kyokotada: 2013年7月アーカイブ

パスワード

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何をするにもパスワードが要るだよ。
いったいいくつパスワードっているのか。
それが何のパスワードで、いかなる場合に必要なのか、だんだん混乱してくる。
銀行、カード、ネット、メール、ショッピング、製品のシリアル...。
これらはすでに、人間の許容量を超えているのではないだろうか。
どこかにまとめて記録しておかなくてはならないと思いつつ、記録したその手帳などを落としたら、どうすれば良いのだろうか。

整理しなくてはならないが、どこに整理すれば良いのだろうか。
だれか、これがベストというアイディアはありませんか。

見えない痛み

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時々、よくんなに平気な顔で生きているなぁ、と感じ入ることがある。
言葉にしたり、物語にすると、人生はなかなか大変で、改めて点検すれば必ず、心のどこかがとても傷ついている。
けれど、こちらを傷つけた側に悪意があるかといえば、それはそうでもなく、ただ実力が無いだけという場合が多い。人を幸せにできる人は多くない。

誰もが精一杯、良いと思うことをして、でも互いが傷つく。
それは、生き物が他の生き物を食べないと生存できない仕組みと似ている。
共存は、他の生き物が元気に生きていることが前提で、けれども、その生き物たちを食べたり、利用したりしないとこちらの生存が続けられない。

自分をどのように大切にするのか。
自分はどこまで利己的で良いのか。
文化によってその程度の平均値がうんと違う。
人の物を盗ってでも、生き延びなくてはならない文化もあれば、人に提供することで共存する文化もある。それはあらかじめそこに備わっているパイの大きさや豊かさにもよる。

私たちはできれば、みんな仲良く笑顔で生きていたい。
けれど、立場が変われば、その笑顔を保証する物を得るために、誰かを追い詰めてもいる。

時々、しんどいな、と感じる。
生きている、そのことはとても、手強いことだ。
けれど、それを続けることは、ひたすら辛抱強く、投げ出すことなく続けるのは、なかなか良い仕事だ、とも思える。

面倒なことが多いのは、それだけ、私が関わる人の多様さでもあり、私とつながってくれる人の多さでもある。
その濃密な、連携の中にいられることを喜びたいと思う。
そして、見えない痛みは、その連携の中に少しずつ吸い取られていくのかも知れない。

ZoolooZ売りたい!!

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ZoolooZは、私が作ったユニットだ。
夫とその仲間のドラム宮崎まさひろ、私が歌を始めた頃一緒にやっていたギターの松下誠の3人と、ジャズの友達ギターの加藤崇之を引き合わせ、一度音合わせをしてみてからそれぞれのオリジナルを持ち寄った。
松下誠は、作曲アレンジで仕事をしていて、歌も歌う。現在は、徳永英明のバックバンドにいて、メジャー方面で活躍している。
加藤と夫も曲を持ってきたので、全部で10曲、それをヘッドアレンジしながらレコーディングした。
声をダビングしたり、お遊びで私の情けない歌唱も1曲入っている。
昨日、久しぶりに聴いてみると、このアルバムとっても良い。
勢いとか、好奇心とか、友情とか、とにかく楽しんでいる感が横溢。
それぞれが、持てる力を出し切っているし、互いにインスパイアされてもいる。
楽曲はシンプルで、そこから発生するイメージの広がり方も、人間的。

松下誠はWikiにページがあるのだが、そこに、ZoolooZを結成したと書かれている。
誰かが書いてくれたのね。ありがとう。
しかし、このバンドは、ただの2回しかライブをやっていない。
レコ初で吉祥寺のMANDA-LA2をやり、その一年後に加藤ブッキングで合羽橋のなってるハウスをやっただけだ。惜しい。しかし、メンバーは誰も進んでブッキングしようとしない。仕方ない、私がやるか...。

見た感じも、孫のいるおじさんたちが変にサイケである。
フェス向き。
誰か支持して。
憂鬱そうな顔をして愚痴ると、自分が阿呆になった気がしてくる。
そんなこと、解決できるんでしょ。
しないでいるだけでしょ。

