kyokotada: 2013年1月アーカイブ

歌えると教えるはおなじことではないが、縁あって22歳くらいからずっと歌を教えている。その間に、ピアノが少し上達し、楽譜が山ほど溜まり、パソコンで楽譜制作ができるようになり、理論が少し分かり、音声学が少し分かり、心理学が少し分かるようになった。

人の演奏を注意深く聴くようになった。
雑に演奏しないよう気をつける気持ちになった。
色々な人に音楽を好きになってほしいと心から思うようになった。
上手い下手ではなく、楽しむこと、打ち込むことこそが大切だと思うようになった。

音楽の世界にも、スポーツと同様、点数をつけたり、競争したりする場面が多々ある。
受験、コンテスト、オーディション、大会...。
上手い方が気分がいいのだろうけれど、その先に行くともっと上手い人がいる。
そして、勝ち負けを追っているうちに、心から楽しんで歌い、聴くことを忘れたりする。

教える中には、その人を幸せにする願いもこもる。
レッスン時間の半分くらい、悩み相談をするときもある。
世間話でほぐすときもある。
誰しも、歌う以前に生活しているのだ。
スタジオに入ったからと言って、すぐには気持ちが切り替わらないほど大変な時期もある。

コンスタントに、そこに私がいる、ということも大切だと思う。
どんな大変な一週間、一ヶ月であったとしても、私が変わらず同じ場所で同じような顔で待っていれば、少しは楽しいときのことを思い出して頂けるかな、と思う。

そのために、色々なことを工夫してきた。
私自身が大変だった時を思い返し、その時に役立ったことを探したり。
そして、時が過ぎ行くことも忘れずに。
私自身だけでなく生徒みんなのために、少しでも広く技術や知識を学ぶこと。

誰かのために精を出すのは、私の幸福を支えるものでもあると分かる。
ツィッターで2種類のTLを作っている。
ひとつは音楽系、ひとつは作家・評論家系。
ふたつのTLの比較が面白いのは言うまでもないけれど、そこからたびたび良い情報がゲットできる。「良い」というくくりには、私が思いもつかなかった「現在」の状況を伝えてくれるがものが含まれる。それこそ、私の仕事や音楽業界にとってびっくりすることだったりもする。

びっくりのひとつは、小中学生にとって、音楽は特にお金を払って聴くものでは無くなってきた、という件。webの中に落ちている音源を、そのままiphonで聴いているとか。彼らにとっては音質などどうでも良いものである、というのだ。そして、生の楽器と打ち込みの音の区別がつかない。音で楽器が判別できない、という件。

もちろん、音楽の微細を聞き取るには訓練や経験が必要で、誰でもできることではないと思う。それにしても、電子楽器と生楽器の区別がどうでも良いことになるとしたら、この先音楽はどうなって行くのだろうか。

出版の世界も似たように変化してきた。私はちょうど、その渦中にいた。はじめは原稿用紙に手書き、家にはFAXも無かったから、近所の知り合いの作家さんに借りていた。
それがワープロ専用機になってフロッピーディスクでMS-DOS変換とかをやらされ、次いでパソコンを買わされてソフトを色々覚えさせられ、その頃、編集やデザインもデジタルのスピードに合わせたスケジュールで動くようになった。

webのコンテンツが多彩になると、画像や動画付きで提供される情報が溢れ、それまで必須だった実用書類もあらかた必要なくなり、様々なジャンルで置き換わりが起きている。

音楽も、いよいよそれらと同じく、置き換わって行く分野が出てきたということだろう。
私が気になるのは、ジャズのこと。ジャズは、デジタルには置き換わりそうにない。ライブがまず何より大事で、そのアーカイブとしてCDがある。けれど、私が関わったこの数年ですら、ショップの棚が半減している。では、配信が良いのかと言えば、それほどでもない。つまり、ライブ会場での手売りが突出して好成績なのだ。

目の前で聴いて感動し、その音を思い出すためにもCDを手元に置きたいと感じてくれるのだろう。ミュージシャンにサインをもらい、握手して近しくなるのも楽しい。1作を1年から2年かけて売るとして、1000〜1500枚が程よい数字。しかしこの数は、書籍の初版の1/3程度でしかない。

ジャズとクラシックは、音楽業界の「基礎研究」部門だ。科学なら、生活に必需でない研究に公費が充てられ、維持される。けれど、音楽の場合はそうも行かない。基礎研究部門は業界の底を支え、各部門に汎用性のある人材を輩出するけれど、そこに価値を見出す慧眼はなかなか無い。どこまで行っても、音楽に対価を支払ってくれるのはファンであり、生徒たちでしかない。

こういった状況の中で、現在の変化を見て、会社をどう回すのが良いのか、日々考えている。かつてなら巨大なマーケットを想定して、嘘ごまかしでも一発当てるという考え方もできたが、マーケットは細分化されすぎて、インフォメーションひとつやるのも難しい。細分したマーケットを各所から集めて、「ちりつも」的な認知度アップを試みるしかない。それは、なかなか骨が折れるし、根気のいる仕事だ。さらに困難なのは、それをやっても費用対効果が見込めないこと。費用をかけただけの伸びは見込めず、マイナスを阻止するだけ、という感じ。

