kyokotada: 2013年3月アーカイブ

坂口良子さん

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今日NETのニュースで、急逝を知った。
つい先日、美容院で目にした週刊誌に重病説が載っていて、その記事を読んで初めて彼女が前夫の借金で大変だったことなどを知った。

良子さんは、私の幼馴染みだ。
北海道余市町、黒川町で近所に住んでいた。
小・中学校も同じで、中学の時は体操部で一緒、彼女が部長で私が副部長。
部活が終わると、好きな男子の話なんかをしながらぶらぶら帰った。

高校は、私も彼女も小樽になったけれど、私は道立で彼女は私立の女子高に決まった。
その前、中学の卒業前に、ミス・セブンティーンに選ばれて芸能界入りすることになっていた。中学生の頃の良子さんは、大人しくてあまり騒がず、でもすらりとしていて少し紅い髪をさらさらのボブにしていた。厳しい先生が、染めているのか、と訝るくらい色素が薄くて、目も茶色だった。

芸能界に入ると、目が二重になったり、みるみるきれいになっていった。
でも、雑誌のインタビュー記事などの思い出話には余り本当のことが書かれていない気がした。芸能界ってそうなんだ、と感じた。

大人しい目立たない彼女が、次々素晴らしいドラマに出て、その頑張りは大変な物だろうと思った。そして、田舎の町からも女優が輩出されるって、本当のことなんだな、と目が覚めた気もした。
最近は、彼女の存在を見聞きしたり意識する機会が無かったので、偶然に美容院で記事を読んでみても何だか自分にとって遠い出来事のようだった。

どんな人生だったのかな。
学校の帰りに、テレビの話したり、先生の悪口言ったり、クラスの話なんかしたね。
あの時は、ふたりとも、東京で暮らすとすら思っていなかったよね。
なんか、とても不思議な感じがするね。
人生だね。
一昨日、早く家に帰ってテレビをつけたら、「みんなが聴きたい歌謡曲」みたいな番組をやっていて、昔のヒット曲がいっぱい流れた。
今の私の耳や目で見ると、歌い方とか、上手さがかつてとは較べものにならないくらい良く分かって、ついついずーっと見てしまった。

昔の方が上手かった歌手はいっぱいいる。
今も活躍しているけれど、くどくなりすぎたり、体力的に落ちてきたり。
ものすごく上手いと思っていた人でも、体調が悪い時の歌はがんばりが利かなくなっていたな。

そして、演歌とか歌謡曲の歌手で昔のスターっぽい人たちのトークがまた興味深い。
「えー、私はスターですから、何しろ、スターですから」的な。

はたして「自分はスターなのだ」という佇まいは、どのようにして醸成され、受け継がれ、また発揮されるのか。
その手本は、綿々と続く歌舞伎役者とか、映画スターの系譜なんだろうな。

昭和28年から放映が始まったテレビに映ってみると、歌手たちはきっと、それまでは想像もつかないほど多くの大衆に知られてしまうことになった。
まさに前代未聞の事態。
必然、ヒット曲を出すと、誰ひとりに対しても「スター」でいなくてはならなかった。

やがて反動が来て、フォーク歌手なんかで「テレビに出ない」主義の人たちが出て来る。
テレビ向きのスターの佇まいを要求されてはたまらん、と感じる人々。
野外ステージでジーンズで歌う人たち。

演歌の人たちは、今でも衣装も込みで評価される。
派手な衣装と装置とバックの踊りなんかも含めて。
そして本人も「歌に入り込んで」演じる。
歌の前にお芝居をやったり。
台詞入りの難しい歌を歌ったり。
すごいな。
総合芸術だ。

スターには、ふたつのタイプがある。
ひとつは、「私もまたその人のようでありたい」と人々に思わせるタイプ。
もうひとつは「そんな物はこの世に無かったはずだから、存在すること自体が凄くて、観たい聴きたい」と憧れられるタイプ。
その有り様によって姿も佇まいも変わる。
佇まいをセレクトするのか、先に楽曲の種類をセレクトするのか、うーむ。

