早朝に、ホテルのレストランに向かうと、あらゆる人種の人々がビジネスのための一日を始めようとしていた。すでに6時前に、薄い壁の向こうから、日本語でアポ取りの電話をかけている営業マンの声が聞こえていた。レストランには、さまざまな肌色の人々が、スマートフォンを片手に慌ただしく食事をしている。グルジアとかトルクメニスタンとかの感じの夫婦もいて、皿には驚くほど沢山の料理が載っていた。
はじめに向かったのは王宮。最も豪華な寺院群がある。タクシーで着くと、沢山の観光客で大混雑になっている。気温は午前中ですでに32度C。日本にも仏教寺院はあるが、こちらのものはいずれもキラキラの装飾。モザイク、金箔がこれでもかと施されている。
以前に装飾美術研究家の講演を聞いた時、イギリスと日本について語られていたことを思い出す。
日本列島は、ユーラシア大陸の最も東、極東に位置し、朝鮮半島の下にしずくを受け取る形で存在する。そして、世界地図を天地ひっくり返して見れば、イギリスの島々は、西の端でユーラシア大陸のしずくを受け取る形で存在する。
いずれの国も、華美な装飾を洗練させ、デザイン性に優れた深み、渋みに至る。インドをはじめとする大陸中央地帯のカオスは、それなりのエネルギーとして装飾に発露しながら、生命の循環を受け容れているが、東西の端にあるふたつの島国は、それらのエッセンスをすべて受け取りながら、省略やメタファーの域に至った。
タイにいて、受け取る物全てはストレートである。単純な仕事を毎日繰り返しても、それが生業となれば、喜んで働き、素直に生きる。そのシンプルさにしばらく触れていなかった。そもそも、人は食べていく、という願いを始まりとして、自分を知り、高望みしすぎず、納得して生きていたのだ。その間に、多くの理不尽、政治や争いのために生命や家や家族を奪われ、しかし、それすら人ひとり、一回の生の中に閉じ込められたまま循環して行く。
人の存在を過剰に意味づけし、大騒ぎし、はしゃぐ文化は、爛熟を通り越して腐りかけているような気がする。人はもっと静かで、よく環境を味わい、伸びやかに存在するべき物だ。沢山のことをするよりは、少ないものをしっかりと受け取り、味わって。
文明の進化は便利だけれど、今となっては面白がる暇も無く、ただ、それによって増殖される時間や利益に振り回されてしまう。ハンドリングすべきか? 溺れてもいいのか?
王宮から隣のワットアルーンに歩を進め、巨大な仏像を見る。さらに、渡し船でワットポーへ。川の上には、心配なほど沢山の渡し船。何の規則も制限も無く、大勢の船頭が神業のようにすれ違い、やり過ごす。大分疲れた。こちら岸に戻ってタクシーに乗る。お土産を買いにショッピングセンターに行く予定だ。しかし、運転手はメーターを下げず、普通料金の5倍もの運賃をふっかけてくる。娘と2人頑なに「ノー」を言い続けドアを開けて降りる。別のタクシーに駆け込んで、「100バーツ、OK?」と訊ねると、こちらの運転手は笑ってメーターを下げた。
伊勢丹が入っている巨大なショッピングセンターは、タイの人々にとっては未来の遺産だ。
「今はまだ足を踏み入れることもできないが、いずれ、あの場所で買い物をし、寿司を食べよう。そのために頑張るんだ...」。
それは、私たちが辿ってきた道である。けれど、彼らも同じように、そう考えるだろうか?私たちが時系列に沿って進めてきた、経済の発展と文明化は、しかし、現在の後進国ではバラバラなまとまりの無い事象として撒き散らかされている。バラックに住んで携帯電話を操り、屋台で食事をしながら日本製の化粧品でメイクする。それは、私たちには想像できない日々なのだ。そして、その彼らを日本並みの生活水準に引き上げて購買者になって貰おうとする遠大な計画は、いまその途上にある。あることがあまりに見えて、その仕事が彼らの幸福のためなのか、日本国の発展のためのか、よく分からなくなって、私の気持ちは行き暮れる。分からない。ほんとに。
夜遅い便のJALでバンコクを発つ。乗り込むなり疲れがどっと出て眠ってしまった。明け方に日本に帰り着いて、ラッシュの始まった電車で家に帰り着く。東京は冷たい雨。まだ冬真っ盛りだ。