それでも会社をやる意義はあるか否か。
ここで悩むのは、何と何を天秤にかけているか、自分でも時々分からなくなるという点。
私の生活や仕事のやりがい、関わるミュージシャンたちの活動の充実、日本ジャズ界の質の維持、音楽そのものへの使命感などなど。
言葉にして挙げてみると照れるような大上段だが、心の中ではこういうものたちが、それぞれ居場所を求めて自己主張している。
私が止めても、大局的には特にどうということはないのだろうが(面白いアルバムの数が減るくらいで)何年もかけて積み上げてきたものは大事にしたいとも思っている。
止めるのは一瞬でできることだし。

その揺れる気持ち。
つまり、体力的にも気力でも、今まで通りは少し無理かもと思うこの頃。
何を残し、何を削るかしばしば考えている。
時代の変化を読むべきか。それとも、私はアナログ時代から続くこの時代に生きた人として、変化なんか読まんよ、と言い続けるべきか。
しばらく悩みが続くかも知れない。




料理好き

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昔「聡明な女は料理がうまい」という本がベストセラーになったことがあった。
聡明な女→仕事を持つ女→料理や家事一般が苦手
という、昔にはありがちだった一般論を覆そうとする内容。
私としては、料理は好きだが、聡明ではないな、と感じたり。

大家族だったので、女子の私はいつも料理を手伝いながら育った。
戦後の食べ物のない時代からの引き継ぎで、従業員も家族も全員一緒の昼食。
賄いのおばさんもいて、いつも大量のおかずを作った。
夏休みや冬休みは、毎日その手伝いができる。
夜も、住み込みの人たちと家族合わせて10人以上の食卓。
父は別膳だからその分の料理もあり。

料理は毎日のことだったし、正月や祭用の特別な品々も手伝ううちに覚えた。
最初は、手順を覚えるのが楽しく、そして食品の様々を覚えるのが楽しく、食べたいものというよりは、レパートリーが増えて行くのが楽しかった。
例えば干瓢は塩でもみ、湯で戻してから煮るとか。
そういう、ひと手間かける食品にとくに興味を持った。

高校生くらいの時、父がニューヨークで食べてきたという、アサリ入りのスパゲティを何とか再現したいと頼まれたときは、自分では見たことも食べたこともないのに細部を聞き出し、色々な料理本を調べて作ってみた。
その時、タイムを初めて使った。
今思うとボンゴレだから、ニンニクとバジルくらいで良い、と分かっているが、その時はケチャップ味でない、塩味だけのアサリのスパゲティだと聞かされて、ずいぶんびっくりした覚えがある。パスタなんて言葉すらまだ聞いたことのない時代。

大学生の頃には、ホームステイ先の家庭で刺身からちらし寿司、中落ちを使ったつみれ入り吸い物まで作ってみせた。日本食の食料品店が今のようでない時代だから、50cmほどのマグロは半身皮がついたまま、しかもアメリカ家庭の切れない包丁で料理したのだから、結構素晴らしかったのだ、と今になって感心している。

結婚してからはかなり張り切って料理した。
書店で見つけた「四季の味」という料理本に感嘆し、ここまでこだわる人々が存在することに感動した。この感じ、現在の職人好きに通じている。後に、この本の編集長だった方のご家族、関係者と知り合いになり、この本を読んで知っていたことをずいぶん驚かれた。

今も、休みとなると買い出しをして、丸ごとの魚を買い、刺身、カルパッチョ、煮物、焼き物、揚げ物と様々に料理する。材料を買い込むのも大好きで、気がつくと万札が消えている。田無駅前のアスタビルにはジュピターが入っているし、吉祥寺に行くと三浦屋がある。ちょっと覗こうとして、色々手に持ってしまう。気をつけないとすぐに買いすぎる。

とは言え、食べてばかりかというと、仕事の都合で時間が無く、作っても家族に食べ尽くされて口に入らずじまい、という日も多々ある。それでも、作りたいのだ。色々。

子供が生まれ、音楽を休んでフリーライターを始めた頃は、ほとんど家で書いていたので
日々、書いては合間に料理をしていた。ずいぶん手の込んだ和え物なんかも作っていた。ごまを炒り、すり鉢であたって、甘酢で整える。具は、干し椎茸を甘辛く煮たものと薄い小口にした胡瓜を塩もみしたもの。これは、辻嘉一さんの料理本にあった。同じ本の、酒蒸しした鶏のささみをほぐしたものとジャガイモを針のように細く切り塩揉みしたものをごま酢合混ぜにしたものも美味しかった。

子供たちが中学くらいになってからは、毎朝弁当を作り続けて20年。頑張ったが手早くできる雑駁なものばかり増えた。あの頃は毎日眠かったなぁ。
ケーキやゼリー類なんかも結構作っていたし。

仕事場を外に持つようになってからの10数年間、料理に割く贅沢な時間がなかなか取れなくなっていたけれど、最近また仕事をさぼって料理をしている。見た目はどうでも、美味しければ良いという料理ばかりだけれど、少し心に余裕ができたのかな。この春、息子が就職すれば3人の子育てもやっと完了となる。

