音楽: 2012年9月アーカイブ

曲を作るには

user-pic
0
夜、蒲団にはいると音楽のことを考える。
そして、いきなりメロディーが浮かんでくる。
田舎の景色とか、昔の想い出を背景にして、色々な音楽が聞こえてくるのだ。
だから、蒲団の中で、i-phonのボイスメモに向かって歌えばよいと気づいた。

以前は、蒲団内作詞が気に入っていたけれど、次は蒲団内作曲が始まるかも知れない。

私には、新しいものを創り出す才能はないと思っていたけれど、もしかするとできるかも知れないよ。


今年で7回目かな、私と佐々木正則さんの合同誕生日祝いライブ。
佐々木さんはピアノを弾くとき、北正則になる。
結婚前、夫が仙台にいた頃に知り合っていたそうだ。フランスに行っていたり、日本中を旅してピアノを弾いていたり、不思議な人だ。その後、しばらく会わないでいるうちに整体協会の指導者になっていて、産後の体調の悪いときに随分世話になった。
整体の指導をしている間は、あまりピアノを弾いていなかったのに、私たち夫婦と再会してまたしばしば弾くようになった。シャンソンを教えているので、お弟子さんの伴奏などが多い。ある時、雑談中に誕生日が同じ日だということが分かり、しゃれで合同バースデー・ライブを始めた。最初は15人くらい入ればいっぱいになる程の店。ピアノもなくて、キーボードを弾いてもらった。次第に、お客さんが増えてきて、会場を広くしたりメンバーを増やしたり、そしてこの3年くらいは、吉祥寺のMANDA-LA2というお店で続けている。

ドラムの宮崎まさひろは、私と同じ年でかつてはスタジオミュージシャンのナンバーワンだった。それがある時、音楽を止めて農業を始めた。ちょうど私が育児休暇している間、同じように農業をしていたことになる。復帰して、しばらく夫の周辺のミュージシャンとセッションなどしていた。現在は、高中正義や斉藤ノブさんなどのバンドでレギュラーの他、色々な歌手の営業仕事も多い。
ギターの加藤崇之は、私の学生時代からの友達で、18歳からの付き合い。歌手に復帰したとき喜んで、普段は弾かないスタンダード仕事にも付き合ってくれている。ジャズ界では、フリージャズの第一人者だから、私のレパートリーを弾いてくれるライブは貴重かも。
サックスの松風鉱一さんは、昔ゴダイゴのレギュラーだった。彼は同じ国立居住の北さんと仲が良く、私同様、北さんに体調管理を任せている縁でいつも参加してくれる。

みんな筋金入のミュージシャンで、演奏が気持ちいい。
力が脱けていて、締まっていて、緊張感が有りつつ、ゆったりしている。
これは、毎日のように人前で演奏しないと培われないものだ。

このライブのように、毎年続けていることがあると、人生の移り変わりや蓄積についてとても明確なイメージが持てる。
演奏内容、それぞれのメンバーの実績、そして来て下さるお客様の顔ぶれ。
毎年、これまで積み重ねてきたことの諸相や実績を振り返る。
そして、そう捨てたものでもないな、と感じる。
毎日は少しずつでも、積み重なって、そしてそれらは消えることがない。
いつか、年を重ね、育っている。
それらを確認できる仕事をしていると思うと、そして、再会した人々が笑顔を向けてくれると本当に嬉しい。

ライブハウスの店長さんに、これ以上お客さんが増えたら会場変えないと、と冗談を言ったけれど、今のところはこのサイズがちょうど私たちに合っている気がする。
来年も予定しておいて、幸いにも生きていたら実行するね、と伝えてきた。
生きていたら、と言うのがそう不自然でない年齢でもある。
だから、大事に、丁寧に、また一年続けていく。

来て下さった皆さんありがとうございました。
また一年、精進してお目にかかります。
待っててね。
オペラの本を書く間、メトロポリタンオペラのライブビューイングの広報に大変お世話になった。素晴らしい写真をお借りして掲載している。
その関係で、東銀座の東劇で、ライブビューイングを見る機会を頂いた。
昨日は、「エンチャンテッド・アイランド(魅惑の島)」という、MET作のオペラ。バロックの、ヘンデル、ヴィヴァルディ、ラモーの名曲からアリアを選び、シェークスピアの「テンペスト」と「真夏の夜の夢」のストーリーを下敷きに新たに台本を書き起こすという贅沢な手法。
既存の曲あるいは部分を組み合わせて制作するオペラは、パスティーシュ(パスティッチョ)と呼ばれて、旅回りの小さい歌劇団などが良く行っていた。

この作品、確かに舞台美術も音楽も歌手も素晴らしい。
薄いスクリーンにホログラフや映像を駆使した効果は幻想的で美しく、3時間ほどの舞台を飽きずに観ながら、終盤に差しかかって「あらあら」と笑いたくなった。

本来、オペラの筋書きは、身も蓋もないのが身上だ。
現代の社会性や価値観から大きく離れているので、最初はその点にビックリすることが多い。
「あら、この人殺しちゃうの」とか「何で悪者が生きのびる訳よ」とか、多くは割り切れない思いのままストーリーを消化しなくてはならない。
しかし、次第にそれに馴れてくると、各時代に固有の「ドラマツルギー」というものに興味が湧き、時代ごとの人間観、人生観、社会観、背景について考えたり、調べたりする楽しみができる。
その上での「魅惑の島」。
終盤に差しかかると、いきなり、反省、改悛、謝罪、和解という、大作ハリウッド映画のような安い展開になってしまった。
アメリカ人は総立ちのスタンディングオベイション。
でもこれだと、ヨーロッパなら絶対ブーイングだな。

オペラの見始めの頃は、勧善懲悪や予定調和でないことに対する違和感こそ、私が毒されている「めでたしめでたし」文化の弊害であることを理解し、「純粋なドラマ」というものに対する認識を懸命に更新し続けてきたのだ。それが、今更のように大作ハリウッド映画もこれほどではない、と感じさせるようなオペラを観て、あららどうしようかと思った。
結論としては、「20世紀のアメリカ文化のメインストリーム典型を表すオペラ」と考え、これこそ、今後も続くオペラの歴史の中では重要な作品である、ということにするが、それにしてもああ、びっくりした。

勧善懲悪とか、めでたしエンディングにがっかりするというのは、かつてと真逆な反応。とすれば慣れとは恐ろしい。
自分としては、成長と思っていたが、もしかするとただのひねくれ、またはデカダンに毒されたのかも知れず...。
ちょっと考えないとな、と混乱の本日ではある。

このアーカイブについて

このページには、2012年9月以降に書かれたブログ記事のうち音楽カテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブは音楽: 2012年8月です。

次のアーカイブは音楽: 2012年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。