それにしても、「私はスターなんですよ」と信じている人々の凄さには適わない。
滑稽に感じる人もいるだろうとは思うが、でも、やっぱりそういう人たちの歌には説得力がある。

いちいち面白がって観て、たまに歌ったりしていたら、夫が「俺、今日出た歌手の半分くらいバックの仕事してるな」と言っておりました。
渥美二郎のデビューコンサートは、北千住の公民館みたいところで、最後の曲の前に客席の最後部から作曲家の遠藤実氏が走って来てステージに上がり、いきなり指揮をした件。
中条きよしの中野サンプラザ公演ではお客が少なくてビビったとか。
テレサ・テンと行った東南アジアツアーの音楽ディレクターがアメリカ人で、テレサは英語のポップスもガンガン歌ったのだ、とか。
名前は出せないけれど、お酒・他で壊れている数人の歌手のこととか。
まさに、昭和芸能史の一端を聞いたのでした。

昭和は面白かったよね。
クリシェというのは、慣用句という意味らしい。
良くやる手、みたいなことかな。
音楽だと、コード進行に用いたりする。

昔のスティーヴィー・ワンダーを聴いていると、何ひとつもクリシェではないことに感心する。
コード進行も、バッキングの構成も、曲の構成も、イントロもアウトロも、何かそれまでの「こういうもんで、ひとつよろしく」、という行き方を全然導入していない。
きっと、何となく楽器に触っているうちにいい感じのフレーズが始まったので、そのまま進めて行くうちに曲の骨格ができ、あるいは曲の肉付けができ、それを発展させ、保存しておいてさらに付け加えたり、時には引き算したりして「それでしかない物」が出来上がる。

ありがちな進行とか、馴染みやすいサウンドとかではなくて、そのとき初めて生まれたものをそのまま壊さずに育てる。

テレビで見た、仏像の絵に取り組んでいる高名な画家が、「描きすぎないようにしなくてはならないのです。筆が走りすぎると絵が駄目になる」様なことを言っていた。ぎこちないとか、迷い迷いとか描いている時の方が、後で力が出る、とか。

歌っていて、すらすら上手く歌える時、自分にシラケることがある。それがなぜなのか分からなかったのだが、多分、楽器でいう手癖とか、言い換えれば、技巧的なクリシェに頼ってしまったからだろうと思う。それがなぜいけないのか、理屈では全く分からないのだが、気分として、どこか狡いことしているような、後ろめたい気持ちになる。チャレンジが無いというか、気が抜けているというか、テンションに直面していない感じ。
直面していて瞬時のセレクトで出たフレーズと、馴れで出たフレーズとは、同じ音列でも必然性やスリルが別の物のようなんである。

若い頃に毎日のようにバーやクラブの営業仕事をしていた時に、他のことを考えながら歌えていたことがあって、凄く嫌だったのを覚えている。ルーティンの怖さ。

何をする時も、クリシェじゃない方法で、とか、慣れていてもルーティンにならないようにと、心のどこかで点検している。

ただし、ルーティンというのは、別の面では重要な価値を持っていて、集中したい仕事があるときは、衣食住など生活の細々に関してはルーティンにした方が良い。同じ服を着て、同じ物を食べて、同じ道を歩く、とか。リスク管理ということかも知れないが。

そして、気力を尽くして、仕事に関しては直面し続ける。
いつも新しく、未知のものとして。
経験値は今からを展開するために使う。
未知の明日、私はどうするべきか、それを考えるのが醍醐味みたいだ。

来日が1974年というから、私が上京した1年後。
同じ頃に、日本での音楽シーンにどっぷり触れていたことになる。
だから、何となく、いつも読んだり見たり、聴いたりする場所にいた。

