エッセイ: 2011年1月アーカイブ

ドラマーの古澤良治郎さんが亡くなった。まだ65歳。もう一回会っておくんだった。

10年前に、歌に復帰したとき、ライブをお願いした。
とにかく、長く現場を離れていたので、知っている方に集まっていただいたということだった。他のメンバーは、ピアノの続木徹さんとベースの桜井郁夫さん。今思うと、おっそろしい組み合わせである。
まだ、20代の頃、一瞬古澤バンドにいたことがあり、それから数十年ぶりにライブをする段になって、はじめに会いたいドラマーが古澤さんだったのだ。
吉祥寺「のろ」での過去のライブ写真を見ると、なんで私が?と不思議な気持ちになる。
ぜんぜんはまってないっしょ。
結局、私は古澤音楽の要求には応えられなかっので、ゲストみたいに数回ライブでご一緒しただけになった。「できねー」と落ち込む私を見て、本多俊之が面白がった。くやしい。

古澤さんが亡くなった頃、私は幻聴を体験している。
夜中に布団に入って、まだ寝ていない感じの時、耳元で男の人の大きな声がした。
2フレーズくらい。
隣家で何か事件でも? と思ったが、隣家どころか、下の階からもこんな風に声が聞こえたことはない。
それでもこれほどの大声を出すなら、ひょっとして事件かも、と思いついて、枕元の時計を見た。

その数日後に訃報を聞いたのだ。
訃報を聞いてしばらくして、この幻聴のことを思い出した。
甘えっ子古澤、色々な人のところに出没したのかも。

私の周囲では、好ましい男性が次々と亡くなる。
それも若くして。
私の人生は、少しばかり喪失が多すぎる。

現在を生きているとばかり思っている自分が、何かを喪う度、深い不安に沈むのが分かる。
喪うものは、ほとんどの場合、過去の記憶の中にしかないのだが、それでも、喪う度、どれほど自分がそれらを拠り所としていたのかを思い知らされる。

弟が死んだ後、犬を怖がることに意味が無くなった、と感じてぎょっとした。
4歳の弟が、アイヌ犬に頭を噛まれて血まみれになった冬の日以来、私はずっと犬が怖かった。
それが、ある日、弟が死んだのだから、もう犬を怖がらなくて良い、と思ったのだ。
この感情の流れは、どうやっても説明が付かない。
犬を怖いと思う気持ちが、弟との体験の共有であり、その体験まるごとを彼の死と共に葬ろうとしたのだろうか。

最近、また喪うことが続いていて、そんな私の心は、自分の存在が軽く扱われることにひどく敏感になっている。
自分の署名がないだけで、自分が消滅でもしたかのように感じるのだ。
それはちょっとした心理的パニックで、こういう反応が起こる毎に「自分の心こそ何よりも不可解だ」という事実を思い出すのである。

新しい年です。
卯年。

昨日は、何年ぶりに「紅白歌合戦」を見ました。
なぜなら、長女が帰ってきて、チャンネルを独占したためです。
ただし、残り何組か...になったところで疲れて寝てしまいましたが。
内容については、音楽というより、装置とか転換とか企画の方に気が行って、それで疲れたのかも知れません。
休みたいときには、自分の職種と全くかけ離れたものを鑑賞する方が身のためのようです。

正月用に購入したはずの数々の書籍は、30日にならないうちに全部読み切ってしまいました。
それで、先ほど、元旦にもかかわらず、事務所に買い置きの図書で、まだ読んでいなかったものはなかったか、と探しに来た次第。
そのついで、と言っては何ですが、ブログも書いている次第。

正月に娘ふたりが戻ってくると、いきなり人口密度が高くなる。
なんとはなし、自分の居場所がない感じ。
椅子も寝場所も譲って、テレビも譲って...。
つい3年前まで、こんな高密度で暮らしていたのだ。
精神的に大変だったはず、と改めて認識。

昨年から、何となくの予感で、今年は仕事どころではなくなりそうな気がしていたが、年末にその兆候が見えた。
まだ、転がり様は定かでないが、多分、命がけで取り組まなくてはならない雑事に発展しそうだ。
というわけで、風雲急を告げる年明けとなりました。
身体だけは大事にしないと!


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