何かを止めるとか、諦めるとかすれば、たいていのことはすっきりする。
私の悩みはいつも、「こうでありたいが、現実はそうなっていない」という内容だ。
それが他者にまで及ぶと、自分がとても残念な感じになる。
人は人なので、それが自分の子であろうが、私の思い通りにはならない。
決して。
だからその問題につきあうか否かは、自分が決めれば良いことだ。
つきあわないではいられない会社の同僚なんかだったら、それはもう我慢するしかない。
我慢するための楽しい方法を考える。

いつも問題は、作られる。
自分が作っている。
そして不満が顔に出る。
それに拘りたい、操作したい、不満をみんなに見せたい、不幸な境遇を理解してもらいたい。

不満と悩みは別物。
大変な事態が起きて、心が苛まれると病的になるから、それには正しいケアが必要だ。
けれど、事故とか、病気とか、避けがたい厄災以外の場合、たいていの不満は自分が作っている。

と、私は自分に言い聞かせている。
私の望み、私の理想、私の都合はいろいろあれど、現実の前では事実しか通用しない。
事実を以てして対処に当たり、無理なときは諦めるしかない。
そのことを、自分に言い聞かせる。
格好悪くても、自滅するよりはましだ、という時点で、無理は止める。
諦めるのは、素敵だよ。
何かを諦めると、いきなり、世界が広くなったりするのよ。

選挙だな

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明日は参院選の投票日だ。
今回は、ネットでの選挙運動が始まった画期的な国政選挙。
参院選では、どの政党も知名度の高い人を出しがちなので、掲示を見るとテレビに出ていた人ばかりな感じだ。けれど、この度は、真剣に政治を考えている人が多い。つまり、かつての、まず当選して政党の頭数になって、それから勉強する、というのとは大分姿勢が変わっている。

候補者の姿勢が真剣にならざるを得ないのは、やはり原発の問題と憲法改正。
安倍総理は、戦争できる憲法に変えたがっいる、という論評をよく耳にする。
戦争をするとして、それは何を目的とするものなのだろうか。
地下資源とか?
つまり原発も憲法問題も、突き詰めれば「エネルギー資源問題」になる。
安部ちゃんは、私と同じ成蹊大学で、しかも学年が一つ上だから、数人の友達の中高の同級生に当たる。中高時代は結構いじられるキャラのおとなしい生徒だったそうだ。けれど、生まれ持っての運命は、彼を右傾化した政治家、しかも総理大臣にまでした。

FBで、日本国籍を持ちながら、海外にいる友達が、もっと国益を優先すべきだとしばしば書いている。国外にいると、日本の国力がそのまま彼らの身分に影響するそうだ。力のある国から来た、あるいはその国籍を持つ外国人は大切にされる。その逆は推して知るべし。

そのように、人の境遇によって憲法や国益に対する認識も異なるものなのだ。
おまけに世の中はものすごいスピードで変わり、かつての利益が、そのままの経路で回る保証すらなくなっている。

ただし、世界が平和であることが、もっとも大切だと思う。
紛争が多大なストレスと疲弊を生むことは誰もが知り尽くしている。
とにかく平和で、皆が人並みに暮らす環境となれば、継続的なケアや供給のあれこれの目途も立つ。

20世紀に世界戦争を繰り返して、原子力兵器や化学兵器も作ってみて、もはやそれはリスクが高すぎることに気づいているはずではないか。だからといって、その事実がそのままの思想で継承される保証はない。そこに行き着いた過程、その思想は、必ず世代とともに薄れていく。だから知っている者たちが、何度も言い継ぎ、再認識していかなくてはならないのだが。

次々と、過去を知らない子供たちが生まれ育つ。
彼らの多くがリターンを重んじて、リスクマネジメントに思い至らないとすれば、その数が半分より多くなった途端に、過去と同じ種類の間違いが繰り返される。

人は入れ替わり、忘れていく。
それどころか、忘れる以前に知らなかったりする。
そのことを、私はもう一度思い出さなくてはならない。
子供たちに、孫たちに、人のしてきた愚かなことを、語り継ぐこと。
世界がどれほどのスピードで変わるかを、語り継ぐこと。
そして、何より大切なのは、生命を守るために、不自然で過剰な文明を拒む感性を育むことだ。
テクノロジーの進化はそれとして、もっと自然の中に出かけて、ただの生き物としてある自身を感じることだろう。