これは、来日してからこれまでのDJ人生を語った本。
そう言えば、バラカンさんがナビをしていた深夜のCBSドキュメントも見ていたなぁ、と思い出す。

ラジオ番組の成立の仕方。
スポンサーと番組の命運。
他の仕事への取り組み。
いつもお手本にしていた、尊敬するイギリスのDJの存在。
そして、埋もれているけれど、読者に勧めたい珠玉の曲の数々。

音楽は、メディアから流れ出しながら、とても個人的なものでもある。
セレクトする人の嗜好や趣味、必要性がまちまちだから。
バラカンさんの音楽へのこだわりは、私自身や周囲のミュージシャンたちと重なる。

ある時には、リクエストにお応えして不本意ながらオン・エアを始めてはみたけれど、どうにも我慢できなくて、途中でフェイド・アウトしてしまった曲の話など。
私自身、聞きたくない音を消すタイプなので、とても理解できる。
聴く時は全身全霊を傾けて集中している。
大好きなはずの音楽でも、その日の体調や気分によって、セレクトしないものもたくさんあり、あーーー、今何を聴きたいかなぁ、といつも自分に問いかけている。

先週は、グルダのモーツァルトばかり聴いていた。
今週は、何も聴かない。

若い頃は、かっちりとアレンジされ、たくさんの楽器を使ったコンセプチュアルな音楽が好きだったけれど、今はアクースティックが好きだ。この「アクースティック」という書き方は、バラカンさんの方法。英語をカタカナにする時に、発音に近い表記をしている。例えば、ダニー・ハサウェイは、「ドニー・ハサウェイ」。

この本を読みながら、思いついたこと。
こだわらざるを得ない耳や感性を持った人と、そうでもない人がいる、という事実。
こだわる人たちは、互いに知り合い、認め合い、教え合い、助け合っている。
そうでもしないと、楽しみすら成立しない。
つまり、こだわる人の絶対数が少なすぎて、経営的に難しい。
バラカンさんの番組も、マニアックなファンに支えられてきた。
だから、終了すると継続願いの署名活動が起きたりする。

こだわらざるを得ない人々は、それに見合う番組やリーダーがいないと困る。途方に暮れるのだ。食べ物でいえば、ジャンクフードや実用的な食堂しか無い世界になってしまう。
もう少し、繊細で感性に沿うものを提供してくれる、あるいは、そういう受容者がいることを分かっている送り手がいないと、途方に暮れる。
だから、自分の感性のこまやかさに気づいた人々は、それを満たしてくれるものを懸命に求める。

その数は、全体から見ると少ないようだ。
その証拠に、彼ら向けの番組や雑誌はすぐに中止、廃刊になる。

それに反して、そこにあるもので、満足できる人々もいる。
より良いものを見たり聴いたり食べたりすると、その良さは分かるけれど、さほど良くないものでも、それなりに楽しむこともできる。
じつは、そちらの方が普通で、彼らこそがヒットを作り出す「マス」なのだ。
鈍くはないが、程よい感度の受容アンテナ。

私は、自分が音楽を聴いていて、イライラしないことを望む。
専心して聴きすぎるせいだとは思うけれど。
おまけに、いつも食べる朝食の材料が無くて、その辺にあったレトルト食品を食べたら、二〜三日、お腹の調子が悪かった。
そのように、何でも食べることすらできない。
嫌いな話を我慢して聞くと、血圧が上がって吐いたりする。
これは、わがままとかではない、と思う。
そのような感性の人もいるということ。

バラカンさんも、きっとそのタイプではなかろうか。
自分が好きな物の価値を、時々は自信を失いながらも、また思い直して、「これが良いです、良いと思います」と発信し続ける。
それしかできない。
自分の感性や音楽全体に対する律儀さ、生真面目さを大切にする、そういう人なのだろうと強く感じた。
バラカンさんのラジオ番組のお陰で、日本のリスナーは多いに助けられてきた。
私も遅ればせながら、この本に紹介されている未知の曲を探し始めようと思う。

絵のこと

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高校生の頃に絵描きになりたい人たち何人かと友達だった。
私自身は絵が苦手だと思っていた。
どこかのびのび描けない子どもだった。

