kyokotada: 2013年8月アーカイブ

スマホ

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電車を待っていて、入ってきた車両に座っているほとんどの人がスマホを見ているかいじっていて、そうか、と思った。
私も最近、結構触っている。
メールしてツィートしてフェイスブック見て、webで調べ物して、経路検索して、地図を見て、アプリのゲームしたり。
あ、もちろん電話かけてるときもある。
写真や動画を撮り、作曲やリハを録音し、録音の時はストップウォッチを使う。
なので、音楽は別のipodで聴く。
これで電子書籍などを読み始めたら、もう、ずーーっとスマホいじりだな。

いけないような気もするが、こんなに便利だと仕方がない。
パソコン持って歩いていると一緒だもの。

買う前は、色々抵抗したのだが、娘がソフトバンクショップの店長だし、私かなりパソコンユーザーだから、使うっきゃないな、と観念したのだった。

そして今や、スマホ2台持っている。アホちゃうか、と思いつつ、2台。
娘たちはガラケー含め3台ずつ持っているようだ。
会社用とか、個人用とか、何やかや。
タブレットもあったな。

スマホは、便利だ。
地震警報もしてくれる。
なので、抵抗はやめて「良し」と言ってみる。
ジャズには「スタンダード」というすばらしい方法論がある。
1920年頃から始まり、1980年頃までに作られた曲で、ジャズファンに大きな支持を得た曲が、演奏用に「スタンダード」として認知されている。
タイトルを言うだけで、キーまで分かっているので、わらわらと各楽器が集まって一緒に演奏することができる。
素晴らしい。
その楽譜というか、コード進行を配信していて、タブレットやスマホで見ながら即興演奏することもできる。キーチェンジも可能。
文明が進歩したおかげで、人数が集まると、いくらでも延々と演奏することができるのだ。

私の母校、成蹊大のジャズ研、MJGは、昨年からOB現役入り乱れ大セッション大会を開催している。
昨年同様、今年も60名が集い、8時間にわたる途切れないセッションが続いた。
プロ活動している人もいたり、多彩な個性が次から次から、様々なアイディアを出し合って飽きない。

その次の日は、私が主催するスタジオトライブのセッション。
ボーカルをはじめ、沢山の人が来て、これまたハイクォリティな演奏が繰り広げられた。
2日間にわたって、沢山の人と出会い、沢山の演奏を聴いた。
実にトータル12時間。
もっと疲れるかと思っていたら、意外に全くそんなことは無く、かえって爽やかな気分だ。

私自身、音楽にしっかりと軸足を置くまでには、ずいぶん長い時間が必要だった。
途中には全く音楽から離れてしまったし、再び戻ってからも、何足ものわらじをはき続けて、いつも不完全燃焼。
けれど、このところやっと、腰が据わってきた感。
じっくりやって完成度を上げようと思えるし、取り組む姿勢にも慣れてきたように思う。
時間がかかるんだな。
何事に於いても、体に馴染み、心に落ち着くまでには、長い時間がかかる。
長い逡巡の果てにたどり着いてみると、とてもシンプルで、分かりやすいことなんだけれど。
人は一つのことに打ち込むと、少し不安になるのかも知れないな。
youtubeを見ていると思わぬ掘り出し物に当たる。
フローラ・プリンとスタン・ゲッツという項目を見たら、とっても古いフランスのテレビ番組らしいスタジオで、若いフローラがギターを弾き語っている。そしてドラムがディジョネツト、ベースはビトウス。
何しろ音が良いのだ。録音の精度は悪いのだろうが、バランスがとても音楽的。
結局、良い音というのは、バランスに尽きるのかも知れない。
楽器によって、レンジが違うし、ダイナミクスも違う。
けれど、それが演奏する人たちのセンスによって絶妙にバランスされていると、聴く側はとても心地よくなる。
楽器のうまい下手には、アンサンブルのためのバランスを鋭く察知して、常に絶妙な音量を保つという技量も含まれているのだ。

その技量のことを考えていて、何かに似た感触だ、と思い出した。
それは、絵を描く、という行為。
色彩を使って描いていていると、色にそれぞれの明度、彩度があり、その組み合わせと各色の量を駆使して表現していることに気づく。

レコーディングした後のミックス作業も、同じようなセンスを使ってやっている感じだ。
録り音は絵の具に当たる。
素材としての録り音があり、それをミックスしたり配置して位相を作ったり。
作業を進めながら、こちらのほうが良いはず、と時系列でセレクトしていく。
その選択眼(この場合は選択耳)は、ほとんど今まで聴いてきた素敵な音源によって培われている。
良い印象を作り上げる工夫とともに、全体の整合性を保つ落としどころを決定する決断も大切。

