日記: 2013年7月アーカイブ

音楽の現在

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録音された音楽が商品になったのは1900年頃。蓄音機が発明されたから。それ以来、音楽産業はずっと、録音された音楽を、レコードとかテープとかCDにして手渡しで販売して来た。
そして100年経った頃から、データを売る時代に突入している。

音楽は、本来生音だ。
長い歴史の間、目の前に演奏家がいなくては音楽を聴けなかった。だからモーツァルトは、いっつも旅の空だった。
自分から出かけて行く辻音楽師や音楽一座。
あるいはそこに居続ける教会専属の合唱団。
いずれにしても、音楽家を招き、出かけ、そうして聴くものだったのだ。

レコードからテレビ、ネットになって音楽の売り方や買い方が激変している。
私は、ジャズの素晴らしいプレーヤーのアーカイブを残したい一心で CD制作をして来たけれど、ここに来て制作側もプレイヤーも音楽を残す方法論を創出しなくてはならない感じがしている。
CDを制作して流通させるコストと、それを販売する定価。
それらをもう一度、全く違う方法論として考え出さなくてはならない。
何をどのような形で売るのか。
どのようにペイさせるのか。
そういうことを、一から考え直している。

こうして、テクノロジーや世界の激変と一緒に考えたり試したり、動いて行けることは、なんて面白いのだろうか。
これまでの常識と、でも、それで不自由だったことを再度洗い出し、検討して、より簡単で効果のある、あるいは適応的な方法を考え出す。
何に於いても、それを考えている時間が面白い。

音楽は、新しいやり方でみんなの手元に届くようにしないと。
そして、そのためにコスト下げて、良い音楽を録音することを諦めずに続けて行かないと。
過去の常識に捉われていると、すぐに空白ができてしまう。
それはいかにももったいない。
だっていつも変わらず、残したい音楽を奏でているたくさんのプレイヤーが存在しているのだから。
人生の時間は長くて短い。
子育てしていた若い日々は、日が過ぎず、まるで永遠のように感じた。
この数年は飛び去るように早い。
一日の内容が薄くなると、速度が増すようだ。

私の住む団地は、8階建てのマンションが12棟ある。分譲で自主管理。
私も以前、管理組合の理事や修繕委員会などを経験した。

号棟ごとに棲む人の雰囲気が違っている。
私の棟は、目の前がテニスコートなので、テニスをする人が多く、いくつかのグループができている。ソフトボールをやるおじさんチームも、二世も参加の時代に入ってますます元気。
昨日、号棟の親睦会をやった。民生委員さんもうちの棟なので、彼から高齢化についてのお話。なんと720戸ある団地の居住者全員の平均年齢が70代に突入したというではないか。驚いた。
我が家が引っ越して来たのは、次女が生まれてすぐの1985年。その頃は、周囲の皆さんがばりばりの活躍で、3日にわたる盛大すぎる夏祭りまでやっていた。

昨日の参加者の最高齢は、91歳。お元気で声もはっきり。
それにしても、時は確実に過ぎるのだなぁと、しみじみ。
我が家の三人の子どもたちはみんなここで育ち、巣立って行った。
たまに戻って来ると、ご近所の方たちとしばしの挨拶。
「立派になったわねー」
ついこの間まで、ジャージに鞄の中学生だったのに、もうスーツを着ている。
お化粧している。そしていつか、子どもを連れている。

子育てが大変だった頃、三人は荷が重いと思ったけれど、いつの間にか何とかなっていた。
ご近所の皆さんにずいぶん救われた。
そして、ついに夫と二人だけとなると、いがみ合うのも阿呆らしく、何もかもどうでもいい感じである。
互いに愚痴っているのだが、じつは何も聞いていない。
何度同じ話をしても、聞いていないからしかめ面をするほどでもなく、ふんふんとただ相づちだけ打っている。
夫婦長年の格闘は、この頷きのためだけにあったのではないか。
きっと一人だと、愚痴も言わない。多分、笑いもしない。
夫でなくても、誰かと居るということは、そして、互いに何も聞いていないから腹も立たないような気の置けない誰かを得ることが、良いことのような気がして来た。
パソコン始めた当初からずっとMacで、この度、OSを上げる必要から新機種を買いました。
プログ、ネット、メールくらいしか使わないので、立派ででっかいのはパス。
以前と同じminiを購入。
その設定の大変なこと。メーラーが以前と変わっていて製品のパスが受け付けられず、純正メールに変えたら、そちらもよく動かず。
汗だらだらでプリンターやら色々設定し終え、つくづく思った。

