エッセイ: 2011年6月アーカイブ

誤謬か運命か

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休日には、日頃触れない色々な情報を見ることができる。
現在の日本の状況を見ると、貿易赤字が凄くて、でも新人の採用は団塊世代の脱けを補うために上がっている。
大いなる怪我はしているが、まだ少し余力があるところかも、と思わせる。

ただし、原発関連では、発表されていない汚染や、アメリカの原発でも事故があったというツィートが見えたり、よく分からないことが多い。
放射線被爆の影響で、免疫力が下がるはずだという意見があり、全体に病気が増えるのかな、と気になる。そして、電車に乗る毎、人身事故の報告に遭うので、それも気になる。
鬱の蔓延。

人々の危機感は、否認のために外には出ず、さらに深く抑圧されて、日々はいつも通り習慣的に過ぎていく。心理的な防衛機制は、危機の時、信じられないほど上手く働く。いわゆる、火事場の馬鹿力なのだ。この機制は、ひとりずつ使う種類も強度も異なるから、表面に現れる行動からは推し量りがたい。事象に対して、無視してみたり、ものすごく近づいて取り憑かれたようになったり。
ふざけるつもりはないが、恋愛の時と行動が似通っている。
わざと無視したり、恋なんかしていないと否定したり、かと思うと隠れて盗み見たり、ストーキングしたり...。

訳の分からないもの、あるいは自分に多大な影響の起こる事態に対して、人は他人からは奇妙と見える対処、行動をするものだ。
その行動や行為の機微が、いずれ誰かの客観によって文学になったり、映画になったりする。
人間...定義づけられず、推測不能で、限りなく不可解な存在。

自分を尺度に解釈し、推量すると、たいてい間違う。
だから、ただ子どものような眼で観察したいと思う。
曇り無く、起きていることをそのまま、ただ見ていようと思う。

休日につらつら考えた。
第二次大戦で、大日本帝国軍部の迷走、独善に鼻面を引き回され、死にまくった国民は、その反省から平和憲法を遵守してきた。
だから、大丈夫と考えて一生懸命働いてきた。
しかし、実は、かつての軍部と同様の形で、国民の鼻面を引き回し、戦争並みの苦労と世界からの信頼を損なう事態を引き起こした人々がいた。
私たちは、何故、政治家や官僚や経済人を信頼できていたのだろうか。
それは人の良さにつけ込んだ、詐欺だったのか。
私たちは、人を信じ、長幼の序をいくらかは重んじ、優秀とされる人々を信頼しようとしてきた。
けれど、第二次大戦と同様の構図で、またも疲弊に晒される。
私たちのメンタリティーはどのような理由で、こうも自虐的なのか。

何度も同じ間違いが繰り返されるのは、考えなくてはならないポイントがずれているからなのではないか。
それとも、世界中のそれぞれの集団(国とは言えない)が、それぞれに特有の偏りを孕んで、それはある程度温存されるべきと解釈されているのか。
偏りは、地球規模の危機管理として有効なはずだが、それぞれが偏りなりのクラッシュを世界中にお見舞いし続けるというなら、それはちょっと問題だ。

お互い、各集団の哲学や文化を蹂躙するのは避けようとしているのだ。
文化的な侵略はあからさまにはしないことにしているのだ。
この自制すら、これまで、さんざん植民地主義や帝国主義が引き起こした惨禍から学んできた成果なのだが。
まだ、学び足りないのか、それとも、行けども行けども、私たちは間違い続け、悲惨を舐め、それから回復する心構えや道筋を学び続けなくてはならないということか。
多分、これが人の世というものなのだろう。
人は、幸福を求めながら、いつも間違う。
間違うと言うより、バランスを欠き、ひずむ。
ひずむとそこにエネルギーが堆積する。
そしてクラッシュする。
地震のように。


今から30年程前だが、大学のゼミで、アメリカのサリヴァンという精神科医の本を購読した。
「現代精神医学の概念」
みすず書房の名前をその時心に刻んで、卒業後もずっとフロムやレインなんかを読み漁った。
しばらく経つと、何が何やら分からなくなった。
自分の問題と、書かれていることのつながりが分からない。
ちょうど人生も苛酷な時だったので、友だちになった精神科の女医さんに勉強の方法を相談したら、彼女が通っている臨床心理学の研究所を紹介して貰えた。
ほとんどの研究生が、大学院生か専門家で、私のようなフリーランスの主婦は皆無。
呆れられ、訝しがられながら試験を受け、勉強を初めてもう15年くらい経つ。

