音楽: 2018年6月アーカイブ

演奏するときの自分の在り方について、遅ればせながら解った気がすることがある。
とてもシンプルで、言葉にしてしまえば全く当たり前なことなのだが。
「語り合う」ということ。
ともに演奏する人々とお話しをするように耳を傾け、私の想いを届ける。
そのためには、事前に楽曲についてよく考え、捉えて、自分の方針を持っておく必要がある。
歌手はバンドではフロントなのだから、 こちらの方針がクリアに出ない限り、全体もそこから進むことはできない。

曲に関しての基本的な理解とアレンジの意図、そしてそれらを反映する歌。
それらがあって初めて演奏が成り立つ。
バンマスがいることの重要性。
歌は必ずいつもバンマスの立場で、その曲にどのような情景を見ているのか、それについて肯定的なのかそれとも異議を唱えたいのか、喜びか悲しみか、怒りか訴えかを持たなくてはならない。
どの曲でも、歌い始めるときの心持ちには多くの可能性があり、自分の引き出しを探しまくる必要がある。まったく、楽しさばかりでは音楽にならない。

歌の神髄は歌詞に有り、それをどのように咀嚼するかにかかっている。
ジャズの場合、英語がハードルを上げてくれるが、純粋に「発語」と「音韻」の美しさ、面白さを楽しむ側面もある。ジャズのリズムは英語由来だから。
歌詞の意味など分からねど、その言語の持つムードを聴き、ひたり、楽しむ道もあるのだ。
ラテン系の歌など特に、スペイン語やポルトガル語でしか楽しめない楽曲は多い。

それほどまでに、言葉と近しくある歌は、楽器のインプロビゼイションをそのまま採り入れなくても充分すぎる情報量がある。
これを信じるか信じないかで、歌手の進む道は色々変わってくる。
ポップスやロックのシンガーは、ジャズシンガーのように楽器のプレイヤーに引け目を感じてはいない。それどころか、バンドを従えて威風堂々としている。
なぜなら、彼ら彼女らには「歌詞」があるのだ。歌詞あってこそのオリジナリティ。

ジャズの歌い手は、インプロをやる暇が無いほど、歌詞を大切にしても良いのではないか。
ダバダバやっている時間が惜しい。
もちろん、しっかりとダバダバを組み込んだアレンジがなされ、それこそが音楽的に効果をもたらすならそれはそれで良いのだが、変奏の可能性を大きく備えた楽器と対称の力を持つものは、人の声がもつ説得力と歌詞だ。

歌手は、歌が持つ力を信じる努力をすべきだ。
信じた上で、プレイヤーたちとお話をしないと。
ジャズであっても、歌には無二の力があるのだ。
唯一言葉を持つ楽器としての「歌」の力を、心から信じた歌い手だけが、自信を携えて、堂々とバンドの前に立てるようになる。

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