たぶん、映像の編集も同じだろう。
言ってしまえば、小説の構成も。
つまりは、高い精度の素材をどのように扱うか。

と言うと、松岡正剛の「編集術」の思想に近くなっていくのかな。
自分の中にある、素材をどれだけ引っ張り出して表現するか、作品にできるか。
何に於いても、それこそが課題なんだな。
物はたくさんある。
狭い家の中に、使わない物ばかりが大量にある。
捨て始めると、これが面白いように減っていく。
何故捨てられなかったのだろうか、と不思議な気がする。

捨てる作業が億劫ということもあるけれど、どこかで、その状況を保ちたいという意識が働いていたように感ずる。
今のままでずーっと居たい、というか。

捨てる、と決心するのは、何かが終わった、または新しく始まる、ということを自分に言い聞かせたい意識が働く時なのではないか。
たとえば引っ越しをするときは、運ぶ物を少なくするためにバシバシ捨てることができる。
何故こんな物を取っておいたのか、と訝りながら、捨てる。
はなはだしくは、それがあったことすら忘れていたり。
もしも、引っ越しというイベントでもなければ、生涯持っていたかも知れない不用品の山。

家族が亡くなると、使わなかった物について、理解が深まる。
私たちの親は戦争を経験していたからか、ため込んだ物の量が凄かった。
スーバーのバーゲンのたびに買ったらしい、洗剤やティッシュ、肌着にストッキング。

けれど、今の日本で暮らしている限り、ほとんど買いだめする必要は無い。
せいぜいこの先のひと月を暮らせる程度の日用雑貨があれば、あとは、食料が保存用と日用に少しずつ。

物がたくさんあると、それだけで疲れる気もする。
物の圧力。
人が一人で利用できる物の量はたかが知れているのだが、便利や有効に目くらまされて、ついつい増やしてしまうようだ。

今のところは減らすのが楽しいから、せっせと整理整頓するつもり。
このマイブームが終わらないうちに。
家の本棚を整理した。
事務所にあふれかえっている資料を移動しなくてはならないため。
子供たちの小学校時代の作文や「健康カード」なんかも出てきた。
昔頂いた書簡、年賀状。
仕事するほどの余裕がまだなかった育児中の書き物。なんとノートに手書きだ。
読み返すと、ほとんどのことを忘れていた。
何があったか、何をしていたか、じつは漠然としか覚えていないものなのだと、改めて分かった。

自分の書いたものがそれほど下手くそでなかったのには驚いた。
仕事をし始めてから筆力が付いたと思っていたが、どうしてなかなか良く書けている。

文通していた友人の手紙には1995年の消印。
もう、18年前って本当か?
今どうしているだろうか。お元気に活躍しているだろうか。

取っておきたい物と捨てるものを分けて、使いかけも含めたくさんのノートを捨てる袋に埋葬した。
メモやら日記やら。良く書いたな。息するみたいに書くのだ。子供の頃からそうだった。それが安定剤代わり。

子供たちが大人になって、私は過去を整理している。
その気持ちは次に行きたいからみたいだ。
何か色々なことが終わっていって、私はずいぶん新しくなっている。

人は変わり、変わるにつれて世界も変わる。だから、過去に囚われないように。
「それはもう昔のことでしょ」
という声が聞こえる。
昔は昔なのだ。今は違う。
昔はしっかり私の足の下にあるけれど、今は昔と同じではない。
それをいつも思い出すようにしている。
反復しないこと。
いつも新しく、必ず新しく。



突然やる気に!

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夕べ、どういう加減か急にやる気が出てきた。
理由はよく分からないけれど、多分「家族効果」。
もっとしっかりやることやろう、と健気な気持ちに。

9月には、恒例のバースディーライブもあり、その後もサムタイムとかライブがあり、10月には教室の発表会などもあり、11月はレコーディングもあり、と、楽しいことが続く。

でも、しっかり準備しないともったいないぞ。
しっかりやることを楽しもう。

今日は、若い才能、ピアニスト佑成のライブに行ってきます。
自分のブッキングもしたいな。

というように、積極的であります。
よろしく。

家族と過ごす夏

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生まれ育った家は大家族だった。
祖父母、両親、子供三人、住み込みで働く人たち。
いつも10人くらいでご飯を食べていた。
都会ではなかなか無いが、今でも、テレビで田舎の家族の取材を見ると、そのくらいの人数がいる。