あまりにも楽しかったプーケットのホテルをチェックアウト、ゴムの木の畑が見える道を疾走して車は一路空港へ。ここにはまだ、貧しい家屋という物が残っている。小屋のような家、庭に神様を祀る昔のスタイルの家。
そういえば、日本には粗末な家や古い家が少なくなったなぁ、と改めて思う。私の子供の頃は、まだあちこちに、土間と板敷きの間だけの家や、入り口にムシロを下げただけの家があったものだ。
バンコクに着くと、短髪の元気なおばさんガイドが出迎えてくれた。ところが、この方の日本語が全然分からん。しかも早口。私と娘とで聞き取れる部分が異なるのでかろうじて話が通じたような気が...。ガイドさんによると、バンコクは、治安などの面で色々気をつけねばならないらしい。特にタクシーやトゥクトゥクではぼられる可能性があるらしいことを聞かされる。
この日は日曜日で、かの有名なウィークエンドマーケットが開かれている日。チェックインを済ませたら、そこに繰り出し、帰りにはこちらも有名なプーパッポンカレーの店に行く計画を立てた。
ホテルを出ると、やはりプーケットには無かった、不穏な雰囲気。たたずむ人々の雰囲気もどことなく違う。
まずは、喧噪にまみれた通りを歩いて電車の駅に行き、切符を買うことから。さらに、目的地までの乗り継ぎ駅を目指す。最初の路線は空港から続く新しい電車。ホームに上がるエスカレーターが立派だ。その上ホームには、液晶テレビが等間隔に設置され、賑やかな音量でCMが流れている。タイの車の90%以上が日本車であるのと同様、そこに流れるCMも日本製品の物がほとんどだ。
しかし、高架から街を見下ろすと、そこには路面の線路ぎりぎりに建つぼろぼろの民家や軒先の洗濯物、屋台などがひしめく。文明のもたらす均一化が全く無視された混沌。眼下の路地に100年前、眼前のホームに近未来だ。
乗り継ぎ駅では、駅名の確認と金額の確認に時間がかかる。日本の地下鉄同様、同じ場所でも路線ごとに駅名が異なる。自動券売機はコインのみ可、なので、ありったけのコインを入れ続けた。乗車券として出てくるのは、プラスチックのコイン状の物。これを改札で読み取り機に当てる。何度でも使える物として開発されたのだろう。大騒ぎしてコインを入れ、切符を手にして振り返ると、私たちの後ろに長い列ができていた。
ウィークエンドマーケットは、昔の市場のような物と言えば良いだろうか。バラックのような屋根と間仕切りのある長屋に、数え切れない数の店がひしめいている。同種の店は同じエリアに固まってあるので、競合が激しいだろうと思われる。衣類、鞄、調理具、香や石けん、飾り物、土産物...。しかし、買って帰りたい物はほとんど無い。ただただ、その広さと人の多さ、店の多さに驚く。
夕食予定の店に行くためには、地下鉄が良さそうだ。マーケットの近くから地下に入る。入り口に日本とタイの国旗を描いた金のプレート。地下鉄は日本の援助でできているようだ。外は暑いが、乗り物の中は異常に寒い。首にタオルを巻いてやり過ごす。ガイドブックに従って、レストランがあるとされる駅に降りると、ここはナイトマーケット真っ最中だ。日本で言えば六本木通りくらいの道路を通行止めにして、何列にも屋台が出ている。こちらは食べ物屋が多い。たまに、バンド演奏の舞台もある。それがまた、延々と続く。30分近く歩いて、やっとレストラン周辺に着く。マーケットが終わった地点からは異様に暗い。交通が激しい道を渡ることはできないため、高い歩道橋を渡り、ついに、蟹の並ぶ店先に辿り着いた。
この店がまた寒かったが、それより閉口したのは後ろの席の中国人青年たち。彼らの話し声のやかましさと来たら、日本では応援団くらいしか出さない声と言えば良いだろうか。ひっきりなしに喋り、叫び、笑い...。思わず、ボイスレコーダーに録ろうかと思ったほど。
カレーは、それなりに美味しかったし、お値段も抑えめで満足だったが、色々な意味で疲れた。
タクシーで宿に戻り、バタンキュー。明日はバンコクの三大寺院を巡るのだ!
