CDの売り上げが落ちているとか、音楽産業が大変だとか言われるけれど、じつは音楽を聴く人も趣味で演奏する人も増えている。音楽産業の中身というか、発想や業態を変えつつ、凌いで行かなくちゃならないだけではないか。
私が歌を始めた頃は、12月に入るとギャラの良い仕事が目白押しだった。いつもの倍以上のギャラで、六本木や赤坂のバー、キャバレーのショー仕事があった。歌手はそれこそドレスを翻して走っていた。つまり店を掛け持ちしていた。
夫はスタジオやツアーで演奏するミュージシャンだったが、バブル時などはコマーシャル、ドラマの劇伴、歌手のレコーディングなどが日々あり、さらにタレントのツアーやイベントにはグリーン車で移動していた。ギャラも現在の3倍くらい。
その後、私は歌手を中断してライターとなったが、同様に雑誌のライティング、ページ単価が現在の3倍だった。ライター仲間には年収1千万を超える人もいた。ちょろい、と勘違いしたのも無理は無い。そしてバブルが去り、以降ギャラはどんどん下がり続けている。
故あってレーベルをしていると、著作権管理とか、著作権使用料とか、ISRCとか、印税とか、バーコードについての知識が必要である。こちらは申請して配分を願い出、あるいは使用料を支払う側な訳である。それぞれに管理団体というものがある。やってみると、これらは、大変に手間暇がかかり、しかも数で手数料を稼ぐという仕事の体制が可能な資本にしかできない特殊な業務であることが分かる。毎日膨大に発表されるすべての録音楽曲に対して、データベースを作り、海外の著作権者も含めて、印税申請の要不要を確認し、振込先を確認し、正しく徴収し、分配する。
大規模な売り上げを出すものばかりではない。
何年もかかって、数百枚というアルバムすらある。
それらの新譜販売、レンタル、放送使用などのいちいちを集約して分配する。
分配して頂くための申請手続きは、結構めんどい。
また、使う立場となったときの申請内容も、結構めんどい。
CDに録音する、書籍に添付するCDに録音する、コンサートやライブで演奏する、放送で流すなど、いちいちの申請時に、一曲ごとの著作権管理団体が何処であるかを確認し、申請する。やってみると、片手間仕事では割にあわない。それこそ日々、膨大な数の楽曲をさばいて手間賃を稼ぐ以外、データベースを維持する方途が無い事が分かる。管理担当する職業の人々は、音楽そのものでは全くない、ただの数字、日々、パソコンの中の数字と向き合い続けるのだ。
音楽は、ごくシンプルに考えると、演奏する人がいて、聴きたい人がいて、演奏に対してそれなりの対価を支払う、というものだ。
録音でなく、しかも町の辻での演奏なんかだと、投げ銭で潤う計算だ。
けれども、今の現実は、演奏会場、会場のスタッフ、演奏家のそれぞれが一度のライブでそれなりの収益を得て立ち行かなくてはならない。
それに対する、聴く人々の負担がいかほどになるか、いつも計算されている。
会場費、チケット代やライブチャージ、飲食代。
人の仕事として見てみると、ブッキングなどのマネージャー、店のスタッフ、音響スタッフ、調理スタッフ、ミュージシャン、そのローディーなどが必要だ。
キャパシティが100人以下だとたいてい赤字だったりもする。
メジャーで、大ホールを借り、大きく仕掛けを施して堪能させるコンサートなら良いかといえば、こちらもほとんど儲からない。経費でトントン。日本でそれができるミュージャンは、だんだん少なくなっている。
つまり、経費が今やどこからも回収できない。
できないというのは、経費が高度成長期やバブル期のように何処からかやってこないから。
スポンサーは細り、売り上げはなかなか集中しない。
だからかつてのように、大きな社屋にスタジオを完備し、たくさんのスタッフや営業マンを抱えても、それらの経費はまったく回収できない状況になった。
メジャーな会社は、売り上げ成績が不良な部門から削るので、ジャズなどはほとんど切られている。それはショップの棚も同様。
さて、このように見ていくと、大手ができる仕事は限られてくるとしか言いようがない。
AKBやジャニーズのように、ギャラがほとんど支払われないタレントを使って、派手派手しくベントを続け、楽しんでもらいながらタレントは使い捨て、母体を残す。
一般の人々には、芸能界というのは、あるいは音楽産業というものはテレビの中に、そのようなものとして見えているらしい。そこに関わっていないと、ミュージシャンではないような受け取り方もされる。だが、じつは本格的なミュージシャンというのは、人知れず数知れずいる。作曲、編曲、演奏、いずれもが、実社会には無名の才能に担当されている。そこが無いとAKBもジャニーズも成立しないのだ。
例えば、ノーベル賞をもらって初めて、そういう学者がいる事が知れるように、そういう研究領域がある事が知れるように、音楽界にも、業界内に知れわたる専門家がたくさんいる。そしてその多くは生活のためにギャラの良い仕事をし、余裕ができれば本来のアーティスティックな仕事をする。この場合、音楽の中で生業と趣味が分かれている事になる。
需要と供給という面でいえば、専門家の追求する音楽を楽しむためには、それなりの知識、教養、理解力が要る。何も考えずに流行ものとして受け取る音楽と、その深さやチャレンジを受け取る音楽とがあるのだ。
さて、そこでやっと最初の、聴くだけの人より、演奏する人々が増えている件。今や、日本も本業である生業と、ひょっとすれば職業にできるほどに熟練した趣味を持つことすら珍しくないという状況に入ってきている。現に私の知っている人々はそうだ。対象は音楽に限らず、芸術系、あるいは競技系や収集系など。
江戸時代に、多くの人が歌舞伎を楽しみながら自らも義太夫や長唄、踊りを楽しみ、役者の批評をしたように。武士階級が必修のように謡や能を学んだように。そこから何らかクリエイティブな細胞を増殖させて、本業にも活かそうという、ごく当然な循環を楽しみながら続ける人々がどんどん増えている。
音楽家は、バッハからシュトラウス、マーラーに至るまで、どんな才能も教師、あるいは指導者の職を兼ねていた。ジャズもまた、個人レッスンやワークショップをたくさん経ないと上達できないジャンルである。
演奏する、録音する、指導する、ともに楽しむという音楽の持つ様々な可能性を、その時代に見合う形で組み合わせながら、自らの音楽体験を充実させることこそ、プロにもアマチュアにも求められる。それこそ、楽しみは自分の手で生み出すもの、なのだ。
私としては、この環境を得たその先で、如何なクリエイティビティを構築して多くのアーカイブを残すか。それが勝負と信じているのだが。