食事の用意だけでも大変だ。
だから主婦は、「家事」に対して誇りが持てる。

お盆帰省で子供たちが集まって、久々に料理の日々。
いざやってしまうと、それほど時間もかからないことに気づく。
みんなで食べると心から、家族だなぁ、という実感が沸く。
そして改めて思う。
私には、本当に、自分の家族が必要だったんだ、と。

大家族だった私の実家では、正直なところ居場所がなかった。
それは、昔ながらの家族形態であること以上に、人として共存できない者同士だったということがある。人としての種類が違うというか。
その孤独は、体験したことのない人には、どれほど説明しても分かってもらえることではない。
幸福な子供時代が書かれた物すら読みたくないほどに、子供時代の精神生活は悲惨で、孤独。
しかしそれは、巡り合わせというより他にない、ひとつの偶然だ。

ぐれるとか、荒れるとかいう選択もあったかも知れない。
でも、それは、気持ちに沿わないことだ。
私は争いごとが徹底的に嫌いだ。
躁鬱気質の人はそうなのだ。
争うと死にたくなる。
だから、いつまでも拘ったって仕方がない、と感じた。
私は新しく家族を作り、私が望む方法で子供を育ててみよう、と決心した。
幸運にも、私の子供たちは、私にとって少しのストレスもなく一緒に居られる大人たちに育ってくれた。
やっと、私の初めての「心の故郷」ができた。
いつもいつも一緒に居たいわけではないが、集えば必ず温かい気持ちになり、楽しい。
同じ物を同じく美味しいと感じ、同じくらい食べて満足し、少しだけ近況の報告をし合い、相談に乗ったり、感想を言い合ったり。
こんな家庭ができるなんて、何の保証もなかったのだから、挑戦といえば挑戦だった。
それが、幸運にも叶ったのだ。

張り切ってしまうような素敵な仕事のオファーが続くが、私は家族と居ると、本当に大切なのはこちらの方だなあ、と実感する。
その安心が、頑張った若い時代へのご褒美のように思える。

お盆に、まとまった休みを取って帰省してくれる子供たちに、感謝。
できるだけ長い間、これからも美味しいご飯を一緒に食べましょう。
ジャズは難しい音楽だ。
自分でやっていながら、聴く人はどこまで楽しめているのだろうか、と時々不安になる。
けれど、ジャズミュージシャンは、どこまで行っても自分がすばらしいと信じるものを追求し、提示しなくてはならない。それが使命。コマーシャルなことをしようとするなら、ジャズを選んではいけない。

昨日は、私のレーベルで3枚のアルバムをリリースしている、Boys Trioのライブ収録の日だった。
番組は、NHK FMの「セッション2013」。
このトリオは、日本人によるトリオの最高峰と言っても良い。
石井彰(P)、金澤英明(B)、石若駿(Ds)、というメンバー。

この収録に、高校生やら大学生やら、若い才能が何人も見学に来ていた。
若い、というからには、20歳前後を指している。
ジャズは、最近天才少年少女たちを多く排出している。
中でも代表的な存在である石若駿は20歳、そして、先日テストレコーディングした石井彰の弟子、ピアノの高橋佑成は18歳。

彼らはまさに驚くばかりの技量と音楽的洗練を携えている。
けれど、今からが大切だ。
話してみると、まだ幼いし、世間的な事情にも無知。
音楽家にとって最も重要な人間観にも、まだまだ未熟を残している。
そのような年齢にあって、大人に才能を認められてしまう、というのは、実際、大変な事態なのだ。
善い人生にするのが難しい。

技量や演奏に対して、洗練のみを追うと小さくまとまってしまう。
だからといって、才能の大放出をすれば、軽薄のそしりを免れない。
どうやっても、逆の側面からの評価、批評が飛んでくる。
その中で、いたいけな彼らが自立するためには、彼らの才能を利用するのでなく、正しく加護し、伸ばそうとする確かな目線と力量が必要だ。

天才君たちにも自我があり、自意識があり、日によって変動する自信や自負や劣等意識もある。
それが、長い人生や、演奏家としての日々の中で、彼らや周囲にどのように作用するものなのかを、時々さりげなく知らせてやらなくてはならない。

何を聞いても感心し、もろに受け取り、考え抜く彼らだからこそ、周囲の大人はその才能を大切に扱わなくてはならないのだ。

才能は、しばしばお金に換算される。
営業目的に利用しようとするのは簡単なことだ。
使い捨てる勇気があれば、の話だが。
けれど、最も正しい意味で、才能は、人々の宝でもある。
その音楽を聴いて、至福に至る人々の宝である。
だから、私たちには節度と愛情が求められる。
周囲にいる大人として、私も自分を確かめながら、彼らと居なくてはならない。

千年に一度の大震災と、例のないほどひどい原発事故。
今、私たちはその渦中にいる。

私の祖父母、両親の時代は戦争が度重なった。
日清、日露、太平洋戦争。
その果てに、世界で唯一、日本の国土にだけ殺戮目的の原子爆弾が投下された。
ことあるごとに、その時々の悲惨な話を聞いて育った。
終戦記念日が近づくと、多く、戦争にまつわるテレビ番組が増える。
蘇る既視感。

人は人によって傷つけられる。
傷つける側の人々は、そもそも、どうやって出現してくるのだろうか?

