録音された音楽が商品になったのは1900年頃。蓄音機が発明されたから。それ以来、音楽産業はずっと、録音された音楽を、レコードとかテープとかCDにして手渡しで販売して来た。
そして100年経った頃から、データを売る時代に突入している。
音楽は、本来生音だ。
長い歴史の間、目の前に演奏家がいなくては音楽を聴けなかった。だからモーツァルトは、いっつも旅の空だった。
自分から出かけて行く辻音楽師や音楽一座。
あるいはそこに居続ける教会専属の合唱団。
いずれにしても、音楽家を招き、出かけ、そうして聴くものだったのだ。
レコードからテレビ、ネットになって音楽の売り方や買い方が激変している。
私は、ジャズの素晴らしいプレーヤーのアーカイブを残したい一心で CD制作をして来たけれど、ここに来て制作側もプレイヤーも音楽を残す方法論を創出しなくてはならない感じがしている。
CDを制作して流通させるコストと、それを販売する定価。
それらをもう一度、全く違う方法論として考え出さなくてはならない。
何をどのような形で売るのか。
どのようにペイさせるのか。
そういうことを、一から考え直している。
こうして、テクノロジーや世界の激変と一緒に考えたり試したり、動いて行けることは、なんて面白いのだろうか。
これまでの常識と、でも、それで不自由だったことを再度洗い出し、検討して、より簡単で効果のある、あるいは適応的な方法を考え出す。
何に於いても、それを考えている時間が面白い。
音楽は、新しいやり方でみんなの手元に届くようにしないと。
そして、そのためにコスト下げて、良い音楽を録音することを諦めずに続けて行かないと。
過去の常識に捉われていると、すぐに空白ができてしまう。
それはいかにももったいない。
だっていつも変わらず、残したい音楽を奏でているたくさんのプレイヤーが存在しているのだから。