会った人の最近のブログ記事
凄い博士なんだ、という噂。
博士の奥様は、国立で喫茶店を経営していて、博士とは真反対の雰囲気の方。
博士は私の歌を気に入ってくれていて、その関係で喫茶店でのライブをすることとなった。
じつは、ペルーの天文台に出張が決まっていて、ライブに来られるかどうか微妙なところだったとか。
出張を一日早めて帰ってくる、と宣言していたそうだが、幸い出張自体がキャンセルになって、早々と会場にいらして、カウンターでニコニコ待っていらした。
ライブは、私の病欠から復帰第一弾で、やはり、色々自分なりにはもうちょっと何とかしたかった部分も有りつつ、まあ無事に済んだ。
終演後に、博士が
「宇宙物理学って、まず考えることなんです。えーと、宇宙のシナリオについてです」
と仰る。
「日々、空想とか、アイディアとか、仮説とか、ストーリーを頭の中でこねくり回しているわけです」
なるほど、ビッグバン以来の宇宙のことだ。
「宇宙が間断なく拡張していることについても、どのように拡張しているのかを推理するわけです」
そして、それについての考えが、ある程度確信できた時点で
「その時に初めて数式にしていくわけです」
ああ、曲を書くときと似ているかも。
「音楽を聴いていると、そのアイディアが上手く展開する瞬間に出会うんです」
何やら博士にとって私の歌は相性抜群なんだとか。
ふざけて、私の歌が宇宙の真理を解明するのに役立つかも、と言ったら
「そうかも知れません」
と言って下さった。
博士のお話で一番感動したこと。
「宇宙を見ていると、悪くしようという方向には動いていない気がします。どう見ても、良くなるように、良くなるように動くのです」
あぁ、なんて素敵。
確かに、ビッグバンからここまで、発展している一方なのかも。
それから、私は
「宇宙人はいますか」
と訊いた。
この解答がまた、とっても素敵だった。
いつの日か、ここにも書いてみたいと思います。
そして今日は、休みをものともせず、良い気持ちで仕事をします。
ありがとう、吉井博士。
早稲田の理工学部を中退というので、釧路湖陵高校かい、と訊くとそうだと言う。
私は小樽潮陵高校だよ、と言ってふたりで北海道新聞の北大他、国立大学合格ランキングの話しをしたりした。
会ったのは、所沢のスワンが最初。
加藤崇之がライブにブッキングしてくれた。
一番の仲良しだと言っていた。
是安君のベースは1曲で私の心を掴んだ。
音色もタイム感も精神性もすごく好きだ、と思った。
以来、時々ライブをお願いし、定期的なユニットには「Organic Jazz Trio」と勝手に名づけて、有機的なうねうねしたジャズだ、と喜んでいた。
是安君はいつも早めに来て、ずーっと調弦していた。
自分の音色を作っていた。
納得行かない時は、みんなが休憩している間も、ずーっと楽器をいじっていた。
アルコール依存症からのサバイバーで、未だに断酒会に行っていることや、大変な節制をしないと身体が保たないことを聞いた。
私の弟は、サバイブできずに死んだことを言うと、何とも言えない顔をした。
彼が生きていてくれるのは、私にとっては弟の代わりのような部分もあった。
23日金曜日はお彼岸で、連休初日だった。
招待されているライブが渋谷であり、事務所に出てから回ろうと思っていた。
渋谷に出るついでに、気になっていたライブハウスにも立ち寄ってみようかと思い、場所とスケジュールを検索した。
すると、その夜の出演者はピアノの関根君とベースの是安君。
おっ、これはぜひ行かねば、と思った。
その時、加藤君から電話で是安君の訃報を聞いた。
運転中だから、詳しい話しはできない、亡くなったことを知らせるだけだ、と言う。
「えっ、これから会いに行こうと思っていたんだよ」
と、私はトンチンカンな答えをし、聞き間違いではなかったかと何度も自分に尋ねた。
それから、着信履歴を見直し、やっぱり掛かってきた電話だと確かめ続けた。
「遅かった、遅かった...」
知らずに何度も呟いていた。