「メアドって、そろそろ不要品になるかもな」。
すでにスパムまみれ。
家の電話も、今や営業電話しかかからないでしょ。

それでどうなるかといえば、Googleとかicloudとかに代わって行く。
えらいことだ。
私たちはみんな、ビッグデータのために、あっちだこっちだと振り回され、あくせく繋ぐはめになってる。
しんどいなぁ。

PCは今や仕事に不可欠なのだが、我が夫はPCをやらない。
ミュージシャンには、やらない人も結構いる。
ポリシーのための人と、単なるめんどくさがりやさん。

私は、何でも自分でやらなくちゃと思い続けて来たので、楽譜ソフトまでマスターしてしまったが、もしもやらなかったなら、できる人に「やっといて」と言えるのである。
お陰で、私はいつも夫の仕事現場の地図とか、時刻表とか、CDのトーストとかをして上げてる。すごいめんどう。自分でやって欲しいぞ。

でも、やらないもん勝ちという方法は確かにある。
そしてそれは割と正解なのだ。
何でもできなければ、と思わない人の方が、楽しそうに生きていたりもする。

ちょっと前にサンフランシスコに行って、コンベンションセンターの辺りでIT関係の秀才らしき人々を眺めたりした。みんな立派だ。ああいった方々が、次々と新機軸を打ち出し、世界中のPCを変化させ、ユーザーを狼狽えさせているのだと思う。割と悔しいことだ。たかが4〜5年買い替えないでいただけで、中身がずいぶん変わっていて、あたしゃどうすりゃ良いのよ、と数日やさぐれなくてはならない。
これは、体のいいファシズムではないのか。

本日のニュースで、政府機関の複数の委員会が、資料を誰でも閲覧できる形でクラウドに上げちゃっていたことが判明したと言っていた。グループだけが見られるようにしたつもりが全開だったそう。でも、なんか分かるな。それは起きそうなことだ。

私はいつまでPCを続けるのだろうか。
面白いが、買い替えは面倒だ。
次第に家電のように、仕組みは分からないけれど、便利、という機械になって行ってくれるだろうか。テレビの画面がそのままブラウザに変わるとか。

そう言えば、世界中からビッグデータを集める企業は、金融に於ける銀行と一緒だね。
みんなからまんべんなく集めて、勝手に運用する。
私たちはある意味、イワシなのかも知れない。
若い人が就職を決める時などに、モチベーションについて語ったりする。
その多くは、自分の個性を活かせる職業とか、情熱の傾けられる職業に就きたいというものだ。
向き不向きは当然あって、接客に向いている人と、ひとりで黙々と作業するのに向いている人、多くの人には無い発想や才能を活かす人など色々ある。
けれど、職業的な個として成り立つまでには長い時間がかかる。
周囲の、発注したい人々を開拓するだけで人生終わるかも。
組織に入るのは、そこをすっ飛ばせるからだね。

組織にも属さず、単身精一杯頑張って来たのに、最近の私は、仕事したくない傾向。
原因ははっきりしていて、子どもたちが育ち上がったからだ。
最後のひとりが就職した。
あとは、自分のことなんだが。

こうなると、いきなり我がままになっている。
疲れない程度にしたいとか、好きなことだけに絞りたいとか。

子どもが小さい頃は、一銭でもお金になることは何でもやろうとした。
本当にガツガツと仕事を得ようとした。
みっともないとか考える余裕もなかった。
とにかく、仕事が欲しかった。

でも、今それができなくなっている。
どちらかと言えば仕事は持っていたいが、それもどっちでもいいや、くらいな感じ。
ひとりで過ごしていると、やはりそれなりに心が鬱屈して来るから、外で働く方が良いのだが、でも、昔みたいにガツガツはできない。

つまり、働くモチベーションって、誰かを養うためなんだよね。
誰かを保護するとか、面倒を見るためなんだよね。
自分以外にその起源が無いと、働くことの意義は薄くなる。

若い頃の、どうしても諦められなかった義務感は、今思うと有り難いことだった。
誰にでも同じことが起きる。
定年退職の後、介護が終了した後。
子どもたちを独立させた後に来る鬱傾向は「空の巣症候群」と呼ばれている。
何でも、大変な責任を果たした後にはこれが来る。

よく頑張ったんだから、少しは休憩した方が良いのだろうか。
いい歳なのにガンガン働いている人たちにその理由を訊くと、原因は借金を返すためだったりする。
じゃあ借金するかな。
もしもの時は、保険金で返すとして。