スパ。
今回の目的のひとつであります。
謎のガイド、ケンさん推薦のスパは、プーケットで唯一、天然素材だけで美容と健康に効く製品を作っているMOOKDAの経営。
ス
パに着く前に、ここのケア製品を売っているお店に立ち寄った。なんと、優しそうな日本女性がスタッフとして出迎えてくれ、ツバメの巣石けんなど、商品を丁
寧に説明してくれた。どれも欲しくなってしまったけれど、トランクは小さいし、迷った挙げ句に数点購入。気に入ったのは、タイガーバームのような軟膏で生
姜エキス入りというもの。それとハーブオイルにハッカやハーブをつけ込んだ鼻の通りをよくする液体。ここで売られていた沢山のオイルやクリームを使ったス
パということだったのだ。
スバに着くと、ここにも日本人のスタッフが。こちらの方は先程と違い、眉もきりりと、引き締まった体躯をお持ち
の方。ボイスも低音でドスが利いていた。早口でセレクトのシステムを説明し、私たちがぼやぼや考えていたら、「決まりましたらお呼び下さい」と去ってし
まった。そのせっかちな感じは、プーケットにはいない感じ。でも、仕事できるんだろうなぁ。
30分間のミストサウナから始めて、好きなコースを3種類セレクトするシステム。
私は、海帰りなので日焼けのケアとオイルマッサージ、フェイシャルを選んだ。
日焼けケアはスースーするクリームを塗るので、はじめちょっと寒かったけれど、ビニールシートで包んで貰ってからはぽかぽか。気づくと思わずいびきをかいておりました。
これをシャワーで流して、次はオイルマッサージ。良い香りに程良い強さの揉み具合でとても良い気持ち。フェイシャルでは、何度も色々な香りのクリームを塗ってはそっと拭く施術。しっとりもっちりな出来上がりとなった。
日本にいる時は、マッサージなどには全然行かない。肩こりや疲れはあるのかと思うけれど、ヨガ体操とかストレッチとかしてやり過ごしている。もまれるとくすぐったいという予感があったのだ。けれど、
今回のマッサージは、オイルの香りも良く、経絡に沿っていて、素晴らしく気持ち良かった。
疲れ果ててホテルに辿り着くともう夜8時過ぎ。
初日に訪れたホテルレストランで、軽く食べて就寝。
明日はバンコクへと出発する。
バンコクには何があるのだろう。わくわく。
夕食は、ホテルのそばの高級レストランで、贅沢にもロブスターを食べてしまった。
量り売り価格。
ガイドブックでも大きく扱われていた、オープンエアーの素敵なロケーション。
さすがに、この価格だと観光客しか見当たらない。
私たちの食べたお値段で、現地の人の稼ぎ半月分くらいかも。
中国の方たちは、張り出したテラスで、海と夕陽をバックにポーズを決めまくり。
私たちもボーイさんに撮って貰うも、後で見たら逆光で顔真っ黒。
店の中央にグランドピアノがあり、お店の人が周囲を片付け始めたので、ピアニストの登場を楽しみに待つ。
陽も落ちて、辺りが暗くなった頃、すらりとした黒人の青年が現れた。
しかし、流れているBGMが消えない。
青年、何度かバーカウンターに行って音を消すよう要求。
やっと静かになり、私は楽しみすぎて固唾を呑む。
上手いピアノだったら1曲歌ってもいいやね。
しかし、始まったのは指練習。ハノンとかそういう感じのスケール練習をしばらくやっている。
そして、弾き始めたのはジャズみたいな感じではあるけれど、決して曲では無い、何かコード練習みたいなものであった。諦めてお勘定を頼みホテルへと帰還。
翌日は、ロビー9時集合で離島のコーラル島へ。
またしても山坂の激しい道を港へと急ぐ。娘、また車酔い。
船着き場には、バーがあり、テーブルや椅子がたくさん。そこで所在なく待つ。
ケンさんが、バナナと飲み物を差し入れてくれた。
タイの清涼飲料水は、どれも甘ったるい。
お茶も甘い。水か炭酸水だけが甘くない。
暑いので、水分は欠かせず、結局水ばかり飲んでお腹がタプタプ。
