テレビの探検もので、アマゾン川が映った。
真剣な表情の藤岡弘隊長は、どんなことを言っても、日常会話すらセリフになってしまう。
アマゾン川には、半漁人がいるらしく、今回はその怪物だか怪獣だか怪魚だかを探しているのだった。
「あっ、あれは何だ!」
川に動物の死骸みたいのが浮いている。
「動いているぞ」
すくい上げると、それは、なまけものという動物だった。
猿のようにも見えるが、猿とも違う。
全体、とっても気持ち悪い動物である。
何しろ、立てないのだ。
いつも長い手で木にぶら下がっているのだが、陸に下ろすと、腹を下にしたまま、へなへなへなと平らになってしまう。
当然歩けない。
しかし、泳ぐことはできるらしい。
「なまけもの」と名付けられるくらいだから、動作は非常にゆっくりしている。
泳ぐときは、ある程度の速度で水を掻かないと沈んでしまうものだが、なまけものは、ものすごくゆっくりと水を掻いていた。
多分、身体の比重が水より軽い。
水の中に入れば、じっとしていても浮いているのだろう。
木にぶら下がったり、ゆっくり泳いだりということは、他の動物にとって大変なことではないか。
ほとんどの動物は、4足で立ったり走ったりしているときが普通の行動である。
他の動物にとって大変なことが普通にできる場合、普通であることが困難になる。
私は、子どもの頃、なぜ自分は普通にできないのだろうかと悩んだ。
異常な負けず嫌い。
好きになるととことんやり抜かないと気が済まない偏執的性格。
自分の世界で膨らませる妄想を得々と開陳してしまう無防備。
これらのために、呆れられ、誤解、中傷の的となることが良くあった。
ところが、音楽の世界に足を踏み入れてみたら、私なんざまだまだぬるかった。
私の数倍、顰蹙を勝ち取る猛者がいくらでもいるのだった。
ホッとしてずいぶん変な人になった。
実家に帰ると、その変人振りを恐れられ、悲しまれた。
だが、音楽界にとどまりたいのであれば、そのテンションを維持していかないと、踏みつぶされるのだ。
やがて、子供を産んで母親になってみたら、そのツケが一気に回った。
数年間はノイローゼ一歩手前。
よくここまで生還できたものだと我ながら感心。
運が良かった!!
ただし性格はすごく変わってしまった。
負けず嫌いも、偏執狂も、妄想も全部衰退してしまった。
何か引き受けても、せっせと取り組めない。
成功させようとか、成果を上げようとは思わない。
誰かに後ろ指さされても、腹も立たない。
静かに、自分の好きな音楽を聴き、ときどき好きなミュージャンと演奏でき、こういう駄文を書き散らしていられれば満足。なるべく余計なことはしたくない。
テレビのシカゴホープも好きだったが、今はホワイトハウスが面白いということだけで充実してしまう。
日和ったのか適応してしまったのか年取ったのか、ただのなまけものになっている。
ある意味、じつに惜しいことをした。
弟がコメンテーターで出演するというので、TBSの「雅子様特番」を見ていてつくづく思った。
誰に迷惑がかかろうと、自分の好きに生きないと、結局それ以上の迷惑をかけてしまう状況に陥る人が絶対にいる。
ついつい良い人でいると、自分が病んでしまう人が絶対にいる。
我が儘とか、精神力がないとかではなく、個別性が際立っているために。
なまけものはなまけものらしく、木にぶら下がったり、死んでるみたいに泳いだりして人生を全うすれば、「きゃー、陸に上がるとキモーイ」と嘲られることもないだろう。それらしく生きれば、幾分でも他人様の役に立つことだってできるかも知れない。
つまりこれ、自分の有り様の、ただの、言い訳ですけれど...。
世界って、秩序を定めた途端、はずれる人ばっかりになる。
誰の目から見ても、社会とは、変な人や極端な人がこぞって参加しているどうしようもない混沌だと思うんであります。
だからくれぐれも、相対化ばっかりしないこと。
絶対的存在が60億人(だっけ?)以上載っかっている地球と思うと、けっこう感動しません?