ヤンキーか否か

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斉藤環さんという精神科医の先生が、日本人のマジョリティは「ヤンキー性」にある、と論じている。ヤンキーとは、ひと言で言うと「不良」みたいなことだけど、日本に特有な不良性というか...。

一番分かりやすいのは、YAZAWAとかExileみたいな人たちだね。
でも、論によると、X Japanもジャニーズもモーニング娘。もヤンキーなのよ。
私なりの理解で言えば、親分がいて、なにがしかの頑張るポリシーみたいなものが有り、その舎弟が階層を成して大勢集まっている、という感じかな。

ロックの人なんかは、この範囲の人たちが多いな。
ハウンド・ドッグも、ビーズも、グレイも、そんな感じ。
ラルクはちょっと別な感じだけど。

「〜組」とか「〜軍団」と称する人たちは、全部そうでしょ。
親分と侠客、子分や舎弟。
そういうの、日本人は好きみたいなのよ。

で、私はすごく苦手。
またしても、この前のつるむのが苦手な話に近いけど、このヤンキー論を読んですごく納得した。ジャズの人たちは、ぜんぜん違うの。親分とか要らない人が多いし、どこに所属するとかではなく、自分はどのテイストが好きかとか、音楽の力がとにかく最優先とかなのだ。
だから、集団になれない。ジャズはだからいつも、マイノリティーっぽい。

おまけに、こと「音楽」という芸術の世界として見れば、ジャズは様々なものを含んで成立する上位概念的なジャンルだ。だから、ポピュラリティを得るのは二重の意味で難しい。

ジャズが世に広まった時代は、ちょうどレコードが発売になった時期だった。SP盤と手回しの蓄音機。それで、ブラックの皆さんをターゲットにした、レイス・レコードと呼ばれる盤が大量に流通した。ジャズは録音という発明とともに世界に定着する。

テレビが出てからは、ビートルズやストーンズが定着。
さらに、プロモーションビデオができて、マイケルやマドンナ。
現在は、ITを駆使するアーティストが生まれているのだろう。
アイスランドの音楽が大人気になったりして。

日本のヤンキーミュージシャンは、「武道館」という到達点を設定したところから、さらに確かなテイストを担って定着し始めた。
武道館って、すごい場所だよね。だって「武道」だよ。
そこでボブ・デイランはじめたくさんのコンサートを見たけれど、「ナイトメア」がやっていた「仙台貨物」のコンサートが良かった。揃いの赤いつなぎを着たアリーナの全員が、一斉に赤いタオルを振り回した時、その光景見て大感動。掛け値なくとってもきれいなんだもん。
ああいった、みんな揃ってワーッとやる、しかも日本だから武道館、というのが、ライブハウスやホールには無い、何とも言えない民族臭を立ちのぼらせる。キッチュかな。でも、ダサイ点に対しては近親憎悪的感情も湧く。

ヤンキーの力は素晴らしいと思う。
あの集客力、動員力。
しかし、私はその中に入り込めない。
居心地が良くない。
みんなで一斉にやることに重点が置けない。
親分を担ぐことに、命が懸からない。

あ、「たけし軍団」というのもあるね。
あれは完全にヤンキーだね。
でも、タモリはヤンキーじゃないよね。
そもそもが、早稲田のジャズ研だし。

ネタ的事件

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会社に着いたら、携帯に不思議な電話番号が並んでいた。
留守電も残っている。
聞くと
「羽幌警察の交通係Kです。これを聞いたらすぐ電話下さい」と。
え、北海道の羽幌?
稚内に至る北の、天売島と焼尻島を擁する町。
そこの警察から電話となると、家族に異変が起きたかと連想された。
担当に電話を返すと、「ただいま出かけております」とのこと。
それから、電話が掛かってくるまでの3時間、心配すぎてどっと疲れた。

例えば、海辺に無人の車が残されていた、とか、交通事故に遭ったとか、徘徊しているところを保護したとか。

まったく絵空事ではなく、そのような連想が成立する状況ではある。
仕事どころではないが待つしか無い。
そう思いつつ、なぜか、うとうとまどろむ。

電話が鳴り、出てみると
「えー、間違いですねー」
という北海道弁の警察官。
「この番号っていわれましたが、ぜんぜん別の人にかかっております」
「はぁ」
つまり、違反か何かした人が適当な番号を教えたということ。
それが私の携帯番号だった。

でも、家族に心配な人物が複数おり、しかも実家が北海道。
よりによって、そういう私に北の果てから間違い電話がかかる携帯番号の不思議。

何事も無かったのは何よりだが、ただただもう、どっと疲れましたの。

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