音楽好きの友達、もちろんミュージシャンたちも、みんな本当に美味しいものを食べるのが好きだ。集まるとすぐ、最近食べた美味しいものの話になる。あるいは、旅先で出会った特産品や珍しい料理、調味料などの報告。

食べる話の中身に艶のある人は、演奏も美味しい感じがする。食べることへのこだわりと、音楽を聴いたり演奏したりする神経は、どこかでつながっているのかな。
そういえば「美味い、旨い、上手い、巧い」って、全部「うまい」だ。


「どこまで行っても人なんだよ」
あるミュージシャンがつくづくのように呟く。

「まあ、そうだね」
と言ってしまう。
実際、音楽は人の中にある。
演奏家の出音は、その人の中にあるリズムや技術や理解以上にはならない。
あまけに、演奏1曲の中に全てがあるとも言えるし、ほとんど出ない、せいぜいがその人の中の数パーセントだ、とも言える。

歌を教える時、その人の技術を育てるフィジカル訓練の部分と、音楽や楽曲に対する向かい方、捉え方や理解の仕方、楽しみ方を育てるメンタルな部分とがある。
そのふたつが、いつも追いかけっこをしている。
技術が成長し、できることが増えると、なぜか人はその先の未知の部分を理想とするようになる。
そしてその未知の部分がないと、進歩が望めない。
人は必ず、自分がまだできていない、理想とするものの可能性の方を見ながら練習するようなのだ。
その「理想」がどこから来るかと言えば、いつも耳にしている素晴らしい演奏家たちのアーカイブだったり、ライブだったり。

人がこれほど素晴らしい表現をできるのだという事実に打たれて、その一端をこの身体で実現してみたいと欲望する。
欲望しながら次に何をするかと言えば、自分を知る。
今できること、やらなくてはならないこと、追求して可能性のあること、残念ながら不可能そうなこと、意欲の有無、そして環境など。
生きるための仕事や家事をこなしながら、家族や友人との付き合いをこなしながら、どこかで確実に実現したことが増えるのを感じ、充実する。

もちろん、不全感や欲求不満はいつもある。
けれど、それを含めて、何とかしてここを突破してやろうという意欲で元気を出す。
ひとりの音楽の中には、そうして積み上げる全てがある。
練習、心の整理、馴れや自信。それらが全て出る。
全て出るとは言い方を変えれば、あるものしか出ないということでもある。

ユニットの演奏は、ひとりずつがその曲の未来、同じ行方を見ながら進んで行くものだ。
横一列になったり、少しでこぼこしたり、けれど、その曲の行方を前方にひたと見据えながら、落っこちないように、気を抜かないように全員で進んで行くものだ。

その演奏時の緊張感が好きだ。
仲間がいて、皆に期待し、耳をそばだてながら、一緒に前を見て進んで行く。
必ず、惜しげなく持ってるものを全て出しながら、一緒に進んで行く。

終わると、もっとできたはずだった、と思ったりする。
最近はほとんど無くなったけれど、修行中はその連続。
最近の不覚は、暗譜の完成度が主になってきたけれど、それでも、アンサンブルする仲間とのバランスについては多く反省する。
反省してすぐ次。
後悔はできない。
その時間は惜しい。

ライブで出たことは、それまで準備したことの全てだ。
ライブの度に、できたこと不満なことが溜まり、それがなぜか意識しない心の底の方で変化していく。
その意識できない部分が積み重なることでしか、本当の意味で音楽が良くはならない。
不思議だけれど、「力を抜く」とか「リラックスする」ということひとつとっても、そこに至るまでとても時間がかかるものだ。
それでも、理想とすれば少しずつでも必ず近づく。
意識しないと変わらない。
変わるためにははじめに、アイディアを持たなくてはならないようなのだ。
そのアイディアの質がまた、大切なようだ。

ミュージシャンひとりひとりの、そのアイディアの精錬方法を見ている。
全員、本当に異なっている。
つまりそのアイディアこそがオリジナル。
人は真実、多様なんだと知る。
同じ日本人でもこんなに多様なんだ、と感心する。
そして世界の広さを改めて思い出す。

金曜日の夜中に、テレ東で「まほろ駅前番外地」というドラマをやっている。
三浦しおんさんの小説「まほろ駅前多田便利店」のキャラクターを活かした、監督書き下ろしものだ。
私はこれを見て激しく感動した。
映画的だが、テレビサイズのかろみがあり、体温のある人間がいる。
脚本は、ばかばかしくも極端なドラマ進行なのだが、それが少しも痛くない。
おまけに、最後に流れてきた歌。ゆらゆら帝国のあの声...。

上手いなぁ、才能だなぁと感心して、それからノスタルジックな感慨に浸る。
この感じを私はずっと好きだったなぁ。

この感じが好きなのは、私が中央線に憧れた若者だったからかも知れない。
中央線の吉祥寺、西荻、阿佐ヶ谷、高円寺、そしてちょっと離れた国立辺り。
上京直後の私の東京生活は、ここいらを拠点に展開していた。
ジャズとかフォークとかロックとか、絵を描く人、文章を書く人、店をやる人。
それらの人の姿。
商売なんだが、それより先に形にしたい何かがあり、そのための商売。
形にならないときの悩み、試行錯誤、笑い飛ばし方、距離の取り方。
国が理想とする労働者像から逃走し続けるための思考。

