日記: 2012年9月アーカイブ

ひとつのことを熱心にやっていると、その中に何もかもが詰まっていることがわかってくる。
音楽をしていても、文章を書いていても、それらの中に、人間の持つたくさんのことが詰まっていて、それぞれにふさわしい形で現れてくる。

演奏も作曲も、その人を表していて、人間ってこんなにたくさんいるのに、ひとりも同じ人がいないのだと感心してしまう。
スポーツをする人も、どの選手も唯一無二で、それぞれが、数限りない要素の詰め合わせであるなあ、と感じ入る。

何かを語る時、世界を語るときと言い換えても良いけれど、「〜に例えると」とか、「〜で言えば」というものをもっている人は幸せだ。

「音楽で言えば、それはこういうことだな」
とか
「サッカーで言えば、それはこういうことなんじゃないの」
とか
「だんじりに例えるなら、これはこういうことだわな」
とか。

人生の色々、人間の色々をその中にたっぷり観られる何かを持っていることは、すごく良くて、それがあれば、互いを理解できる感じがする。

それを掴んだ人には、幸運だったねと喜んであげたい。
で、それがない人は、どうすればいいのか、私にはわからないけれど。

こういう話って、たまにぜんぜん通じない人もいたりするのよね。
どうしてだろう。
人生が惜しくないのかな。
落ち着いて、1回きりの人生を、何かのために捧げてみてくれよ、と強く思ったりするな...。
TwitterとFacebookとブログをやっている。ホームページもある。Twitterは、個人のアカウントとその後ボーカルの勉強会のものを作り、会社のレーベル情報を流すものもある。
仕事の多くについては、今でもメールを使っている。そのアカウントも、プラべートと会社の個人のと会社全体インフォのとが有る。
かなり何が何だかわからなくなってしまう。

私は、色々な仕事をしているために、仕事先の方たちの種類も様々で、そのために各種の通信機器が必要だ。
ミュージシャンの中には、ずーっと外で演奏活動をしているためにパソコンを使わない人も結構いる。この場合、ひたすら携帯電話である。
歌の生徒には高齢の方もいるため、携帯辛うじて、時には家電とFAX。
この方たちはレッスンの時も未だに記録にカセットテープを使っている。
レッスン申込も、会社の受付に電話してくる人と、頼み事もあったりして私の携帯に直接かけてくる人、携帯のメールの人、パソコンのメールの人とがいる。

プライベートと公的な顔というものが、かつては別個にあった。
それは通信機器のお陰で、固定電話という存在はその電話機がある場所こそが仕事場であったのだ。
だから当然、家の電話はプライベート用である。

私も夫もフリーランスなので、かつて仕事には家の電話を使っていた。
なので、こどもが小さいときは電話に出させなかった。
いつか、大きなプロダクションのマネージャーさんを呼び捨てにして「ははは」と笑ったことがあった。苗字がおかしかったのだという。
女性である私の場合、子どもがいるというだけで発注をためらう人もいたため、子どもはいないような振りまでした。
つまり、フリーランスだと家庭という場で仕事をしていても通信機器だけは公的に扱わなくてはならなかったのだ。

その考え方がどこかに残っていて、Twitterで呟くときにも、はたと考えてしまうのだ。「今、私はどの立場で呟こうとしているのか」
生徒にとっては先生、レーベルのミュージシャンたちにとってはオフィスの代表、ミュージシャン仲間にとっては歌手、出版社にとっては執筆者、税務署にとっては社長。
これに、近所の主婦やら学生時代の同級生やらが混じる。一体何だか、私の立場は複雑なことになっている。

それでTwitterをFacebookに連動させるのを止めた。
それは各々で別の顔でいる方が便利と気づいたからだ。
フォロワーと友達は全然別のグループを成している。

なので私は、Web上では細かく分断されたモザイクの寄せ集め的人格という状況になっている。それでますます、それぞれに対応するたびに「いいのだろうか、こんなんで」と考えることになっている。

この事態は私に特有のものだろうか。
ちょっと考えてみなくては。


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