心理学は、人間の心について、その成り立ちや働き方を知ろうとする学問だ。
心はただの抽象概念でしかない。
もとより、形はなく、有機的で変化も激しい。
眼には見えないが確かに存在するもの。
空気というものがある、と定義したときのように、心というものがある、と定義し、それに対して様々な角度から理論化できないか、と仮定し続けるのが心理学だ。

確実に学問として成立させたのは、言うまでもなくフロイトだ。
心を図解して見せた。
(フロイトを思うと、私の頭の中に19世紀末のウィーンの音楽が鳴り響く。あるいはエゴン・シーレの絵画が浮かぶ)
その畏友がユングで、フロイトの心の模型が「個」に属すものである処を超え、集合の心、他者と底流を共有する心の有り様を提示した。
ここから、あたかもダーウィンの進化の樹のような枝分かれと発展が起きる。
近年は、ラカンも人気ですね。

心理学はどこまで行っても基礎学問なので、それを学ぶと幸福になる類のものではない。
では、何のために学ぶのか。
それは、私にとって、内面的な家庭のようなものなのだ。
そこには共に学ぶ人々がいて、教師たちがいて。
私の知識や理解を提供できる人々もいて。
何より、「考える」という行為の拠り所になっている。
体系づけられた判断があるので、自分の変化を確認できる。
現実の家庭は暮らす場所で、学びの場は自分を観る場所というか、あるいは、自分の成長や変化を確認する場所。

15年も勉強してみて分かったのは、文学でも哲学でも政治学でも法学でも、突き詰めたところに存在する問題は同一で、入り口や道筋が異なるだけだ、ということ。
私が心理学の勉強で掘り進めた分、読書の理解が進む。
政治の成り行きや、仕事の進め方などでも、心理学から理解や方針のヒントを持ち出す、あるいは適用することも多い。
つまり、私が選んだ「よりしろ」なのだろう。

今、原子力の扱いが人類の大問題だ。
そして、心理学関係の人々も、この問題をどう内在化するかで激論中。

それは、「原子力」という、思いついてしまったのだが、的確な運用が大変に難しいシステムに、生身の人間、寿命が限られた人間として、個々にどうアプローチするか、という問題だ。
理科系も文化系も、それぞれが「個」という、生活者の立場で発想する。
そして、自分から広がる同心円のどの辺りまでを守りたいのか、無意識に判断しようとしている。

もっとも、これはまだ的確な方法を採っている場合であって、中には、テレビを判断の基準にしている人たちもいる。茶の間に届く情報の量だけが判断基準、という恐ろしいセレクト。けれど、人は自分が見たいものしか見ない。

私は、原子炉が現在どんな状態なのかよりも、これが起きてしまった今後、日本であるいは世界的にどのような価値観が主軸となりうるか、の方に興味がある。
何しろ、「テクノロジーは、悪用されない程度のものでは役にも立たない」という言説にひどく納得してしまった。
原子力を神の火と見て恐れおののき見ないことにするのか、糾弾し拒否し続けるのか、あるいは人間に扱える程度の規模なり運用方法なりを模索し構築し直すのか。
それを選ぶのは誰なのか。
テクノロジーは経済の奴隷か、それとも人の要請か。
日々、色々なことを夢想する。

話は飛ぶが、近未来SFでは、ほとんどの場合大事件を引き起こしているのは「個人」である。
どんな大事件も、たったひとりの「アナーキーで無感覚な」あるいは「特異なルサンチマンに満ちた」しかし「人並み外れて優秀な」ひとりによって引き起こされる。
ひょっとすると現実もそうだったりするか?、と夢想する。
たとえば制度のトップにいる、静かで落ち着いた狂人。
私たちの運命が、じつはそのひとりに委ねられていることを誰も知らなかったりして。
だって、そのトップの周囲の人々は、心理学の知識、もっと言えば自分や他者の心理査定をする知識がないはずなのよ。
怖〜い。