「こんなんでも楽しく生きて行けますよー」と、気張らずに見せたい気取り。
人と違うことを目指す自己顕示欲。
キッチュやデコンストラクションに浸りきりたい官能。

そういうものがごったになって、趣味が異なることを細かく検分しては互いを罵り合ったり。なるべく清潔に見えないように心を砕いたり。まじめであることを気取られないように細心の注意を払ったりしていた。

その頃の空気感が、テレ東の番組の中にある気がする。
要するには、何をするにも細部なんだ。細部に関する知識と経験、そしてその積み上げ。
職人や海外に派遣されたビジネスマンたちは、現場や駐在先でどうやって暮らしを立てているか。

時には、家に眠る家宝が、じつは、三文品だということを宣告してあげる番組。骨董好きの妄想をあるいはオタクの勘違いをみんなで笑って明らかにする番組。その骨董を根拠に持っていた「名家」の自信が、呆気なく崩壊したりする。あるいは価値あるものに込められていた先祖の思い入れを再確認することもある。

それらの番組の目線は、他局と違っている。
NHKが、日本国という共同の意識のために大枚をはたいて「世界初」の映像、「世界最高」の技術を見せてくれる一方で、街はテレ東が描くように在る、と納得する。街にいる人々は仕込みもない素のまま、驚くほどの率直さで映り込む。

その中に、かつて私が中央線沿線で知った、何とも言えないサブカルの匂いがある。
それは、人を同じ目線で見て、ヒェラルキーを消そうとする試みだ。
ひとりずつがいるだけで、上下なんてないのさ。
好きなことを好きなようにやって、周囲に迷惑かけたり世話になったり、逆に世話したり、そういう日々こそが愛おしくないですか。

「テレビ東京」の番組の中で懐かしい匂いを感じた。何だろう、これ、この気持ちは何だろう。そして、はたと膝を打つ気がしたのだ。
テレ東って、もしかして中央線文化なのじゃないのか、と。

作品の中の情緒

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ホロヴィッツがモーツァルトのたしか23番のコンチェルトを演奏するドキュメンタリーがあって、第2楽章を「これはシチリアーナなんだ」と、何度も言う場面がある。
シチリアーナとは、「シチリア風」という意味で、シチリア島独特のセンチメンタルが感じられる曲のことだ。郷愁というか、懐かしさというか。ポルトガル語ならサウダージのような。

音楽史によれば、音楽は他意の無い音遊びから始まって、次第に音の連なりを利用して、そこに何らかの意味を込めようとする欲求に利用されるようになる。教会音楽は神の顕在を示そうとしたし、吟遊詩人はメロディに乗せてロマンスを語った。オペラは当然物語そのものであり、その行き過ぎに辟易した作曲家たちは、一方で何の意味も込めない、ただ純正な構成感を求めて交響曲を考案した。

しかし、いずれにしてもそれらには人の感情や自然に訴える、あるいは挑戦的に感情をかき混ぜる何らかの操作意図がある。操作という言葉が悪ければ、演出それとも編集。

人の頭脳は放っておくと加熱するし、妄想する。いずれ、その程度が極端であれば解説なしに理解させることはできなくなる。戦略的な解説を付加するか、編集して理解しやすくするか、薄める演出をするかである。

クラシックやジャズは、音楽のほとんどの要素を含むために、作曲家や演奏家に過大な要求をする。その余り、ついには編集の収拾をつけられなくなる事態を引き寄せがちだ。
聴く側の感じで言えば、作曲家や演奏家の意識が、ごく私的な、悪く言えば自己満足の次元に集まってしまっているかのような印象。
自己満足と言っても、音を紡ぐ当事者だけでなく、「ワタシ」には正しく理解できる、と宣言する「コア」なファンというものも存在して、あたかもカルト的な一種訪問しがたい世界に閉じてしまう。

例えば、コンセプチュアルアートなども似ている。事前に予備知識として、何かをどこかまで積み上げないと理解できない作品群。何をどこまで積み上げるべきかについては、部外者から見ると、それこそ神経衰弱ゲームのカードのように伏せられているので、いきなり作品を突きつけられると呆然とし、ルールを知らないでいる自分を持て余したりする。

アートがそこまで来たのは、教養主義のダブルバインド、二律背反があるせいだろう。異端でありながら、特権という、どちらに転ぶのが良いのか判断しがたい局面。アートを鑑賞する場面で、その思いは人を宙吊りにする。

背を向けて去る人と、果敢に入り込む人がいて、それぞれ、好きだから嫌いだからという理由だけでなく、その教養主義に配慮する必要性を天秤にかけている。そしてその行為を決断する時には、恐らくこれまでの記憶を手がかりにしている。「ワタシ」は、どこかで接した、何かを良く知っていたあの魅力的なあるいは誘惑的な人に、この後なりたいのか否か。

音楽に於ける情緒や物語に対しても、近づいた人々のとる態度はまちまちで、その片鱗が見えた途端に後ずさりし、「純粋音楽」こそ正しいと叫びながら走り去る人もある。彼らの記憶では、自分の感情を出すのはスマートでない。