涙が次々と沸きだした。
「遅かった、遅かった...」
彼とだけ、一度もレコーディングしていなかった。
来春、ぜひ、私のレコーディングに参加してもらおうと予定していた。
間に合わなかった。
7年も一緒にやっていたのに。
それから数日、今日は告別式の予定だ。
夕べお通夜に行って、お別れをしたので、今日は仕事をする。
来月のライブは、是安君抜きでどうしよう。
とぎれとぎれに考えては、呆然とする。
本当にもういないんだ、と思う。
彼は、毎回命懸けだったのだ。
どのライブもきっと、いつも最後かも知れないと、心のどこかで思っていたかも知れない。
最後に共演したとき、あまりに素晴らしい生命力溢れるソロだったので、以前より元気になりつつあるのかと、ふと思ったりした。
でも、その頃は色々な事で繁忙を究めていた。
そのことを、迷惑をかけた家族への恩返しみたいに語っていた。
いつも笑っていた。
最悪の時期の妄想の話、色弱で色が分からないけど赤い服を着る話。
どんなこともおもしろおかしく、笑って話してくれた。
私は、それで随分救われていた。
私はいつも、生きるというそれだけのためにものすごく頑張っていた。
そして、彼はその何倍も頑張っていた。
だから、「大変だよー」という心の声に気づいてくれた。
私が上げる狼煙を「見えてるよ」と言ってくれてるみたいだった。
本当に有り難かった。
だから、私は是安に何度でも「ありがとう」と言う。
いつまでも、どごでも、彼を思い出す度に。
何と、北山さんのレコーディングを河口湖スタジオでやり、その流れで「きたやまおさむ」をググっていたら、私のブログの記事が見つかり、そうこうして電話と相成ったそうだ。
有り難いことである。
福島さんありがとう。
北山修さんは、詞を書いたり歌うときは、きたやまおさむである。
美しい白髪で、椰子の木模様の地味なアロハを着ていらした。
はしゃいでいらした。
心から楽しんで。
楽屋におじゃまして、私がブログに感想を書いた御著書「劇的な精神分析入門」にサインを頂いた。
ツーショット写真を撮った。
「あ、でも、ブログに上げないでね」
当然、肖像権の話かと思いきや
「患者さんたちに刺激強いから」
そうなのだ。
臨床家が気をつけたいことは幾つもある。
フォークは、私にとって青春の歌だ。
高校の友だちと組んでいたフォークグループでも、再会ごとに「あのすば」を歌い続けている。
北山さんは、終始本当に楽しそうで、歌い出すと楽しくて我を忘れる私と、そこは同じだった。
音楽をリビドー解放に使いながら、色々なことをし続けるという私の生き方。
北山さんにもそんな感じを持った。
今回は、4回目の解散コンサートだそうだけれど、今年は北山さんの好きなスワローズも調子が良いので、また、調子に乗って続けていただきたい。
そう、スワローズ。
私も20年以上応援しているのだ。
今年はちょっとすごいかもね。
母校は、北町にある成蹊学園大学。
ここのジャズ研究会で、未だにプロとして活躍している友だち大勢と青春したのだ。
高校生だった頃は、中央線全体が憧れ。
フォークの時代だったので、阿佐ヶ谷とか高円寺、吉祥寺などは聖地だった。
大学でジャズをやり、偶然色々な店で高田渡さんはじめとする音楽人に遭った。
しばらく、吉祥寺から遠ざかっていた。
渋谷に行くことが多かった。
それがこの頃、休みの日などすぐ吉祥寺に出かけてしまう。
エスニックの服、絵本、紅茶、レコードなどなど、コアな専門店のクォリティは、全国一かも知れない。
歌のお弟子さんが、吉祥寺に新しくジャズの店がオープンするので行って上げて下さい、と教えてくれた。北口から北町方面に向かって高架沿いに行くとある。
Foxholeという。
このマスターが秀逸。
オーディオが素晴らしい。
そしてかかるアルバムが面白い。
全然知らない音楽ばかり。
ブラジルとかヨーロッパとか、無名のまま亡くなった歌手とか。
だいたい、知らない音楽はつまらないことが多いものだが、マスターのかけるLPは凄く良い。
