昔「聡明な女は料理がうまい」という本がベストセラーになったことがあった。
聡明な女→仕事を持つ女→料理や家事一般が苦手
という、昔にはありがちだった一般論を覆そうとする内容。
私としては、料理は好きだが、聡明ではないな、と感じたり。
大家族だったので、女子の私はいつも料理を手伝いながら育った。
戦後の食べ物のない時代からの引き継ぎで、従業員も家族も全員一緒の昼食。
賄いのおばさんもいて、いつも大量のおかずを作った。
夏休みや冬休みは、毎日その手伝いができる。
夜も、住み込みの人たちと家族合わせて10人以上の食卓。
父は別膳だからその分の料理もあり。
料理は毎日のことだったし、正月や祭用の特別な品々も手伝ううちに覚えた。
最初は、手順を覚えるのが楽しく、そして食品の様々を覚えるのが楽しく、食べたいものというよりは、レパートリーが増えて行くのが楽しかった。
例えば干瓢は塩でもみ、湯で戻してから煮るとか。
そういう、ひと手間かける食品にとくに興味を持った。
高校生くらいの時、父がニューヨークで食べてきたという、アサリ入りのスパゲティを何とか再現したいと頼まれたときは、自分では見たことも食べたこともないのに細部を聞き出し、色々な料理本を調べて作ってみた。
その時、タイムを初めて使った。
今思うとボンゴレだから、ニンニクとバジルくらいで良い、と分かっているが、その時はケチャップ味でない、塩味だけのアサリのスパゲティだと聞かされて、ずいぶんびっくりした覚えがある。パスタなんて言葉すらまだ聞いたことのない時代。
大学生の頃には、ホームステイ先の家庭で刺身からちらし寿司、中落ちを使ったつみれ入り吸い物まで作ってみせた。日本食の食料品店が今のようでない時代だから、50cmほどのマグロは半身皮がついたまま、しかもアメリカ家庭の切れない包丁で料理したのだから、結構素晴らしかったのだ、と今になって感心している。
結婚してからはかなり張り切って料理した。
書店で見つけた「四季の味」という料理本に感嘆し、ここまでこだわる人々が存在することに感動した。この感じ、現在の職人好きに通じている。後に、この本の編集長だった方のご家族、関係者と知り合いになり、この本を読んで知っていたことをずいぶん驚かれた。
今も、休みとなると買い出しをして、丸ごとの魚を買い、刺身、カルパッチョ、煮物、焼き物、揚げ物と様々に料理する。材料を買い込むのも大好きで、気がつくと万札が消えている。田無駅前のアスタビルにはジュピターが入っているし、吉祥寺に行くと三浦屋がある。ちょっと覗こうとして、色々手に持ってしまう。気をつけないとすぐに買いすぎる。
とは言え、食べてばかりかというと、仕事の都合で時間が無く、作っても家族に食べ尽くされて口に入らずじまい、という日も多々ある。それでも、作りたいのだ。色々。
子供が生まれ、音楽を休んでフリーライターを始めた頃は、ほとんど家で書いていたので
日々、書いては合間に料理をしていた。ずいぶん手の込んだ和え物なんかも作っていた。ごまを炒り、すり鉢であたって、甘酢で整える。具は、干し椎茸を甘辛く煮たものと薄い小口にした胡瓜を塩もみしたもの。これは、辻嘉一さんの料理本にあった。同じ本の、酒蒸しした鶏のささみをほぐしたものとジャガイモを針のように細く切り塩揉みしたものをごま酢合混ぜにしたものも美味しかった。
子供たちが中学くらいになってからは、毎朝弁当を作り続けて20年。頑張ったが手早くできる雑駁なものばかり増えた。あの頃は毎日眠かったなぁ。
ケーキやゼリー類なんかも結構作っていたし。
仕事場を外に持つようになってからの10数年間、料理に割く贅沢な時間がなかなか取れなくなっていたけれど、最近また仕事をさぼって料理をしている。見た目はどうでも、美味しければ良いという料理ばかりだけれど、少し心に余裕ができたのかな。この春、息子が就職すれば3人の子育てもやっと完了となる。
音楽好きの友達、もちろんミュージシャンたちも、みんな本当に美味しいものを食べるのが好きだ。集まるとすぐ、最近食べた美味しいものの話になる。あるいは、旅先で出会った特産品や珍しい料理、調味料などの報告。
食べる話の中身に艶のある人は、演奏も美味しい感じがする。食べることへのこだわりと、音楽を聴いたり演奏したりする神経は、どこかでつながっているのかな。
そういえば「美味い、旨い、上手い、巧い」って、全部「うまい」だ。