高速で走る船は、波の上を飛んでいるみたいだ。始終波しぶきが船内にかぶって、3人いたガイドさんたちは救命胴衣を頭にかぶっていた。
白い砂のビーチに着き、渡された食パンをちぎって海に投げ入れる。
どこからか大量の小魚が寄ってくる。楽しい。すぐさま水着に着替えてパン蒔きまくり。
しばらくすると、お願いしていた「海中散歩」アトラクションのお迎えボートが。
また波を蹴立てて会場の停泊船まで。そこで、頭に金魚鉢みたいなものをかぶって海中に降り、魚と戯れる趣向。だが、海底では、強い波で身体が揺れる。波にさらわれないように海中に設置された鉄の棒に必死でつかまる。どちらかと言えば「散歩」ではなく、しがみつきである。
魚は、さっき海岸で見たものと大差ない。みるみる指先がふやけた。
海の深さというものを認識するのは、普通、海面からである。
けれど、潜って海底に足を付けてしまうと、深さは頭の上になる。
この感覚に慣れなくて、しゃがんでイソギンチャクを撫でろ、と指示されても、なかなかしゃがむという行為ができない。海底が地面だ、という気持ちが持てない。
イソギンチャクには、ニモでお馴染みのクマノミがいた。
三宅島にいた友達、海洋生物学者のジャック・モイヤーさんを思い出した。
娘は、車酔い、船酔い、海中酔いの三拍子で、すっかり参ってしまった。
海岸に戻って、暖かい場所を選んで少し寝る。
美味しいイカカレーなどの昼食を頂いて、昼過ぎには本島に戻った。
さあ、これから次のイベント。
タイ有数のスパに行く。
「その前にちょっと買い物お願いします」
ケンさんと提携しているらしい、プーケット名物のカシューナッツ工場、石けんや香料など天然ハーブのきれいなお店を経由してスパに着いた。
つづく
日本で発刊されているガイドブックは、パラパラと立ち読みしてみて、役立ちそう、と思わせることが大切なのだな! という事が分かった。
正月休みから、さまざまなガイドブックをためすすがめつ、バトンビーチを一日かけて歩くお散歩コース、という記事にすっかり魅入られた。距離も程良く、楽しそうな店が満載。
よって、到着翌日はビーチ周辺を歩くことに。
謎のガイド、ケンさんにそれを言うと「バトン・ビーチ何も無いよ」とのコメントだった。
しかし娘は「男と女では、何かある、の判断基準が違うと思うよ」と強気。
確かに、ケンさん、私たちに、「おかまショー」の話を何度もしていた。おかまショーも、像のショーも見たくないというと、ケンさんは少し困った顔をした。
そんなこんなで、34度Cの気温の中、ガイドブック片手に出かける。
ビーチに続くホテル前の道路は、早朝から大量の自動車とオートバイで渡ることもできない。もちろん、横断歩道や信号も無い。
そこは、10代と覚しき若い警備員が、サッカー審判のようにピーピッピと激しく笛を吹き鳴らして車を堰き止め、客を渡す。陽に焼けて真っ黒な上汗まみれの警備員君、仕事が楽しそうである。
ビーチ沿いに歩いて、コンビニで水を買い、薬局でサンスクリーンを買う。
道すがら、トゥクトゥクと呼ばれる簡易タクシーや、屋台の人々がひっきりなしに声をかけてくる。
トゥクトゥクは悪い運転手にぼられる心配があり、屋台は腹を下す心配があるので、極力目を合わせないようにスタスタ歩く。
ビーチの一角では、夜間に予定されているライブのためのステージ設営が進んでいた。
なかなか良い機材が揃っている。
ガイドブックの地図は、思っていたよりずいぶんと広範囲だった。縮尺を都合良く見ていたが、1時間歩いてやっと目的のストリート周辺に辿り着く。おまけに、横道に入ろうとすると、目印の店が無かったり変わっていたり。地図には無い小さい通りも大量にあって、迷いまくってしまう。
タイの高級な陶磁器を扱う店にやっと辿り着いたが、さすがの高価格。目の保養だけに留める。
続いて、タイシルクの店を探したが、ついに見つからずじまい。