いつも思うのは、私たちには、それでもなお変わらないと信じたい日常が必要だ、ということだ。
たとえば、このような非常事態でも、人はいつもと変わらず出勤するし、選挙には無関心だし、お笑い番組を見る。
音楽を奏でるし、小説世界に逃避するし、ごちそうに舌鼓を打つ。

私たちには、日常が大切なのだ。
たとえ政治に大きな影響力があれども、それ以前に私たちには日常が大切なのだ。
政治といえど、それは民意の反映などではなく、誰もが知らないうちに担いで、さらに権力を持たせてしまった、たった一人のサイコパスによって動乱するものだ。
それを知って、人は選挙に出かけなくなったのではないか。

人は善き人を選ぶより、まずもって、自分がサイコパスにならないように、規則正しく寝起きし、働き、ご飯を食べ、愛を語ることに努力する。
素直に笑い、泣き、時々は怒る。
家族のために、同僚のために、安定した存在であろうとする。
その営みが最優先ではないか。
本能として。

私たちは非日常の中にいるのかも知れない。
けれど、いったい、典型的な「日常」というものは在るのか?
誰かにとっての非日常は、渦中にいる人々にとっては、いつもと変わらない、完璧なる「日常」だ。

マスコミやメディア好きな人々は、いつの間にか、ひとりの人間の力を過剰に評価しすぎてはいないだろうか。
本来は、その巡り合わせや能力に応じつつ、基本的な、一人の人としての営みを保てるような環境にとどまり、正気でいる努力をすべきなのだ。

痛みや悲しみは分散し、喜びは分かつ。
それを、素直にできる人として居られるよう心を砕くべきなのだ。

今より貧しかった昔よりも、言葉遣いや佇まいは洗練されのだ。
けれど、大切なのは本心だ。
まず心から発せよ。
まず、自分の心から、言葉を発せよ。

歌を教えていると、いろいろな生徒のいろいろな境遇と出会う。
どのひとりも、スイスイ生きているわけではない。

最近よく出会うのは、誰かに圧迫されているという悩み。
仕事場やグループで、神経がおかしくなりそうなほど傷つく。
話を聞きながら、彼女たちを傷つけている人のことを思う。
傷つけている人たちの切羽詰まり具合が透けて見える。
傷ついて、そこから離れたり、果敢に戦ったり、改善策を考えたりしている彼女たちよりもっと、崖っぷちにいそうな、傷つけざるを得ない、彼らのことを思う。
余裕のない立場のことを思う。

友達とか、家族とか、仲間たちの救いを得られない孤独を思う。
そういう周囲に助けをお願いできない孤独を思う。

昨日の帰り道で、闘病していた生徒に出会った。
「元気になりました」
と彼女はきっぱりと言った。
少し話して、互いに涙が出そうになって、手を振って別れた。
また歌いたいと言ってくれた。

そうなんだ。
みんなが口にする。
「歌うことで自分を素敵だと感じられる」と。
どんなに罵られても、バカにされても、「私、じつは歌ったら結構すごいんだ」と、心の中で唱えるんだって。そうすると、魔法のように自信が蘇る。

それでも、病気とか、対人関係では引き返したり、立ち止まったりしなくてはならない。
それは仕方が無い。
特定の一人のために成立している世界なんて無いのだから。

飽きずに、めげずに、自分からやりくりするしかない。
そう考えながら、私も長い間、自分で何とかやりくりしてきたなぁ、と感慨にふける。
憧れていたあれこれをするために、自分を変えながら、改善しながら、歩いてきた。
心理学も学び、セラピーを体験し、私に能力が「無い」わけではないことを信じて歩いてきた。

少しだけ、できるようになっている気がする。
曲を作ったり、罪障感なく音楽をすることが。
そういう、私だけの事情を音楽に込める。
不自由で、満たされず、障害の多かった私の音楽への道のりは、でも、見方によっては個性的でもある。

私独りによる、ひとつの作品のような人生となりますように。

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