昨日、何かを書こうとして、ひどく遠ざかった気がした。
夜、堀茂樹さんの慶応大学での講義をWebで見て、ちょっと気づいたことがある。

まず、昨日の時点では、アーティストが直感から発想して何かをし続けることの意義、について考えていた。だが、ただの独り言になってしまったのはなぜ?
私の中に、必然性が無かったのかも知れない。
つまり、計画性がなかった。
結果を直感できなかった。
それが今日のお題。

ずっと考えていたのは、私が直感と思っている感覚はどのような姿をしているのか、ということ。
それが、昨夜、堀先生による本の読み方についての講義から少し見えた。
先生の主旨は、
「本(特に古典)を読むときに、自分の情緒とか現在の状況とかに引きつけすぎてはならない。
あるいはイデオロギーにも引きつけてはならない」
ということ。
どんな本も、今ここの私の状況によって解釈されがちだが、理解の目線をもっと上に置きましょう、ということだった。

メディアリテラシーとか言われるものすらそうだ。
今ここの私にとって、それが良いか悪いか、役に立つか否か。
それだけが送り手の判断基準なっている。
それを汲み取ってあげるのが、大衆。

もちろん、今ここで料理をするために必要なレシピというものはあるだろう。
ひとつの料理にひとつのレシピ。
1対1対応ならば、必要なデータは膨大になる。
メディアが流すのは、その1体1対応の膨大で個別な方法。
けれど、料理をしようするときに私を助けるのは、個々のレシピではなく、料理全般についての知識とノウハウである。
調理法や、素材の特性、食べ方などが、系統立ててラベリングされ、組み合わせできる知識として整理されていれば、個々のレシピはそれほど必要とされない。
目の前にある素材を出発点として、最終的な料理が想定され、足りないものつまり買い足すものが確認され、それに伴う調理法と味付けが決定される。
この時、何を想定しているかというと「出来上がる予定の料理の姿と味」である。
料理という行為は「出来上がるはずのもの」から映像を逆回しするようにして今に至り、そこから作り上げられていく。
ちょうど映画の編集のようなもの。

例えが長くなってしまったが、つまり、本を読むときにも「最終的な理解の姿」が見えていなくてはならない。
そしてそこに至ための正しい姿勢をとっているは、規定された環境にいる自分と呼ばれる個人ではなく、自分を含む人類全体なのである。
堀先生の言う最終的な理解の形が何をバックグラウンドにした結果かといえば、「真理か否かというその一点を検討する姿勢」だと言う。
古典が書かれた時代に引き比べて、現時点では、とか、実効性の有無とか、社会適応度などではなく、ただ、純粋にそのテキストに真理はあるか否かという眼で読まなくてはならない、ということである。

もちろん、人は、いつも地域性とか宗教の如何、時代性のような多種多様な環境のバイアスを通してしか物事を知覚することはできないのだが、それを超えて未だ残るものを観よ。
つまり学問の主眼は、テキストから何をはぎ取るべきかの知識を得るということでもある。
只今現在の自分のバイアスを凝視するとこと。
そして、はぎ取った末に残ったものから真理を抽出する努力をすること。
言わば、不変・普遍の要請に耐える言説。
それを探す意欲は、「最終的な理解の姿」をどう想定するかにかかっている。

アーティストも、遠くを見て、感じ取っている人のことだ。
只今ここで起きている様々なことに含まれる形にならない違和感を察知して、遠からず起きること、その先に来るはずの回復までを感じ取って表現に繋げる。
今ここの、複雑怪奇な現実の中で、大いなる感受性を全開にしながら、感性の中のある部分だけはここにおらず、遠く遙か彼方へと向けられている。
未来に続く道に発生する、痛みや争いや和解や平和、あるいは絶望や希望、あるいは生と死。
その過程を見晴るかしながら、映像を逆回しするようにここに戻って、今から始める。

未来と言っているが、それすら便宜的で、未来というよりは、またひとつ学んだ私たちの立場、学んだ末の私たちの心、または、再び別のフェイズで同じ種類の過ちを犯すはずの私たちへの憐憫。
そういった物事を、感性のどこかで感じ取れる人々のために、知っているがそれを形にできないでいる人々のために、表現という姿を借りて外に出すのが、アートと名づけられた行為だ。