どんな選挙結果になるのだろうか。
ここは、とても大きな分かれ目になる気がする。

私事が大事

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成り行きで会社などを作ってしまい、すると、長いこと「会社」的な考え方をしなくてはならない気になり、それでこの数年かつて経験したことの無い気分になっていた。

本来、歌ったり書いたりする人というのは、ふらふらすべきで、会社を興したりしてはいけないんじゃないか。
時々会社に使ってもらう方がいいのだ。
馴れないことを深くも考えずにしていたせいだろうか、「会社」を運営していると思うだけで、何か別の生き物を飼い慣らそうとしているかのような、変な感じがあった。
気分はいつもちょっと憂鬱だったし、なかなか自分本位になれなくて不自由でもあった。

いえ、だからといって会社を解散しようというわけではありません。
それはそれとして、自分を解放しようということです。
大事なのは、私事。
自分のしたいこと、自由にすることを大切にしたい私が、方途として会社っていうものも使える、と考えようとしてます。

営業時間内は決まった場所にいなくてはならない。
電話に出なくてはならない。
いつも経理のことを心配しなくてはならない。

そういうことばかり思うと、全然嬉しくないのでした。
では、嬉しくなるためにどうすればいいのか。
思いついたことを一つずつ試してみて、次第に会社は小ぶりになっています。
小さく、けれど動き回るのが楽になっています。
つまり、構えではなく、場所でもなく、ただ組織としてあるような。

やっとこの境地なので、もっと歌ったり、書いたりしたいと思います。
会社の機能の半分は自宅に置いて、ご飯を作りながら仕事をしたり。
時には外をうろうろしながら仕事の連絡を取ったり。
自分を解放するとか、自由にしてやるというのは、何でもないことのように見えながら、それはそれで取り組んでみるとなかなか難しいものです。
でも、自分を伸び伸びさせることに怠けてはいけませんね。

いつも工夫。
いつも改善。
でないと、私のような生まれ育ちの人間は、勝手に自分を檻の中に入れてしまいがちなのです。

音楽の現在

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録音された音楽が商品になったのは1900年頃。蓄音機が発明されたから。それ以来、音楽産業はずっと、録音された音楽を、レコードとかテープとかCDにして手渡しで販売して来た。
そして100年経った頃から、データを売る時代に突入している。

音楽は、本来生音だ。
長い歴史の間、目の前に演奏家がいなくては音楽を聴けなかった。だからモーツァルトは、いっつも旅の空だった。
自分から出かけて行く辻音楽師や音楽一座。
あるいはそこに居続ける教会専属の合唱団。
いずれにしても、音楽家を招き、出かけ、そうして聴くものだったのだ。

レコードからテレビ、ネットになって音楽の売り方や買い方が激変している。
私は、ジャズの素晴らしいプレーヤーのアーカイブを残したい一心で CD制作をして来たけれど、ここに来て制作側もプレイヤーも音楽を残す方法論を創出しなくてはならない感じがしている。
CDを制作して流通させるコストと、それを販売する定価。
それらをもう一度、全く違う方法論として考え出さなくてはならない。
何をどのような形で売るのか。
どのようにペイさせるのか。
そういうことを、一から考え直している。

こうして、テクノロジーや世界の激変と一緒に考えたり試したり、動いて行けることは、なんて面白いのだろうか。
これまでの常識と、でも、それで不自由だったことを再度洗い出し、検討して、より簡単で効果のある、あるいは適応的な方法を考え出す。
何に於いても、それを考えている時間が面白い。

音楽は、新しいやり方でみんなの手元に届くようにしないと。
そして、そのためにコスト下げて、良い音楽を録音することを諦めずに続けて行かないと。
過去の常識に捉われていると、すぐに空白ができてしまう。
それはいかにももったいない。
だっていつも変わらず、残したい音楽を奏でているたくさんのプレイヤーが存在しているのだから。
コーラスのクラスで取り上げるポピュラーソング、練習していると必ずと言っていいほどテレビのコマーシャルで流れる。練習しているのを誰かがこっそり盗み見しているみたいに。 つい先頃は「雨に唄えば」。I'm singing in the rainという曲。これまでも、「星に願いを」とか「Close to you」など、練習を始めると流れるので、みんな喜ぶ。