東京に来てから、沖縄出身のヤスジくんという絵描きと知り合った。
彼から、描いてみなよと勧められた。

私「絵は描かないよ」
ヤ「なんで」
私「下手だから」
ヤ「形で描こうとするからだよ、光の濃淡で描いてみ」

で、その言葉を信じてやってみて、何となく描けた気になった。
このアドバイスは、絵だけでなく色々なことに役立っている。
ひとつの方法を信じないこと。
あるいは、アプローチの視点を変えるということ。
できないと思い込んでいることには、その思い込みに至る原因がある。
的確、または適応性のあるサジェストを頂くと、目から鱗が落ちる。

それで、しばらくの間、面白く絵を描いていた。
苦手意識が少し減った。

今も時々、絵を描いている。
子供たちが中学高校で使った絵の具が残っていて、捨てるに忍びなかったので、スケッチブックだけ気に入ったものを買い込んで休みの日に描いてみる。

4冊目くらいに入ったが、見返すと、始めてからしばらくの頃のが一番良い。
楽しい気持ちが溢れている。
それらの絵をライブのフライヤーやブログのバナーに使っている。

最近のは、少し低迷気味。
デザインする人に気を使っているためかと思う。
素人なんだから気を使う、なんてのは馬鹿げているけれど。
そのほんの少しの躊躇が、すぐ画面に出るということが驚きだ。
表現というものは、自分に素直でないと、すぐ行き詰まるんだな。

生物としての自分は、だから、もっと自分の身体のことや感情についても詳しくなるべきなんだろう。快不快や、元気かどうか、など。

絵を描いていると、知識も無く、技術も下手なために、気づかされることが色々ある。初心者であって、不自由である、ということが大切なのだ。
子どもみたいな気持ちで、ただ楽しみのためだけに取り組むこと。
それが大事。

以前、広告批評という雑誌を好きで良く読んでいた。
橋本治のコラムが連載されていたからだ。
日本の国について、その政治や文化について、私など到底思いつかない視点で批評していた。知性とは、こういうものかと思った。
平行して、中沢新一を読み、この数年は内田樹も。
この3人は、似たような時期に東大生だった。掛け値無く、東大に行くような地頭の良さが感じられる。驚くほど思考する体力がある。

橋本治は、編み物やイラストもものすごく上手。
そして、現在から古典に至る、時間の幅の手玉に取り方が凄い。
そして、その真ん中には、「にんげん」がある。

『巡礼』という長編小説は、ゴミ屋敷の主を真ん中に据えて描いてみせる戦後史だ。
男女のこと、家族のこと、時代の変遷とそれに伴う経済の波。ただ為す術も無く洗われ、押し流されて生きる市井の人々の姿。
文明とか文化に振り回されて我を忘れ、というか、初めから我など無く、ただ明日を生きるために為すことによって次第に擦り切れ、理由も分からず呆然とする様が、様々な人の有り様を通して活写される。

働く、異性を欲する、家庭内の立場を守る、無為に他者を攻撃する、行き詰まって呆然とする、打開を目指して何かをする、しかしそれは、とてつもなくおかしな行為だったりする。

私たちも、そういう人間たちのひとりだ。
橋本治は、そのことを糾弾するでも無く、批判するでも無く、ただ淡々と、愛情を込めて描く。誰にも他意は無い。ただ、自分が何とか生きなくてはと思うだけだ。けれど、その手段は、別の視点で見るとはなはだ理解に苦しむものとなる。

家族や同僚を持てば、誰もがそれを知る。
家族であろうが、他者は私ではない。
そして、私ではない人々の切実を、どこまで理解できるのか。
私自身も生き延びなくてはならない。
その余力を、どこに、どうやって残しておけば良いのだろうか。

目の前の難題だけでなく、行方の知れないこれからに向かって、人は呆然としたり、小賢しく知恵を巡らせたり、よかれと思って頓珍漢なことをする。
誰も、自分だけはそうではない、と断言などできない。
その、本来の人の姿を、曖昧に行き暮れ、しかし、必ずどこかに救いを残す人の姿を、残酷にも暖かく描いた素晴らしい小説だ。