マスターは青木茂という、野球選手のような字面だが、職人風の地味な人である。
しかしこういう人は多分、中味が鋼鉄のように頑固なのである。
かける音楽だって、自分が気に入りまくっているのでないと嫌だ、絶対に。
そして食べものが美味しい。
ひとつひとつの素材の味が、いい。
私も料理が得意なので、何故美味しいのか分かる。
良い材料を使っている。
火の使い方が分かっている。
つまり、頃合いを察知している。
私は、青木さんに、未だ私の知らない音楽の数々をご教示願いたいと切に思う。
青木さんは、はっきり言って商売が下手だ。
それをとても気にしている。
店を開いて半年以上になるが、フライヤーもホームページもない。
わざと作らないのではなく、午から店を開けてせっせと働いているので余裕がないらしい。
しかし、とても良い店だ。
だからみんな行って。
私は、7月9日に、このお店でギターの加藤崇之とベースの多田文信とでライブをやることにした。
ブッキングの時、マスターが、クーラーがないので暑いかも知れません、と言うではないか。
クーラーを買う予算がない。
従って今から、お店を流行らせないと、ライブは汗だくになってしまう。
週一ぐらいで行かないと。
そして宣伝しないと。
みんな行ってあげて。
そして、マスターに話しかけてあげて。
そして、お友達に紹介して。
良い店だから。
先日、国立のノートランクスというライブハウスで、中堅のプレイヤー達による「パスコアール」だけ演奏するユニットというのを聴いた。
最初は、ピアニスト浅川太平君を聴きに行こうとしたのだ。彼は、スタジオ・トライブのスタインウエイをえらく気に入って、トリオのレコーディングに使ってくれた。札幌出身ということもあり、ライブを聴く機会を探していたのだ。他のメンバーは、と見ると、数回共演したことのある、フルートの太田朱美、ドラムの竹下宗男と、知り合いばかり。これはぜひ、ということになったのだった。
ところで、ブラジルの奇才エルメート・パスコアールは、私が大学のジャズ研にいた頃から触れている、とてもおかしな音楽家。よく、フランク・ザッパとパスコアールを並べて聴き、どっちがヘンか較べてみよう、みたいなことをして遊んだ。
具体的に、どのようにヘンかと言うと、「こう来るだろう」という予想、クリシェを裏切り続けるところだろうか。リズムは大方変拍子。メロディーも、句読点のないだらだらした長文のようだったり、音痴な鳥の囀りのようだったり。
つまり、アバンギャルドなリズムに、現代音楽と民族音楽とジャズのテイストが、脈絡を裏切り続けたいだけかも知れない情熱に饒舌に支えられながら、てんこ盛りに注ぎ込まれている、という...あぁ、くどい...音楽なのである。
そのユニットを率いているギタリストこそが、本日のお題。
大変にオタクな人だ。
ギターのプレイも、体型佇まいも、先に述べたパスコアールのどうしようもない楽曲を完コピして楽譜にし、ちょっと見せてもらったが、南部せんべいの散らばった黒ごまのような、しかし全然色気のない書かれ方をした音符とコードネームの形がまた、ぐっと来る、どうしてこんなことばかりして生きていられるの?...な人なんである。
演奏中は、ソロ取る人に合図を出し、ルバート部分では指揮をし、MCもこなし、そして休憩時間は、ずっと喋っている。
ジャズ界の情報とか、ジャズ界の歴史とか、ジャズ界の逸話とか、ジャズ界のライブ内容についてとか、ジャズ界の...。
その彼、MCで「今日のお客さんでパスコアール好きだという方」と言うので、私、手を挙げてみた。
彼はやや憤然とした様子。居てはならないパスコアール好き。
正しい対応は、「えっ、パスコアールって誰ですか? 知らなかったなぁ、いたんですね、そういう人、すごいなぁ」である。
休憩時間に、「パスコアールってか、フローラが好きなんで、ジスモンチなんかと一緒に良く入っているでしょ」と弁明してみた。
彼は、私と目を合わせない。