彼方を見晴るかす私の心は、自分としては鈍いと感じながらも、相対的にはやや鋭いようだ。
アウトプットすることを増やそうと思えてきたが、依然としてインプットは膨大である。
日々、磁石に寄る砂鉄のように、私は発信を求めて、近づく。
それは、仲間増やしに似ている。

音楽演奏では、いつも全体を見ながら部分を見ている。
部分を作り上げるとき、全体を感じている。
曲には終わりがある。
けれど、音楽をする行為には終わりがない。

いつからなのかははっきり言えないが、私には直感みたいなものがある。
たとえば、自分の体や子どもたちの体のこと。
どんな食べ物が体によいのか、何となく分かって、上等なものというよりは、適切なものを食べてきた。
子どもたちは好き嫌いがほとんど無い。
長女は蕎麦アレルギーが少しあるが、彼女の呼吸器に関しては、大失敗をした。
呼吸器と皮膚は同じ細胞から分裂する。
乳児の頃、皮膚に発疹があったのをうまくやり過ごそうとしたのだが、私の両親が心配してステロイドを塗ってしまった。発疹はきれいに消えたけれど、その後数年間小児ぜんそくがひどかった。
後づけで考えたことだが、あのステロイドがなかったら、ぜんそくは回避できたのではないか、と後悔している。

体のことは、野口晴哉先生の起こした整体協会からも学んでいる。
だから、肩揉みとか、指圧みたいなことをすると、習っていないのに、上手にできる。
薬は大体別の部分が疲弊するのが分かるのでなるべく避け、自分でする活元運動というのと、部分を温めることで経過させる。
疲労が滞ったときは整体協会の佐々木先生の国立の道場に行って整えてもらう。
先生は、私と誕生日が同じで、ピアノも弾くから、色々な話しもできる。

料理は大好き。
最近は忙しくてあまりできない。
でも、ぬかみそを漬けている。
食べるものは、パンとかハムとか少しずつ、決まった店で買う。
他は、生協のもの。
お酒が飲めないので、暴飲暴食もしない。

職場まで、お天気がひどいときと、体調不良の時以外は歩く。
25分かかるので、往復歩くとまあまあの運動。
その他にも、都内に出たり、町中の用事でも歩く。
自転車は、3年くらい前に止めた。
自転車があることを前提にして移動範囲を決めると、スケジュールを入れすぎることに気がついたから。もちろん、地域の仕事をしようとすれば自転車ほど便利なものはないけれど、私は地域活動向きではないと思い知ったので...。

こういう生活の中で、色々なことに対して「人間にとっての適量」とか「安全っぽい」ことを察知してきた。
私や家族の限界を超えているでしょ、と直感されることは諦めるのだ。
向上心がないということではない。
子どもたちは、ちょっと心配なくらい頑張りやさんばかり。
言ってみれば、不適切なことはしない、みたいこと。
たとえば、できもしない職業に憧れるとか、不要な華やかさ、スタイルなんかを求めるようなこと。

いつも、江戸時代の人の暮らし方を思った。
稼いだおあしでその日の食い扶持を賄い、年取れば子どもに頼り、早めに死ぬ。
私にはこれが理想だ。
短いサイクルの循環を可能にする社会だと、もっといいな、と思う。
つい数十年前まで、飢饉が来ればひとたまりもなく飢えて死んだのだから、その頃の方が良かったとは言わないけれど。
今は、いつまで生きちゃうんだろうか、というのが人生の大問題だったりする。
それまで、何とかこの生活レベルを維持しないと、というのが恐怖だったりする。

この不安は、成長し続けるのが正しいとする、今までの社会の方向が作り出した脅しだ。
脅したってダメよ、と知らん顔をしなくては、と思う。

人間は長い間、貧乏なまま生きて死んだ。
それが普通だと思うと、市場に出現する様々な強迫や過剰が、ヘンなことに見えてくる。
私は豊かな家庭に育ったため、家族同様貧乏を怖れまくった。
怖れて竦んだ末、ついに追いつかれちゃった。
でも人生は、そこから突然面白くなった。
つまり、破滅するかも知れないという怖れの予感は、実際にそこに至った途端、生き延びる方への直感に場所を譲ったのだ。
私はそこからやっと自分になった。
もう、闘って倒れてもいいやという気持ちになった。
闘いの中味で勝負しようという、希望が持てるようになったのだ。