もっとも多い店は、パブだろうか、ずーーーっと奥までカウンターが続く、間口も広い店が何軒も軒を連ねている。ミニスカの女性が、昼間からビールをサーブしている。そこにはマッチョな入れ墨欧米男たちが。夜ともなれば、一体が通行止めになって、ストリート中が酔っ払いで溢れ返るそうだ。
お酒は全く飲めない私と娘は、そうですか、と頷くのみ。
酒池肉林には、行ってみたくならないのだ。
お昼は、有名なレストランであるパトン・シーフードに行ってみた。
軽めに、スープと炒め物。
どう見ても日本人らしい、中年の婦人が、入れ墨だらけのたくましいタイ人の青年といる。
ラブ的な仲良しっぽい。すごいな。こういう遊びをする女性もいるのだな。
町中に小さな店はたくさんあれど、売っているものはどれも安っぽい。
そこで、ショッピングセンターに行き、やや高級な石けんやハーブ製品をお土産用に購入した。
ショッピングセンター内は、どの階もセレクトショップ形式で、中国系、インド系、イスラム系とさまざまな人々が沢山の店を開いている。
なぜか、店番の人々は皆座っている。店の前に椅子やベンチを置いて、だらーっと座ったまま、客を待っているのだ。
日本なら、店員は立ってお客様をお待ちし、歩き疲れた客がそこここに置かれたベンチで休む、というスタイルだが、タイでは、店番の人が座り、客は立ったまま我慢するのである。
1階には、巨大な食品スーバーがあり、そこでタイカレーのペーストを購入。これがお土産希望で一番多かったのだ。試しに色々なメーカーのものを買ってみた。
それにしても、人の多さ、店の多さ、屋台の多さに驚く。
同じような店がひしめき、どれも値切れば半値になる。
自動車、トゥクトゥク、オートバイ、屋台。
喧噪と生きるための必死な商売。
でも、沢山売れなくても食べて行けそうな緩さも併せて感じられる。
かなりの年齢のおばあさんが、首から下げた箱に煙草を入れて売っている。
これだけの商いでも、やっていけるのかも知れない。
そういえば、サンフランシスコではあれほど目にしたホームレスや物乞いが、ここにはいない。
みんな、何かしら働いている。
複雑な仕事では無く、ただ運転するとか、少ない種類のものを売るとか、マッサージするとか。
同業がひしめいても、慌てず騒がず、マイペースで客を待つ。自分は椅子に座って、街を行く観光客を呼び止める。
その、泰然とした、不安のなさ。
不安はあるのかも知れないが、日本で働く人々の、いくらやっても不全感が残る焦燥とは明らかに異なる、ゆったりとした空気。
働くことと、コスト感覚、自分の能力の受け止め方。
そういう事柄が、日本とはずいぶん違う。
けれど、つい数十年前までは、日本の人々も、こんな風に、「自分にできること」を粛々とこなすだけで、生きていくことができたのだ。
自分の生い立ちの中で、確かにそういう人々に出会っていた。
働くことに対する、人としての感覚が、文明国では苛酷になっているのだな、と改めて感じた。
(つづく)
羽田の国際線ターミナルは、とてもきれいで、日本文化を上手に伝えようとする熱意に満ちている。私と娘は、「にんべん」が経営する「だしや」でおでんなどを頂き、出汁のうまさに感動。それから、JALで6時間の空の旅とあいなった。
到着したバンコク空港は、巨大である。
多分、中国の資本ではなかろうか。
巨大だけれど、まだ閑散としている。
国際線到着ターミナルから、案内の女性に連れられて延々15分、空港の端から端まで歩かされてやっと、国内線出発の搭乗口に着いた。
中に入ると、ロシアの団体が大勢。アメリカ人もちらほらいるだろうか。アジア系は見当たらない。
搭乗口で長く待ち、さらに飛行機に乗り込むまで、いったいどうなっちゃったのと言いたいくらいの時間がかかる。
まずもって、案内の英語が全然聞き取れない。
案内スタッフは、なぜか搭乗客より、新人の男子を指導するのに熱心。
新人君は、ぽかんとしたまま仕事できない様子。ついに、呆れられてベテランスタッフが取って代わる。しかし、こういう現場をみられて良いのだろうか。そこがタイらしさなのか?