本当に驚くほどの確率。 この夏のジブリの新作では、ユーミンの「ひこうきぐも」が使われているようだ。昨日、CMが流れてびっくり。これは私が歌おうとしていた曲。楽譜を入手してアレンジを始めていた。何となく、逝ってしまった大切な人たちの追悼の意味で歌いたいと思った。でも、この夏は、この曲がみんなの耳に流れ込むだろうから、しばらくとっておこう。 

知っているけれど忘れて久しい曲が、自然に向こうから近づいてくる。でも、その曲は私だけに近づくのではなく、時を同じくして、どこかの、他の人たちにも近づくのだ。 蔵出しして再度歌おうとする曲を、偶然でかけたライブで聴くこともある。 不思議なことだ。 こんな時には、ユングが言った共時性ーシンクロニシティとか、集合的無意識とかの存在を思い出す。 何かがどこかで共振する。 同じ響きを想う。 ヒット曲はそんな風に伝播するのかもしれない。
人生の時間は長くて短い。
子育てしていた若い日々は、日が過ぎず、まるで永遠のように感じた。
この数年は飛び去るように早い。
一日の内容が薄くなると、速度が増すようだ。

私の住む団地は、8階建てのマンションが12棟ある。分譲で自主管理。
私も以前、管理組合の理事や修繕委員会などを経験した。

号棟ごとに棲む人の雰囲気が違っている。
私の棟は、目の前がテニスコートなので、テニスをする人が多く、いくつかのグループができている。ソフトボールをやるおじさんチームも、二世も参加の時代に入ってますます元気。
昨日、号棟の親睦会をやった。民生委員さんもうちの棟なので、彼から高齢化についてのお話。なんと720戸ある団地の居住者全員の平均年齢が70代に突入したというではないか。驚いた。
我が家が引っ越して来たのは、次女が生まれてすぐの1985年。その頃は、周囲の皆さんがばりばりの活躍で、3日にわたる盛大すぎる夏祭りまでやっていた。

昨日の参加者の最高齢は、91歳。お元気で声もはっきり。
それにしても、時は確実に過ぎるのだなぁと、しみじみ。
我が家の三人の子どもたちはみんなここで育ち、巣立って行った。
たまに戻って来ると、ご近所の方たちとしばしの挨拶。
「立派になったわねー」
ついこの間まで、ジャージに鞄の中学生だったのに、もうスーツを着ている。
お化粧している。そしていつか、子どもを連れている。

子育てが大変だった頃、三人は荷が重いと思ったけれど、いつの間にか何とかなっていた。
ご近所の皆さんにずいぶん救われた。
そして、ついに夫と二人だけとなると、いがみ合うのも阿呆らしく、何もかもどうでもいい感じである。
互いに愚痴っているのだが、じつは何も聞いていない。
何度同じ話をしても、聞いていないからしかめ面をするほどでもなく、ふんふんとただ相づちだけ打っている。
夫婦長年の格闘は、この頷きのためだけにあったのではないか。
きっと一人だと、愚痴も言わない。多分、笑いもしない。
夫でなくても、誰かと居るということは、そして、互いに何も聞いていないから腹も立たないような気の置けない誰かを得ることが、良いことのような気がして来た。
パソコン始めた当初からずっとMacで、この度、OSを上げる必要から新機種を買いました。
プログ、ネット、メールくらいしか使わないので、立派ででっかいのはパス。
以前と同じminiを購入。
その設定の大変なこと。メーラーが以前と変わっていて製品のパスが受け付けられず、純正メールに変えたら、そちらもよく動かず。
汗だらだらでプリンターやら色々設定し終え、つくづく思った。

「メアドって、そろそろ不要品になるかもな」。
すでにスパムまみれ。
家の電話も、今や営業電話しかかからないでしょ。

それでどうなるかといえば、Googleとかicloudとかに代わって行く。
えらいことだ。
私たちはみんな、ビッグデータのために、あっちだこっちだと振り回され、あくせく繋ぐはめになってる。
しんどいなぁ。