ところが一方には、その感情に必要以上に取り入って、ためつすがめつ膨らませて、情緒過多のお腹いっぱい状態を堪能しようとする態度もある。

どちらが好きなのか、の理由について、しばしば考えを巡らす。
つまり、まだはっきりと芸術や芸能がどのように棲み分け、人に働きかけ、何をもたらしているのかを、明確にしようとする必要には差し掛かっていないようなのだ。

今はただ、遠大に広がった地平に膨大な量の「情緒」と「理論の積み上げ」が見えるだけ。そしてそれらの途上で、自分のとどまる位置、守備範囲を日々探ってみるだけだ。


人は一人ずつ、色々な顔なはずだ。
それが、最近は皆似ているように見える。
いやいや、似て見えるのは「役者」の人たちだけかも。

役者と呼ばれるジャンルにいる人たちが、同じカテゴリーの外見になっている。
そこから外れる人は、お笑い。
あまりに同じ顔つきの人ばかりなので、たまに「個性派」と呼ばれる役者が脇役として採用される。彼ら、彼女らはお笑い系か、舞台、劇団に所属する人々。

大河ドラマを見ていて、みんな同じようなカテゴリーの顔なのは良くないな、と感じた。
眉目秀麗ってやつ。

昔の映画は、顔や姿だけで、人物像が半分くらい理解できる強者揃いだった。
背丈、体つき、顔の大きさや造形。
そのはっきりとした美醜と表情で、筋など関係なく人を見る楽しみがあったように思う。

今は、もれなくご清潔で、業界人の好きなひとつの価値観の中にまとまっている。もちろん、細かく観察すれば美しさの中にも違いがあるのだろうなぁ、とは思うが、それでも似たような個性ばかりが、ひとつ画面の中で別の人格ですと証明するために台詞を喋っているように見えてならない。

俳優、女優として成立する人材を抱える事務所の価値観が、おおむね似通ってしまった。
あるいは、ごく若い頃から、同じような訓練を受ける中で切磋琢磨し、役者自身が自分をそのように作り変えているのか。個人ではなく、チームでの創作物。

サクセスストーリーというものがあれば、それをなぞる方が安心かも知れない。
指導も学習も、事務所も映画のナントカ組も。
でも、その前に個人はどうなったのだろう。
それらの一連が手段でしかないと、自分のすなることこそが最終目的だと、はっきり決めている、あるいは決めようとしている人材が少ないのだろうか。

現在見て感心する昔の個性的な役者たちというものは、どこからどのように発生したのだろうか。動乱の昭和に生きただけで、あのような面構えになったのか。それとも、監督が大勢の群衆の中から彼らを見出して、説得して引きずり込み、育てたからなのか。

見出す眼力の側が変わったということだろうか。
それとも、役者という立場が、今のような輝かしい職業なんかではなく、どちらかといえば尻込みしたいものが、周囲によって必要だと要請されてついに「あたしにゃこれっくらいしかできるもんがありませんや」と諦念した後に成立した時代だったからなのか。

映画を作る世界は、それなりに狭かったと思われる。
狭くこだわりのきつい、その業界内で小難しい職人たちにだけ支持された技芸というものが必ずあったはずだ。
テレビによる製作の大衆化ということが起きる前の、職人たちによるひとときの幸福な製作環境。そこでしか生まれ得ない美しいもの。

そのような環境世界を、意識的に、維持することはできるのだろうか。



映画を見ようとしてザッピングしていたら、矢沢のドキュメンタリーに当たったため、そのまま鑑賞。若い頃はすごく嫌いだった。私のテイストではないし、不思議な感性だな、と。何が彼をこうさせているのか、と怪訝な思いがした。
けれど、ある時、自分と誕生日が同じだと分かって、その上よく人に騙されて借金まみれになっていると知って、少し注目するようになった。(書いてみると変な理由だな)

歌、うまいと思う。特に、リズムのあるロックンロール。今年の紅白歌合戦にもゲストで出たけれど、歌のうまさは圧巻だった。
鑑賞したドキュメンタリーでは、どれほど緻密にリハーサルし、個人の練習を繰り返しているのかも良く分かり、歌手としてかなり尊敬。でもやはり、私のテイストではないので何曲も続けては聴けない。

その中で彼が言った言葉「15,6の時にスコーンと来れたかどうかで人生決まるね」というのがすごく良かった。
15,6歳の時にビートルズを聴いて、何の疑問も持たずに「俺はこういうことをやろう」と決めたそうだ。
「スコーンと来る」というのがすごく分かる。
私はもう少し遅くて、18歳くらいだったけれど、やっぱりスコーンと来た。
友達と夏合宿に行く車の中でマイルスを聴いていた。
その時にスコーンが来た。
何かが理解できた。しかも身体的に。そしてそのことで私、大丈夫だ、と感じた。

時期は思春期でなくてはならない。
そして自分に起きた感覚が矢沢の言う「スコーン」だと自覚できなくてはならない。
それが起きた人同士は、あるいは、人にはそういうことが起こるのだと予測している同士はどこかで嗅ぎ合う。嗅ぎ合って仲間だと分かったりする。仲間だと分かっても離合集散はあるけれど、それでもその強度をいちいち確認し合う。