呼ばれた座席番号に従って少人数ずつ搭乗口を通るも、また、しばしば中断。トランシーバーで何かと連絡を取っている。
私は、「イライラしないぞ」と決めていた。せっかくタイに緩みに来たのだから、何があっても、待たされても、ゆる〜っとやり過ごそうと決めていた。なので、目は半目、口は半開き。
やっと通されて階段を降りると、バスの中でうんざりした顔のロシア人たちがぼそぼそ喋っていた。
ロシア人は家族連れが多い、他にイタリア人やアメリカ人と覚しき人々。
彼らはおおむねカップルで、男子は彼女をしっかと抱きしめている。
「これは俺の女だ」アピールが強烈。
飛行機内は、ついに飛び立ってから降りるまで、ロシア人の赤ん坊の悲鳴に近い泣き声で覆われた。
私も子連れでは苦労したので、赤ん坊の泣き声は気にならない。
それより、隣に座った巨大なロシア人男性のふくらはぎに見えるやたらリアルなタトゥーが目に入る。
鷲かなんかの鳥の絵が、墨絵のような感じで彫ってある。
ふくらはぎって、タトゥー入れる場所だっけ?
じつは、この時タトゥーに出会ったのが、稀な事態では無かったことが後に判明する。
プーケットの町を歩いてみたら、人々のタトゥー率の高さにびっくり。
あちこちに「TATOO」と書かれた店もあり、どうして皆そんなに色入れたいの? と驚いたのだった。
両替を済ませ、トランクを受け取って空港のゲートを出ると、HISの札を掲げた中年男性がにこにこと出迎え。
彼が、たった2人のツアー客である私たちのガイド、謎のケンさんである。
タイの人だが、名前の読みがケンに似ているので、そう呼んで貰うことにしているそうだ。
ワンボックスカーに乗ると、助手席からガイドブックを開いて、色々教えてくれる。
しかし、道はブーブーとクラクションを鳴らす車とオートバイで大喧噪、周りのスピード従って運転は荒い。左右に揺れながら指し示されるガイドブックを見、聞き取りにくい日本語に耳を傾けるうち、娘はついに車酔いしたようだ。
ケンさんは、バンコクで日本語を習得。
初級です、と謙遜するがとても聞き取りやすい。
難しい歴史の話も、時々うーん、と考えながら頑張って話してくれた。
ホテルは、バトンビーチの入り口にある。
斜面を利用して建造された、沢山の建物を要するリゾート。
ロビーは、木彫があちこちに施された落ち着いた印象。
女性のスタッフは皆、民族衣装をまとっている。
ケンさんが手続きを終え、「ちょっと良いお部屋になりましたよ」と言う。
プール付と聞こえる。何だろう。
ロビー棟の前に停まっているジープのようなオープンカーに乗せられて急坂を上り、一度降りて建物の中へ。エレベーターを使い、さらにそこから木の回廊階段を通って美しいポーチに出ると、さらに別の小型車で暗い夜の坂道を上った。
ロビーから付いてきた、民族衣装の若く可愛いスタッフがおり、旧式の錠前を取り出す。
木の門に差し込んで開くと、その向こうには一軒家があった。
まずは手前にある、30畳ほどあろうかという部屋。リビング・ダイニングといえば良いだろうか。立派なキッチンまでついている。揺れる寝椅子、大型テレビ、食卓、コーヒーテーブル。
そこを出て、外廊下を行くと、左手にプール、そして正面が寝室だ。
寝室棟には、ジャグジー、巨大な洗面所、シャワー室、トイレ。これらが全て別室。
プールのある庭に出ると、温水が溜まったジャグジーと、サウナ棟、東屋がある。
寝椅子とパラソルが、夜の闇の中、プールの中からのブルーの照明にほの白く浮かんでいる。
寝室にも大画面のテレビ。
私たちは、NHK World の番組を探して、人質事件の行方を見た。
この成り行きは何なのだろう?