PCは今や仕事に不可欠なのだが、我が夫はPCをやらない。
ミュージシャンには、やらない人も結構いる。
ポリシーのための人と、単なるめんどくさがりやさん。

私は、何でも自分でやらなくちゃと思い続けて来たので、楽譜ソフトまでマスターしてしまったが、もしもやらなかったなら、できる人に「やっといて」と言えるのである。
お陰で、私はいつも夫の仕事現場の地図とか、時刻表とか、CDのトーストとかをして上げてる。すごいめんどう。自分でやって欲しいぞ。

でも、やらないもん勝ちという方法は確かにある。
そしてそれは割と正解なのだ。
何でもできなければ、と思わない人の方が、楽しそうに生きていたりもする。

ちょっと前にサンフランシスコに行って、コンベンションセンターの辺りでIT関係の秀才らしき人々を眺めたりした。みんな立派だ。ああいった方々が、次々と新機軸を打ち出し、世界中のPCを変化させ、ユーザーを狼狽えさせているのだと思う。割と悔しいことだ。たかが4〜5年買い替えないでいただけで、中身がずいぶん変わっていて、あたしゃどうすりゃ良いのよ、と数日やさぐれなくてはならない。
これは、体のいいファシズムではないのか。

本日のニュースで、政府機関の複数の委員会が、資料を誰でも閲覧できる形でクラウドに上げちゃっていたことが判明したと言っていた。グループだけが見られるようにしたつもりが全開だったそう。でも、なんか分かるな。それは起きそうなことだ。

私はいつまでPCを続けるのだろうか。
面白いが、買い替えは面倒だ。
次第に家電のように、仕組みは分からないけれど、便利、という機械になって行ってくれるだろうか。テレビの画面がそのままブラウザに変わるとか。

そう言えば、世界中からビッグデータを集める企業は、金融に於ける銀行と一緒だね。
みんなからまんべんなく集めて、勝手に運用する。
私たちはある意味、イワシなのかも知れない。
若い人が就職を決める時などに、モチベーションについて語ったりする。
その多くは、自分の個性を活かせる職業とか、情熱の傾けられる職業に就きたいというものだ。
向き不向きは当然あって、接客に向いている人と、ひとりで黙々と作業するのに向いている人、多くの人には無い発想や才能を活かす人など色々ある。
けれど、職業的な個として成り立つまでには長い時間がかかる。
周囲の、発注したい人々を開拓するだけで人生終わるかも。
組織に入るのは、そこをすっ飛ばせるからだね。

組織にも属さず、単身精一杯頑張って来たのに、最近の私は、仕事したくない傾向。
原因ははっきりしていて、子どもたちが育ち上がったからだ。
最後のひとりが就職した。
あとは、自分のことなんだが。

こうなると、いきなり我がままになっている。
疲れない程度にしたいとか、好きなことだけに絞りたいとか。

子どもが小さい頃は、一銭でもお金になることは何でもやろうとした。
本当にガツガツと仕事を得ようとした。
みっともないとか考える余裕もなかった。
とにかく、仕事が欲しかった。

でも、今それができなくなっている。
どちらかと言えば仕事は持っていたいが、それもどっちでもいいや、くらいな感じ。
ひとりで過ごしていると、やはりそれなりに心が鬱屈して来るから、外で働く方が良いのだが、でも、昔みたいにガツガツはできない。

つまり、働くモチベーションって、誰かを養うためなんだよね。
誰かを保護するとか、面倒を見るためなんだよね。
自分以外にその起源が無いと、働くことの意義は薄くなる。

若い頃の、どうしても諦められなかった義務感は、今思うと有り難いことだった。
誰にでも同じことが起きる。
定年退職の後、介護が終了した後。
子どもたちを独立させた後に来る鬱傾向は「空の巣症候群」と呼ばれている。
何でも、大変な責任を果たした後にはこれが来る。

よく頑張ったんだから、少しは休憩した方が良いのだろうか。
いい歳なのにガンガン働いている人たちにその理由を訊くと、原因は借金を返すためだったりする。
じゃあ借金するかな。
もしもの時は、保険金で返すとして。

ヤンキーか否か

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斉藤環さんという精神科医の先生が、日本人のマジョリティは「ヤンキー性」にある、と論じている。ヤンキーとは、ひと言で言うと「不良」みたいなことだけど、日本に特有な不良性というか...。