適応の深層

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書店に行くと、ビジネス本とかハウツー本とかいうものがあって、それを読むとビジネスに成功したり、夢が実現したりするそうである。
するそうである、の意味は、ポップや帯にそう書いてある、というほどの意味だが、そうなんだそうである。

長く、フリーのライターをやっていたが、その系統の書き物には何故か縁がなかった。
「あなたの恋愛を成就させます」 とか
「新しい自分に出会えます」など
自己啓発的な文章を書く方向に誘われたことがない。

音楽の解説や入門書などは随分書いた。
まったくの駆け出しの頃は、美容、健康、育児、旅行、料理、占い、園芸、歴史、なんでもやった。
新聞系の時事評論なんかもやらせてもらったことがある。

しかし、「あなたの幸せを約束する」系は、ついに一度もやらなかった。
ゴーストライターとしての仕事もなかった。

望まないものはやって来ない。
これは、適応の結果ではないか、とふと思う。
適応、という機制は、個の環境に対する働きかけだという一面もあるが、もうひとつ、内的適応というものもある。
それが、望まないことはやって来ない、という結果に繋がる。

自分の心をよく観察すると、
お金がないないと言いながら、お金儲けをしたくないという強い欲求がある。
ライブにたくさん人が来てくれると良いとか、本が売れてくれると良いと思いつつ、一方では有名になると色々めんどくさい、という拒否感がある。

恵まれない、と感じていた時期もある。
こんなに頑張っているのに、どうしてこうも実入りが少ないのだろうか、と嘆いたこともある。
しかし、冷静に考えると、子どもが3人もいてそれぞれ自立し、自分は歌を歌っても、文章を書いてもお金が頂けて、夫に頼らず生活でき、会社があって面白い仕事をし、性格の良い生徒さんたちに恵まれて、いつもお土産のお菓子を食べて太り...と。
良いことずくめなのかも知れないのだ。

とにかく、無事に子どもたちが育ち切った、というのは僥倖である。
自分が好きな仕事しかせず、偏ったオタクな母親だったにも拘わらず、それでもみんな無事に大人になってくれた、というのは凄い。
振り返れば、どれほど気力体力財力を注いだか。
もしかして、それだけのことを自分に振り向けたら、すごい遊べたかも知れないし、歌手として大成していたかも知れない。
が、私はやっぱり子どもを育てる方を取った。
それで自分が得たものは、半端な成功とかお金では得られないものばかりだった。

子どもたちが家を出て、夫と二人になり、その夫が仕事で数日留守にしたとき、わたしは良く眠れなくなった。
みんながいるときは、家は狭くて、風呂は満員で、洗濯も食器洗いも山のようでうんざりしていたが、その家は、一人になると広すぎて静かすぎた。
何より、一人は本当に不安なのだ。
私は人にとても気を使うというか、感応しやすいタチなので、一人になる気楽さを楽しみにするのだ。けれどじつは、めんどくさい手のかかる人のいることが、一方で安心を含んでもいる。
家族とは、そういうものらしい。

私の適応機制は、誰もがそうなのだが、もっぱら自分の安心のために働いた。
その内容は、自分の家族に支えられるのが最適であると察知して、家族を存在させ、精一杯慈しみ、いつでも安心できる空間を引き寄せられる保証のために生きる、ということだった。

周囲の人々が私の働き方や行動を見るにつけ、不可解だと仰るのは、それが社会的でなく個人的欲求に従っているからなのではないか。
ビジネス本やハウツー本はどうしても、社会に適応する方向を描く。
多くの著者は、社会的成功によって内的適応を実現した希有な方々である。
希有だからこそ、「本を書きませんか」とお願いされるのだよ。
ほとんどの人々は、有名著者と同じ方法では環境にも内面にも適応できないはずだ。

程度問題ではあるが、時には内的適応を優先しないと人間は壊れるものなのだ。
自分とは異なる人々の成功方法は、自分には向かないことが多い。
私の場合底流に、仕事以上に家族によって安心したい事情があるために、このような仕事の仕方になっている。
それは、仕事の成功にはほとんど結びつかないのだが、毎日の成功には結びついている。

ついでに言うと、自分の弱点やトラウマを知ると、少し自由になる。
それに気をつけるべきだと分かると、それ以前よりは少し安心を増すことができるようになるのだ。



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