はてなマークが私たち母娘の頭の上を飛び交う。
予約していたのは、ごく普通のデラックスルーム。
オーシャンビューだと聞いていたけれど、これほどの豪華旅行の予定では無かった。
日本語で書かれた説明書を手渡された。それによると、先程の若い女性は「バトラー」つまりこの部屋付の執事で、頼めばお風呂にお湯を入れたり、買い物してきて料理をしたり、コーヒーまで入れてくれるとある。彼女にチップを沢山あげようとすれば、色々頼む方が良いのだ。
ホテルまで来る車の中で、明日と明後日の予定を相談した。
ケンさんに、明後日、コーラル島に渡るツアーをお願いした。
すると、ぜひスパを体験して欲しいと勧められた。
島のツアーと込みで、料金を聞くと驚くほどのお値引き。
この際だから、私と娘はプーケットで評判のスパにも寄ることにした。
ホテルのレストランが10時までと知って、慌てて食事に行く。
先にプーケットを訪れたことのある次女が美味しかったと言っていたパイナップルチャーハンと、春雨のサラダ。疲れたので甘いすいかシェイク。それらのどれもが、感動の美味しさ。
思いがけない幸せと、狐につままれたような気持ちで食べ終え、部屋に戻って豪華なジャグジーを使ってみる。足の裏に水流を当てながら、まだ頬をつねってしまう。
「この旅行は何だか、竜宮城に連れてこられた浦島太郎体験だなぁ...」
私と娘は、今まで真面目に生きてきて良かったね、とお互いを讃え合いながら眠りについた。
新年のご挨拶をした後は、ボーカルセッション。
ご近所にお住まいの素晴らしい先輩、ピアニストの大徳さんを迎えて楽しい宴でした。
新年会を兼ねていたので、ドラムやギターの参加もあり、中身の濃い一日に。忘年会に続き、セッションで飲み食いするのが癖になりそうであります。
その前後には、昨年12月にリリースした、タダセイ・ダイローのアルバムのセールス、レコ発などのお手伝い。ライブハウスでのお客様の反応を見るのがとても楽しみな仕事でした。
そして次回作のレコーディング後のミックス。昼間から夜遅くまで、聴き続け直し続ける根気の要る作業。どうもミュージシャンはこの作業が嫌いらしい。確かに、自分のプレイを聴き続けるのはしんどいかも。
そのように、何かと忙しく日を過ごし、22日早朝、あわあわしながら羽田に向かったのです。
タイのバンコクに到着してから、広い空港の端から端まで歩いて(1Kmはありそう)、国内線に乗り継ぎプーケットへ。ホテルに到着したのは現地時間の午後8時過ぎ。長い旅でした。
じつは、この旅がとてもとても楽しかったので、明日からシリーズでお届けしたいと思います。
今日はその予告編。
ところで、先月末にギターの加藤崇之さんとライブをしました。
これがまた、何がどうなったのか、今まで感じたことのなかった、素晴らしい感動が生まれたのです。
加藤さんとは長いお付き合いで、毎年何度か共演して頂いているのですが、2人でやる意味が納得できる、充実したライブでした。
聴いて下さった皆さんも、とても良かったと言って下さいました。
何か、人生的に、ホッとした感じ。
私の仕事は雑多で、目まぐるしくもありますが、そうではあっても、ひとつずつ、無理なく丁寧に落ち着いて取り組みたいと思っています。それが、僅かずつ実り始めているみたいです。
もう、今年も瞬く間に2月です。
少しだけ、春の息吹が近づいていますね。