私にとっては、己を知る良い導きになった。

ジャズ・ボーカルという言葉を聞くと、どんなことを連想するものでしょうか?
美人歌手、気怠い、ハスキー、お酒などかな。
日本のジャズボーカルは、これらを顕在させられる歌手を求めていたのかも知れない。
ジュリー・ロンドン的な。
でも、当の女性歌手たちは、そういう傾向を軽蔑してきた。
もう少し、真剣に音楽をしたいと考えていたのですよ。

「ジャズ」という言葉ひとつでも、ものすごく幅がある。
その「幅」がある、と言うことについてすら、一般には認知されている感じはしないが。

そう言えば最近、発祥の地アメリカで、ジャズの名唱ベスト50みたいのをやっていた。
ほとんどを占めたのは、ビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ニーナ・シモンだった。カーメン・マクレーが1曲も入らなかったのは、何かの陰謀だろうか? 他には、サッチモ、ナット・キング・コール、シナトラあたり。

何をジャズと思うかは、最初にジャズと触れ合った年代にもよる。
今ジャズを聴く人々の歴史は、戦後の進駐軍から始まっている。
米軍基地があちこちにできて、そこで兵隊さんたちが遊ぶ酒場ができて、日本人でジャズを演奏できる人が求められた。その音楽は、長く娯楽に対する我慢を強いられて来た日本国民にも大歓迎されて、ちょっとでも楽器が弾ければ仕事は山のようにあったらしい。毎日、東京駅にトラックが何台も来て、楽器を弾ける人を調達してはあちこちのキャンプに向かったという話だ。

その後は、大学のジャズ研がジャズメンの揺籃となる。
私が大学生だった頃、モダンジャズやフリージャズ、加えてブラジルもの、フュージョン、さらにR&B、ソウルが花盛りとなった。
ジャズ研のメンバーたちは、コンテストや交流会で知り合いとなり、上手い人同士がユニットとなってPit innの朝の部、昼の部に出演、そこで目をかけられて次第に上級バンドに引き抜かれて行った。

現在のジャズ界にいる方々は、ほとんど大学のジャズ研か、高校までについたプロの先生に勧められて留学した人々。今では音大でもジャズを教えるようになったから、技術がとてもしっかりしている。

さて、そこでボーカルなのだが。
ボーカルだけ、何となく活躍エリアが違う感じがする。
もちろん、ジャズ研出身者が多いとは思うけれど、日々の演奏場所がボーカル専用みたいな風になっている。セッションも、ボーカルセッションが別になっていたり。
つまり、ボーカルと演奏ユニットでは少し方向性が異なるみたいな気がするのだ。

ユニットで活動すると考えると、バンドの個性を出すためにオリジナルが多くなったり、あるいはアレンジメントしやすいナンバーに偏って、ジャズ・ボーカルの範囲に括られていたスタンダードからどんどん離れていく感じもする。

私は、当初からスタンダードとフュージョン系を両立していた上に、教える中で日本の曲にも取り組んだから、選曲はユニットのメンバーの個性によって色々にして来た。
ジャズは、曲のジャンルや種類というより、自由度や即興性という演奏の方法論で括られるべきだ、という理解をしてもいた。

けれど最近、ジャズを教えるなら4Beatを教えないとまずいだろう、と思い直している。
4Beatと2BeatとSlowの乗り方。
ビートこそが、教えておかなくてはならない最優先事項だ。

トニー・ベネットのデュエットシリーズには、ジャンルを問わず、名の知れた若い歌い手がたくさん参加しているが、若くても意外なほどジャズのビートがこなれている人がいる反面、「あれまぁ」と心配するほど乗れていない人もいた。その歌手は、記録映像の方には残っているが、CDには収録されていなかったり...。なるほどね。