起きてしまったら仕方が無い。
それは良いとか悪いではなく、起きてしまったらそれなりに人生を過ごさなくてはならないのだ。それによっての甚大な被害を恐れず、孤独も受け入れ、ハンドリングする勇気を持って人生を過ごさなくてはならない。

周囲のアーティスト、ミュージシャンたちは、もれなくこれに当たっている。一度当たりはしたけれど、年を取るに従って次第に薄れて普通になって行くタイプもあり、逆に、絶対手放さないと言わんばかりに、果敢に挑戦し、増殖させて育てて行くタイプもある。
育てては不安に負けてちょっと引き、安全地帯で英気を養ってまた出張る、みたいな人もいる。私は結構育て上げるタイプだけれど、環境は広く取ってある。
そのように、スコーンは、時に劇薬的でもある。

思春期にスコーンが起こるのは、まだ、たくさんの余白が残っているからに違いない。真っ白なカンバスとまでは言わないが、「感動」という事態に対する処女性がある。初めては一度しかあり得ないので、それは、個人にとって絶対的なものとなる。以降は、恐らくバリエーション。

スコーンが遅れてやってくる場合もあるかも知れない。年齢の行った人で、カルチャーショックによって、身体が裏返るほどの価値観の転換が起きた、と語る場合もある。

スコーンのことを的確に言い表す言葉はあるのだろうか。
矢沢が、ビートルズに出会って「スコーン」と来たそのことを聞いた私が「スコーン」とは何かが分かったということで、それは必ずあるようなのだ。

何かに魅入られた人々の確実な理由として。
世界観の次元が変わるその瞬間の体験的インパクトとして。
人の感性の可塑性とその不思議さについて。

マイケルのビートが鳴ると、零歳児でもそれに合わせて身体を上下させるのを見て、これはもう、人間の基本的欲求なのだと得心。
つまり、連続的な拍動の繰り返しが人間の心をくすぐる。
胎児は母胎の中で母親の心臓の鼓動を聴いている。だから、それに似た音を聞かせると誕生後でも安心して眠る。
ロック・ビートでは、ベードラの音とかエレベの音と同期できると気持ちが良い。
果たして、それらと自分の何とが同期しているのるか、というところがミソなのだが、勝手な想像では、多分心理的な迷妄状態への嗜好だろうか。
音を聴き続けることで、幾分現実から遠ざかる。
酒もドラッグもその辺は同じ。
心理学的にいうと、タナトスの方向だろうか。
そこに強い快楽があるのは、人が無から生まれて無に帰って行くからに違いない。
「無」は故郷なのだ。

もっとも、ここで言う「無」はごく抽象的な話であり、科学的には地球上に存在する分子の数は太古の昔から一定で、ただ所属する対象が変わるだけだと言うから、「無」の概念は分子側にではなく、所属対象の方になる訳だが。
所属対象が人間である場合のみ、そこに記憶とか思考とかかが発生し、タナトスの出番となる。エロスとタナトスはごく原初的な人の実感だ。例えば実存とか生きてる感じとかを裏表で言い表す。
エロスは「生」に寄り、タナトスは「死」に寄る。

死んだような感じがなぜ気持ちいいのか。
死ぬというより、生きてる感じが緩む時と言い換えようか。
同じ拍動を長時間聴き続けると、トランス状態になる。
その拍動が不快な音源であってはならないが、「良い音」であれば、人はその中に自分を埋没させられる。
一時的に音の世界の拍動と自分とが同期する。
次第にうっとりしてくる。

この効果を用いるのが、読経とか念仏とか。
アフリカの人々などは一晩中一定のリズムで踊り続けるし、阿波踊り盆踊りのテンポも昔からずっと変わらない。
ここには、人の生理も関わっている。

そこで私はいつもテンポの講義の時、生理的なテンポに近づけて感じる練習をさせる。
スローテンポはそれを分割した、中にあるリズムを感じ、アップテンポではいくつかの拍をまとめた単位で感じさせる。
音楽で用いるテンポは、人の生理に可能な範囲にあるので、その解説をすると大分納得してもらえる。

心拍や歩く、あるいは走るリズムと似た速度の拍動。
それをいくつか組み合わせてひとつと感じるか、微分して区切ってみるかのいずれか。

そして拍のまとまり、例えば2拍子3拍子などを感じるのは、すべての拍が均等でなくどこかにアクセントが置かれるからだ。その多彩なアイディアの元は馬のギャロップや労働のリズムの中に聞こえる。
いつか、酒蔵の杜氏が酒をかき混ぜながら唱和する民謡を聴いた。
そこには、西欧的な時間を区切る拍ではなくかき混ぜる動作をまとめるための拍があった。杜氏は、歌がうまくないと一流でないそうだ。素晴らしい価値観。