ただし、口は、ひっきりなしに動いている。
ジャズ界の動向とか、ジャズ界とブラジル音楽の関係とか、ジャズ界の...。
そして、そわそわとする。
居てはならないパスコアール好きの私は、それでもわざと、話しかける。
「私、最初に見た外タレが、チックと来たエアートでしたから」
彼、更に向こうを向く。
オタクな人は、友好を望む人と目を合わすと死ぬ、と思っているらしい。
そう言えば、彼、なんて名前なんだろうか。
訊くのを忘れた。
ブルーノート・トウキョウに、レイラが来た。私が歌手に成り立ての頃、大好きだったダニー・ハサウェイの愛娘。
ジョー・サンプルとの素晴らしいアルバムを聴いて、本来の方向性はどんなかな、と気になっていた。
アルバムはいつも、プレイヤー自身の欲求よりかなりポップに作るものだから。ライブでは、その奥行きの全貌が顕わになるはず。
初日の2セット目ということで、音はやや固くはじまり、次第にこなれてくる。ベース、ドラム、ギター、キーボードの4リズムで、ごくオーソドックスなバッキング。キーボードはフェンダーのローズを基本に、ヤマハのRXとウーリッツァー。
レイラは、深く低い声が魅力だ。 決してシャウトせず、ダイナミクスよりはテクニック勝負である。スキャットの内容の充実が素晴らしい。全体のサウンドも、必要最小限の音。徹底したセレクトと抑制の利いたアンサンブル。
ベースがとくに面白い。半拍も遅れてるくらいの重たいビート。それでも推進力はあり、その不思議なビート感が心地良い。
時代はここまで落ち着いたのね、という感じだった。
成熟ということでいえば、ブラックミュージックは、公民権運動とモータウンサウンドを経て、巨大ビジネスがもたらした疲弊を、じっくりと知性で回復しようとしている様相。
ラップは、かつてのプアーホワイトたちが奏でたカントリー・フォークと並ぶ詩の世界を完成させ、ジャズは、確立した音楽スタイルがアカデミズムに昇華されて世界に流布している。
ライブといえば、総立ちで飛んだり跳ねたりはもう飽きた。
だからといって、座ったきりで寝てしまいそうなのもどうかと思う。
時には立ち上がって身体を揺らしもするが、座って聴いても充分心地よい。
内容が伝わる、浸みる、そういうライブをじっくりとやってみたい。
土曜日は、ミッド・タウンの美術館21-21のトークシリーズに出かけた。
今回は、デザイナーの皆川明さん。
何年か前に、テレビで拝見して、とても印象深く、機会があったらまた話しが聞きたいと思っていた。
テキスタイルのデザインをPower Pointで流しながらの講演。
「美は無限で、用は有限」など、深く素晴らしいコメントがたくさんあった。
子育て期間中、子どもたちが成長する過程で、次々と発売されるゲーム機器やソフトを見ながら、このエスカレーションはどこまで行くのだろうと案ずる一方で、人間の感性や耐性には限界があるはずだから、いつか停滞するか、方向転換が起こるのだろう、と感じていた。
我が家の子どもたちは、ゲームより音楽ライブやスポーツに熱中した。学校のクラスは、「ゲームを中心に暮らす子」と「それ以外に興味を持つ子」に分かれていたように思う。
このゲームに感じたエスカレーションと同様の危惧は、生活の多くのことに対しても起こっていた。
経済商品や過剰な機能やサービス、仕事のシステムやメディアに感じられるもの全てに。
結局、一度は新しい刺激に驚喜する人々も、いつか疲れて飽き、自然に近い状態に振り戻って、平安を求めるようになるのだ。
長い間、複雑で難解な方向へと向かうのが、進歩や発展と感じられてきたが、逆に、よりシンプルに分かりやすい方向へと向かうのも、別な形の進化だろう。
そしてその進化は必ず「美しい方」へと向かうはずなのだ。
これまで見たことのなかった美しい一枚の絵、というものが、進化か否かを問わず、とにかく現在の私にとって貴重なものであることは、言うまでもない。
そしてその絵に感動することは、自分にとっては感性の進化だと言える。