ジャズはやはりどこまで行っても4Beatであり、スゥイングだ。
ビッグバンドのノリ、コンボのノリ、楽器とデュエットするノリ、全てに於いてビートを基本に据えた歌い様がある。そのことをボーカル講師として伝えられる人材が、ひょっとすると余り残っていないのかも知れないと思いついた。
スゥイングにも、歌手それぞれの掴み方や個性があっていいのだけれど、最近、ジャズを新しいものにしようとするあまり、軽視された部分がスゥイングではなかろうか。

8Beat、16Beatと、ビートが細かくなると、歌詞の歌い様は難しくなる。けれど、4Beatでは別の部分が難しい。バックのビートに乗るだけでは駄目で、バンドより先に、自分からドライブ感を出さなくてはならない。Slowの時はなおさら、どのようなリズム感、あるいは乗り方でフレーズを組み立てているかをしっかり打ち出せないと、バンドとのコミュニケーションが図れない。

スンダード・ジャズはシンプルだが、リズム、とくにダウンビートとアップビート、3連の理解や体感、音感、ハーモニー感など、音楽的な基礎力が問われる。楽曲の良さで糊塗できない、あっさりした素材しか無いものを凄腕で料理しなくてはならない音楽だ。
そこのところをしっかり教え、守らねば、と思い直している。
そのことだけを丁寧にやって歌手人生を終えても良いくらいに、もう一度、ジャズだなと。

もしかすると、上手い具合に肚が据わったかも知れない気分。
この冬は、本当に寒かった。
故郷の北海道では、ブリザードのために数人の方が無くなったほど。
東京も、久々のしっかりした冬。

昨日、リハーサルがあって立川方面の知人宅にお邪魔したら、ウッドデッキのベランダに椅子テーブルが出してあり、そこで存分にひなたぼっこができた。庭にはヨモギが萌え出て、クロッカスも花盛り。「あー、幸せだ」と心から思った。

陽射しは暖かく、辺りはしんと静か。時折軽トラで通りかかるこの辺の地主のケンちゃんに手を振りながら、半睡の午後。

このところ、冬の間は活動を半減させている。遠くまで出かけたり、電車に乗る機会を減らすのだ。グループのレッスンもお休み。できるだけインフルエンザや風邪を広げないよう気をつける。それもこれも私とみんなの喉のため。

とは言え、春には花粉でコンディションが悪くなる。声を出してみるたび、声帯もアレルギーを起こしているのが分かる。だましだまし春を乗り切らねば。

でも、明るくなって暖かくなると、心が弾む。
北海道にいた頃は、根雪が溶けて半年ぶりに長靴ではなく普通の靴に履き替える日が、一大イベントだった。私たちは普通の靴を「短靴」と呼んでた。雪が消えて、舗装面や土が見えた時、そしてその部分が主体となり、雪に覆われた所が部分となった日、私たちは張り切って下駄箱の「短靴」を取り出し、忘れていた感覚を取り戻すように足を入れたのだ。雪とは異なった、足下の感覚。堅く、萌え立つ生命の香りがする地面を感じて、深く息を吸い、暖かくなる季節を歓迎して心の底から微笑んだ。

季節感というのは、厳しい暑さ寒さの合間、息抜きのような時節に、深い印象とともに受け取られるものみたいだ。身体に心地よい日には、自然が私の味方のように感じられる。そして、前向きに「何か」をしたくなってくる。
Jazz Vocal Cafeを再開して、新しい参加者も交えて発声の勉強をした。
これまで歌ってきた体験、生徒さんたちにリサーチしたこと、専門家向けのセミナーなどで集積したあれこれについて、ポイントを出しながら網羅して行く。

教える、ということはやってみるとどこまで行っても完成しないし、止まることが無い。
その都度、その時に持っている最高の知識や方法論を伝授するのだが、根本は同一ながら、その行為に導くための表現や、やり方は一回ごとに変わって行く。