こういうことを考えていると、巷で受け入れられている音楽や演奏している人々の内面の快楽というものの姿がおぼろげながら見えてくる気がする。
生理というものは、生まれつきと、その時点の環境による後天的なものと、年齢や地域性などが絡まり合っているので、どのような音楽を快とするかは人により様々だ。
けれど、まず最初に人々が音楽の中に聴くのはテンポでありリズムなのだ。
それが、その時、刺激的であるか心地よければ、次にメロディーに耳が行く。
残念ながら気持ちがついて行かない時は、我慢して聴き続けるよりは、やれやれという感じで音を消す方を選ぶのである。




プカドン交響曲

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子供たちが幼い頃、家事などをする合間にビデオを見せていた。
ちょうど、レンタルビデオ店ができ始めた頃で、その品揃えに感心した覚えがある。
子供ともども特に気に入っていたものの中に、ディズニー初期のアニメーション群がある。
短編がいくつも収録された「シリー・シンフォニー」シリーズなど。
中に、「プカドン交響曲」という教育的な短編があって、それには私も感動させられた。

話は、楽器の起源から現在までに至る発展の歴史を上手に編集したもので、人類がどのようにして音楽を発見し、育て上げてきたかが分かりやすく解説されている。
この短編には確か、台詞というものが無かったように思う。
アニメーションとパントマイムと楽器の音。
それだけで、原始人からオーケストラの完成形までを見せてしまう。

話は逸れるが、音楽を続けている中で、映像による理解はとても大きい。
音楽史的な内容でいえば、映画で見た「パガニーニ」、「カストラート」、リュリが主人公の「太陽王」など、時代考証と心理的なドラマ構成で音楽の社会背景をしっかりと感じ取ることができた。
それら、音楽理解の助けとなった映像ものの中にこの「プカドン交響曲」も大きな位置を占めている。

さて、人はなぜ、音によって心を大きく揺さぶられるのだろうか。
このアニメでは、打楽器、弦楽器、そして木管と金管二種類の管楽器の原初と成り立ちを説明している。
興味のある方には実際に探して見て頂くとして、ここからはアニメを見た後の私の想像。

人は何かを叩いたり、はじいたり、吹いたりした時に偶然鳴った音を忘れなかった。
ある人が、枯れた木を叩いて割ろうとした時、思いがけず気持ちの良い音が出た。
あまりにも気持ちがいいので、再度叩いてみた。
するとやっぱり、まぎれもなく心が躍る。わくわくする。かつて感じたことのない思いだ。
それで、彼はその枯れ木を自分のものとして隠しておき、聴きたくなるとまたそこに出かけて叩いた。けれどある日雨が続いて、木はすっかり湿ってしまう。叩くとボコッと嫌な音に変わっていた。がっかり。しかし、そこで彼は乾いている時にいい音がすると知る。
別の場所でまた良い音のする木を見つけ、それを濡れない場所で保管する。大きさの異なる木、固さの異なる木を集めてみると色々な音が出る。面白いのでストックして仲間に聴かせる。仲間は喜んで手を打ったり、叫んだりする。

と、これだけでもう既に音楽になっているようです。

私には打楽器奏者の友人が何人かいる。
どなたも、数知れずたくさんの楽器をお持ち。
クラシックでも使われる太鼓類の他、金属系ならトライアングルみたいなものとか、マリンバなどの鍵盤類、普通の人でも見知っている形状のものはもとより、音響効果的なもの、さらにアジア、アフリカ、南米から買い込んできた色鮮やかなもの。例えば、獣の皮を使用しているため匂いがきつく、ビニール袋からなかなか出せない太鼓とか、ガサガサ音を出すための乾燥させたバナナの葉、これは使うたびに粉が舞い散る、などなど、じつにバリエーションに富んでいる。
中には倉庫を借りて大量の「いわゆる打楽器」を保管しているという方も。
つまり、打楽器は「叩いて」音が出れば即楽器になるという、大変シンプルなものなのだ。
動物の骨などでできたものも多いが、どの時代かに誰かが、人の頭蓋骨まで叩いたらしい。
だって木魚は、本来人の頭蓋骨だったということが分かる形をしている。
大きさの違う頭蓋骨を並べれば、音階らしきものも実現できる。

人は色々なものを食べて来たと同様に、色々なものを叩いてきた。叩き倒してきた。
叩いて興奮してきた。
音を出したり聴いたりすると、なぜ興奮するのかは謎だ。
食べ物の美味しい不味いを感じ取ると同様に、音を聴くと興奮したりしんみりしたりする理由は謎だ。謎だが、それは人類に無くてはならない「何か」であるらしいことは事実だ。

子供を育てると、思いがけずこういった文化に触れることになる。
アニメを見た後、子供たちも何かを叩いては「キャーキャー」言って喜び騒ぐのであった。
子供=原始人的。
長女などはそれ以前に、マイケル・ジャクソンがかかると、こたつにつかまり立ちして踊っていた零歳児ではあったけれど。

今年は書くぞ

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「今年は書くぞ」って、もう充分書いてるでしょ、と言われそうだが、考えたいことがあり、それを腰を据えて書きたい、と思っている。
書きたいこととは、やはり、音楽のこと。

