暮らした経験は、ぬるい日常の中では、自分に対して凶器を向けてしまう。

心の中の緊張とか、切迫とか、危機感は、表に出たときに他人を途惑わせる。
怒ったり、怒鳴ったり、皮肉を言ったりする人の理由を丁寧に察する人は多くない。
だから、それを知って、長く、自分の緊張を解除するよう気をつけていたのだ。
振り返ると、いつも大変な精神力を伴う作業をしていたみたいだ。

このところ、その作業をする機会が減ってきた。
私は、市井のごく普通の経営者で、それなりにえげつなく、時には強欲で、利己的だ。
そういう、時には顔をしかめたくなる自分でありたいと、半ば夢見ている。
他の人を心の中で糾弾したくなくなったから。
私の生き延び方は、それなりに普通なんだよね。

ただし、一方で、私はある種の精神的種族だという自負もある。
理想は薄く持っている。
あくまでも、それに拘泥しない程度に。

明日は56回目の誕生日で、大好きな吉祥寺でバースディー・ライブをやる。
いつになく楽しみだ。
好きな歌を存分に歌ってしまおう。
そしてまた、今年も何とか生き延びていたことに感謝する。
ハッピー・バースデイー、自分。

朝の連続テレビ小説で、幸せになる、というテーマみたいなものが語られる。
幸せか...と考える。
幸せという言葉は不幸だ、と思う。
なぜなら、実感されたことがないから。
だれひとり、そんなものを知り得ない。

幸せとは、絶対的なものだ、という考えがある。
周囲に惑わされず、自己の充実を基準にする、みたいな。
でも、それはただ、他の時間と比べて幾分楽だったり、偶然にも希求していた満足が果たされたりした瞬間のことを指しているだけかも知れない。

グルメを究める、アート指向の料理があるかと思えば
餓死する子どもがいる。

(と、ここまで書いて、昨日放っていたのでその続きです)

世界では、何でも起きている。
起きたことに対する「人」としての感受性とか、生理的な反応とかは、いつも自分を何とか生かす方向に向かって動く。
日本の安定した家庭でつつがなく暮らす人は、世界規模で見ると大変に耐性が低いと想像できる。
それではまずいんではなかろうかと薄々感じた私は、ルポとか文学とかで想像力を養ったつもりでいた。実際にクラッシュが起きた日々には、怒ったり不眠になったりする激烈な自分の反応を感心して眺めたりした。
人は、自分が次の瞬間どういう行動を取るかなんて分からないのだ。
辛い事が起きたら、私なんか絶対生きていけないわ、とか、かつてのお嬢で平和な私は考えていた。
しかし、人生ではその数十倍くらいのしんどいことが起きた。
振り返ると、その都度、闇雲に動き回って何とか生き延びてきた。
不思議だ。

今、幸せですか、と訊かれたら何と答えるかな。
「そう聞いてくるあなたよりは幾分幸せかもね」
とでも言うかな。
「何でそんなこと聞かなくてはならないの」
と怒るかな。

朝の連続テレビ小説を見て、半丁な気分になる自分は、幸せって概念が嫌いなんだな、と分かった。
朝の愛情に溢れた連続テレビ小説は、愛に恵まれなかった人たちの心に塩を塗りつけていないのかな。どうなんだろ。

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