自分の進歩なんて、もうこの年になるとほとんどないも同然なのだろうが、そういう時に「教える」という行為がどれほど頼みになるか知れない。
何もしていない間にも、心のどこかで、あるいは無意識の底で、より良く伝えたいという「欲」が醸成され続けている。
生徒さんたちを前にして、どうにかして上手になって頂こうと励む時、その「欲」のエッセンスみたいなものが全面にワーツと出て来る。
それは、ライブだけしている時には出てこないものなのだ。
ライブのときは、メンバー同士の化学変化みたいなことは起こるけれど、自分の中の醸成されたものがにじみ出して来る、という感じではない。
もっと、瞬間的で、脊髄反射的な作用だ。

しばらく病気で療養されていた指揮者の小沢征爾さんが、指揮を休んでいる間も若い音楽家を指導していたという記事を読んでとても納得する。
どんなマエストロも、教えたがりである。それは、自分の中に育つ伝えたいものが、指揮という表現だけでは消化しきれないからではないだろうか。

演奏は、一過性のものだ。過ぎたことに対して、あれこれ考えても仕様が無い。けれど、あれこれ言わずに済ますためには、そこに至るまでの掛け値の無い工夫努力が必要なのだ。工夫努力が無いと、何をやってもつまらなくなる。意味が無い感じがする。つまり、その一瞬に向けての飽くなき「欲」が活性していないと、つまらなくなる。

それで、日々楽譜を作ったり、色々なキーで歌ってみたり、コード・チェンジを試みたり、オリジナルに取り組んだり、発声について工夫したり、調べてみたり、良いアーティストを聴きに出かけたり、と色々やる。

そのことは、頑張ってやっているというより、一日のほとんどの時間をこれらのことに費やすために自分に都合の良い時間の割り振りを編み出しているような感じだ。

教える時には、分かったと思うことを伝えてみて、実践してみてもらって、有効か否かを確認しつつ、改善しつつ、工夫しつつ、諦めずに続ける。

身体を楽器にして行く方法論は、どこまで行っても難しい。何となく、武道に一番近いかも知れないと思う。
武道は、年齢が進むとその体力に見合った術が次々身に付いて行くらしい。若い体力には無い、別の次元の「強さ」というものが身に付いて来るらしい。それが、歌の場合にも実現できはしないかと、このところ何となく考えている。自分が年を取って行くことと、歌がどうなって行くのかをじっと観察しながら進んで行くみたいだ。

なぜこうも本が好きなのだろうか。
気分が晴れない時、逆に気分のいい時、割り切れない時、勉学への意欲が湧く日、とにかく何かと理由を付けて書店に立ち寄る。そして数冊手に取り...。

買った端から読む。
全く進まないものは積んで、進むものは読み通して、そうして本がどんどん溜まる。

私以上に本をたくさん読む人は大勢いるだろう。
何しろ、職業が出版や研究関係だと、読むのが仕事だ。
そういった方達が、蔵書を持ち寄って図書館的なものを作ったり、ブックカフェにしたり、交換会を開いたりしているらしい。

これまで、音楽の仲間はどっさりできたが、本読みの仲間はまだ作っていないなぁ。
FBを見ていると、読んだ本の感想をUPする方もいる。
そこで探しても良いのかな、と思うが、本も音楽と一緒で、好みのエリア合致が凄く難しい。それをうまく見せていたのがNHK BSの「週間ブックレビュー」だったよね。

大規模書店に行って、あの棚を埋め尽くす本の種類を見れば、それだけで一生かかっても自分にフィットした本すら読破はできないと予測がつく。
さらに検索をかけてみて、既に絶版在庫無しの本がその数倍あることを見て取れば、この世に見知らぬ名著がどれほどあるかと、そぞろ気になる。読まないで死んでも良いのか、無念じゃ。

本読みの仲間はどうやって集えば良いのだろうか。
書店のカルチャー教室かなんかに行ってみれば良いのだろうか。
あるいは、そういう嗜好の人々が集まる店を見つければいいのだろうか。

と、ふと思いついて、今週はそちらのリサーチなどをしてみようと思う。


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