一番分かりやすいのは、YAZAWAとかExileみたいな人たちだね。
でも、論によると、X Japanもジャニーズもモーニング娘。もヤンキーなのよ。
私なりの理解で言えば、親分がいて、なにがしかの頑張るポリシーみたいなものが有り、その舎弟が階層を成して大勢集まっている、という感じかな。

ロックの人なんかは、この範囲の人たちが多いな。
ハウンド・ドッグも、ビーズも、グレイも、そんな感じ。
ラルクはちょっと別な感じだけど。

「〜組」とか「〜軍団」と称する人たちは、全部そうでしょ。
親分と侠客、子分や舎弟。
そういうの、日本人は好きみたいなのよ。

で、私はすごく苦手。
またしても、この前のつるむのが苦手な話に近いけど、このヤンキー論を読んですごく納得した。ジャズの人たちは、ぜんぜん違うの。親分とか要らない人が多いし、どこに所属するとかではなく、自分はどのテイストが好きかとか、音楽の力がとにかく最優先とかなのだ。
だから、集団になれない。ジャズはだからいつも、マイノリティーっぽい。

おまけに、こと「音楽」という芸術の世界として見れば、ジャズは様々なものを含んで成立する上位概念的なジャンルだ。だから、ポピュラリティを得るのは二重の意味で難しい。

ジャズが世に広まった時代は、ちょうどレコードが発売になった時期だった。SP盤と手回しの蓄音機。それで、ブラックの皆さんをターゲットにした、レイス・レコードと呼ばれる盤が大量に流通した。ジャズは録音という発明とともに世界に定着する。

テレビが出てからは、ビートルズやストーンズが定着。
さらに、プロモーションビデオができて、マイケルやマドンナ。
現在は、ITを駆使するアーティストが生まれているのだろう。
アイスランドの音楽が大人気になったりして。

日本のヤンキーミュージシャンは、「武道館」という到達点を設定したところから、さらに確かなテイストを担って定着し始めた。
武道館って、すごい場所だよね。だって「武道」だよ。
そこでボブ・デイランはじめたくさんのコンサートを見たけれど、「ナイトメア」がやっていた「仙台貨物」のコンサートが良かった。揃いの赤いつなぎを着たアリーナの全員が、一斉に赤いタオルを振り回した時、その光景見て大感動。掛け値なくとってもきれいなんだもん。
ああいった、みんな揃ってワーッとやる、しかも日本だから武道館、というのが、ライブハウスやホールには無い、何とも言えない民族臭を立ちのぼらせる。キッチュかな。でも、ダサイ点に対しては近親憎悪的感情も湧く。

ヤンキーの力は素晴らしいと思う。
あの集客力、動員力。
しかし、私はその中に入り込めない。
居心地が良くない。
みんなで一斉にやることに重点が置けない。
親分を担ぐことに、命が懸からない。

あ、「たけし軍団」というのもあるね。
あれは完全にヤンキーだね。
でも、タモリはヤンキーじゃないよね。
そもそもが、早稲田のジャズ研だし。

ネタ的事件

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会社に着いたら、携帯に不思議な電話番号が並んでいた。
留守電も残っている。
聞くと
「羽幌警察の交通係Kです。これを聞いたらすぐ電話下さい」と。
え、北海道の羽幌?
稚内に至る北の、天売島と焼尻島を擁する町。
そこの警察から電話となると、家族に異変が起きたかと連想された。
担当に電話を返すと、「ただいま出かけております」とのこと。
それから、電話が掛かってくるまでの3時間、心配すぎてどっと疲れた。

例えば、海辺に無人の車が残されていた、とか、交通事故に遭ったとか、徘徊しているところを保護したとか。

まったく絵空事ではなく、そのような連想が成立する状況ではある。
仕事どころではないが待つしか無い。
そう思いつつ、なぜか、うとうとまどろむ。

電話が鳴り、出てみると
「えー、間違いですねー」
という北海道弁の警察官。
「この番号っていわれましたが、ぜんぜん別の人にかかっております」
「はぁ」
つまり、違反か何かした人が適当な番号を教えたということ。
それが私の携帯番号だった。

でも、家族に心配な人物が複数おり、しかも実家が北海道。
よりによって、そういう私に北の果てから間違い電話がかかる携帯番号の不思議。

何事も無かったのは何よりだが、ただただもう、どっと疲れましたの。

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