エッセイ: 2011年8月アーカイブ

アンサンブル

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育児のために長く歌を休んでいて、久し振りに戻ってきたら、昔新人同士だった仲間はみんなヴェテランになっていて、「付き合っていただく」感じになっていた。
ライブなどしてみると、力量の差は歴然で、こりゃ死ぬまで三下だわい、と覚悟した。
自分の好きで現場を離れ、3人も子どもを育て上げたんだから贅沢は言えない。
人生はダブルでは生きられない。

現場に戻った最初の頃に痛感したのは、意識が自立していない、ということだった。
自立的に演奏できない。
ミュージシャンからも
「自分のペースで歌えてない」
と感想を言われた。

「自分のベースって何だろう」
そのことの意味をいつも考えた。
もちろん、声の出方やリズムの乗り方など、現役の時からするとひどく勘が鈍っていたし、それが自信のなさに繋がっていたこともある。
けれど、主体的に演奏する、というのはまた違った次元のことだった。

主婦で母親で、という立場で生活していると、ひたすら「譲る、遠慮する、へりくだる」必要があった。自分の我を出さず、周囲の利益のために貢献する。
主婦で母親であり、その立場で日常を暮らすとなると、日常の構えだけでなく、精神性までもが主にそういう「気遣い」あるいは「わきまえ方」をすることと同一なっていた。
相手が話すのを待つ。
相手がしたいことを察する。
相手が楽になるように立ち回る。
それを演奏の中でもしてしまう。
聴いてしまう。
配慮して全てが遅れる。
対等にならない。

私の構えは違うのではないか、と感じ始めた。
良かれと思ってすることは、さほど良い結果を導かないかも知れない。
つまり、配慮、調和へのアプローチという働きの難しさ。
してもらう側からすると、配慮は美しい。
けれど、一方だけが配慮していると、場が死んでくる。
活き活きしない。
つまり、一方的な配慮はバランスを欠く。
やがて恨み辛みなども沸き出す。

人ははじめに、怖れず自分の都合を精一杯出すべきかも知れない。
表現する、という意味でだが。
それを出し合って後に、話し合いが始まる。
愛があれば、やがて互いの美意識が収まるところを得る。
アンサンブルとは大方、そういうことの積み重ねだ、という気がする。

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