暮れにうちのレーベルのディストリビューターと現況分析の話をしていた。
私より少しだけ上の世代の、まさに日本のレコード商売の生き字引のようなその方は、パイドパイパーハウスにも、タワーレコードの立ち上げにも関わっている。長年ジャズ・レーベルを持ってユニークな制作を続ける傍ら、ヨン様の韓国ドラマ関連で大当たりした経験もあるそうな。私がミュージシャン出のプロデューサーで商売っけ無しだとすれば、商売優先の考え方もできる方。

けれど、話していて私も彼も、あの時代の熱と気分にノスタルジーが横溢しているのを感じた。あの時代とは、まさに70年代である。
60年代後半のウッドストックやビートルズ文化に端を発したサブカルによる文化革命。

日本にすらヒッピーがいて、小劇場演劇があって、雑誌がオピニオンリーダーであり、サブカル文化人が生まれた。今で言えば、キクチナルヨシ的な人がどのジャンルにも、いっぱいいたと思って頂きたい。
生き字引氏は、その頃を思うような、遠くを見る目で「今はジャズ界に良い評論家がいない」と呟いた。

それはそうなのだ。
オピニオンリーダーがいない。
というか、いてもメディアごとに棲み分けていて、別メディアにしかアクセスしない人には姿も見えない。
つまり、モザイク状の世界。

そのように、現況はかつてと大きく変わっている。
私の知る範囲では、音楽関連でマス・メディアに変わるものはU tubeだし、Twitterだ。
そこで、ミュージシャン自身がどんどん発信している。
自由はあり、闘いは無い。

かつては若者たちはむやみに戦いたがっていた。
学園闘争もそうだが、自分がどこに立っているのかを、懸命に、というか必死に探らなければならなかったのだ。そして、メディアを陣地とした場所取り合戦があった。

敗戦を機に一時廃墟になったも同然の思想、文化の地平のどこに自分は立ちたいのか。
我らの陣地を作るぞ、というような、近代的な闘争意識があった。

その後塵を拝した私たち世代も、彼らの熱気と切実さに打たれていた。
たくさんのミニコミ、そして仲間と思えるアーティスト、書き手、描き手、写真家、デザイナー、思想家、学者、音楽家、演劇人、料理人...。
次々と紹介される稀なる人々は、新しい私たちの先導者だったし、全く新しい、人種的な劣等感すらぬぐい去ってくれるような、確実な何かを創り出せして行けるような輝かしい予感を抱かせた。

そして、今日まで、私もそのごく端っこに連なって、音楽やら出版やらに関わってきた。
時代は変わっている。
そして、分からないことばかりが、まだまだ山積みになっている。
過去の検証はさて置いたとしても、これからの私にとつてミニマムなジャズの世界。
私の好きな、私の生活をかけても続けたい音楽のこと。
それがやや見えない不安に駆られている。

見えない、ということの中身は、将来的な展開の予測が立たない、下の世代の音楽自体が理解できない、音楽産業の成り立ちと変化が予測できない、音楽の存在価値が分かり辛い、などなど。
言葉にできていない、まだこれら以外のこともアナライズすれば出てくるだろうし、生きて関わる限り、自分の中で起きる思いや欲求は再構築の連続になるだろう。

それらのことを、ひとつのトピックごとに、深く考えていこうと思う。
と、大上段に構えるのも、新年だからに他ならないが。
今年は、「書いて考える、書きながら思考する」年にしたいと思い立ったところだ。

次回は「音楽の快楽」について。
皆様、明けましておめでとうございます。
と、まずは新年のご挨拶。

この年末年始も、例年と違わず、年末のライブが終わって、ほっとしたのも束の間、見事に風邪を引いておりました。
だいたい、一年中元気なのですが、年末年始はやられます。
といっても、高熱という訳ではなく、鼻風邪程度でしたが。
これ幸いにぐだぐだしておりました。

名古屋で生活している娘ふたりが帰省、今春から社会人となり会社の寮に入る予定の息子ともども、朝起きて競争でシャワーを浴び、身支度をしてそれぞれの友だちに会いに飛び出していきます。
元中、元高、元部活、ファンの集い、バンド仲間、とそれはそれは多彩な付き合いがあるようで、感心しきり。
私は、「今家に居る人たち」のために飯当番でした。

雑煮、煮物、手巻き寿司、すき焼き、鍋、蕎麦、ステーキとか次々と繰り出して食べさせ、片付けてどっと寝て、また起きてパスタ、カレー、サラダ、納豆ご飯、スンドゥプ、中華とまた繰り出してはどっと寝る毎日。

気がつけば仕事始めとなり、静かな日常が戻っております。
それにしても月日の経つのは早い。
子供たちが帰って来ると、みんなして「以前はこれだけの人数で暮らしていたのだね」と感慨ひとしお。
長年、子育てで髪振り乱していた私が、一番ぼけーっとしている正月でした。

仕事に関しては、年頭の決意とかどうしようかなー、と思い。
あまり勇んで計画するとストレスになるなぁ、と考え。
まあ、成り行きで良いべ、と落ち着く。

無事、このような人生の時期に差し掛かったことに、心より感謝しながらも、今年も盛りだくさんに頑張ることになりそうな予感は満載。
欲張りすぎず、上品に、抑制を利かせながらメリハリのある、楽しい音楽的日々を目指して精進致します。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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